異世界でオフラインFPS【銃が強くても無双できない紙装甲のぼくは頭をフル回転させて脅威を嵌め殺し生き残る】 作:PUKIKA
そして季節が移ろい始める。
日に日に気温と湿度が上昇し、日照時間が伸び、天気が崩れることが多くなる。そして雨の強い日は土木工事を免除される。というわけで、首輪の男たちは寝て食って喋るだけの休日を喜び、アキラは寝て食って喋るだけの休日を恐れる。肉体を酷使していないと、余計なことを考えてしまう。そして心が折れてしまいそうになる。できることといえば、言葉の勉強に身を入れることだけ。まだまだ拙い読解力による、活字世界への逃避だけ。
二四日めの夜、珍客が現れる。
アキラは警備兵の一人に夕食の場から連れ出され、普段は立ち入り厳禁の詰め所に通される。粗雑な木のテーブルの向こうに、玩具のような銀貨一〇枚でアキラを売った、あの冷たい目の男。その背後には、灰色のローブをまとった若い女。
「マーマイレイン、フェラジ」こんばんわ、きみ。
冷たい男が薄い笑みを浮かべて言い、片手で真向かいの席を示す――座れ。アキラは椅子に座る。怖気と緊張がその氷点下の指先で背骨を撫でるのを感じる。
「フヴオ エスト ズュ?」調子はどうかな?
「ディスト フィニス、セイオアール」良好です、閣下。
「ホウ、ズュ フュイ エスーク ランゲシャ」おや、言葉を喋っているね。
「ルーズィル バイタン、ジィル」少しだけ、はい。
アキラは意を決して言葉を継ぐ。
「キューザ ズュ ツェレン マ アビュータン ディム サン フリーオウ? イスタド トサ?」ぼくの友達がどうなっているのか教えていただけませんか? あの三人のことを?
凝視が返ってくる。そして冷たい男が、膝の上に乗せていた布袋を、捧げもののように恭しく両手でテーブルの上に置く。時間をかけて、ゆっくりと中身を出す。
一足の、オレンジがかった茶のローファー。
ぼくの靴。
「エスト ズュ レカノイス ネウト?」これに見覚えは?
「ジィル、セイオアール。ダゼェスト ディムナ」あります、閣下。ぼくの靴です。
冷たい男がまたうなずく。
「ディー ドゥ ナシティア イオス ヌーンク ダズ ディム マニユー ドウケイニイ ドゥ エイガン ネウト エセリ。ホウヴァ ドゥ ズュ シャンダネイン ネウト?」部下がこの芸術品を勝手に自分のものにしていたことを、つい今しがた知ってね。きみはどこでこれを手に入れた?
ローファーが取り出された瞬間から、アキラの頭は猛烈な勢いで空回りしている。これを好機と見なすべきなのか、それとも災厄と見なすべきなのか。成田の言っていたことが思い出される。現代の持ち物を〝おれらの立場を証明して、保護と活動の足がかりを得る物証〟として使えるかもしれない〟。
埋めた鞄。もしあの場所を教えたら? 自分がこことは異なる世界から来たことを証明したら? そしたら幾許かの自由を勝ち取ることができるだろうか? 人権のない虜囚の身から、人権のある一個の人間に? このアイディアは、これまでも考えないではなかった。意志の疎通と信憑性の壁が立ちはだかっていなければ、とっくに試していただろう。今、その壁は低くなっている。言葉のほうはまだぎりぎりのラインだが、言わんとすることは信じてもらえるはずだ。なにせ相手は、この世界には存在しないであろう合成皮革と精緻なラバーソウルの靴を、物証を、すでに手にしているのだから。男がどのような想像を膨らませているにせよ、興味と疑惑を掻き立てられているのは確実だ。だからこいつは、ここにいる。いける。今ならいける。
アキラは胸の中で素早く、口にすべきせりふをリュシナリア語で作文する。言葉の奔流が咽元までせり上がってくる。今にも溢れだしそうだ。
これは好機でいいのか?
相手がこの男でなければ、アキラは言語能力の限りを尽くして洗いざらいぶちまけていたかもしれない。けれども、男の目は冷たすぎ、その笑みも冷たすぎた。
頭の隅が警告を送って寄こす――こいつは信用できない。この人身売買野郎からは、東京の街角でたまに見かけた輩と同じ匂いがする。真実を語れば、いま以上のトラブルを呼び込むことになるぞ。
「ホウヴァ ドゥ ズュ シャンダネイン ネウト?」冷たい男が繰り返す。
アキラは演技力を総動員して困惑の表情を浮かべる。
「ジージン、プラク?」もう一度、お願い。
男がゆっくりと、みたび繰り返してから、アキラはどもりがちに答える。
「ディー、ディム……ぱたー……」
「ズュオ パター? ドゥ ズュオ パター オブティネレ ネウト スコウフ?」父親? きみの父上がこの履き物を入手したのか?
「あー、ディー……ディー……」
「ホウヴァ エスト ズュオ パター?」父親はどこにいる?
「ぱたー……ねい……ねいほうゔぁ」
「ホッフェスト ズュ メナイティ ネイホウヴァ」どこでもないとは?
「デオルク――ネー、ど……ど……どうさー」
「ドウサー? ズュオ パター ドゥ ドウサー?」死んだ? 父親は死んだのか?
「ジィル、セイオアール」はい、閣下。
冷たい男はふと考えこむと、筒状に丸めた厚い紙を懐から出して、テーブルの上に広げる。世界地図だ。リラン先生のおかげで、アキラは、この世界が植民地競争の黎明期にあることを学んでいる。判明している各大陸と各国とそれぞれの主要都市の名を諳んじることもできる。が、それをおくびにも顔に出さない。ここでもまた演技力を総動員して、興味深そうに手書きの精巧な地図をしげしげと見る。まあ、興味深いのは事実だ。
冷たい男が尋ねる。
「ホウヴェスト ドゥ ズュ バイネイン ファム?」きみはどこから来た?
アキラは地図の上で視線をさ迷わせてから、かぶりを振る。
「ディー……あー、ネイ、グノウスセリ」知る、ない。
その後も質疑応答は続いたが、内容が少しでも複雑になるとアキラの理解力と返答能力が著しく低下するのを見て、冷たい男はとうとう質問を切り上げる。アキラを探るように見つめてから、片手を挙げてローブの女に合図する。女がテーブルを回り込んでアキラのすぐ横に立ち、その額に手を添える。女は若く、美しい。異性に触れられた経験のないアキラはどぎまぎする。たとえ相手が、対面の男に負けず劣らずの冷たい目をしていても。女がすぐに手を離し、「ネー、カメンダレア」と何事かを男に報告する。
お開きの気配を感じ取って、アキラはもう一度、篠原、小林、成田の三人について尋ねる。
今回も返答なし。
冷たい男と冷たい女が退出し、アキラは中庭に戻される。
赤パンを手にリランが怪訝そうに尋ねる。
「ホッフ ドゥ カバイラット?」何があったんだ?
「ネイセシス スパサラシス」特別なことは何も。
アキラはむっつりと内省に沈む。ぼくはたった今、千載一遇の好機をフイにしたのだろうか? それとも、罠が閉じてしまう前に上手く逃げおおせたのか?
答えは出ない。
次話は本日18時05分に投下いたします。