光り輝く太陽に導かれ   作:光り輝くダンディー

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第16話 近いようで遠い二人

 

 

地上とは異なる景色が広がるフィールドを、一人の少年が歩いていた。

 

黒いロングコートの裾が、風に揺れる。

 

腰には、黒い刀身に銀色の紋様が刻まれた片手剣――黒暁剣リュクシオン。

 

その持ち主であるレイは、周囲を見渡しながら歩いていた。

 

「……やっぱり、違うな」

 

視線の先には、巨大な岩山がそびえ立っている。

 

地上の第五十六層にも似た地形は存在する。しかし、地下のフィールドには、地上では見られない植物や鉱石があり、出現するモンスターの種類も異なっていた。

 

それだけではない。

 

モンスターの行動パターンも、明らかに違っている。

 

地上のモンスターは、ある程度の距離まで近づけば敵対行動を取るものが多い。

 

一方、地下のモンスターには、複数で連携して獲物を追い込むものや、周囲の地形を利用して奇襲を仕掛けるものがいる。

 

中には、プレイヤーの行動を観察しているかのような動きをする個体まで存在した。

 

もちろん、すべてのモンスターがそうではない。

 

だが、地下では一体の敵を倒すだけでも、周囲の状況を把握しておく必要がある。

 

レイは、これまで地上と地下の両方で攻略とレベリングを繰り返してきた。

 

時折、地上に戻って同じような条件でモンスターと戦い、経験値の獲得量や攻撃の威力、行動パターンなどを比較する。

 

そうして得られた情報を整理すると、結論は一つだった。

 

「……地下の方が難易度は高い」

 

単純にモンスターの攻撃力が高いだけではない。

 

地形、索敵範囲、敵の連携、状態異常の種類。

 

それらを総合的に考えれば、地下の攻略は地上よりも難しい。

 

もっとも、レイにとっては、それほど大きな問題ではなかった。

 

どれほど強いモンスターが現れようと、彼の実力を脅かす存在にはならない。

 

しかし、ほかのプレイヤーならどうだろうか。

 

地上の攻略でさえ、常に死の危険が付きまとっている。

 

もし地下の存在が知られ、攻略組が大勢で押し寄せたとしても、地上と同じ感覚で進めば犠牲が出る可能性は高い。

 

「……知らせる理由もないか」

 

レイはそう呟き、歩き出した。

 

今のところ、地下の存在を知っているのは自分だけだ。

 

わざわざ秘密を明かす必要はない。

 

地上の攻略を進めながら、地下も進める。

 

それだけで十分だった。

 

◇

 

地上、第五十六層。

 

レイは地下での調査を終えた後、地上へ戻っていた。

 

今日は地上のフィールドを調べるついでに、レベリングをするつもりだった。

 

その作業も、すでに終わっている。

 

最後のモンスターがポリゴン片となって消えるのを確認すると、レイは剣を鞘に収めた。

 

「……こんなものか」

 

周囲を見回す。

 

危険なモンスターの反応はない。

 

レイはそのまま街へ向かうことにした。

 

特に急ぐ用事はない。

 

装備の耐久値も問題なく、回復アイテムも十分に残っている。

 

あとは、街で必要な消耗品を補充するくらいだ。

 

そんなことを考えながら歩いていたときだった。

 

「――レイ君?」

 

聞き覚えのある声がした。

 

レイは足を止め、声のした方へ視線を向ける。

 

そこに立っていたのは、白を基調とした装備を身につけた少女だった。

 

長い栗色の髪。

 

腰に佩いた細剣。

 

そして、周囲のプレイヤーたちから向けられる、尊敬と畏怖の入り混じった視線。

 

血盟騎士団の副団長、アスナ。

 

「……副団長さんか」

 

レイが答えると、アスナは少しだけ表情を明るくした。

 

「こんにちは。こんなところで会うなんて、奇遇ね」

 

「ああ」

 

「今日は攻略?」

 

「いや。少し調査をしていただけだ。レベリングも終わった」

 

「そうなんだ。お疲れさま」

 

「別に」

 

いつもと変わらない短いやり取り。

 

それでも、アスナは嬉しかった。

 

こうしてレイと会話をすることが、いつの間にか日常の一部になっていた。

 

もちろん、アスナがレイを探してしまうのは、単なる偶然ではなかった。

 

時間ができると、つい彼の姿を探してしまう。

 

そして、見つけると何でもない顔をして声をかける。

 

今日もそうだった。

 

街に向かう途中、見覚えのある黒い装備が視界に入った。

 

それだけで、胸が弾んだ。

 

話しかけてもいいだろうか。

 

迷惑ではないだろうか。

 

そんなことを一瞬だけ考えたものの、気づけば声をかけていた。

 

レイは立ち止まり、返事をしてくれた。

 

それが嬉しかった。

 

「そういえば、最近はどう? 攻略の方は」

 

「順調だ」

 

「第五十六層まで来たものね。ここから先も、気を抜けないけれど」

 

「ああ」

 

「……レイ君も、無理はしないでね」

 

何気なく口にした言葉だった。

 

しかし、言ってからアスナは少しだけ不安になった。

 

彼はソロプレイヤーだ。

 

誰にも頼らず、一人で攻略を続けている。

 

以前からそうだったし、今も変わっていない。

 

それでも、心配だった。

 

レイがどれほど強くても、この世界では何が起きるか分からない。

 

一瞬の判断ミスが、死につながることだってある。

 

「……分かってる」

 

レイは短く答えた。

 

「うん」

 

アスナは微笑んだ。

 

その後も、二人はしばらく話を続けた。

 

最近の攻略の様子。

 

街で見かけた新しい店。

 

装備の調整について。

 

内容は、どれも特別なものではない。

 

以前のように、二人で街を歩いていた頃なら、何度も交わしていたような会話だった。

 

けれど、今のアスナにとっては、それだけで十分だった。

 

レイと話せる。

 

彼の声を聞ける。

 

同じ時間を過ごせる。

 

その事実が、何よりも嬉しかった。

 

以前のように、自然に話せるようになりたい。

 

いつか、また名前で呼んでほしい。

 

そんな願いを抱きながら、アスナは彼との会話を楽しんでいた。

 

しかし――。

 

「……副団長さん?」

 

不意に、レイが声をかけた。

 

「えっ?」

 

「どうした?」

 

「ど、どうしたって?」

 

「……さっきから、様子がおかしい」

 

アスナは息を呑んだ。

 

「そ、そう?」

 

「ああ」

 

レイの赤い瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。

 

「何かあったのか?」

 

その問いかけは、いつもと変わらない落ち着いた声だった。

 

けれど、アスナには、それがひどく優しく聞こえた。

 

何かあったのか。

 

心配してくれているのだろうか。

 

それとも、単純に様子がおかしいから尋ねただけなのだろうか。

 

分からない。

 

分からないけれど。

 

胸の奥に押し込めていた感情が、急に大きくなった。

 

レイに会いたい。

 

話をしたい。

 

もっと一緒にいたい。

 

名前で呼んでほしい。

 

以前のように、隣を歩きたい。

 

そして――。

 

自分がどれほど彼を好きなのか、知ってほしい。

 

「……副団長さん?」

 

もう一度、名前ではない呼び方が耳に届いた。

 

その瞬間、アスナの胸が締めつけられた。

 

本当は、こんなところで伝えるつもりではなかった。

 

もう少し自然に話せるようになってから。

 

以前のように、気兼ねなく笑い合えるようになってから。

 

そう考えていた。

 

けれど、目の前にいるレイは、今も自分を気遣ってくれている。

 

その声を聞いているうちに、ずっと抑えていた想いが溢れそうになった。

 

もう、抑えられなかった。

 

「……好き」

 

「……何?」

 

「私……レイ君が好き」

 

言葉にした瞬間、周囲の音が遠のいた気がした。

 

アスナ自身が、一番驚いていた。

 

何を言っているのだろう。

 

どうして、こんなところで。

 

もっと落ち着いてから伝えるつもりだったのに。

 

なのに、気づけば口にしていた。

 

「……っ」

 

顔が熱い。

 

心臓が痛いくらいに速く鼓動している。

 

逃げ出したい。

 

今すぐ、何も言わなかったことにしたい。

 

けれど、一度口にしてしまった言葉は、もう取り消せなかった。

 

アスナは唇を噛み、うつむきかけた顔を、なんとか上げた。

 

「……ごめんなさい。突然、こんなこと言って」

 

声が震えていた。

 

「でも……ずっと、言いたかったの」

 

レイは黙っていた。

 

その沈黙が、アスナには怖かった。

 

おそらく、断られる。

 

そう思った。

 

NPCを犠牲にする作戦を立てた自分に、レイは失望した。

 

あのときの彼の言葉は、今も胸に残っている。

 

『変わっちまったな、副団長さん』

 

あれ以来、レイは自分を名前で呼ばなくなった。

 

以前のような関係に戻れていないことは、アスナ自身が一番よく分かっていた。

 

謝ったからといって、それですべてが元に戻るわけではない。

 

彼が以前のように自分を見てくれるとは限らない。

 

それなのに、好きだなんて。

 

勝手すぎる。

 

分かっていた。

 

分かっていたのに、言わずにはいられなかった。

 

「……レイ君が、私をどう思っているのかは分からない」

 

アスナは、必死に言葉を続けた。

 

「もしかしたら、迷惑かもしれない。私のことなんて、もう……」

 

そこまで言いかけて、言葉が止まった。

 

嫌われている。

 

そう決めつけるのも怖かった。

 

本当は、そうであってほしくなかったから。

 

「……ただ、知ってほしかったの」

 

最後に、アスナは小さくそう告げた。

 

レイは、しばらく彼女を見つめていた。

 

そして、心の中で静かに息を吐いた。

 

(……そうか)

 

驚きはあった。

 

まさか、今この場で告白されるとは思っていなかった。

 

だが、それ以上に。

 

嬉しかった。

 

自分と同じ気持ちだったのか、と。

 

レイは、アスナに惹かれていた。

 

初めて出会ったときから、少しずつ。

 

彼女の真面目なところも、強がるところも、不器用なところも。

 

時折見せる笑顔も。

 

一緒に過ごす時間を、悪くないと思っていた。

 

一年間、会わなかった時間にも、彼女のことを思い出すことはあった。

 

そして、再会した後。

 

彼女がNPCを犠牲にする作戦を口にしたとき、レイは失望した。

 

自分が知っていたアスナとは違う。

 

そう思った。

 

あのとき、彼女に向けていた信頼が揺らいだのは事実だった。

 

以前のように接することも、すぐにはできなくなった。

 

だから、距離を置いた。

 

名前で呼ぶのをやめた。

 

だが、それは彼女への想いが消えたからではない。

 

好きだったからこそ、失望も大きかった。

 

簡単に割り切ることができず、どう接すればいいのか分からなくなったのだ。

 

それでも、アスナへの気持ちがなくなったわけではなかった。

 

彼女と会えば、目で追ってしまう。

 

声をかけられれば、足を止めてしまう。

 

何気ない会話を交わす時間を、心地よいと感じてしまう。

 

そんな自分がいることを、レイ自身も分かっていた。

 

そして、今。

 

目の前の少女が、自分を好きだと言った。

 

その事実は、レイの心を確かに揺らしていた。

 

嬉しくないはずがない。

 

本当なら、自分も同じ気持ちだと伝えたかった。

 

彼女の想いを受け入れたい。

 

以前のように一緒に過ごしたい。

 

そう思う自分がいる。

 

だが――。

 

レイは、ゆっくりと視線を落とした。

 

この世界は、デスゲームだ。

 

第五十六層まで攻略が進んだ今も、脱出の見通しは立っていない。

 

地上の攻略ですら、常に死と隣り合わせだ。

 

そして、誰にも知られていない地下の攻略は、さらに危険が多い。

 

地上と地下。

 

その両方を攻略しなければならない可能性がある以上、レイはこれからも一人で進み続けるつもりだった。

 

地下の存在を明かす気もない。

 

誰かを巻き込むつもりもない。

 

自分のやるべきことを、最後まで一人でやり遂げる。

 

それが、これまでのレイの考えだった。

 

そもそも、レイは自分の死を恐れていなかった。

 

この世界で命を落とす可能性があることは、最初から理解していた。

 

けれど、それを理由に立ち止まるつもりはなかった。

 

死ぬときは死ぬ。

 

ただ、それだけのことだった。

 

少なくとも、以前はそう考えていた。

 

――アスナに出会うまでは。

 

彼女に惹かれ、気づけば目で追うようになった。

 

一緒に過ごす時間を、心地よいと感じるようになった。

 

そして、会えなくなった時間にも、彼女のことを思い出すようになった。

 

いつの間にか、また会いたいと思っていた。

 

これからも、彼女と話をしたいと思っていた。

 

そんな自分に気づいたとき、レイの中で何かが変わり始めていた。

 

もし、自分が死んだら。

 

もう、アスナには会えない。

 

声を聞くことも、顔を見ることも、何気ない会話を交わすこともできなくなる。

 

そう考えると、以前のように簡単に割り切ることができなかった。

 

それだけではない。

 

自分が死んだら、アスナはどう思うだろう。

 

彼女は、きっと悲しむ。

 

こんな自分のために、心を痛めるのだろう。

 

そう考えるだけで、胸の奥が重くなった。

 

自分が死ぬことよりも、自分がいなくなったことで彼女が悲しむことの方が、今は怖かった。

 

いつから、こんなふうに考えるようになったのだろう。

 

以前の自分なら、考えもしなかったことだ。

 

自分の命に、それほどの価値があるとは思っていなかった。

 

けれど、アスナに出会い、彼女を好きになったことで、死ぬことの意味が変わってしまった。

 

生きていたい。

 

彼女に会いたい。

 

彼女を悲しませたくない。

 

そんな気持ちが、自分の中に生まれていた。

 

だからこそ、怖かった。

 

もし、今ここで彼女の想いを受け入れたら。

 

以前のように一緒に過ごすようになったら。

 

自分は、彼女を今まで以上に大切に思うだろう。

 

危険な場所に行けば心配するだろうし、彼女が傷つけば、助けたいと思うだろう。

 

そして、自分が死ねば、彼女を悲しませる。

 

彼女を失うことも、自分が彼女を残していなくなることも、今のレイには以前よりずっと恐ろしいことだった。

 

だからこそ、これ以上、彼女への想いを深めることが怖かった。

 

好きだからこそ、受け入れられない。

 

そんな矛盾した気持ちを抱えながら、レイは目の前のアスナを見つめていた。

 

本当は、彼女の想いに応えたい。

 

けれど、今の自分には、それができなかった。

 

恋人になれば、彼女を今まで以上に大切に思うだろう。

 

失いたくないという気持ちも、きっと強くなる。

 

そして、自分が死ぬことへの恐怖も、今より大きくなるはずだった。

 

それでも、地下の攻略をやめるつもりはない。

 

誰かに秘密を打ち明け、共に進むつもりもなかった。

 

自分で決めたことを、最後までやり遂げる。

 

その覚悟は変わらない。

 

だが、アスナを好きなまま、彼女を受け入れてしまえば。

 

いつか自分が死んだとき、彼女にどれほどの悲しみを残すのか。

 

そのことを考えると、どうしても踏み出せなかった。

 

彼女を大切にしたい。

 

それなのに、彼女の想いを受け入れることができない。

 

矛盾していることは分かっていた。

 

それでも、今のレイには、これ以上の答えを出せなかった。

 

しばらくして、レイは口を開いた。

 

「……すまない」

 

その言葉を聞いた瞬間、アスナの表情がわずかに固まった。

 

レイは、続けた。

 

「今は、誰かと付き合うつもりはない」

 

淡々とした声だった。

 

けれど、突き放すような冷たさはなかった。

 

「……この世界じゃ、いつ死ぬか分からない」

 

アスナは、黙って聞いていた。

 

「地上の攻略だって危険だ。俺は、これからも自分のやるべきことを続ける」

 

その言葉の意味を、アスナは理解しようとした。

 

レイは、自分の生き方を変えるつもりがないのだ。

 

誰かと付き合うことで、その人を危険にさらしたくない。

 

あるいは、自分がいなくなった後に、その人を悲しませたくない。

 

彼の言葉には、そんな考えが含まれているように感じられた。

 

けれど、レイの本当の気持ちまでは分からなかった。

 

彼が自分をどう思っているのか。

 

少しでも、同じ気持ちを抱いてくれているのか。

 

聞きたいことはあった。

 

それでも、アスナは尋ねなかった。

 

「……だから、悪い」

 

レイは、もう一度謝った。

 

アスナは、すぐには返事ができなかった。

 

胸が痛い。

 

分かっていたはずだった。

 

断られるかもしれない。

 

そう思っていた。

 

それでも、実際に言葉を聞くと、想像していた以上に苦しかった。

 

それでも。

 

彼を困らせたくはなかった。

 

自分の気持ちを押しつけたくもなかった。

 

だから、アスナは顔を上げた。

 

「……ううん。いいの」

 

無理に笑おうとした。

 

「私、気持ちを知ってほしかっただけだから」

 

声が少し震えた。

 

それでも、笑顔を作った。

 

「突然、こんなこと言ってごめんね」

 

レイは何も答えなかった。

 

彼女の表情が、いつもと違うことには気づいていた。

 

無理をしている。

 

そう分かっていた。

 

けれど、今の自分に何を言えばいいのか、分からなかった。

 

本当は、謝る必要などないと言いたかった。

 

彼女の気持ちを迷惑だと思ったことなど、一度もない。

 

むしろ、嬉しかった。

 

自分も同じ気持ちなのだと、伝えてしまいたかった。

 

それでも、口にすることはできなかった。

 

今の自分がそんなことを言えば、彼女に余計な期待を抱かせてしまう。

 

中途半端な言葉で、彼女を縛りたくはなかった。

 

「……じゃあ、私、帰るね」

 

アスナは一歩下がった。

 

これ以上、ここにいたら。

 

きっと、泣いてしまう。

 

彼の前では、泣きたくなかった。

 

「……ああ」

 

レイは短く答えた。

 

アスナは背を向けた。

 

そして、歩き出す直前。

 

背中に、いつもの声が届いた。

 

「……気をつけて帰れ、副団長さん」

 

その言葉に、胸がまた痛んだ。

 

けれど、アスナは振り返らなかった。

 

「……うん。ありがとう、レイ君」

 

それだけ答えて、歩き出した。

 

一歩。

 

また一歩。

 

彼の姿が見えなくなるまで、決して振り返らなかった。

 

◇

 

街の喧騒が、少しずつ遠ざかっていく。

 

アスナは、人通りの少ない道を歩いていた。

 

さっきまで、あんなに嬉しかった。

 

レイと話せて。

 

自分の気持ちを伝えられて。

 

もしかしたら、ほんの少しだけでも、彼との距離が縮まるかもしれないと思っていた。

 

けれど、現実は違った。

 

「……っ」

 

視界が滲んだ。

 

慌てて目元を押さえる。

 

泣かない。

 

そう決めていた。

 

レイの前では、泣きたくなかった。

 

これ以上、彼を困らせたくなかったから。

 

それなのに。

 

「……うぅ……」

 

声が漏れた。

 

涙が、頬を伝って落ちていく。

 

アスナは足を止め、壁際に身を寄せた。

 

誰にも見られたくなかった。

 

攻略組の中心人物。

 

血盟騎士団の副団長。

 

《閃光》と呼ばれる少女。

 

そんな肩書きは、今の彼女には何の意味もなかった。

 

ただ、好きな人に告白して、断られた。

 

それだけだった。

 

「……分かってた、のに……」

 

小さく呟く。

 

レイが自分を受け入れてくれるとは限らない。

 

むしろ、断られる可能性の方が高いと思っていた。

 

それでも、どこかで期待していたのだ。

 

もしかしたら。

 

もしかしたら、彼も同じ気持ちなのではないかと。

 

けれど、その期待は叶わなかった。

 

「……レイ君……」

 

名前を呼ぶと、また涙が溢れた。

 

彼は、今も自分を「副団長さん」と呼ぶ。

 

告白した後も、その呼び方は変わらなかった。

 

それが、今の二人の距離なのだろう。

 

アスナは、涙を拭った。

 

少しずつ、呼吸を整える。

 

苦しい。

 

悲しい。

 

できることなら、今すぐ彼のところへ戻って、もう一度気持ちを伝えたい。

 

けれど、そんなことをしても、彼を困らせるだけだ。

 

レイは、きちんと答えてくれた。

 

曖昧な言葉で期待を持たせることもなく、自分の考えを伝えてくれた。

 

だからこそ、これ以上は求められない。

 

少なくとも、今は。

 

「……私、馬鹿ね」

 

アスナは、涙で濡れた頬を手の甲で拭った。

 

そして、しばらく黙っていた。

 

やがて、ゆっくりと顔を上げる。

 

目元は赤くなっていた。

 

それでも、その瞳には、まだ消えていないものがあった。

 

諦めたわけではない。

 

レイが自分を好きになってくれると、簡単に信じられるわけでもない。

 

彼の気持ちを無視して、無理に振り向かせようとも思わない。

 

ただ――。

 

それでも、自分は彼が好きなのだ。

 

その気持ちは、断られたからといって、簡単に消えるものではなかった。

 

「……明日も、会えたらいいな」

 

小さな声で呟く。

 

自分でも、少しおかしいと思った。

 

今日、告白して

 

断られて

 

こんなに泣いているのに

 

それでも、明日になれば、きっとまた彼の姿を探してしまう。

 

会えたら、声をかけるだろう。

 

そして、いつものように話をするのだろう。

 

「……ふふっ」

 

涙が残る顔で、アスナは小さく笑った。

 

「……ほんと、諦めが悪いんだから」

 

そう言って、もう一度目元を拭う。

 

今は、まだ何も変わっていない。

 

レイは自分を受け入れなかった。

 

二人の関係も、以前のようには戻っていない。

 

けれど、自分の気持ちを伝えられたことだけは、後悔していなかった。

 

いつか。

 

いつか、また名前で呼んでくれる日が来るだろうか。

 

以前のように、自然に話せる日が来るだろうか。

 

そして、いつか。

 

自分の気持ちが、彼に届く日が来るだろうか。

 

答えは分からない。

 

それでも、アスナは歩き出した。

 

涙を拭い、前を向いて。

 

明日もまた、レイに会えることを願いながら。





地に腰を下ろさないアスナ。その強さが欲しい

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