散りゆく乙女じゃいられない!〜運命なんてどうでもいいです〜 作:eternal17
今回は、あの赤毛の少年のほうが主役です。
【サボる時はある】
「ちょっと。こんなところで何してるのよ」
街外れの木陰に、見覚えのある赤毛が座っていた。声をかけると、肩だけがこちらを向く。
「ああ、ルフィアか」
それだけ言って、また前を向いてしまった。
「ルフィアか、じゃないでしょ。今日は剣の稽古のはずよ。さっき広場を通ったら、あなたの場所だけ空いてたわ」
「自主練」
「膝を抱えて座ってるのが?」
「……考える練習」
「もう少しましな嘘はなかったの」
返事の代わりに、小石がひとつ草むらの向こうへ飛んだ。考え事をすると、あいつは石を投げる。会ったときからそうだ。足元には投げ損ねた小石がいくつも転がっていて、いつから座っているのかと思う。
宿の手伝いの帰りだった。宿から広場へ抜ける道を通ると、この木陰はよく見える。毎日通る道なのだから、目に入っただけで、わざわざ探したわけじゃない。
少年の脇には、小さな木の箱が蓋を開けて置いてあった。中身はパンに挟んだ干し肉。それを黙々と口に運んでいる。箱の中は、端までぴたりと詰めてあった。
出されたものは必ず食べる、というのがこの少年の変なところだ。
嫌いなものを残したところを、ルフィアは一度も見たことがない。
宿屋の娘としては、これは高く評価している。それ以外の評価は保留中だ。
「ねえ」
「なに」
「何かあったの」
「別に」
「別に、で済むなら、うちのお客はみんな元気よ」
少年は答えず、パンをちぎった。ルフィアはしばらく立っていたが、結局、隣の草むらに腰を下ろした。疲れて帰ってきたお客は、聞かなくても喋る。待つのが一番早い。
白いプリフィアが、道端でいくつか揺れている。座った拍子に長い髪が肩から落ちたので、片手で後ろへ寄せた。少年の横顔を見る。口は動いているのに、噛んでいるだけで味わってはいない顔だった。
「……マキシムってさ」
案の定、先に口を開いた。
「英雄のマキシム? 子供向けの本に出てくる」
「うん」
強くて勇敢で、世界を救った人。ルフィアの知っているマキシムは、それがすべてだった。
「あの人、どうなったか知ってるか」
「めでたしめでたし、でしょ」
「帰ってきてないんだとさ」
ルフィアは瞬きをした。
「この前、騎士団のおっさんが言ってたんだ。ほら、広場で槍の手入れをしてた、すこし腹の出た」
「ああ、あの人」
「昔の戦いで生き残った戦士の部隊にいたって人から、聞いたらしい。奥さんが先に力尽きて、そのあと、あの剣と一緒に、崩れていく神殿に残ったんだって」
又聞きの又聞きなんて、八百屋の噂と変わらない。ルフィアがそう言うと、少年は小さく頷いた。
「本当かどうかは知らんって、そのおっさんも苦笑いしてた。生きてるって話もあるし、別の国にいるって話もあるって」
「じゃあ、分からないんじゃない」
「うん。分からないんだ。誰にも」
少年は膝を抱え直した。
「世界を救ったのに、どこで終わったのか、誰にも分からないんだよ」
足元の草をむしる。
「……俺は、ああなりたくない」
【英雄だって】
ルフィアは、これを聞き違えた。
「怖いの?」
「は?」
「騎士になって、戦って、帰ってこられなくなるのが怖いんでしょう。あれだけ騎士になるって言ってたくせに、今さら」
少年の手が止まった。
「そうじゃない」
「じゃあ何よ。はっきり言いなさいよ」
「……いい。お前に言っても」
「何それ。人がせっかく」
「いいって」
ルフィアは言い返そうとして、口を開けたまま言葉を探した。出てこなかった。
代わりに、先週の広場の光景が浮かんだ。稽古の様子を眺めていた腹の出た騎士が、笑って言ったのだ。
「今の型、マキシムなら一太刀で終わらせたろうな」。褒めているつもりなのは、声の調子で分かった。
悪気はかけらもない。周りの少年たちまで「やっぱり違うな」と囃したてて、広場がひとしきり笑いに包まれた。
少年は、笑って頷いた。いつもの憎まれ口ではなく、顔の筋肉だけで作った笑い方だった。
あのとき自分が何となく気に入らなかった理由が、今になって分かりかけた。
分かりかけて、ルフィアは眉をひそめた。そこへ思い至るのが遅すぎる。
謝るべきなのだろう。でも「ごめん」という言葉は、口に出す前に、喉のあたりで丸くなってしまう。代わりに、口のほうが勝手に動いた。
「英雄だって、子供の頃は稽古をサボったことくらいあるわよ。きっと」
少年が、ゆっくりこちらを向いた。
「……は?」
「絶対ある。世界を救う前の日の朝まで、同じこと言われて、同じように面倒くさがってたに決まってるわ」
「根拠は」
「宿のお客を見てれば分かるわよ。立派な人ほど、昔の話を聞くと情けないの」
少年は何か言い返そうと口を開けて、やめた。しばらく黙っていた。
「……それは、考えたことなかった」
笑いはしなかった。小石をひとつ拾って、握ったまま、じっと見ている。それでも、さっきまでより肩が下がって見えた。
「……マキシムみたいな人って、最初から何でもできたんだと思ってた」
「できたんじゃないの。たぶん」
「だったら、俺の何が足りないんだろうな」
「足りないなんて言ってないわよ」
「言ってるようなもんだろ」
「言ってないってば!」
声が少し高くなった。少年が肩を揺らした。笑ったのかと思ったが、咳だった。咳に見せかけているだけかもしれない。
「あのな。型は、頭で考える前に体が動くのが、マキシムみたいなやつなんだと思う」
「あなたは?」
「俺は、一回考える。考えて、それから動く。遅いんだ。稽古で、他のやつが半歩先に行く。マキシムなら、そいつが動く前に終わってる」
ルフィアは黙った。遅い、というのは、少し違うと思った。
先月、広場の隅から手合わせを眺めていたときのことを思い出す。同い年の子が先に打ち込んで、彼は半歩遅れた。見ていた誰もが、やられた、と思ったはずだ。けれど彼は、相手の木剣が来る筋を最後まで目で追って、きっちり受け止めた。受けたあとで、焦っていたのは相手のほうだった。
あれを、遅いとは言わない。彼はこの数年で、足の運びも剣の音も変わった。でもそれは、昔の彼を知っている人間にしか分からないことだ。腹の出た騎士は、昔の彼を知らない。
それを言えばよかったのかもしれない。けれど、言うには順番がまずかった。さっき聞き違えたばかりだ。ここで急に優しいことを言えば、わざとらしくなる。
「……遅くたって、動いてるじゃない」
結局、それだけ言った。
少年は何も言わず、握っていた小石を、遠くへ投げた。さっきより、少しだけ遠くへ飛んだ。
「で。明日は行くの、稽古」
「行くよ」
「本当に?」
「行くって言ってるだろ」
二人で立ち上がった。並ぶと、ルフィアの目線のほうが、ほんの少し上にある。
彼はそれが不満らしく、ときどき爪先を伸ばしているのを、ルフィアは知っている。
今日は黙っておいてやることにした。
「明日、ちゃんと行ってるか見に来るからね」
「来るなよ」
「見張りよ、見張り」
「来るなって」
そう言いながら、彼は箱の蓋を閉める手を止めなかった。木陰を出ていくでもなく、場所を変えるでもなく、留め具を意味もなく何度も掛け直していた。
街へ戻る道を、二人は並んで歩いた。日が傾いて、長い影が二つ、少しずれて伸びている。ルフィアの影のほうが、わずかに長い。少年は歩きながら、靴の先で道の小石を転がしていた。稽古のせいか、爪先のあたりが擦り切れている。そのうち新しい靴がいるな、と宿屋の娘は勝手に見積もった。
少年は先に別れる角で足を止めた。
「じゃあな」
「ええ。また明日」
宿の戸口の前で、ルフィアは一度立ち止まった。服の裾を払い、息を整え、声の高さを一段上げる。
「ただいま戻りました」
その晩、宿の台所で皿を拭きながら、ルフィアは何度か手を止めた。
立派な人ほど昔の話は情けない、と言い切ったが、根拠なんてなかった。思い返せば、お客の大半は旅の商人で、立派かどうかなんて確かめたこともない。
外れてはいないはずだ。たぶん。
皿を一枚、二枚と拭く。三枚目で、また手が止まった。笑わなかった顔が、まだ頭に残っている。
「……あんな言い方、なかったかも」
誰もいない台所に、独り言だけが落ちた。
拭きかけの皿を乱暴に重ねたので、思ったより大きな音がした。
慌てて周りを見る。誰も来なかった。
棚の上には、夕食に出したシナモンパイが、ひと切れだけ残っていた。
ルフィアは、布をかけておいた。それだけだ。
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翌日の昼過ぎ、台所の棚の布をめくると、シナモンパイはまだそこにあった。
捨てるのはもったいない。そう思っただけだ。ルフィアは清潔な布で包み、籠に入れて外へ出た。
見張りのついでだ、とも思った。ついでなら、遠回りしても理由が立つ。
広場では、稽古が続いていた。
少年は、いた。木剣を構える足の運びは、昨日までと変わらない。
振るたびに乾いた音がして、それも少しも変わっていなかった。変わらないのが、たぶん、答えなのだろう。
ルフィアは道の端で足を止めて、しばらく眺めた。
その間に、彼が一度だけ、半歩遅れて動いた。隣の相手のほうが先に打ち込んで、彼はそれを受けた。
受けたあとで、ほんの少し、口の端が上がった。
広場の隅で槍を磨いていた中年の騎士が、顔も上げずに声を飛ばす。
「今日はまあまあだな」
少年は返事をしなかった。木剣を握り直しただけだった。
誰も気づかなかっただろう。ルフィアだけが見ていた。何がおかしかったのかは分からない。分からないまま、少し面白くなかった。
稽古が終わると、彼は広場を離れた。向かった先は、昨日と同じ木陰だった。ルフィアは遠回りをせずに、まっすぐそこへ歩いた。
「いたわね」
「来るなって言っただろ」
「道が同じなのよ」
「……ああ、そう」
少年は場所を空けなかった。ルフィアも空けてもらおうとはしなかった。包みだけを、彼の膝の上に落とす。
「余りものよ。捨てるのがもったいないから」
彼は布を開き、パイを見た。何も言わずに口に運び、黙々と食べきった。指についた粉を払い、少し考えてから、ぼそりと言った。
「……まあまあだな」
「何よ、それ」
「まあまあだって言ってるんだ」
「宿のパイをまあまあですって?」
「じゃあ、悪くない」
「それも気に入らない」
「どうしろってんだよ」
そう言う彼の口元が、昨日より少し緩んでいる。ルフィアは、気づかなかったことにした。
返された布は、角がきちんと揃っていた。
原作では時間の流れで省略されてましたが、こんなこともあったんだろうと思って書きました。
前回はルフィアが本に対して文句をいう話で、今回は赤毛の少年が英雄の伝説に対して言いようがない不満を露にする話でした。これでおあいこ。
英雄だって、最初から英雄だったわけではない。そう思って書いてみました。
ルフィアのフォローは相変わらず不器用ですが、あれで本人は精一杯です(笑)。