大国最強の冒険者   作:光宙

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第五話

 ――翌日。

 

「ハオス! あんたという子は、いったい何を考えているんだい!」

 

「本当に心配したんだぞ!」

 

「魔物のいる森に子供だけで入るなんて、命がいくつあっても足りん!」

 

「しかも、あれだけのコボルトを倒しただと? お前、本当に九歳なのか……?」

 

「…………」

 

 家の中に、大人たちの怒声が響き渡っていた。

 

 寝台の上に座るハオスは、何人もの大人に取り囲まれ、ひたすら小さくなっていた。

 

 丸一日眠り続けた末、ようやく目を覚ました彼女を待っていたのは、傷の心配よりも先に飛んでくる説教の嵐だった。

 

 村人たちは、ハオスが無事だったことに心から安堵していた。

 

 だからこそ、危険な森へ入ったことを厳しく叱らずにはいられなかったのだ。

 

「……ごめんなさい」

 

 いつもなら「ちょっと冒険しただけじゃん!」などと言い返すところだが、今回ばかりは違った。

 

 ハオスは俯き、素直に頭を下げた。

 

「私が軽率でした。皆さんにご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」

 

「…………」

 

 大人たちが一斉に黙り込んだ。

 

 いつもなら反抗的な態度を取るハオスが、今日は妙にしおらしい。

 

 それどころか、聞いたこともないほど丁寧な言葉遣いで謝罪している。

 

 あまりの変わりように、叱っていた村人たちのほうが戸惑ってしまった。

 

「お、おう……。わかればいいんだ」

 

「そうだ。もう二度と、あんな真似はするんじゃないぞ」

 

「はい。肝に銘じます」

 

 ハオスは神妙な顔で頷いた。

 

 その様子を見ていた母親は、しばらく考え込んだあと、ぽんと手を打った。

 

「……そうだね。せっかくだから、あんたには罰を与えようか」

 

「えっ?」

 

 ハオスが顔を上げる。

 

「罰?」

 

「ああ。しばらくの間、周りの人には敬語で話しな」

 

「け、敬語!?」

 

 ハオスの顔が引きつった。

 

「そ、そんなの必要ないじゃん!」

 

「おや。反省したんじゃなかったのかい?」

 

「うっ……!」

 

「危険な場所へ勝手に入って、村の人たちに心配をかけたんだ。これくらいは当然だろう?」

 

「そ、それは……」

 

 ハオスは言葉に詰まった。

 

 母親は腕を組み、にっこりと微笑んだ。

 

「それとも、まだ反省が足りないのかい?」

 

「……いえ。十分に反省しています」

 

「なら、決まりだね」

 

「そんなぁ……」

 

 ハオスはがっくりと肩を落とした。

 

 母親はそんな娘の頭を撫でながら、心の中でひそかに期待していた。

 

 これを機に、少しはお転婆が改善されてくれるかもしれない。

 

 せめて、危険なことをするときくらいは、立ち止まって考えるようになってほしい。

 

 そんな母親の願いが、どこまで届くかはわからない。

 

 ただひとつ確かなのは、ハオスがこの罰を相当に嫌がっているということだった。

 

     *

 

「……これは、驚いたな」

 

 その日の昼過ぎ。

 

 ハオスを診察していた村の医者は、彼女の身体を確かめながら、何度も首を傾げていた。

 

「先生、どうしたんですか?」

 

 母親が心配そうに尋ねる。

 

「いや……傷の治りが、あまりにも早いんだ」

 

「傷の治り?」

 

「ああ。森でこれだけの魔物と戦ったんだ。全身に傷を負っていても不思議ではない。実際、昨日はかなりひどい状態だったと聞いている」

 

 医者はハオスの腕に目を向けた。

 

 そこには、昨日まで深い傷があったはずだった。

 

 だが、今は薄い痕が残っているだけで、ほとんど塞がっている。

 

「普通なら、これほどの傷が一日で治ることはない。体力の回復も異常に早い……」

 

「へえ。あたしって、そんなにすごいの?……ですか?」

 

「感心している場合じゃないよ、ハオス」

 

 母親がたしなめる。

 

「先生、何か悪いところがあるんでしょうか?」

 

「今のところ、特に異常は見つからない。むしろ、驚くほど健康だ。ただ……」

 

 医者は言葉を切り、改めてハオスを見つめた。

 

「この子の身体には、まだわからないことが多い。無理をさせないようにしてくれ」

 

「わかりました」

 

「はい。私も気をつけます」

 

 ハオスは素直に返事をした。

 

 母親は、娘が無事であることに安堵した。

 

 けれど、医者が最後に見せた困惑した表情は、なぜか心の片隅に引っかかっていた。

 

 この子は、普通の子供とはどこか違う。

 

 それが何を意味するのか、母親にも、医者にもわからなかった。

 

     *

 

 そして、その翌日。

 

 村に、悪夢が訪れた。

 

「……なんだ、あれ?」

 

 村の入り口にいた男が、遠くを見つめて呟いた。

 

 村へ続く道の向こうから、一人の人影が歩いてくる。

 

 黒い衣服をまとった、細身の人影。

 

 一見すると、人間のようにも見えた。

 

 しかし、近づくにつれて、その異様さが明らかになっていく。

 

「おい……あいつの顔……」

 

 人影には、顔と呼べるものがなかった。

 

 目がない。

 

 鼻がない。

 

 口もない。

 

 耳すら存在しない。

 

 顔があるはずの場所には、ただ不気味な肌が広がっているだけだった。

 

「な、何者だ! ここは人間の村だぞ!」

 

 男が声を張り上げた。

 

 返事はない。

 

 人影は歩みを止めることなく、村へと近づいてくる。

 

「止まれ! 聞こえないのか!」

 

 男が手にした槍を構えた、その瞬間だった。

 

 人影の右手に、炎が生まれた。

 

「なっ……!」

 

 炎は瞬く間に膨れ上がり、男の身体を包み込んだ。

 

 悲鳴が上がる。

 

 男が地面に倒れるよりも早く、人影は左手を振るった。

 

 風が刃となって走り、近くにいた別の村人を切り裂いた。

 

 鮮血が地面に散る。

 

 あまりにも一瞬の出来事だった。

 

「ば、化け物だあああっ!」

 

「逃げろ! みんな逃げろ!」

 

 村人たちの叫び声が響き渡る。

 

 しかし、逃げ惑う人々を、人影は容赦なく追い詰めていった。

 

 右手から放たれる炎が家屋を焼き、左手から放たれる風の刃が人々を切り裂く。

 

 抵抗しようとした男たちも、魔法を放とうとした者たちも、次々と倒れていった。

 

 平和だった村が、瞬く間に地獄へと変わっていく。

 

     *

 

「ハオス! こっちへおいで!」

 

「お母さん!? いったい何が起きているの!」

 

「いいから、早く!」

 

 母親はハオスの手を引き、家の裏手へと走った。

 

 外からは悲鳴が聞こえてくる。

 

 何かが燃える音。

 

 家屋が崩れる音。

 

 そして、聞き覚えのある村人たちの声が、ひとつ、またひとつと途絶えていく。

 

「お母さん、みんなは!?」

 

「今は何も考えずに、静かにしておくれ!」

 

 母親はハオスを抱き寄せ、物陰に身を潜めた。

 

 ハオスは震えていた。

 

 怖かった。

 

 森でコボルトの群れに襲われたときとは、まるで違う。

 

 あのときは、自分が戦えば友達を守れた。

 

 けれど、今は何が起きているのかさえわからない。

 

 村の大人たちが、次々と倒されている。

 

 どれだけ怪力があっても、どうすればいいのか見当もつかなかった。

 

「大丈夫だよ、ハオス……」

 

 母親は娘の頭を抱きしめ、震える声で囁いた。

 

「お母さんが、そばにいるからね……」

 

 その言葉を聞き、ハオスは母親の服を強く握った。

 

 どうか、何事もなく終わってほしい。

 

 どうか、みんな無事でいてほしい。

 

 幼い少女は、ただそれだけを願っていた。

 

 だが――。

 

「……そこにいるのは、誰だ?」

 

 すぐ近くから、声がした。

 

 ハオスの身体が凍りつく。

 

 母親は唇を噛み、娘を背中に隠した。

 

 ゆっくりと、足音が近づいてくる。

 

 逃げなければ。

 

 そう思っても、足が動かなかった。

 

 そして、物陰の前に人影が立った。

 

 顔のない魔族。

 

 右手には炎。

 

 左手には風。

 

 その異様な姿を見た瞬間、母親はハオスを強く抱きしめた。

 

「……見つかってしまったね」

 

「お、お母さん……」

 

 ハオスは母親の背中にしがみついた。

 

 魔族は、二人を見下ろすように立っていた。

 

 顔のない頭部が、ゆっくりと傾く。

 

「やっと見つけたぞ」

 

 その声には、何の感情も感じられなかった。

 

「逃げなさい、ハオス!」

 

 母親が叫んだ。

 

「えっ……?」

 

「いいから、走って!」

 

 母親はハオスを突き飛ばすようにして、魔族との間に割って入った。

 

 次の瞬間。

 

 風が走った。

 

 母親の身体が大きく揺れ、服が赤く染まった。

 

「……お母さん?」

 

 ハオスには、何が起きたのかわからなかった。

 

 母親は、ゆっくりと膝をついた。

 

「……あ、ああ……」

 

 ハオスは駆け寄り、母親の身体を支えた。

 

「お母さん! お母さん、しっかりして!」

 

 母親の傷は深かった。

 

 誰の目にも明らかな致命傷だった。

 

「いやだ……。お母さん、死なないでよ……!」

 

 ハオスは必死に母親の身体を揺さぶった。

 

 いつもなら、どんなに悪戯をしても叱ってくれた。

 

 どんなに乱暴なことをしても、最後には頭を撫でてくれた。

 

 そんな母親が、今、目の前で倒れている。

 

「お願い……。お願いだから……!」

 

 母親は、かすかに目を開けた。

 

「……ハオス」

 

「なに!? どうしたの!?」

 

「……聞いて、ほしいことが……あるんだよ」

 

 母親の声は弱々しかった。

 

 それでも、彼女は必死に言葉を紡いだ。

 

「ごめんね……。今まで、黙っていて……」

 

「何を……言ってるの……?」

 

「……あたしはね……本当は、あんたの……本当のお母さんじゃ、ないんだ……」

 

「…………え?」

 

 ハオスの動きが止まった。

 

 母親は、苦しそうに息を吸った。

 

「ずっと昔……川に流されていた赤ん坊を、見つけたんだよ……。それが、あんただった……」

 

 母親の目から、一筋の涙がこぼれた。

 

「誰の子なのかも……どこから来たのかも、わからなかった……。それでも……放っておけなくてね……」

 

「…………」

 

「だから……あんたを拾って、育てたんだ……。本当のことを言わなくて……ごめんね……」

 

 ハオスは、母親の顔を見つめていた。

 

 言葉が出なかった。

 

 自分は、母親の本当の子供ではなかった。

 

 川に流されていた赤ん坊だった。

 

 知らなかった。

 

 そんなこと、一度も考えたことがなかった。

 

 けれど――。

 

「……そんなの」

 

 ハオスは母親の手を握り締めた。

 

「そんなの、どうだっていいよ……!」

 

 声が震えた。

 

「血がつながってなくたって、お母さんはお母さんだよ……! あたしを育ててくれたのは、お母さんだよ……!」

 

 涙が溢れ、頬を伝って落ちていく。

 

「一緒にご飯を食べて……悪いことをしたら叱ってくれて……。あたしが怪我をしたら心配してくれて……!」

 

 ハオスは母親の手を、さらに強く握った。

 

「そんなの……本当のお母さんじゃなかったら、できないことだよ……!」

 

「……ハオス……」

 

「だから……お願い……。死なないでよ……。まだ、あたし……お母さんに、何も返せてない……!」

 

 母親は、そんな娘を見つめていた。

 

 やがて、苦しげだった表情が、ほんの少しだけ和らいだ。

 

「……ありがとう……」

 

 母親は、かすかに笑った。

 

「……あんたを、育てられて……よかったよ……」

 

「お母さん……?」

 

「……これからも……元気で……。あんたらしく……生きるんだよ……」

 

 その手から、少しずつ力が抜けていく。

 

「……お母さん?」

 

 ハオスは呼びかけた。

 

「ねえ……お母さん……?」

 

 返事はなかった。

 

 母親の顔には、穏やかな微笑みが残っていた。

 

 けれど、その瞳が再び開くことはなかった。

 

「…………」

 

 ハオスは、母親を抱きしめたまま動けなかった。

 

 泣き声すら、出なかった。

 

 胸の中に、何かが崩れ落ちていく。

 

 大好きだった母親。

 

 自分のすべてだった人。

 

 その人が、もう二度と戻ってこない。

 

 そして、その命を奪ったのは――。

 

「…………お前」

 

 ハオスは、ゆっくりと顔を上げた。

 

 顔のない魔族が、そこに立っていた。

 

 まるで、目の前で起きたことなど何とも思っていないかのように。

 

「……お前が」

 

 ハオスの声が震える。

 

「お前が、お母さんを……!」

 

 魔族は答えない。

 

 その無言が、ハオスの中にあった何かを決定的に壊した。

 

「うああああああああっ!」

 

 少女は叫び、立ち上がった。

 

 涙で視界が滲む。

 

 身体は震えていた。

 

 それでも、拳だけは固く握り締められていた。

 

「殺してやる……!」

 

 ハオスは魔族へ向かって駆け出した。

 

「絶対に……絶対に許さない!」

 

 怪力を込めた拳を振り上げる。

 

 だが、魔族は避けようともしなかった。

 

 ただ、右手をわずかに動かした。

 

 次の瞬間。

 

 ハオスの胸に、強烈な衝撃が走った。

 

「……え?」

 

 魔族の手刀が、少女の胸を貫いていた。

 

 痛みが遅れて押し寄せる。

 

 身体から力が抜け、足元が崩れる。

 

 目の前の景色が、ゆっくりと暗くなっていった。

 

「……お、かあ……さん……」

 

 伸ばした手は、何にも届かなかった。

 

 ハオスの意識は、深い闇へと沈んでいった。

 

     *

 

「――っ!」

 

 ハオスは、勢いよく上半身を起こした。

 

「はあっ……! はあっ……!」

 

 荒い呼吸。

 

 全身に浮かぶ汗。

 

 胸元を両手で押さえ、彼女は何度も息を吸い込んだ。

 

 痛みはない。

 

 血も流れていない。

 

 そこにあるのは、いつもと変わらない自分の身体だった。

 

「…………夢?」

 

 ハオスは、ゆっくりと周囲を見回した。

 

 そこは、見慣れた宿の一室だった。

 

 窓から差し込む光。

 

 寝台の脇に置かれた荷物。

 

 壁に立てかけた剣。

 

 六年前の村ではない。

 

 今、自分がいるのは、ブリティアの首都ギリスの宿だ。

 

「……嫌な夢、見ちゃったな」

 

 ハオスは額に手を当てた。

 

 六年前の出来事は、今でも時折、夢に現れる。

 

 母親の最期。

 

 顔のない魔族。

 

 そして、自分の胸を貫いた手刀。

 

 忘れられるはずがなかった。

 

「……大丈夫」

 

 ハオスは、自分に言い聞かせるように呟いた。

 

「私は、もうあの頃の子供じゃない」

 

 今の自分には、剣がある。

 

 力がある。

 

 冒険者として積み重ねてきた経験がある。

 

 もう、何もできずに奪われるだけの少女ではない。

 

 ハオスは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

 

「……よし!」

 

 両手で頬を軽く叩き、気持ちを切り替える。

 

 今日は、リバールへ向かう日だ。

 

 濃霧に包まれ、上級冒険者や王国騎士団までもが消息を絶った都市。

 

 そこに魔族が関わっている可能性がある。

 

 考えるべきことは、たくさんあった。

 

「……今は、依頼に集中しないと」

 

 ハオスは寝台から立ち上がり、剣を手に取った。

 

 そして、出発の準備を整えるため、窓の外へと目を向ける。

 

 朝の光が、街並みを照らしていた。

 

 だが、彼女の胸の奥には、今も消えない炎が残っている。

 

 六年前に奪われたもの。

 

 決して忘れることのできない仇。

 

 いつか必ず、見つけ出す。

 

 そして、その手で決着をつける。

 

 ハオスは静かに剣の柄を握り締めた。

 

「……待っていろ。顔のない魔族」

 

 その声は、小さな部屋の中に低く響いた。

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