地上の物語は原作とほぼ同じ結末を迎えますが、展開を早めるため、そこに至るまでの流れは異なります。
また、地下に関する設定や物語は、本作独自のオリジナル要素となっています。
第一層・トールバーナ
町の中心にある広場には、数十人のプレイヤーが集まっていた。
彼らの目的は一つ。
第一層のフロアボスを攻略し、このデスゲームをクリアするための第一歩を踏み出すことだった。
すでに攻略組として活動している者もいれば、情報収集を得意とする者、戦闘能力に自信のある者など、集まったプレイヤーの顔ぶれはさまざまだった。
その中に、一人の少女の姿があった。
アスナである。
「……あれ?」
広場に到着したアスナは、足を止めた。
周囲を見渡す。
黒い髪。
黒い装備。
人混みの中でも、どこか周囲から浮いて見えるような、あの落ち着いた雰囲気。
探している人物の姿は、どこにもなかった。
(……いない)
アスナは、もう一度広場を見回した。
入口付近。
露店の近く。
集まったプレイヤーたちの後方。
どこを見ても、レイの姿は見つからない。
(まだ来ていないだけ、よね?)
昨日、別れ際に聞いた会話を思い出す。
『レイ君も来たらいいのに』
『……考えておく』
参加すると約束してくれたわけではない。
それは分かっていた。
それでも、どこかで期待していたのだ。
きっと来てくれる。
広場に到着すれば、いつものように少し離れた場所に立っていて、こちらが声をかければ短く返事をしてくれる。
そんな光景を、知らず知らずのうちに思い描いていた。
けれど。
「…………」
アスナは、わずかに肩を落とした。
(……来なかったんだ)
胸の奥が、少しだけ沈む。
別に、レイが来なければ攻略ができないというわけではない。
彼がいなくても、自分には自分の役割がある。
それに、レイはソロプレイヤーだ。
大勢で集まって話し合うような場を、好まない可能性だってある。
頭では、ちゃんと理解していた。
それなのに。
(……少しくらい、来てくれてもよかったのに)
そんなことを思ってしまう。
アスナは、慌てて首を横に振った。
(違う違う。レイ君にも予定があるんだから)
自分勝手な期待をしてはいけない。
そう言い聞かせる。
けれど、気持ちは簡単には切り替わらなかった。
昨日は、明日も会えたらいいと思った。
今日は、ここで会えるかもしれないと思った。
そして今、会えなかったことを残念に感じている。
(……私、レイ君に会いに来たわけじゃないのに)
本来の目的は、第一層攻略の話し合いに参加することだった。
それなのに、到着して真っ先に探したのはレイだった。
自分でも、少しおかしいと思う。
「……よし」
アスナは小さく呟き、頬を軽く叩いた。
「集中しなきゃ」
今は攻略のことを考えよう。
レイに会えるかどうかは、そのあとだ。
そう自分に言い聞かせて、アスナは集まりの輪へと歩き出した。
けれど、胸の奥に生まれた小さな寂しさは、すぐには消えてくれなかった。
◇
第一層攻略会議
「それじゃあ、そろそろ始めようか」
集まったプレイヤーたちの前に、一人の男性が立った。
ディアベル。
青い装備を身に着けた、騎士のような雰囲気を持つプレイヤーだった。
彼は第一層のフロアボス攻略に向けて情報を整理し、参加者たちに説明を始めた。
「まずは、これまでに確認されている迷宮区の情報を共有する。ボスの特徴、攻撃パターン、そして攻略に必要な人数についてだ」
周囲のプレイヤーたちが真剣な表情で耳を傾ける。
アスナも、気持ちを切り替えて話に集中した。
レイがいないことは残念だった。
けれど、ここで自分ができることをしなければならない。
この世界から脱出するためにも。
「……ボスの攻撃には、一定のパターンがあるみたいだな」
誰かがそう口にしたとき、少し離れた場所から一人の黒衣の剣士が発言した。
「武器を持ち替えたあとの攻撃に注意したほうがいい。通常の攻撃パターンとは違う動きをする可能性がある」
キリトだった。
彼はすでにボスの情報をある程度把握しており、攻略会議でも重要な情報を提供していた。
アスナは、その発言に耳を傾ける。
確かに、ボス戦では事前情報が生死を分ける。
少しの油断が、取り返しのつかない結果につながることもあるのだ。
会議は順調に進んでいった。
やがて、実際の攻略に向けたパーティー編成の話になる。
「ボス戦では複数のパーティーに分かれて行動する。前衛と後衛の役割を明確にして、無理のない編成にしたい」
ディアベルの言葉を受け、参加者たちは次々にパーティーを組み始めた。
アスナは、周囲の様子を見ながら考えていた。
自分はソロでも戦える。
しかし、ボス戦では状況が違う。
敵の攻撃を受け止める者。
隙を作る者。
攻撃の機会を逃さずにダメージを与える者。
それぞれの役割が必要になる。
「……君」
声をかけられ、アスナは振り返った。
そこにいたのは、先ほど発言していた黒衣の剣士だった。
「アスナ、だったよな?」
「そうだけど……あなたは?」
「キリトだ。さっきの話し合いで、君の戦い方を少し見ていた」
「私の?」
「ああ。細剣を使うんだろ? 動きが速いし、前衛でも十分に戦えると思う」
アスナは、少しだけ警戒するように彼を見た。
初対面の相手だ。
簡単に信用するつもりはなかった。
けれど、キリトの話し方には、余計な馴れ馴れしさがなかった。
「……それで、何?」
「よかったら、俺と組まないか。ボス戦では連携が必要になるし、君の攻撃速度なら俺とも合わせやすいと思う」
アスナは少し考えた。
キリトの実力は、会議中の発言からもある程度推測できる。
少なくとも、何も考えずに戦うタイプではないだろう。
そして今は、攻略を優先すべきときだ。
「……分かったわ。よろしく、キリト君」
「ああ。よろしく」
こうして、アスナはキリトと組むことになった。
原作と同じように、二人の間に攻略者としての関係が生まれた瞬間だった。
けれど、アスナの心の片隅には、まだ別のことが残っていた。
(……レイ君、今頃何をしてるのかな)
会議の内容に集中しながらも、ふとした瞬間に考えてしまう。
今もどこかで狩りをしているのだろうか。
それとも、別の街にいるのだろうか。
あるいは――。
(……まさか、一人で迷宮区の奥に行ってたりして)
その可能性を考え、アスナは小さく息を吐いた。
レイなら、やりかねない。
自分の実力に絶対的な自信があるというより、そもそも危険を危険として捉えていないようなところがある。
もちろん、彼が無謀な戦い方をするわけではない。
むしろ、誰よりも冷静に状況を判断しているように見える。
だからこそ、アスナは彼の行動が読めなかった。
(……もう。せめて、どこにいるかくらい教えてくれたらいいのに)
そう思ったあと、アスナは再び攻略会議へ意識を戻した。
今は目の前のことに集中する。
レイに会えなかった寂しさを、攻略に持ち込むわけにはいかなかった。
――しかし、アスナが知らないところで。
レイは、彼女の想像をはるかに超える場所にいた。
◇
第一層の迷宮区
そのさらに奥
通常の攻略ルートから外れた場所に、奇妙な石壁があった。
一見すると、ただの行き止まり。
しかし、壁の一部には不自然な継ぎ目があり、周囲の床にはほかの場所とは異なる模様が刻まれていた。
レイは、その壁の前に立っていた。
「……なるほど」
壁に刻まれた模様を眺めながら、静かに呟く。
数時間前
レイは迷宮区の探索中、偶然この場所を発見した。
最初は、隠し部屋の類いかと思った。
しかし、周囲を調べていくうちに、壁の向こうから微かな空気の流れがあることに気づいた。
閉ざされた空間。
そして、そこへ続く道。
普通なら、見落としてしまうような小さな違和感だった。
だが、レイは見逃さなかった。
「……隠し通路か」
壁の一部に触れる。
すると、石壁が低い音を立てて動き始めた。
やがて、壁の向こうに暗い階段が姿を現す。
階段は地下へ向かって伸びていた。
レイは迷わず足を踏み入れた。
階段を下りるにつれ、周囲の空気が変わっていく。
地上の迷宮区とは異なる、冷たく重い気配。
やがて、階段の先に大きな扉が現れた。
その表面には、見慣れない文字と紋様が刻まれている。
レイが近づくと、扉の表面に青白い光が走った。
直後、視界の端にシステムメッセージが表示された。
《隠し階層を発見しました》
《地下第一層――封印された迷宮》
《この階層への進入が許可されました》
「……地下第一層、か」
レイはメッセージを確認し、扉へ手を伸ばした。
重い音とともに扉が開く。
その先には、地上とは比べものにならないほど広大な迷宮が広がっていた。
壁には青白い鉱石が埋め込まれ、淡い光が通路を照らしている。
足元には古びた石畳。
遠くからは、水が流れるような音が聞こえていた。
そして、通路の奥から漂ってくる強い敵意。
レイは腰の剣に手をかけた。
「……面白い」
その一言を残し、彼は地下迷宮へと足を踏み入れた。
◇
誰も知らない攻略
地下第一層は、想像以上に広かった。
地上の迷宮区とは構造が異なり、複雑な分岐路や隠し部屋がいくつも存在していた。
モンスターの強さも、地上のものとは一線を画している。
一体一体が高い攻撃力を持ち、複数で連携して襲いかかってくる敵もいた。
しかし。
レイにとって、それらは大きな障害ではなかった。
「遅い」
迫りくるモンスターの攻撃を、わずかな動きでかわす。
次の瞬間、黒い剣が閃いた。
一体目が消滅する。
続けて二体目。
三体目。
敵が反応するより早く、レイの剣がその身体を貫いていく。
無駄な動きはない。
余計な力も使わない。
ただ最短の動きで敵を倒し、前へ進む。
それを繰り返すうち、レイは地下迷宮の最奥へ到達した。
そこには、巨大な石造りの広間があった。
奥には、ひときわ大きな扉がそびえ立っている。
扉の前に立った瞬間、視界にシステムメッセージが表示された。
《地下第一層フロアボス》
《封鎖守護者グラウ・ヴァルド》
《推奨攻略人数:不明》
「……こいつがボスか」
レイは扉を押し開けた。
広間の中央に、巨大な影が立っていた。
人型に近い体躯。
全身を覆う黒鉄の鎧。
両腕には、刃のように鋭い爪が備わっている。
頭部には角のような突起があり、その奥で赤い光が瞬いていた。
《GRAU VALD》
ボスの頭上に名前が表示される。
グラウ・ヴァルドは、レイを認識すると低い咆哮を上げた。
広間の空気が震える。
次の瞬間、巨大な身体が動いた。
凄まじい速度で距離を詰め、右腕の爪を振り下ろす。
レイは横へ一歩ずれただけで、その攻撃をかわした。
轟音
石畳が砕け、床に大きな亀裂が走る。
普通のプレイヤーなら、その威力を見ただけで足がすくんでもおかしくない。
しかし、レイは表情一つ変えなかった。
「……なるほど。力任せの攻撃が中心か」
ボスが再び爪を振るう。
レイは身体を沈め、その下を潜り抜けるようにして懐へ入った。
剣が閃く。
鎧の隙間を正確に斬り裂き、HPバーを削る。
ボスが咆哮を上げ、両腕を大きく広げた。
直後、広間全体に衝撃波が走る。
だが、レイはすでに攻撃範囲の外へ移動していた。
「それで終わりか?」
返事の代わりに、ボスが突進してくる。
レイは正面から迎え撃った。
黒い剣と鋼の爪が交差する。
火花が散る。
一撃
二撃
三撃
レイの攻撃は、ボスの防御の隙間を正確に捉えていた。
やがて、グラウ・ヴァルドのHPバーが最後の区画へと差しかかった。
その瞬間
ボスの動きが変わった。
赤い光が全身を包み、両腕の爪がさらに長く伸びる。
最後の段階。
強化された攻撃が、間断なく繰り出された。
それでも、レイの動きは変わらなかった。
攻撃を見極め、かわし、隙を突く。
そして――。
「終わりだ」
レイの剣が、ボスの胸部を深々と貫いた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、グラウ・ヴァルドの身体に亀裂が走った。
巨大な身体が光の粒子へと変わり、広間から消えていく。
《地下第一層フロアボスを撃破しました》
《地下第一層の攻略が完了しました》
《ラストアタックボーナスを獲得しました》
レイの視界に、報酬のウィンドウが表示された。
「……報酬か」
表示されたアイテムは、三種類。
ただし、転移に関わる魔石は二つで一組のアイテムとして扱われていた。
レイは順番に確認していく。
一つ目――剣。
《黒暁剣リュクシオン》
黒い刀身に、銀色の細い紋様が走る片手剣。
光を吸い込むような刀身は、角度によって青白い輝きを帯びる。
柄には暗い紅色の宝石が埋め込まれており、鍔は翼を広げた鳥を思わせる形状をしていた。
攻撃力は、現時点で流通している一般的な片手剣を大きく上回る。
そして、特筆すべきは重量と取り回しのよさだった。
見た目に反して軽く、素早い連撃にも対応できる。
「……悪くない」
レイは剣の詳細を確認し、装備を切り替えた。
黒暁剣リュクシオンが腰に収まる。
その姿は、以前よりもさらに鋭い印象を与えるものになった。
二つ目――ロングコート。
《夜渡りの外套》
黒を基調としたロングコート。
裾には深い青色の模様が走り、内側には銀色の刺繍が施されている。
襟元は高く、肩から背中にかけてのラインはすっきりとしている。
動きやすさを損なわず、装備としての防御性能も高い。
さらに、暗い場所では輪郭が目立ちにくくなる補助効果が付与されていた。
「これも使えるな」
レイは迷わず装備した。
黒い髪。
冷静な表情。
そして、身体を包み込む漆黒のロングコート。
その姿は、地下迷宮の薄暗い光の中で、まるで影そのもののように見えた。
三つ目――二つの魔石。
《対となる転移核・双環》
掌に収まるほどの大きさをした、青白い魔石だった。
二つの石には、それぞれ異なる紋様が刻まれている。
一つは淡い青。
もう一つは深い紫。
説明文を開くと、特殊な効果が記されていた。
《対となる転移核・双環》
《二つの転移核をそれぞれ異なる場所に設置することで、設置地点間の転移が可能となる》
《転移は設置者本人が使用できる》
《設置場所の変更には、転移核の回収が必要》
「……転移か」
レイは、説明文をもう一度確認した。
二つの場所を直接つなぐ転移機能。
通常の転移結晶とは異なり、特定の地点同士を結びつけることができるらしい。
しかも、設置した転移核を回収しない限り、繰り返し利用できる。
これは、攻略において非常に大きな意味を持つ。
迷宮区の奥まで進んだあと、街へ戻るために長い道のりを引き返す必要がなくなる。
街で準備を整え、再び迷宮区の奥へ向かうことも容易になる。
さらに、今後攻略する階層が増えれば、移動にかかる時間を大幅に短縮できる可能性がある。
「……使い方次第だな」
レイは二つの転移核をアイテム欄へ収納した。
そして、周囲を見渡す。
地下第一層のフロアボスは倒した。
この階層の攻略は完了した。
だが、まだ確認していない場所もある。
隠し部屋や宝箱、未踏の通路。
それらを調べる価値は十分にあった。
レイは広間を後にし、転移核を設置する場所を探し始めた。
◇
二つの場所をつなぐ
まず、レイが向かったのは地下第一層の最奥だった。
フロアボスの広間からさらに先へ進むと、広い石造りの空間があった。
壁には青白い鉱石が埋め込まれ、中央には円形の台座が設置されている。
まるで、何かを置くために用意された場所のようだった。
レイは周囲を確認した。
敵の反応はない。
通路も一本しかなく、見通しがいい。
「ここでいいか」
アイテム欄から、青い転移核を取り出した。
手のひらに乗せ、台座の中央へ置く。
すると、魔石が淡い光を放ち始めた。
石の表面に刻まれた紋様が輝き、台座全体に光の輪が広がっていく。
《転移核を設置しました》
《接続先の転移核を設置してください》
「……よし」
一つ目の設置が完了した。
次は、もう一つ。
レイは地下迷宮を出て、地上の第一層へ戻った。
彼が拠点として利用しているのは、主街区にある比較的静かな宿屋だった。
必要以上に目立つ場所ではない。
それでいて、道具屋や武器屋にも近く、街の中心へ出るのにも不便がない。
ソロで活動するレイにとって、十分な拠点だった。
宿の自室へ戻ると、レイは部屋の隅にもう一つの転移核を設置した。
こちらは深い紫色の魔石だ。
床に置いた瞬間、石が淡く輝き始める。
《転移核を設置しました》
《接続先の確認を開始します》
数秒後。
《接続が完了しました》
《地下第一層・最奥部との転移が可能になりました》
「……これでいい」
レイは、部屋の隅に設置された魔石を眺めた。
地下第一層の最奥部と、地上の拠点。
この二つの場所が、直接つながった。
試しに、レイは転移核へ触れた。
視界が青白い光に包まれる。
次の瞬間、彼は地下第一層の最奥部に立っていた。
周囲の景色に変化はない。
転移は成功している。
再び転移核を操作すると、今度は宿の自室へ戻った。
「……便利だな」短い感想だった。
だが、レイにとっては十分だった。
今後、地下第一層の探索を続けるにしても、地上の街で準備を整えるにしても、移動にかかる時間を大幅に減らせる。
攻略を進めるうえで、これほど有用なものはそう多くないだろう。
レイは部屋の隅の転移核を確認し、装備を整え直した。
地上では、今頃第一層の攻略が行われているはずだった。
レイも、その集まりのことは聞いていた。
参加するかどうかは、最後まで迷っていた。
しかし、地下への道を見つけた時点で、興味はそちらへ移ってしまった。
結果として、彼は誰にも知らせずに地下第一層を攻略していた。
もちろん、アスナが自分を探していたことなど、知る由もなかった。
「……さて」
レイは窓の外を見た。
「地上はどうなったかな」
そう呟くと、彼は再び転移核へ手を伸ばした。
◇
第一層フロアボス攻略
地上の迷宮区。
第一層のフロアボスが待ち受ける部屋の前には、多くのプレイヤーが集まっていた。
攻略会議で決められた役割に従い、それぞれが装備を確認し、最終的な準備を整えている。
アスナは、細剣の柄を握り直した。
隣にはキリトが立っている。
「準備はいいか?」
「ええ。いつでも大丈夫」
「無理はするなよ。危なくなったら、いったん距離を取る」
「分かってるわ」
アスナは頷いた。
彼女の心は、すでに戦いへと切り替わっていた。
ここで失敗するわけにはいかない。
第一層を攻略できれば、プレイヤーたちにとって大きな前進になる。
そして、攻略を進めることは、この世界から脱出するための第一歩でもある。
「……行きましょう」
アスナが言った。
キリトは頷き、ボス部屋の扉へと向かう。
重い扉が開かれた。
その先には、巨大なフロアボスが待ち構えていた。
戦闘が始まる。
ボスは凄まじい力で武器を振るい、前衛のプレイヤーたちを圧倒しようとする。
しかし、攻略会議で共有された情報が生きていた。
攻撃のパターンを見極め、危険な攻撃を避け、隙が生まれた瞬間に攻撃を仕掛ける。
アスナも、その中心で戦っていた。
細剣が閃く。
鋭い突きがボスの装甲を捉え、HPを削っていく。
キリトもまた、隙を逃さず攻撃を重ねていた。
「アスナ、右!」
「分かってる!」
アスナは即座に反応し、ボスの攻撃を紙一重でかわした。
そのまま踏み込み、連続攻撃を叩き込む。
順調だった。
少なくとも、戦闘が始まった直後は。
やがて、ボスのHPバーが最後の区画へと差しかかった。
「あと少しだ!」
誰かが叫ぶ。
プレイヤーたちの動きが、一段と激しくなった。
そして、ボスが武器を振り上げた。
その動きに、キリトの表情が変わる。
「――危ない!」
直後、ボスの攻撃が前衛を襲った。
激しい衝撃。
体勢を崩すプレイヤーたち。
その中で、ディアベルが一歩前へ出た。
「今だ! 全員、攻撃を――!」
彼は勝機を見出したのだろう。
しかし、その判断は早すぎた。
ボスの武器が、ディアベルへと振り下ろされる。
「ディアベル!」
誰かの叫びが響いた。
ディアベルは攻撃を受け、地面へと叩きつけられた。
HPバーが大きく減少する。
それでも、彼は立ち上がろうとした。
だが、その身体は思うように動かなかった。
「くっ……!」
アスナは息を呑んだ。
目の前で、攻略の中心人物が倒れている。
助けなければ。
そう思った瞬間、キリトが声を張り上げた。
「近づくな! 今はボスから離れろ!」
その声に、周囲のプレイヤーたちが反応する。
ボスの攻撃は止まっていない。
ディアベルを助けようと不用意に近づけば、さらに犠牲者が出る。
キリトは状況を見極め、ボスの動きに意識を集中させた。
その手に握られた剣が、静かに構えられる。
ボスが再び攻撃へ移る。
キリトは、その一瞬の隙を見逃さなかった。
「はあああっ!」
地面を蹴り、一気に距離を詰める。
剣が閃いた。
鋭い一撃がボスの身体を捉える。
そして――。
最後の一撃が、フロアボスのHPをゼロにした。
巨大な身体が光の粒子となって崩れ落ちる。
《第一層フロアボスを撃破しました》
そのメッセージが表示された瞬間、広間に歓声が響きかけた。
しかし。
「……ディアベル?」
誰かが、呆然と呟いた。
歓声は、すぐに途切れた。
床に倒れたディアベル。
その周囲に、何人ものプレイヤーが駆け寄る。
アスナも、細剣を握ったまま立ち尽くしていた。
ボスは倒した。
第一層の攻略は成功した。
それなのに、誰もが素直に喜べなかった。
キリトは剣を下ろし、ディアベルのもとへ歩み寄った。
「ディアベル……!」
その身体は、すでに大きなダメージを受けていた。
HPバーは、危険な領域にまで減少している。
回復アイテムを使えば、まだ間に合うかもしれない。
そう考えたプレイヤーが、慌ててアイテムを取り出そうとした。
だが、ディアベルは弱々しく手を上げ、それを制した。
「……待ってくれ」
かすれた声だった。
「そんな……。回復すれば、まだ……!」
「……いいんだ」
ディアベルは、苦しげに息を吐いた。
彼の視線が、キリトへ向けられる。
「……君が、最後の一撃を……?」
キリトは、何も答えられなかった。
「……そうか」
ディアベルは、ほんのわずかに笑った。
「……みんなを……頼む」
その言葉を最後に、彼の身体が淡い光に包まれた。
次の瞬間。
ディアベルは、無数の光の粒子となって消滅した。
「…………」
誰も、声を出せなかった。
つい先ほどまで、攻略会議の中心に立ち、皆を導いていた男。
第一層を攻略するために、多くのプレイヤーを集めた男。
そのディアベルが、もういない。
この世界では、HPがゼロになれば死ぬ。
それは誰もが知っていた。
それでも、目の前で仲間が消えていく光景を、簡単に受け入れられるはずがなかった。
「……嘘だろ」
誰かが呟いた。
「ディアベルが……死んだのか?」
別の誰かが、震える声で問いかける。
返事をする者はいなかった。
アスナは、細剣を握りしめた。
指先が冷たくなっていく。
ボスを倒した。
その事実は変わらない。
けれど、そこに喜びはなかった。
「……どうして」
思わず、声が漏れた。
「どうして、こんなことに……」
彼女の言葉に答えられる者は、誰もいなかった。
キリトは、俯いたまま拳を握りしめていた。
自分が最後の一撃を決めた。
それによって、ボスは倒された。
だが、ディアベルを救うことはできなかった。
その事実が、彼の胸に重くのしかかっていた。
やがて、キリトはゆっくりと顔を上げた。
「……俺たちは、先に進まなきゃならない」
静かな声だった。
「ディアベルが命を懸けて切り開いた道を、無駄にするわけにはいかない」
その言葉に、何人かのプレイヤーが顔を上げる。
「でも……」
「分かってる。簡単に割り切れることじゃない」
キリトは、ディアベルが消えた場所を見つめた。
「……だからこそ、同じことを繰り返さないために、俺たちはもっと強くならなきゃいけないんだ」
誰もが、すぐに返事をすることはできなかった。
それでも、彼の言葉は広間にいたプレイヤーたちの胸に残った。
第一層のフロアボスは倒された。
攻略は成功した。
しかし、それは決して、誰もが笑顔で喜べる勝利ではなかった。
◇
会いたかった人
ボス部屋を出たあとも、アスナの心は沈んでいた。
ディアベルの最後の姿が、何度も頭の中によみがえる。
あれほど多くのプレイヤーを導いていた人が、目の前で消えてしまった。
この世界では、どれほど努力しても、どれほど慎重に行動しても、命を落とす可能性がある。
その現実を、改めて突きつけられた気がした。
「……アスナ」
隣から声をかけられ、彼女は顔を上げた。
キリトが立っていた。
「大丈夫か?」
「……ええ」
そう答えたものの、声にはいつもの力がなかった。
キリトは、少しだけ視線を落とした。
「……無理に元気を出さなくてもいい」
「……ありがとう」
アスナは、小さく頷いた。
今は、何かを話す気分にはなれなかった。
しばらく沈黙が続く。
やがて、アスナはふと、ある人物のことを思い出した。
(……レイ君)
今頃、何をしているのだろう。
第一層のボスが倒されたことは、システムメッセージによって彼にも伝わっているはずだ。
もしかしたら、どこかで攻略の成功を知っただろうか。
それとも、まだ迷宮区のどこかで狩りをしているのだろうか。
アスナは、少しだけ視線を落とした。
(……レイ君にも、会いたかったな)
昨日、一緒に歩いたとき。
手が触れたとき。
明日の集まりに来てくれたらいいと思ったとき。
そんなことを思い出すと、胸の奥が少しだけ温かくなった。
会えなかったのは残念だった。
けれど、今はそれ以上に、ディアベルの死が心に重くのしかかっていた。
(……もし、レイ君がここにいたら)
何かが変わっただろうか。
そんな考えが浮かぶ。
けれど、すぐに首を横に振った。
レイがいれば、必ず誰かを救えたとは限らない。
彼の実力を、アスナはまだ正確には知らないのだから。
それでも。
(……次に会ったら、今日のことを話そう)
第一層を攻略したこと。
キリトと組んで戦ったこと。
そして、ディアベルが命を落としたこと。
きっと、レイはいつものように淡々と話を聞くのだろう。
もしかしたら、短い言葉を返すだけかもしれない。
それでも、会いたかった。
今は、ただそう思った。
「……よし」
アスナは小さく息を吐き、顔を上げた。
「次も、頑張らなきゃ」
第一層の攻略は終わった。
しかし、まだ先は長い。
この世界から脱出するためには、幾つもの階層を攻略しなければならない。
そして、これ以上、目の前で誰かを失わないためにも。
アスナは、改めて決意を固めた。
◇
誰も知らない、もう一つの攻略
地下第一層の最奥部では、レイが静かに周囲を見渡していた。
地上の第一層攻略は、すでに成功している。
その情報は、レイの視界にも表示されていた。
《第一層フロアボスを撃破しました》
「……終わったか」
短く呟く。
地上のプレイヤーたちは、第一層の攻略を成し遂げた。
これで、次の階層へ進む道が開かれたことになる。
しかし、レイは地上の攻略には参加していない。
彼が攻略したのは、誰にも知られていない地下第一層だった。
地上の第一層と、地下の第一層。
同じ階層番号を持ちながら、まったく異なる二つの迷宮。
そして、地下のフロアボスを倒した報酬として手に入れた、黒暁剣リュクシオン、夜渡りの外套、そして二つの転移核。
レイは、装備の状態を確認した。
「……しばらくは、ここを調べるか」
まだ未探索の通路が残っている。
地上の攻略が進んだことで、今後はプレイヤーたちが地下の存在に気づく可能性もある。
それまでに、できる限り情報を集めておきたい。
レイは剣を携え、地下迷宮の奥へと歩き出した。
その背中を知る者は、まだ誰もいない。
アスナも。
キリトも。
そして、第一層の攻略を成し遂げたプレイヤーたちも。
誰一人として、地下にもう一つの迷宮が存在し、その攻略がすでに完了していることを知らなかった。
地上では、一人の攻略者が命を落とした。
その一方で、地下では誰にも知られることなく、一人の少年が新たな攻略を続けていた。
そして、その攻略者が――。
アスナが会いたいと願っていた、あの無愛想な少年であることも。
基本、地下攻略と恋愛がメインなので、原作とはちょいちょい違う部分もあるけど、そこはあしからず!