デスゲーム開始から二週間 アインクラッド第一層のフィールドでは、プレイヤーたちが少しずつ戦いに慣れ始めていた。
もちろん、恐怖が消えたわけではない。
HPがゼロになれば、本当に死ぬ。
その事実は、誰もが嫌というほど理解していた。
だからこそ、プレイヤーたちは必死だった。
生き残るために剣を振るい、少しでも強くなるために経験値を稼ぐ。
そんなフィールドの片隅で、一人の少女が剣を構えていた。
アスナである。
「はっ!」
鋭い踏み込みとともに、細身の剣が閃く。
目の前のモンスターのHPバーが一気に減少した。
敵の反撃を半歩だけ後退してかわし、すぐさま前へ踏み込む。剣先が正確に急所を捉え、最後の一撃が決まった。
モンスターは青いポリゴン片となって砕け散った。
「……ふぅ」
アスナは剣を下ろし、小さく息を吐いた。
周囲に敵の気配はない。
戦闘終了だ。
HPを確認し、装備の耐久値と残りの回復アイテムをチェックする。
どれも問題はなかった。
「よし……」 小さく呟き、剣を鞘に収める。
以前なら、たった一度の戦闘でも緊張で身体が強張っていた。けれど、今では戦闘中に周囲を確認する余裕も出てきている。
少しずつだが、確実に成長していた。
そのときだった。
視界の端に、黒い影が映った。
アスナは何気なく顔を向ける。
少し離れた草原を、一人の少年が歩いていた。
黒い髪
無駄のない身のこなし
腰には剣を携え、周囲のモンスターを警戒しながら、迷いのない足取りで進んでいる。
「……あ」
思わず声が漏れた。
レイだった。
彼はいつものように一人だった。
誰かとパーティーを組んでいる様子もなく、誰かと話している様子もない。
ただ、淡々とフィールドを進んでいる。
アスナはその姿を見つめた。
(……あの人、また一人で狩りをしてるんだ)
以前、彼に助けられたときのことが頭をよぎる。
囲まれたモンスター 迫る攻撃 間に合わないと思った瞬間、目の前に現れた黒い背中。
そして、戦闘が終わったあとの、あのそっけない態度。
『モンスターを狩ってたら、たまたまお前がいた。それだけだ』
「…………」
アスナは小さく頬を膨らませた。
(本当に、何なのよ。あの言い方……)
思い出すだけで、少しだけむず痒い気持ちになる。
助けてもらったことは、もちろん感謝している。
ただ、あのときの自分はかなり危険な状況だった。普通なら、もう少しくらい心配してもいいはずだ。
それなのに、あの人はまるで何でもないことのように振る舞っていた。
恩を着せるつもりもなければ、親しくなろうとする気配もない。
それどころか、こちらが話しかけても、必要最低限の返事しか返ってこない。
(……ほんっと、変な人)
そう思いながらも、アスナの視線はレイから離れなかった。
レイが立ち止まる 目の前に現れたモンスターを確認し、剣を抜いた。
次の瞬間、身体が滑るように前へ出る。
一閃 モンスターのHPバーが消失した。
あまりにもあっさりとした決着だった。
レイは剣を収めると、何事もなかったように再び歩き始める。
アスナは瞬きした。
(……相変わらず、すごいわね)
認めたくないわけではない。
実際、レイの戦闘技術は見事だった。
動きに無駄がなく、攻撃を受けることを前提とした無茶な戦い方もしない。敵の動きを見極め、最小限の動作で確実に倒している。
同じソロプレイヤーとして、参考になる部分も多かった。
けれど、それだけではない。
アスナは、気づけばレイの姿を目で追っていた。
彼がどこへ向かうのか。
どんなモンスターを相手にするのか。
次はどんな動きを見せるのか。
そんなことが、自然と気になっていた。
「…………」
そこで、アスナはハッとした。
(……って、何を見てるのよ、私)
慌てて視線を逸らす。
別に、あの人のことが気になるわけじゃない。
ただ、強いプレイヤーの戦い方を観察していただけだ。
そう それだけ
(そうよ。今後の戦闘の参考にしてただけなんだから)
自分に言い聞かせ、アスナは小さく頷いた。
しかし、もう一度レイのいた方向を見ると、彼の姿は遠くなっていた。
その瞬間 なぜか、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなった。
「……あれ?」
自分でも不思議だった。
別に、話をしたかったわけではない。
呼び止める理由もない。
それなのに、あのまま姿が見えなくなることが、ほんの少しだけ惜しいような気がした。
(……何なのよ、これ)
アスナは首を振った。
デスゲームの中で、そんなことを考えている余裕はない。
生き残るためには、もっと強くならなければならないのだ。
誰にも頼らず、自分の力で。
それは、今も変わらない。
けれど――
「……レイ君」
気づけば、名前を口にしていた。
自分でも驚いて、アスナは口元を押さえる。
もちろん、声は遠く離れたレイには届いていない。
彼は振り返ることなく、草原の向こうへと歩いていった。
(……今度会ったら、何か聞いてみようかな)
そう考えた直後、アスナは再び首を振った。
(ち、違う! 別に、話したいわけじゃないし!)
ただ、同じソロプレイヤーとして、少し気になっただけ。
それ以上の意味なんてない。
そう結論づけると、アスナは街へ戻るために歩き出した。
けれど、数歩進んだところで、もう一度だけ振り返ってしまう。
当然、そこにレイの姿はなかった。
「…………もう」
アスナは小さく呟いた。
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
まだ、彼女自身は気づいていない。
レイを見かけると、自然と目で追ってしまうこと。
姿が見えなくなると、少しだけ物足りなく感じること。
そして、あの無愛想な少年のことを、以前よりも頻繁に考えるようになっていること。
それらが何を意味するのか。
今のアスナには、まだ分からなかった。
◇
レイは草原を歩きながら、次の狩り場を探していた。
「……そろそろ、第二層への道も考えるか」
彼の関心は、攻略のことだけだった。
先ほど、自分を見ている少女がいたことにも気づいていない。
ましてや、その少女が自分の名前を呟いていたことなど、知る由もなかった。
二人の距離は、まだ遠い けれど、ほんのわずかに その距離を縮める何かが、静かに動き始めていた。
レイは口数少ないから基本アスナ視点