デスゲームが始まってから、二年
SAOの攻略は、着実に進んでいた。
地上、第七十四層
そして、地上とは別に存在する地下階層も、第七十四層まで攻略が進んでいる。
もちろん、地下階層の存在を知る者は、レイ以外にいない。
地上の攻略状況に合わせて地下の攻略も進める。
それがレイの方針だった。
地上で発見された情報が、地下でも役に立つかもしれない。
逆に、地下で得られた知識が、地上の攻略に活かせる可能性もある。
だからこそ、両方の攻略を同じ速度で進めていた。
今のところ、その判断は間違っていない。
攻略は順調だった。
――あの珍獣を除けば。
「ダンディー! ダンディー! 今日も我が肉体は美しいぃぃぃぃぃー!」
洞窟の奥から、聞きたくもない声が響いた。
レイは無言でそちらを見た。
そこに浮かんでいたのは、黄金色の身体に黒いサングラスをかけた、見慣れた存在。
ユニークモンスター、《ダンディー》
ただし、今のダンディーは、初めて遭遇した頃とは明らかに違っていた。
大きさが、段違いなのだ。
最初はバスケットボールほどだった。
それが、今ではおよそ十倍。
もはや、バスケットボールなどという可愛らしい例えでは済まない。
巨大な黄金色の球体が、洞窟の中を悠々と浮遊している。
その姿は、珍獣というより、もはや移動する災害だった。
「……また大きくなったな」
レイは淡々と呟いた。
「フハハハハ! 見よ、我が友よ! 日々進化する我輩の肉体を!」
「友じゃない」
「照れるな、照れるな! 我らの友情は、もはや誰にも止められぬ!」
「……くだらない」
二年前なら、レイはただ無言で剣を抜いていただろう。
しかし、今では違う。
ダンディーの意味不明な言動にも、ある程度は慣れてしまっていた。
もちろん、好きになったわけではない。
相変わらず強い。
相変わらず速い。
相変わらずうるさい。
しかも、倒しても復活する。
稀に分裂までして、戦闘を長引かせる。
それなのに、こちらの口調まで侵食してくるのだから、たまったものではない。
(……二年も付き合わされているんだ。そろそろ、友でいいか……?)
そこまで考えた瞬間。
レイは勢いよく首を横に振った。
「……いいわけないだろ!」
思わず、一人で突っ込んでしまった。
洞窟に声が響く。
「おおっ! どうした、我が友よ! ついに友情を認めたか!」
「認めてない!」
「ハッハッハ! 素直ではないな!」
「……本当に最悪だ」
レイは深く息を吐いた。
どうして、こんなことになったのか。
考えても仕方がない。
目の前の巨大な珍獣を倒す。
今は、それだけだ。
レイは剣を抜いた。
「……来い」
「よかろう! 我が友よ、今日こそ究極のダンディズムを見せてやろう!」
「だから友じゃない」
月日が経っても、レイとダンディーの関係は、まったく進展していなかった。
ただし、ダンディーの身体だけは、順調に成長していた。
◇
第二十二層のログハウスでは、アスナが出かける準備をしていた。
今日は、レイと会う約束の日。
2人が定期的に会うようになってから、それなりの時間が経っていた。
最初は、レイに会えるだけで嬉しかった。
今では、彼と過ごす時間が日常の一部になっている。
もちろん、今日も楽しみだった。
アスナは身支度を整えると、鏡の前に立った。
そして、いつものように笑顔を作る。
「……うん」
少しだけ角度を変える。
もう一度、笑顔を確認する。
「よし……完璧!」
満足そうに頷いた。
以前、レイからメッセージで言われた言葉。
『笑顔の確認、可愛いな』
その一言は、今でもアスナの心に残っていた。
思い出すだけで、頬が熱くなる。
(……レイ君、今日も言ってくれないかな)
そんな期待が、ほんの少しだけ胸をよぎった。
すぐに、アスナは首を振った。
(だ、駄目! 期待しすぎないの!)
そもそも、笑顔の確認をしていること自体、レイには秘密なのだ。
また知られたら、恥ずかしくてたまらない。
アスナは鏡に向かって最後にもう一度微笑むと、ログハウスを出た。
今日は、いつも以上に楽しい時間になりそうな気がしていた。
◇
待ち合わせ場所に到着すると、レイはすでに来ていた。
いつもの黒い装備。
いつもの落ち着いた表情。
そして、こちらに気づくと、静かに視線を向けてくれる。
「レイ君!」
「アスナ」
名前を呼ばれただけなのに、アスナの胸が小さく跳ねた。
もう何度も聞いている声だ。
それでも、レイに名前を呼ばれるのは嬉しかった。
「待たせちゃった?」
「いや。今来たところだ」
「よかった!」
アスナは彼の隣に並んだ。
「今日は何をしていたの?」
「レベリングだ」
「そっか。今日もお疲れさま」
「ああ」
いつもの短いやり取り。
けれど、それが心地よい。
2人は街を歩きながら、他愛のない話を始めた。
最近の攻略のこと。
街で見つけた店のこと。
以前、一緒に食事をした店のこと。
アスナが話し、レイが聞く。
時折、レイが短く返事をする。
そんな何気ない時間が、アスナには大切だった。
「そういえば、レイ君。最近、何か変わったことはあった?」
「……特にない」
「本当に?」
「ああ」
レイは即答した。
まさか、巨大化を続ける黄金色の珍獣のことなど、詳しく話すわけにはいかない。
ましてや、最近はそいつを友と認めかけた自分にツッコミを入れている、などとは絶対に言えなかった。
「そうなんだ」
アスナは少し考えたあと、笑顔になった。
「でも、レイ君が元気そうでよかった」
「……そうか」
「あれ? 何か変なこと言った?」
「いや」
レイは視線を逸らした。
アスナは首を傾げたが、すぐに楽しそうに笑った。
その笑顔を見て、レイは思った。
(……やっぱり、落ち着くな)
ダンディーとの戦闘では、常に神経を使う。
一瞬の判断ミスが、大きなダメージにつながるからだ。
それに比べて、アスナと過ごす時間は穏やかだった。
彼女は無理に踏み込んでこない。
レイが多くを語らなくても、気にせず話してくれる。
一緒にいることが、自然になっていた。
アスナの方も、レイとの時間を楽しんでいた。
ふとした瞬間、レイがさりげなく自分を気遣ってくれる。
人混みでは、ぶつからないように自然と歩く位置を変えてくれる。
店を選ぶときも、アスナの希望を聞いてくれる。
本人は特別なことをしているつもりなどないのだろう。
けれど、そうした小さな行動が、アスナの心を何度も揺らしていた。
(……やっぱり、好きだな)
告白した気持ちは、今も変わっていない。
レイには一度、その気持ちを断られている。
それでも、今こうして一緒に過ごせることが嬉しかった。
急ぐつもりはない。
レイの気持ちを無視(※全科あり)して、答えを求めるつもりもない。
ただ、これからも彼の隣にいられたらいい。
そう思っていた。
◇
しばらく街を歩いていると、後ろから声が聞こえた。
「あれ? アスナじゃないか?」
聞き覚えのある声だった。
アスナが振り返る。
そこにいたのは、5人のプレイヤーだった。
黒い服を着た少年。
その隣には、鍛冶屋として知られる少女。
さらに、明るい表情の小柄な少女、赤いバンダナを巻いた男性、そして大柄な男性がいる。
「キリト君! リズ!」
アスナの顔が明るくなった。
「やっぱりアスナだ。街で会うなんて珍しいな」
キリトが笑顔で近づいてくる。
その隣で、リズベットがアスナの隣にいるレイへと視線を向けた。
「ちょっと、アスナ。その人って……?」
「えっ?」
アスナは一瞬、言葉に詰まった。
その反応を見て、リズベットの目がきらりと光る。
「……へえ?」
「リ、リズ!」
「何よ。まだ何も言ってないじゃない」
「顔が言ってるの!」
そんな2人のやり取りを、シリカが不思議そうに眺めていた。
「アスナさん、こちらの方は?」
その言葉で、アスナはようやく隣のレイを思い出した。
「あっ、そうだった!」
アスナは少し慌てながら、レイへ向き直る。
「レイ君、紹介するね。彼はキリト君。攻略で一緒になることもあるの」
「キリトです。よろしく」
キリトは自然な笑顔で手を上げた。
「こっちはリズベット。武器の鍛冶をしているの」
「リズベットよ。よろしくね!」
リズベットは明るく挨拶した。
「シリカちゃん。テイマーとして頑張っている子なの」
「シリカです! よろしくお願いします!」
シリカは丁寧に頭を下げた。
「クラインさん。攻略でも頼りになる人よ」
「おう! クラインだ! よろしくな!」
クラインは豪快に笑った。
「最後に、エギルさん。商売をしていて、攻略にも協力してくれているの」
「エギルだ。よろしく頼む」
エギルは落ち着いた様子で頷いた。
5人の紹介を終えると、アスナはレイを見た。
「そして、こちらがレイ君。私の友達なの」
「レイだ。よろしく」
レイは短く答えた。
「レイ、か。聞いたことがあるような、ないような……」
キリトは少し考えるような顔をした。
SAOには多くのプレイヤーがいる。
ソロで活動するプレイヤーも珍しくはない。
ただ、レイのことを詳しく知っているわけではなかった。
「アスナの友達ってことは、結構前からの知り合いなの?」
リズが尋ねた。
「うん。少し前から、定期的に会っているの」
「へえ、定期的にねえ……」
「リズ!」
アスナの頬が赤くなる。
リズは楽しそうに笑った。
「はいはい。分かったわよ」
その様子を見て、クラインが首を傾げた。
「ところで、2人って付き合ってんのか?」
「えっ!?」
アスナが声を上げた。
キリトも目を瞬かせる。
シリカは興味深そうに2人を見つめ、エギルは黙って成り行きを見守っていた。
「ち、違うよ! 私たちは友達!」
アスナは慌てて説明した。
「そ、そうか。いや、悪い悪い!」
クラインは頭をかいた。
「でも、アスナが男の人と2人でいるのって、珍しいわね」
リズが言った。
「それは……」
アスナはレイをちらりと見た。
レイは特に動じることなく、静かに立っている。
「……大切な友達だから」
アスナは少し照れながら答えた。
その言葉に、レイは一瞬だけ彼女へ視線を向けた。
そして、いつもどおり短く答えた。
「ああ」
それだけだった。
けれど、アスナの胸はまた小さく跳ねた。
(……もう、レイ君ってば)
何も変わらない態度なのに、時折、妙に意識してしまう。
自分でも困ったものだと思う。
一方、リズは2人を交互に見ていたが、やがて何かに気づいたように頷いた。
「なるほどねえ」
「リズ、何がなるほどなの?」
「べっつにー?」
「もう!」
アスナは頬を膨らませた。
その様子を見て、キリトが苦笑する。
「リズ、あまりからかうなよ」
「はいはい。分かってるわよ」
そう言いながらも、リズの表情には、まだ面白がっている様子が残っていた。
◇
その後、7人はそのまま一緒に過ごすことになった。
最初は少しぎこちなかったものの、会話が始まると、すぐに自然な雰囲気になった。
「レイは普段、ソロで活動しているのか?」
キリトが尋ねた。
「ああ」
「へえ。俺もソロで動くことが多いんだ。まあ、最近は知り合いと組むこともあるけど」
「そうか」
短いやり取りだった。
それでも、同じようにソロで活動する者同士、何となく通じるものがあった。
「ソロって大変じゃないですか?」
シリカが尋ねる。
「慣れれば問題ない」
「そっか。私はピナがいるから、少し違うけど……一人で攻略するのって、やっぱりすごいと思います」
「……そうか」
レイはそれ以上、特に何も言わなかった。
自分の実力を自慢するつもりはない。
ただ、必要なことをしているだけだ。
そんなレイの態度に、エギルが感心したように頷いた。
「無理に自分を大きく見せようとしないんだな」
「必要ない」
「ははっ、確かにそうだな」
クラインが豪快に笑う。
「でもよ、たまには仲間と組むのも悪くねえぞ!」
「気が向いたらな」
「おっ、完全に断られたわけじゃねえな!」
「……そういう意味じゃない」
「細けえことは気にすんな!」
クラインは笑い続けた。
レイは小さく息を吐く。
騒がしい。
だが、不思議と不快ではなかった。
アスナも、仲間たちと楽しそうに話していた。
「そういえば、キリト君とリズって、最近どうなの?」
アスナが何気なく尋ねた。
その瞬間、リズが目を輝かせた。
「あら、気になる?」
「え? う、うん。だって、2人とも仲がいいから」
「ふふん。実はね――」
「リズ!」
キリトが慌てて止めようとする。
だが、リズは構わず、キリトの腕に自分の腕を絡めた。
「私たち、付き合ってるのよ」
「えっ!?」
アスナが驚いた。
シリカも目を丸くする。
クラインは「おおっ!」と声を上げ、エギルは納得したように頷いた。
「そうだったんだ!」
アスナは嬉しそうに微笑んだ。
「おめでとう、キリト君、リズ!」
「ありがと、アスナ」
リズは満足そうに笑った。
キリトは少し照れくさそうに頬をかいた。
「まあ……そういうことだ」
「何だよキリト! お前、いつの間に!」
クラインが大げさに驚く。
「いや、別に隠していたわけじゃ……」
「いやいや、これはめでたい話じゃねえか!」
「クライン、声が大きい」
エギルが苦笑しながらたしなめた。
そんなやり取りに、シリカも楽しそうに笑った。
アスナは、ふと隣のレイを見た。
キリトとリズは恋人同士。
2人の様子は自然で、互いを大切にしていることが伝わってくる。
(……私も、いつか)
そこまで考えて、アスナはそっと視線を落とした。
今はまだ、レイとは友達だ。
それでも、いつか2人と同じような関係になれたら。
そんな願いが、胸の奥にある。
「アスナ?」
レイに呼ばれ、アスナははっと顔を上げた。
「な、何?」
「どうした?」
「ううん、何でもない!」
アスナは慌てて笑った。
レイは少しだけ彼女を見つめたが、深く追及することはなかった。
「……そうか」
その自然な反応に、アスナはほっとした。
同時に、少しだけ残念にも思った。
(……もう少し、気にしてくれてもいいのに)
そんなことを考えてしまう自分に、アスナは内心で苦笑した。
◇
気がつけば、ずいぶんと時間が経っていた。
7人での会話は思いのほか盛り上がり、話題が尽きることはなかった。
キリトとレイは、ソロで活動する際の話を少し交わした。
リズベットはレイの装備に興味を示し、鍛冶屋としての意見を話していた。
シリカは最近の冒険について語り、クラインは賑やかに話を広げる。
エギルは全員の話を聞きながら、ときどき的確な言葉を挟んでいた。
レイも、必要なことには短く答えていた。
普段なら、これほど大勢と長時間話すことは少ない。
だが、今日は不思議と苦にならなかった。
アスナが楽しそうに笑っている。
それだけでも、ここにいる意味はあった。
やがて、解散する時間になった。
「今日は楽しかったな!」
クラインが満足そうに言った。
「そうだね。またみんなで集まろうよ!」
シリカも笑顔で頷く。
「そうね。今度は私のお店にも来てよ、レイ」
リズが言った。
「機会があれば」
「ふふっ、待ってるわ」
キリトもレイに向き直った。
「また会うことがあったら、よろしくな」
「ああ」
エギルも静かに頷く。
「じゃあ、またな」
5人がそれぞれ別れの挨拶をする。
アスナは仲間たちを見送ってから、レイへ向き直った。
「レイ君、今日はありがとう」
「何がだ?」
「みんなと一緒に過ごしてくれたこと。いつか紹介したいと思っていたから」
アスナは少し照れながら微笑んだ。
「みんな、いい人たちでしょう?」
「ああ。そうだな」
レイは素直に頷いた。
「……楽しかった」
その言葉を聞いた瞬間、アスナの顔がぱっと明るくなった。
「本当?」
「ああ」
「よかった……!」
アスナは心から嬉しそうに笑った。
レイは、その笑顔を静かに見つめていた。
そして、いつものように短く告げる。
「またな、アスナ」
「うん。またね、レイ君!」
2人はそこで別れた。
◇
ログハウスへ帰宅したアスナは、扉を閉めると、ほっと息を吐いた。
今日は、本当に楽しかった。
レイと2人で過ごす時間も好きだ。
けれど、いつか大切な仲間たちを彼に紹介したいと思っていた。
キリト
リズベット
シリカ
クライン
エギル
自分が信頼している人たち。
そして、自分が特別な想いを寄せているレイ。
そんな大切な人たちが、同じ場所で笑い合っていた。
それが、アスナには嬉しかった。
「……紹介できて、よかった」
思わず、笑みがこぼれる。
レイは口数こそ少ないが、皆と普通に会話してくれた。
無理に合わせようとしていたわけではない。
彼なりに、その場を楽しんでくれていたように思う。
(……また、みんなで会えたらいいな)
そして、いつか。
いつか、レイともっと特別な関係になれたら。
そんな願いを胸に抱きながら、アスナは窓の外を眺めた。
デスゲームが始まってから、二年。
厳しい戦いは続いている。
それでも、こうして笑い合える時間がある。
それは、決して当たり前のことではない。
だからこそ、アスナは思う。
これからも、大切な人たちとの時間を守っていきたい。
そして――
レイと過ごす時間も、少しずつ増やしていきたい。
アスナは静かに微笑んだ。
メイン外キャラはさらっと