散りゆく乙女じゃいられない!〜運命なんてどうでもいいです〜 作:eternal17
戦士としてはやや小柄だが、素早く動くことから
「赤毛」「ベビーフェイス」などとあだ名をつけられ、期待されていた。
だが、騎士団はすっかり弛んでいた。
アレキアのとある平和な午後の話・・・のはずです。
騎士団の教練が中止になった赤毛と、ルフィアの小さな一日をどうぞ。
【今日も教練は中止です】
虚空島戦役から百年近い月日が流れた。
アレキアの騎士団詰め所は、今日も平和だった。
「……中止?」
赤毛の新米騎士は、思わず聞き返した。
「そうだ。参加者が集まらん。今日の教練は中止だ」
教官は、いかにも面倒くさそうに答えた。
「せっかく来たんだから、少しくらい剣を振っていきたいんですけど」
「相手がいなければ仕方あるまい。赤毛よ、自主練習でもするか?」
「いや、それは……」
「ならば解散だ」
なんとも気の抜けた話だった。
マキシムたちが四狂神を退け、世界を救ったという話も、今ではおとぎ話に近い。
平和になった世界では、騎士団の仕事もすっかり穏やかなものになっていた。
町の警備や巡回、街道の見回り。
たまに、盗賊まがいのゴブリンやコボルドが荷馬車を狙ったり、害獣同然のモンスターが畑を荒らしたりして駆り出されることもある。
それも、年に数回あるかどうか、と言う程度のことだ。
もちろん、まったく仕事がないわけではない。
それでも、騎士たちが退屈するほど平和なのは、悪いことではなかった。
詰め所を出ると、顔見知りの連中が何やら騒いでいた。
「おい、聞いたか? ジャックの奴、メイドのユーリアを口説くんだとさ」
「またかよ」
「今度こそ本気らしいぜ。面白そうだから見に行こうぜ!」
「暇だな、お前ら……」
呆れた声を出したものの、彼らを責める気にもなれなかった。
教練が中止になった自分も、似たようなものである。
結局、仲間たちは連れ立って城へ向かった。
彼は少し迷った末、別の方向へ歩き出した。
そういえば、ルフィアはどうしているだろう。今日はまだ顔を見ていない。
ローマンの宿に行けばいるだろうが、こんな天気のよい日に、あいつがずっと宿にいるとも思えなかった。
ルフィアのことだ。きっと、あそこにいるだろう。
【プリフィアと約束の話】
アレキアの町は、いつもと変わらない賑わいを見せていた。
広場では商人たちが露店を並べ、行き交う人々に声をかけている。
焼きたてのパンの香りが通りに漂い、果物を積んだ荷車が石畳を軋ませながら進んでいった。
井戸端では女たちが世間話をし、子供たちは追いかけっこに夢中になっている。
城門の近くでは、荷物を積んだ馬車が通行の順番を待っていた。門番は商人と二言三言交わしてから、手を振って通してやる。
どこにでもある、いつもの光景だった。
広場を抜けようとしたところで、見覚えのある藍色の髪が目に入った。
人混みの向こうを、ルフィアが軽い足取りで歩いていく。宿とは反対の、町外れの方角だった。
「おーい、ルフィア!」
呼びかけると、彼女は足を止めて振り返った。
「あら、今日は教練じゃなかったの?」
「中止になった」
「また?」
「参加者が集まらなくてさ。で、お前はどこ行くんだ?」
ルフィアは、待ってましたとばかりに胸を張った。
「丘よ。そろそろプリフィアの蕾がついてる頃だと思って」
「蕾? まだ咲いてもいないのに見に行くのか」
「咲く前に見ておくから楽しいんじゃない。……一緒に来る?」
断る理由もなかった。
暇を持て余していたのは、こちらの方だ。
「ああ、行くよ」
「ふふっ。じゃあ、決まりね!」
ルフィアはくるりと向きを変えると、赤毛の先に立って歩き出した。
町外れへ向かう道を行くと、家々の間から緑の丘が見えてきた。
風が吹くたびに草の波がゆっくりと揺れ、道端では黄色や薄紫の小さな花に蝶がまとわりついている。
遠くで小鳥の声がした。
丘に着くなり、ルフィアは草むらにしゃがみ込んだ。
長い藍色の髪を風になびかせ、あちこちの株を熱心に覗き込んでいく。
やがて、彼を手招きした。
「ほら、見て。プリフィアの蕾よ!」
草の間から伸びた茎の先に、小さな蕾がいくつもついていた。
「まだ咲いてないじゃないか」
「もう! これから咲くんじゃない!」
赤毛は苦笑して、ルフィアの隣にしゃがみ込んだ。
プリフィアは、この地方では珍しい花ではない。
道端にも、草原にも、条件が合えば庭先にだって咲く。
ただ、花をつける数は年によって随分と違った。
一面に白い花が咲きそろう年もあれば、ほとんど蕾をつけない年もある。
今年は、どうやら当たり年らしい。
辺りを見回すと、まだ小さな蕾をつけた株が、草の間にいくつも見つかった。
「今年はたくさん咲きそうね。満開になったら、また見に来ましょうよ」
赤毛が頷くと、ルフィアは「約束だからね!」と念を押して、嬉しそうに笑った。
それから、何かを思い出したように足元の花へ目を向けた。
「ねえ、昔ここで花輪を作ったの、覚えてる? あなた、すぐ外しちゃったのよ」
「あんなの頭につけて歩くのは恥ずかしいだろ」
一生懸命作ったのに、とルフィアは頬を膨らませた。
だが、すぐに笑い出した。
「でも、懐かしいわね」
風が吹き抜けた。
草の穂が一斉に揺れ、二人の足元を小さな蝶が横切っていく。
ルフィアは立ち上がると、丘の向こうへ目を向けた。
遠くにはアレキアの城壁が見え、その向こうに家々の屋根と城の塔が並んでいる。
どこからか鐘の音が聞こえてきた。
「平和って、いいわね」
急にどうしたのかと赤毛が尋ねると、ルフィアは、花を眺めたり町を歩いたり、好きなことをしていられるんだもの、と答えた。
それから振り返った。
「それに、あなたもいるしね」
「俺?」
「そうよ。何かおかしい?」
赤毛は少し照れくさそうに視線を逸らした。
「でもさ、四狂神がまた現れたら、どうなるんだろうな」
「え?」
「百年近く前には、マキシムがいた。でも、今は……」
ルフィアは、赤毛の顔をじっと見た。
「何言ってるのよ。あなたがいるじゃない。マキシムの子孫だから騎士団に入ったんでしょ? だったら、しっかりしなさいよ!」
「簡単に言ってくれるなあ」
赤毛は苦笑した。
マキシムは、世界を救った英雄だ。
その血を引く自分も、いつか人々を守れるようになりたい。そう考えて騎士団に入った。
しかし、今の自分に何ができるのだろう。
今日の教練さえ中止になってしまったというのに。
「そんな顔しないの。今は平和なんだから、それでいいじゃない」
「そういうものかな」
「そうよ。四狂神なんて、もう現れないかもしれないんだし。それに、もし何か起こったって、きっと何とかなるわよ」
「お前は気楽でいいなあ」
ルフィアはむっと少年を睨んだ。
けれど、すぐに何か思いついたように顔を上げた。
今日の教練はどうしたのかと聞かれ、中止になったと答えると、ルフィアは「ふふっ。平和でいいじゃない」と笑った。
少年が不満そうにしているのが、何だかおかしかった。
「だったら、今日は暇なんでしょ? 宿に戻りましょ。シナモンティーを淹れてあげる!」
赤毛が「おっ、いいな」と応じると、ルフィアはさらに言い添えた。
「それに、今日はシナモンパイも焼こうかな。時間がかかるから、夕ご飯のあとにね」
「本当か? そりゃ楽しみだ!」
赤毛の表情が明るくなった。
「ふふん。期待してていいわよ」
ルフィアは得意げに胸を張った。
料理の腕前については、赤毛から散々なことを言われている。
それでもシナモンパイだけは、何度も練習して、ようやく上手に焼けるようになった。
「さ、行きましょ! 生地を寝かせる時間もいるんだから、のんびりしてたら夕ご飯に間に合わないわよ!」
そんなに急ぐなよ、と赤毛は笑ったが、ルフィアはもう歩き出していた。
慌てて追いつき、二人は並んで丘を下りた。
途中、ルフィアは一度だけ振り返った。
蕾はまだ固く閉じたまま、風に揺れていた。
【カップとシナモンティーとあなた】
ローマンの宿は、昼下がりの客でほどよく埋まっていた。
旅の商人や近隣から来た人々が、思い思いに食事や会話を楽しんでいる。
窓から差し込む午後の陽射しが、木の床に明るい四角を描いていた。
「ローマンさん、ただいま!」
「おお、帰ったか」
帳簿をつけていたローマンが顔を上げる。
「二人一緒とは、今日も仲がよいのう」
「もう、何言ってるのよ!」
ルフィアは口を尖らせた。
「それより、厨房を借りるわね。夕方のパイの生地を仕込んでおきたいの」
「ほう。またあれを焼くのか」
「そうよ。今日は上手にできそうな気がするの!」
「それは楽しみじゃな」
ローマンは笑った。
ルフィアは厨房へ向かい、まずはシナモンティーの支度にかかった。
湯を沸かし、香りを確かめ、茶器に注ぐ。慣れた手つきで三人分を用意すると、盆に載せて客席へ戻った。
「はい、お待たせ!」
「おお、ありがとう」
赤毛がカップを受け取る。
「ローマンさんの分もあるわよ。今日は三人で飲みましょ」
「それはありがたいのう」
ローマンも目を細めてカップを受け取った。
少年は一口飲むと、ふっと息をついた。
「うん。やっぱり、これはうまいな」
「これは、って何よ!」
「褒めてるんだよ」
「もう、いっつも余計なこと言うんだから」
ルフィアは呆れたように言ったが、顔は笑っていた。
ローマンも、おかしそうに二人を眺めている。
窓の外では通りを行く人々の声が聞こえ、宿の中では食器の触れ合う音や旅人たちの笑い声が絶えなかった。
三人はしばらく、他愛のない話をしながらお茶を飲んだ。
少年が教練の中止を話すと、ローマンは
「平和な証拠じゃよ。昔、この辺りも大変だったと聞いたもんじゃ。それを思えば、教練が中止になるくらい、ありがたい話よ」
と笑った。
ルフィアは「ほらね」と得意そうに胸を張った。
窓の陽射しは、いつの間にか少し傾き始めていた。
「そうじゃ、ルフィア。パイの支度をするのではなかったか?」
「あっ、そうだった!」
ルフィアが席を立つ。
「そろそろ生地を仕込まなきゃ」
「もう始めるのか?」
「そうよ。寝かせる時間が要るの。その間に、お茶のおかわりも持ってくるわね」
「ああ、楽しみにしてる」
「今日はたくさん作るから、ローマンさんの分もあるわよ!」
「ほう、それは腹を空かせておかねばならんのう」
「ふふん。期待してて!」
ルフィアは上機嫌で厨房へ戻っていった。
その背中を見送って、赤毛はカップを傾けた。
隅の席の商人たちが、さっきから妙に声をひそめている。
【眠れる生地】
厨房では、ルフィアが粉のついた手で生地をこねていた。
バターの冷たさが指先に伝わってくる。シナモンと砂糖を合わせた甘い香りが漂っていた。
まとまった生地を丸め、清潔な布をかけて台の上に置く。
しばらく寝かせたら、伸ばして具を詰め、窯へ入れる。
焼き上がるのは夕方になるだろう。
「……うまく焼けるといいな」
小さく呟く。
あいつ、シナモンパイだけはいつも褒めてくれる。普段の料理については散々なことを言うくせに。
今日こそ、何も文句を言わせないくらい美味しく焼いてみせよう。
そう思うと、自然と顔がほころんだ。
客席からは、いつもどおりの話し声が聞こえてくる。
ローマンの声に混じって、あいつが何か答える声もした。
何を話しているのだろう。
気にはなったが、手を止めると生地がだれてしまう。
やがて、客席の方が少し騒がしくなった。
誰かが驚いたような声を上げたらしい。
「……?」
ルフィアは一瞬顔を上げた。だが、すぐに手元へ視線を戻した。
宿では、旅人たちが大きな声で話すことも珍しくない。
しばらくすると、出入口の扉が開き、少し強い音を立てて閉まった。
また誰か出かけたのだろう。
ルフィアは、特に気に留めなかった。
【そしてあいつはいなかった】
台の上では、布をかけたパイ生地が静かに寝ていた。
ルフィアは手を洗い、新しく湯を沸かした。
シナモンティーをポットに注ぎ、盆に載せて客席へ向かう。
「お待たせ! お茶のおかわり、持ってきたわよ!」
返事はなかった。
「あれ?」
さっきまであいつが座っていた椅子が、空いている。
テーブルには、半分ほど残ったシナモンティーのカップが置かれていた。
「……?」
ルフィアは周囲を見回した。
手洗いにでも行ったのだろうか。それとも、ローマンに何か頼まれたのだろうか。
「ねえ、ローマンさん。あの人は?」
「ん?」
帳簿に目を落としていたローマンが顔を上げた。
そのとき、隅の席にいた商人が口を挟んだ。
「ああ、あの赤毛の兄ちゃんなら、さっき出てったぜ」
「出てった?」
ルフィアは聞き返した。
「シェランがモンスターに襲われたって話を聞くなり、急に飛び出していったんだ」
「……え?」
「盗賊まがいの小物が出たって話じゃないぞ。モンスターが群れで押し寄せて、城にまで襲いかかったらしい。
街道の小競り合いとはわけが違う。こんなのは、虚空島戦役以来じゃないかって話だ。まだ本当かどうか分からんがね」
ルフィアは商人の顔を見つめた。
「シェランって……隣の国の?」
「ああ、そうだ」
「一人で?」
「さあな。少なくとも、ここを出たときは一人だったが」
ルフィアは、盆の上のポットへ目を落とした。
夕方のパイを、あんなに楽しみにしていたのに。
「……何よ、それ」
もう一度、空っぽの席を見た。
「……あの、馬鹿」
ポットは、まだ温かかった。
お読みいただきありがとうございました。
平和な日常が続くと見せかけて、突然の不穏な展開です。
冷める前にと淹れたシナモンティーは、おそらく、誰にも飲まれません。
赤毛の騎士は、ルフィアは、どうなってしまうでしょうか?