光り輝く太陽に導かれ   作:光り輝くダンディー

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この話に出てくる
プレイヤーとNPCは独自設定です




第14話 君が教えてくれたこと

 

第二十二層

 

その日も、アスナはレイのもとを訪ねようとしていた。

 

ここ数日、彼女は毎日のように彼のログハウスへ足を運んでいた。

 

攻略への協力を頼むためという理由もあったが、それだけではない。

 

もう少し話がしたかった。

 

以前のように、普通に会話をしたかった。

 

そして、できることなら、もう一度名前を呼んでほしかった。

 

「……今日は、ちゃんと話せるといいな」

 

アスナは小さく呟き、見慣れた道を歩いていく。

 

やがて、森に囲まれたログハウスが見えてきた。

 

しかし――。

 

「……あれ?」

 

いつもなら、そこにあるはずの建物の前で、アスナは足を止めた。

 

ログハウスそのものは残っている。

 

けれど、以前とは様子が違った。

 

玄関の前に置かれていた荷物がなくなり、窓から見える室内にも生活感がない。

 

嫌な予感がした。

 

アスナは慌てて建物へ近づき、扉をノックする。

 

「レイ君? いるの?」

 

返事はなかった。

 

もう一度、ノックする。

 

「レイ君……?」

 

やはり、返事はない。

 

恐る恐る扉に手をかけてみたが、鍵がかかっていた。

 

アスナはメニューを開き、レイの居場所を知っていそうなプレイヤーがいないか考えた。

 

だが、彼の知り合いがどれほどいるのかも分からない。

 

そもそも、レイは他人と深く関わろうとしないソロプレイヤーだった。

 

居場所を知っている人がいるとは限らない。

 

「……引っ越したの?」

 

誰に向けるでもなく呟いた。

 

そういえば、最近のレイは地上でもあまり見かけなかった。

 

以前から一人で行動していたが、ここ数日は特に姿を見せなくなっていた。

 

それでも、ここに来れば会えると思っていた。

 

毎日訪ねていれば、いつか話せると思っていた。

 

なのに。

 

「……どうして」

 

胸が締め付けられた。

 

レイは、自分が何度も訪ねてきていることを知っていたはずだ。

 

それなのに、何も告げずに引っ越してしまった。

 

もちろん、彼には彼の事情があるのだろう。

 

自分に引っ越す理由を話す義務などない。

 

そんなことは分かっている。

 

けれど、それでも――。

 

(このままじゃ、本当にレイ君との縁が切れちゃう……)

 

そう思った瞬間、アスナの胸に強い不安が込み上げた。

 

一年間、会えなかった。

 

ようやく再会できたのに、自分の態度が原因で、彼との距離はさらに広がってしまった。

 

そして今度は、彼の居場所さえ分からなくなってしまった。

 

「……嫌だ」

 

アスナは唇を噛んだ。

 

もう、会えなくなるのは嫌だった。

 

理由が何であれ、今のまま終わりにしたくなかった。

 

「……探そう」

 

アスナは顔を上げた。

 

レイが第二十二層のどこへ移ったのかは分からない。

 

それでも、探さなければ。

 

今度こそ、ちゃんと向き合わなければ。

 

彼女はログハウスを後にし、第二十二層の街を巡り始めた。

 

◇

 

街の中心部から、少しずつ人通りの少ない場所へ。

 

アスナはプレイヤーが集まる場所や、街の外へ続く道を訪ね歩いた。

 

しかし、レイの姿はどこにもなかった。

 

彼はソロプレイヤーだ。

 

攻略組の集会に必ず参加するわけでもなく、特定の狩り場に留まるわけでもない。

 

目撃情報を尋ねても、返ってくるのは曖昧な答えばかりだった。

 

「黒い外套の男? さあ……最近は見てないな」

 

「レイって名前なら聞いたことはあるけど、どこにいるかまでは知らないよ」

 

「一人で攻略してる奴だろ? 俺たちとは行動範囲が違うんじゃないか?」

 

どれも、決め手にはならなかった。

 

それでも、アスナは諦めなかった。

 

日が傾き始めた頃、彼女は第二十二層の街の外れにある一角へと足を踏み入れた。

 

そこは、街の中心部とは少し雰囲気が違っていた。

 

建物は古び、道を歩くプレイヤーも少ない。

 

路地の奥からは荒っぽい笑い声が聞こえ、壁際には柄の悪そうな男たちがたむろしていた。

 

治安が良いとは言い難い場所だった。

 

「……こんなところにいるのかな」

 

アスナは周囲を警戒しながら歩いた。

 

レイがどこへ行くのか、彼女には分からない。

 

ただ、これまでの彼の行動を考えれば、人の少ない場所にいる可能性もある。

 

そうして、薄暗い路地を一つ曲がったときだった。

 

「……え?」

 

見覚えのある黒い外套が、視界の端に映った。

 

黒い髪。

 

静かな佇まい。

 

壁に背を預け、路地の奥をじっと見つめている少年。

 

間違いない。

 

「レイ君……!」

 

思わず声が出た。

 

アスナは嬉しさに胸を弾ませ、彼のもとへ駆け寄ろうとした。

 

けれど――。

 

「静かにしろ」

 

低い声が飛んできた。

 

「……え?」

 

レイはアスナを見ず、路地の奥を見つめたままだった。

 

「声を出すな。黙っていろ」

 

普段よりも厳しい口調だった。

 

アスナは戸惑いながらも、彼の視線の先へ目を向けた。

 

すると、路地の向こうから男の怒鳴り声が聞こえてきた。

 

◇

 

「だから、いつまで待たせるつもりだって聞いてんだよ!」

 

荒々しい男の声だった。

 

路地の奥には、三人の人影があった。

 

一人は、柄の悪い男。

 

そして、もう二人は女性だった。

 

年配の女性と、まだ若い少女。

 

二人は壁際に追い詰められ、男を前に怯えた表情を浮かべていた。

 

「す、すみません……! もう少しだけ、待っていただけませんか……?」

 

母親らしき女性が、震える声で懇願する。

 

「待つ? もう何度目だと思ってんだ!」

 

男は苛立たしげに壁を蹴った。

 

「こっちは慈善事業で金を貸したわけじゃねえんだぞ! 返済期限はとっくに過ぎてんだ!」

 

「ですが、今はどうしてもお金が……」

 

「知るか!」

 

男は女性の言葉を遮った。

 

「返せねえなら、別の方法で払ってもらうしかねえだろうが!」

 

その言葉に、母親の顔から血の気が引いた。

 

「そ、それだけは……! 娘だけは、どうか……!」

 

「だったら金を用意しろ!」

 

男は母親を睨みつけた。

 

「それができねえなら、娘を連れていく。話はそれだけだ」

 

「嫌っ……!」

 

少女が母親の背後に隠れた。

 

アスナは息を呑んだ。

 

「……借金取り?」

 

小さく呟く。

 

どうやら、あの親子は借金の返済を迫られているらしい。

 

男の頭上には、オレンジ色のカーソルが表示されていた。

 

プレイヤーに対する犯罪行為によって、犯罪者として判定されたオレンジプレイヤーだ。

 

男の態度からして、まともな話し合いで解決するつもりはなさそうだった。

 

そして、次の瞬間。

 

「さあ、来い!」

 

男が少女の腕を乱暴に掴んだ。

 

「いやっ! お母さん!」

 

「やめてください! 娘を連れていかないで!」

 

母親が必死に娘へ手を伸ばす。

 

だが、男はその手を振り払った。

 

「うるせえ! 金も払えねえ奴が偉そうなこと言ってんじゃねえ!」

 

少女は泣き叫び、母親はその場に膝をついた。

 

「お願いです……! 娘を、娘を連れていかないで……!」

 

その光景を見た瞬間、アスナは動こうとした。

 

「ちょっと、あれは――」

 

しかし、駆け出そうとした彼女の腕を、レイが掴んだ。

 

「っ……レイ君?」

 

次の瞬間、レイはアスナを引き寄せ、もう片方の手で彼女の頭を押さえた。

 

壁の陰へと身を隠すように、彼女の動きを封じる。

 

「黙って見ていろ」

 

「なっ……何を言ってるの!? あの子が連れていかれそうなのよ!」

 

アスナは声を抑えながらも、強く反論した。

 

「すぐに助けなきゃ!」

 

「動くな」

 

「でも!」

 

「……黙って見ていろと言ったはずだ」

 

レイの声には、有無を言わせない響きがあった。

 

アスナは彼の手を振りほどこうとした。

 

だが、その瞬間。

 

レイが静かに口を開いた。

 

「……あの親子もNPCだ」

 

「……え?」

 

アスナの動きが止まった。

 

レイは路地の奥から目を離さず、淡々と言葉を続けた。

 

「お前、言っていただろ。NPCはリスポーンするから、犠牲にしても構わないってな」

 

「それは……!」

 

「攻略のためなら、NPCを囮にしてもいい。プレイヤーが助かるなら、NPCが犠牲になっても仕方ない。そういう考えだったはずだ」

 

「今は攻略の話じゃないでしょう!?」

 

アスナは思わず声を荒らげた。

 

「これは、あの子が危ないのよ! 助けなきゃいけないでしょう!?」

 

レイは、ようやく彼女へ視線を向けた。

 

その目は、ひどく冷たかった。

 

「……何が違う?」

 

「え……?」

 

「昨日までお前が言っていたことと、何が違うんだ?」

 

アスナは言葉を失った。

 

レイは続ける。

 

「NPCは犠牲にしてもいい。そう考えていたお前が、今さらあの親子だけは特別だと言うのか?」

 

「私は……そんなつもりじゃ……」

 

「じゃあ、どういうつもりだ?」

 

返す言葉がなかった。

 

レイの手は、まだアスナの頭を押さえていた。

 

アスナは路地の奥を見た。

 

男は少女の腕を掴んだまま、無理やり連れていこうとしていた。

 

少女は泣きながら抵抗し、母親は何度も男にすがりついている。

 

それでも男は、まるで何も感じていないかのように母親を突き放していた。

 

「いやっ! お母さん! 助けて!」

 

少女の悲鳴が響く。

 

アスナの胸が締め付けられた。

 

「……っ!」

 

今すぐ飛び出したかった。

 

男を斬り伏せ、少女を助けたかった。

 

それなのに、レイの言葉が頭から離れなかった。

 

――あの親子もNPCだ。

 

――あのNPCは特別なのか?

 

そして。

 

「なら、大人しく見ていろ」

 

◇

 

男は少女の腕を引き、路地の出口へ向かって歩き始めた。

 

「やめて! 娘を返してください!」

 

母親が追いすがる。

 

「しつけえんだよ!」

 

男が母親を突き飛ばした。

 

女性の身体が地面に倒れ込む。

 

「お母さん!」

 

少女が叫んだ。

 

「お母さん! お母さん!」

 

母親は起き上がろうとしたが、すぐには立てなかった。

 

それでも、娘へ手を伸ばし続ける。

 

「お願い……! あの子だけは……!」

 

男は振り返りもしなかった。

 

「うるせえな。金を返さなかったのはお前だろうが!」

 

少女の足が地面を擦る。

 

抵抗する力も、もうほとんど残っていなかった。

 

「いや……いやぁ……!」

 

その声を聞いた瞬間、アスナの目から涙がこぼれた。

 

「……っ、やめて……」

 

小さく呟く。

 

「もう、やめてよ……」

 

レイの腕を振りほどこうとした。

 

けれど、彼は離さなかった。

 

「レイ君……! お願い……!」

 

声が震えた。

 

「助けてあげて……! あの子を……!」

 

レイは答えない。

 

ただ、路地の奥を見つめている。

 

「……お願いだから……!」

 

アスナの頬を涙が伝った。

 

目の前で、一人の少女が連れ去られようとしている。

 

母親は地面に倒れたまま、泣きながら娘の名前を呼んでいる。

 

このままでは、本当に取り返しのつかないことになるかもしれない。

 

けれど、レイは動かない。

 

彼が何を考えているのか、アスナには分からなかった。

 

ただ、彼の言葉だけが頭の中で繰り返されていた。

 

――NPCは犠牲にしてもいい。

 

――あのNPCは特別なのか?

 

違う。

 

そんなことはない。

 

あの親子も、攻略の作戦で囮にしようとしていたNPCも、同じNPCだ。

 

自分は、彼らがプログラムでできた存在だからという理由で、犠牲にしても仕方ないと考えていた。

 

リスポーンするから。

 

本当の意味で死ぬわけではないから。

 

プレイヤーが助かるなら、それでいいと思っていた。

 

けれど――。

 

目の前の少女は、泣いていた。

 

母親を呼んでいた。

 

怖がっていた。

 

助けを求めていた。

 

その姿を見て、何も感じずにいられるはずがなかった。

 

「……私……」

 

アスナの声がかすれた。

 

「……私が、間違ってた……」

 

レイは何も言わない。

 

少女は、とうとう路地の角まで引きずられていった。

 

母親の姿が遠ざかっていく。

 

「お願い……! 娘を……娘を返して……!」

 

泣き叫ぶ母親の声が響いた。

 

アスナの涙は止まらなかった。

 

「……レイ君……ごめんなさい……」

 

ぽつりと、言葉がこぼれた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 

何に対する謝罪なのか、自分でも分からなかった。

 

自分の考えが間違っていたこと。

 

彼の言葉を受け止めようとしなかったこと。

 

彼が何を伝えようとしていたのか、考えもしなかったこと。

 

そして――。

 

以前の自分なら、こんなことを考えなかったはずなのに。

 

いつから、自分は変わってしまったのだろう。

 

いつから、NPCだから仕方がないと、簡単に言えるようになってしまったのだろう。

 

「ごめんなさい……レイ君……!」

 

アスナは、ただ泣きながら謝り続けた。

 

◇

 

「……バカが」

 

レイの声が聞こえた。

 

次の瞬間、アスナの頭を押さえていた手が離れた。

 

「え……?」

 

彼女が顔を上げたときには、レイはすでに動き出していた。

 

黒い外套が揺れる。

 

一瞬で距離を詰め、少女の腕を掴んでいた男の前に立ちはだかった。

 

「……あ?」

 

男が足を止める。

 

「何だ、てめえ?」

 

レイは答えなかった。

 

ただ、少女の腕を掴んでいる男の手を見た。

 

「その手を離せ」

 

低く、静かな声だった。

 

「はあ? 誰に向かって――」

 

男が言い終わる前に、レイは一歩踏み込んだ。

 

男の手首を掴み、少女から引き剥がす。

 

そのまま身体の軸を崩し、男を地面へ叩きつけた。

 

「ぐっ!?」

 

男が呻く。

 

レイはその腕を捻り上げることもなく、ただ見下ろした。

 

「二度は言わない。消えろ」

 

「て、てめえ……!」

 

男は立ち上がろうとした。

 

しかし、レイが一歩近づいただけで、その動きが止まった。

 

男は初めて、目の前の少年がただ者ではないことに気づいたらしい。

 

黒い外套。

 

腰に下げた剣。

 

そして、感情の見えない瞳。

 

「……ちっ!」

 

男は舌打ちすると、捨て台詞を吐いて路地の奥へ逃げていった。

 

「覚えてろよ……!」

 

レイは追わなかった。

 

興味がなかったからだ。

 

それよりも、優先すべきことがある。

 

「……大丈夫か?」

 

レイは少女へ視線を向けた。

 

少女はまだ震えていたが、小さく頷いた。

 

「……は、はい……」

 

その声を聞いてから、レイは倒れていた母親のもとへ歩いた。

 

アスナもすぐに後を追い、母親のそばに膝をついた。

 

「大丈夫ですか? 立てますか?」

 

「は、はい……」

 

アスナが手を差し伸べると、母親はその手を借りてゆっくりと立ち上がった。

 

レイも少女の様子を確かめてから、母親へ視線を向ける。

 

「怪我はないか?」

 

「私は大丈夫です……。娘も……娘も無事です……」

 

母親は少女を抱きしめた。

 

少女も母親の服を強く握りしめ、顔を埋めた。

 

「お母さん……!」

 

「ごめんね……ごめんね……!」

 

二人は、しばらくその場で抱き合っていた。

 

その姿を見つめながら、アスナは胸を痛めた。

 

先ほどまで、自分は二人を助けようとした。

 

それなのに、レイに止められたとき、自分が何を考えていたのか。

 

彼の言葉を聞いて、ようやく気づかされた。

 

NPCだからといって、犠牲にしていいわけではない。

 

それは、目の前の二人を見れば分かることだった。

 

やがて母親は涙を拭い、レイとアスナへ向き直った。

 

「お礼をさせてください。せめて、お名前だけでも……」

 

「……レイだ」

 

「レイさん……。ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……!」

 

少女も、母親の隣で深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございました……!」

 

「……別に」

 

レイは短く答えた。

 

アスナも少女に目線を合わせるように、少しだけ身をかがめた。

 

「もう大丈夫よ。怖かったわね」

 

少女は不安そうに母親を見上げ、それから小さく頷いた。

 

「……うん」

 

母親は二人へ何度も頭を下げた。

 

「本当にありがとうございました。お二人が助けてくださらなかったら、私たちは……」

 

言葉が詰まり、母親の目に再び涙が浮かんだ。

 

レイは短く頷いた。

 

「もういい。気をつけろ。ああいう奴には、もう近づくな」

 

「はい……! 本当に、ありがとうございました……!」

 

親子は何度も礼を言いながら、その場を離れていった。

 

二人の姿が見えなくなるまで、レイとアスナはその場に立っていた。

 

その後、レイは近くの衛兵に事情を伝え、オレンジプレイヤーの男はガードに捕らえられた。

 

◇

 

親子を見送ったあと、レイはゆっくりと振り返った。

 

少し離れた場所に、アスナが立っていた。

 

頬には涙の跡が残っている。

 

彼女は何か言おうとしたが、すぐには言葉が出てこなかった。

 

「……レイ君」

 

ようやく、名前を呼んだ。

 

レイは彼女を見た。

 

「……何だ」

 

「……ありがとう」

 

アスナは俯いた。

 

「……あの親子を、助けてくれて」

 

「別に」

 

レイは短く答えた。

 

それから、少しだけ間を置いて言った。

 

「……今日は帰れ」

 

「……え?」

 

「疲れてるだろ。頭を冷やして、よく考えろ」

 

アスナは顔を上げた。

 

レイはもう、彼女を責めるような目をしていなかった。

 

けれど、以前のような親しさが戻ったわけでもない。

 

彼は淡々と続けた。

 

「俺はまだ、あの作戦に協力するつもりはない」

 

「……分かってる」

 

「なら、今日は終わりだ」

 

レイは歩き出した。

 

アスナは、その背中を見つめた。

 

「……レイ君」

 

呼びかけても、彼は振り返らなかった。

 

「……じゃあな、副団長さん」

 

その言葉を残し、レイは路地の向こうへと消えていった。

 

アスナは追いかけなかった。

 

今は、彼を追いかけるべきではないと思った。

 

◇

 

その夜

 

アスナは宿屋の部屋で、一人椅子に座っていた。

 

窓の外には、アインクラッドの夜空が広がっている。

 

けれど、彼女の目には何も入っていなかった。

 

頭の中にあるのは、今日の出来事ばかりだった。

 

泣き叫ぶ少女。

 

地面に倒れた母親。

 

娘を助けてほしいと懇願する声。

 

そして、自分を押さえつけながら告げたレイの言葉。

 

『あの親子もNPCだ』

 

アスナは、両手をぎゅっと握りしめた。

 

「……私、何を考えていたんだろう」

 

自分は、NPCを囮にする作戦を提案した。

 

その理由は、攻略組の仲間を守るためだった。

 

プレイヤーが命を落とす危険を減らすため。

 

それ自体は、決して間違った目的ではなかったのかもしれない。

 

けれど、そのために何をしてもいいわけではない。

 

NPCはリスポーンする。

 

だから犠牲にしてもいい。

 

そう考えたとき、自分は彼らを一人の存在として見ていなかった。

 

ただ、攻略のために利用できるものとして扱っていた。

 

今日、あの親子を見たとき。

 

自分は何を感じただろう。

 

少女が泣き叫ぶ姿を見て、胸が痛んだ。

 

母親が娘を失いそうになっている姿を見て、助けたいと思った。

 

それなのに、攻略の作戦では、同じNPCを犠牲にしても仕方がないと考えていた。

 

「……矛盾してる」

 

アスナは唇を噛んだ。

 

あの親子が特別だったわけではない。

 

目の前にいたから、感情を動かされたわけでもない。

 

もちろん、目の前で苦しんでいる相手を見れば、誰だって心を痛めるだろう。

 

けれど、見えない場所にいるNPCなら犠牲にしていいのか。

 

自分が直接見ていなければ、苦しんでいても構わないのか。

 

そんなはずはない。

 

NPCだからといって、仕方ないからといって、犠牲にしていいわけではない。

 

「……レイ君は、最初から分かっていたんだね」

 

彼は、自分に何を伝えようとしていたのだろう。

 

ただ、NPCを助けろと言いたかったわけではない。

 

自分の考え方そのものを、問い直そうとしていたのかもしれない。

 

自分が攻略組の副団長として何を背負っていようと。

 

どれだけ仲間を守りたいと思っていようと。

 

そのために、他者の苦しみを軽く扱っていい理由にはならない。

 

アスナは目を閉じた。

 

「……ごめんなさい」

 

今日、何度も口にした言葉だった。

 

けれど、今度は誰かに許してもらうためではなかった。

 

自分自身の過ちを、ようやく認められた気がしたからだ。

 

そして、もう一つ。

 

彼女は、どうしても考えてしまうことがあった。

 

レイは、なぜあの親子を助けたのだろう。

 

NPCを犠牲にすることを認められないから。

 

それだけなのだろうか。

 

彼はいつも冷静で、他人に深入りしようとしない。

 

それでも、目の前で苦しんでいる人を見捨てることはしなかった。

 

あのとき、レイは自分を押さえつけていた。

 

少女が連れていかれる姿を、あえて見せていた。

 

その意味を、今なら少しだけ理解できる気がした。

 

自分の言葉が、どれほど身勝手だったのか。

 

そして、他者の苦しみを目の当たりにしてもなお、同じことを言えるのか。

 

レイは、それを自分に問いかけていたのかもしれない。

 

「……私、変わらなきゃ」

 

アスナは顔を上げた。

 

NPCを犠牲にする作戦は、もう受け入れられない。

 

攻略を進めることは大切だ。

 

仲間を守ることも大切だ。

 

けれど、そのために誰かを軽々しく犠牲にすることは、違う。

 

別の方法を考えなければならない。

 

たとえ時間がかかっても。

 

たとえ自分たちが危険を負うことになっても。

 

それでも、犠牲を減らす道を探すべきなのだ。

 

「……レイ君」

 

彼の名前を口にする。

 

胸の奥が、少しだけ痛んだ。

 

自分は、彼にひどい言葉をぶつけた。

 

彼が何を大切にしているのか、理解しようともせずに。

 

そして、彼が自分のもとから離れていくことを、ただ悲しんでいた。

 

本当は、自分が変わってしまったことに、もっと早く気づくべきだったのかもしれない。

 

「……ごめんなさい」

 

もう一度、アスナは呟いた。

 

今度こそ、彼の言葉を受け止めたい。

 

許してほしいからではない。

 

以前のように名前を呼んでほしいからだけでもない。

 

自分が間違っていたのなら、改めなければならない。

 

それが、今の自分にできることだった。

 

窓の外では、夜のアインクラッドが静かに輝いていた。

 

そのどこかに、レイもいる。

 

明日、また会えるかは分からない。

 

彼が自分を許してくれるかも分からない。

 

それでも、アスナは決めた。

 

もう、NPCだからといって、簡単に犠牲を受け入れたりはしない。

 

そしていつか。

 

もう一度、彼と向き合える日が来たなら。

 

今度こそ、逃げずに自分の言葉で話そう。





話を進展させるタメとはいえ、悪役が古いな

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