浮遊城アインクラッド、第七十五層
迷宮区の最奥にあるボス部屋
重厚な扉が開かれた瞬間、プレイヤーたちは息を呑んだ。
そこにいたのは、巨大な骸骨のような姿をした異形のボス。
無数の脚を持ち、巨大な鎌を振るう死神――。
ザ・スカルリーパー
第七十五層のフロアボスである。
「……でかいな」
レイは黒い剣を構えながら、淡々と呟いた。
その隣には、細剣を構えたアスナがいる。
恋人になってから初めて迎えた朝。
本当なら、もう少し2人でゆっくり過ごしたかったところだが、攻略の日程は待ってくれない。
「レイ君、準備はいい?」
「ああ」
「……ふふっ」
「……何だ?」
「ううん。なんでもない」
アスナは小さく笑い、前を向いた。
昨日までと変わらない、いつものやり取り。
けれど、恋人になった今は、それだけでも嬉しかった。
その様子を少し離れた場所から見ていたリズが、キリトの耳元で囁く。
「ねえ、キリト。あの2人、昨日までと雰囲気が違わない?」
「……そうだな」
「絶対、昨日なにかあったわよね?」
「もう恋人同士なんだから、別にいいだろ」
「それはそうだけど!」
リズが小声で抗議した、そのとき。
「総員、戦闘態勢!」
血盟騎士団の団長、ヒースクリフの声が響き渡った。
プレイヤーたちが一斉に武器を構える。
「これより、ボス攻略を開始する!」
その言葉を合図に、ザ・スカルリーパーが動き出した。
◇
「来るぞ!」
先陣を切った血盟騎士団の前衛が、ボスの脚を受け止める。
金属音が轟いた。
巨大な鎌が振り下ろされ、前衛のプレイヤーが吹き飛ばされる。
「ぐあっ!」
「前衛、陣形を維持しろ! 後衛は援護を!」
血盟騎士団の指揮官たちが叫ぶ。
しかし、ザ・スカルリーパーの攻撃は凄まじかった。
巨体からは想像できない速度で脚を動かし、複数の鎌を振り回す。
一撃一撃が重い。
防御に失敗すれば、致命傷になりかねない。
「くっ……!」
アスナが細剣を走らせ、仲間に迫っていた脚の攻撃を弾く。
「大丈夫ですか!」
「あ、ああ……助かった!」
「無理はしないでください!」
その一方で、レイはボスの動きを見極めていた。
攻撃の軌道。
脚の動き。
鎌を振るうタイミング。
そのすべてが、レイの目には見えている。
隙もある。
攻撃を叩き込める箇所も分かっている。
――だが。
「……面倒だな」
レイは小さく呟いた。
自分1人なら、もっと自由に動ける。
攻撃を避け、懐に潜り込み、最も効率のいい箇所へ剣を叩き込めばいい。
だが、今は違う。
周囲には血盟騎士団のプレイヤーたちがいる。
彼らが攻撃を受けないように立ち回り、陣形が崩れないように動き、危険な位置にいる者を助けなければならない。
自分が攻撃に集中すれば、誰かが危険にさらされる可能性がある。
だからといって、彼らを見捨てるつもりもなかった。
「レイ君!」
アスナの声が飛んでくる。
「右から来る!」
「ああ」
レイは振り向きもせず、迫っていた鎌を剣で弾き返した。
そのまま一歩踏み込もうとする。
しかし、前方では血盟騎士団の前衛が崩れかけていた。
レイは舌打ちを飲み込み、そちらへ向かう。
剣を一閃。
襲いかかっていた脚を弾き、倒れかけたプレイヤーを安全な位置へ押し戻した。
「下がれ」
「す、すまない!」
レイは返事をせず、再びボスへ向き直る。
その間にも、ボスのHPは少しずつ削られていた。
だが、こちらの消耗も激しい。
「くそっ! こいつ、強すぎるだろ!」
クラインが刀を振るいながら叫ぶ。
「文句を言っている暇があったら手を動かしなさい!」
リズがハンマーを叩き込む。
「分かってるっての!」
キリトも二刀を駆使し、ボスの攻撃をかいくぐっていた。
「このままじゃ、ジリ貧だ……!」
ボスが再び鎌を振り上げる。
前衛が防御態勢に入った。
その瞬間、クラインがレイの剣に目を留めた。
そこには、金色の球体に黒いサングラスをかけた奇妙なストラップが揺れていた。
「……あっ!」
クラインの顔がぱっと明るくなる。
「そうだ! レイ! ダンディーストラップだ!」
「……は?」
「いいから押せ! 今すぐ!」
「……くだらない」
「くだらなくねえ! いいから押せって!」
クラインは半ば必死に叫んでいた。
レイは一瞬だけストラップに目を落とす。
そして。
「……一度だけだぞ」
剣についているストラップを指で押した。
次の瞬間。
『ダンディー! ダンディー! 今日も我が肉体は美しい!』
場違いなほど陽気な声が、ボス部屋いっぱいに響き渡った。
「…………」
「…………」
「…………」
戦闘中のプレイヤーたちが、一斉に固まる。
何人かは、目の前の光景が理解できずに瞬きを繰り返していた。
そして。
「ギギ……?」
ザ・スカルリーパーの動きが止まった。
巨大な骸骨の頭部が、ゆっくりとストラップのほうへ向く。
『天高くそびえ立ち優雅に……見よ!』
「ギ……ギギギギ……ッ!?」
スカルリーパーが震え始めた。
無数の脚が、がくがくと揺れる。
巨大な鎌が床に落ち、骨の身体が縮こまっていく。
まるで、目の前にとんでもない怪物が現れたかのように。
「…………は?」
クラインが口を開けた。
「……何だ、これ」
キリトも呆然としている。
「ボスが……怯えてる?」
アスナは目を丸くした。
リズはハンマーを構えたまま固まっている。
「え? ちょっと待って。何が起きてるの?」
「ポカーン……」
シリカが、思わずそんな声を漏らした。
「……ポカーン」
エギルまで、理解不能といった顔で呟く。
血盟騎士団の面々も同様だった。
あれほど猛威を振るっていたボスが、たった1つのストラップの声を聞いただけで縮こまっている。
誰もが状況を理解できず、ただ目の前の光景を眺めていた。
レイは無言でストラップを見下ろした。
「…………」
そして、心の中で呟く。
(……やはり、捨てるべきだったか)
しかし、今さら後悔しても遅い。
ストラップは今日も金色の身体を揺らしながら、誇らしげに浮かれていた。
『今日もダンディーだぜ~!』
「…………」
レイの眉間に深い皺が刻まれる。
そのときだった。
「今だ!」
キリトの叫びが、沈黙を破った。
「全員、一斉攻撃だ! 動けるうちに叩き込め!」
その言葉に、プレイヤーたちが我に返る。
「お、おう!」
「攻撃開始!」
「今しかないぞ!」
血盟騎士団が一斉に動き出す。
アスナの細剣が閃き、リズのハンマーが唸る。
クラインの刀が斬撃を刻み、シリカも懸命に攻撃を繰り出した。
エギルも大斧を振り下ろす。
キリトは二刀を構え、ボスの懐へ飛び込んだ。
レイもまた、剣を握り直す。
「……終わりだ」
黒い剣が閃いた。
一撃
二撃
三撃
無駄のない斬撃が、ボスのHPを削り取っていく。
そして、最後の一撃が叩き込まれた瞬間。
ザ・スカルリーパーの巨体が大きく震えた。
「ギギギギギ……ッ!」
無数の脚が崩れ落ちる。
巨大な鎌が床を叩き、骨の身体が光の粒子へと変わっていった。
第七十五層のフロアボス――ザ・スカルリーパー。
撃破!
「……やった」
誰かが呟いた。
次の瞬間、ボス部屋に歓声が響き渡った。
「うおおおおおっ!」
「攻略成功だ!」
「第七十五層、クリアだ!」
プレイヤーたちが喜びを爆発させる。
しかし、その中心で。
クラインはレイの剣にぶら下がるストラップを指差した。
「おい、レイ! わかってたが、それ何なんだよ!」
「……ストラップだ」
「見りゃ分かるわ!」
「なら聞くな」
「そういう意味じゃねえ!」
クラインが頭を抱えた。
リズも困惑した顔でストラップを見つめる。
「いや、待って。本当に何なのよ、それ……。あんなに強いボスが、どうしてあれを見ただけで……」
「……知らん」
「絶対、何か知ってるでしょ!」
「本当に知らん!知りたくもない!」
レイはそれ以上答えず、ストラップを指で弾いた。
『ダンディズム! ダンディズム!』
「…………」
レイは無言でストラップから手を離した。
(……帰ったら、もう一度捨てる)
そう心に決める。
だが、ストラップは今日も変わらず、彼の剣にぶら下がっていた。
◇
ボスを撃破した喜びが、少しずつ落ち着いていく。
第七十五層の攻略は成功した。
多くのプレイヤーが安堵し、互いの無事を確認している。
アスナもレイのもとへ歩み寄った。
「レイ君!」
「ああ」
「怪我はない?」
「問題ない。アスナは?」
「私も大丈夫」
アスナはほっとしたように微笑んだ。
「よかった……」
そう言ってから、彼女は少しだけ声を小さくする。
「……レイ君が無事で、本当によかった」
レイはアスナを見つめた。
そして、短く答える。
「……ああ」
その一言だけで、アスナの表情が柔らかくなった。
恋人になったからといって、レイが急に別人になったわけではない。
それでも、こうして自分を気遣ってくれることが、アスナには嬉しかった。
「……あとで、少し話せる?」
「ああ。構わない」
「ありがとう、レイ君」
アスナが微笑んだ、そのとき。
「キリト君」
静かな声が響いた。
ヒースクリフだった。
彼はいつもと変わらない落ち着いた表情で、キリトを見つめていた。
「少し、いいかね」
「……何ですか?」
キリトの表情が、わずかに険しくなる。
ヒースクリフは周囲を見渡し、それから口を開いた。
「君には、確認しておきたいことがある」
「……俺もです」
キリトが答えた。
その声音には、先ほどまでの戦闘とは異なる緊張があった。
レイは2人を見た。
「……?」
アスナも不思議そうに首を傾げる。
キリトはゆっくりとヒースクリフの前へ歩み出た。
「ヒースクリフ。あんたに聞きたいことがある」
「何かな?」
「……あんた、本当にプレイヤーなのか?」
その場の空気が変わった。
周囲にいたプレイヤーたちが、一斉に2人へ視線を向ける。
ヒースクリフは表情を変えなかった。
「何を言っているのかね、キリト君」
「とぼけないでくれ」
キリトは剣を握り締めた。
「俺は、ずっと違和感を覚えていた。あんたの反応速度、戦闘中の動き……そして、あの異常なまでの防御能力」
「…………」
「プレイヤーとして説明できないことが多すぎるんだ」
キリトの目が鋭くなる。
「それに、あんたはいつだって、ゲームのシステムを知り尽くしているような行動を取っていた」
ヒースクリフは静かにキリトを見つめていた。
そして。
「……なるほど」
小さく呟いた。
「君は、そこまで気づいていたのか」
その言葉を聞いた瞬間、キリトが動いた。
「やっぱりな!」
キリトの剣が閃く。
ヒースクリフへ向かって、一気に斬り込んだ。
「キリト君!?」
アスナが叫ぶ。
しかし、キリトの剣はヒースクリフへ届かなかった。
ヒースクリフの前で、攻撃が止められたのだ。
まるで、目に見えない壁に阻まれたかのように。
そして、ヒースクリフの頭上に表示されたHPバーが、緑色から黄色へと変化した。
システムが警告を発する。
「なっ……!」
キリトが目を見開く。
ヒースクリフは、静かに息を吐いた。
「……そこまでだ、キリト君」
その声音には、もはや団長としての威厳だけではない、絶対的な権限を持つ者の響きがあった。
「君の推測は正しい」
ヒースクリフが、ゆっくりと両腕を広げる。
「私の正体を明かそう」
周囲のプレイヤーたちが息を呑んだ。
「私は、この世界を創造した者」
そして、彼は告げた。
「茅場晶彦だ」
一瞬。
誰もが言葉を失った。
「……嘘、だろ」
クラインが呟く。
「そんな……」
リズは信じられないという顔で、ヒースクリフ――いや、茅場晶彦を見つめた。
アスナの顔から血の気が引いていく。
「……茅場、晶彦……?」
レイは黙って、その光景を見ていた。
黒い剣を握る手に、わずかに力がこもる。
(……こいつが)
このデスゲームを作り上げた張本人。
2年間、多くのプレイヤーを死の恐怖にさらしてきた男。
そして、今もなお、この世界の支配者として君臨している男。
茅場晶彦は、静かに続けた。
「この世界における私の権限は、君たちが想像する以上のものだ」
彼が手を掲げた。
次の瞬間。
「なっ……!?」
プレイヤーたちの身体が、一斉に硬直した。
「身体が……動かない!?」
「何だ、これ!」
「システムメニューも開けない!」
アスナも、リズも、クラインも、シリカも、エギルも。
その場にいたプレイヤーたちの身体が、システムによって拘束されていく。
パラライズ。
身動き1つ取れない。
「レイ君……!」
アスナが叫んだ。
レイもまた、身体の自由を奪われていた。
剣を握る腕さえ動かせない。
「……ちっ」
レイは茅場を睨みつける。
しかし、茅場は動じなかった。
「心配する必要はない。君たちに危害を加えるつもりはない」
「ふざけるな!」
クラインが叫ぶ。
「こんなことをしておいて、何を言ってやがる!」
茅場はクラインを一瞥しただけで、再びキリトへ視線を戻した。
「さて……」
その声が、静かに響く。
「ここから先は、君と私の問題だ」
キリトは剣を構え直した。
目の前にいるのは、2年間にわたるデスゲームを作り上げた張本人。
仲間たちを拘束し、この世界のすべてを支配する男。
茅場晶彦
「……あんたを倒す」
キリトの声に、迷いはなかった。
「このゲームを終わらせる」
茅場は静かに頷いた。
「いいだろう」
そして、剣を構える。
「君の力を見せてもらおう、キリト君」
2人の視線が交錯した。
一方は、この世界を終わらせようとする黒衣の剣士。
もう一方は、この世界を創り上げたゲームマスター。
その戦いを止められる者は、誰もいない。
アスナは動けない身体で、キリトを見つめた。
レイもまた、茅場を睨み続けている。
誰もが息を呑む中、キリトが一歩踏み出した。
そして――
キリト対茅場晶彦
SAOの運命を決める、最終決戦が始まろうとしていた。
おまけ『ゲーム機戦争』全15話
第7話「独立せし者、プレイステーション!」
???「もう、誰かの計画に振り回されるのは終わりだ」
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プレイステーション「俺は俺の道を行く。誰かの付属品で終わるつもりはない」
スーパーファミコン「独立するというのか?」
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ファミコン「待て! 新参者が、そう簡単に天下を取れると思うな!」
プレイステーション「簡単だなんて思っていない。だが、挑戦しなければ何も始まらない!」
メガドライブ「……いい目をしてるじゃないか」
ファミコン「お前はどっちの味方だ!?」
メガドライブ「面白い戦いが見られそうだからな!」
プレイステーション「さあ、ここからが本番だ!」
プレイステーションが放った一撃が、ゲーム界の勢力図を大きく揺るがした。
プレイステーション「これが俺の反撃だ!」
ファミコン「くっ……! この勢い、侮れん!」
スーパーファミコン「まさか、ここまで成長するとは……」
独立したプレイステーションは、ついにゲーム界の中心へと駆け上がっていく。
――第7話・終