大国最強の冒険者   作:光宙

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第六話

「――というわけで、しばらく留守にするんで、私の部屋を空けておいてください」

 

 宿屋のカウンターで、ハオスは店主にそう告げた。

 

 白い髪を揺らしながら、いつものように明るい笑顔を浮かべている。

 

 対する店主は、帳簿から顔を上げると、呆れたようにため息をついた。

 

「それは構わねぇけどよ、ちゃんとその分の宿泊費は払ってもらうからな」

 

「…………」

 

 ハオスの笑顔が、ぴたりと止まった。

 

 数秒間、何かを考えるように黙り込む。

 

 そして、気まずそうに視線を逸らした。

 

「……いざとなれば、給仕のアルバイトで返します」

 

「俺としちゃ助かるが、またギルドの姉ちゃんに怒られるぞ?」

 

「大丈夫です! 今度こそ、うまくやりますから!」

 

「その自信はどこから来るんだよ……」

 

 店主は頭を抱えた。

 

 ハオスはブリティア王国で唯一の神級冒険者だ。

 

 本来なら、宿泊費に困るような立場ではない。ところが、稼いだ金をすぐに使い切ってしまうため、金欠になるのは日常茶飯事だった。

 

 しかも、彼女は金に困ると、この宿屋で給仕のアルバイトを始める。

 

 最初こそ店主も、神級冒険者が働きたいと言い出したことに驚いたものだ。

 

 しかし、話は思わぬ方向へ転がった。

 

 神級冒険者ハオスが給仕をしている。

 

 そんな噂が王国内に広まり、珍しさから彼女を一目見ようと客が押し寄せるようになったのだ。

 

 結果として宿屋の食堂は大繁盛。

 

 店主にとって、ハオスは金銭感覚に問題があるものの、非常にありがたい働き手になっていた。

 

「まったく……。お前さんが働いてくれるのはありがたいんだがな。神級冒険者が給仕をしてるなんて、ほかの連中に知られたらまた大騒ぎだぞ」

 

「バレなきゃ大丈夫ですよ!」

 

 ハオスは自信満々に胸を張った。

 

「いや、もうとっくにバレてるんだよ!」

 

「……えっ?」

 

「お前さん、自分の人気を少しは自覚しろ!」

 

「そ、そうだったんですか……?」

 

 ハオスは驚いたように目を丸くした。

 

 どうやら、本気で気づいていなかったらしい。

 

「はぁ……。まあ、留守の間は部屋をそのままにしておいてやるよ。ただし、戻ってきたらちゃんと払ってもらうからな」

 

「ありがとうございます、おじさん!」

 

 ハオスは満面の笑みを浮かべた。

 

「お礼に、帰ってきたら食堂のお手伝いをしますね!」

 

「だから、それはギルドの姉ちゃんに怒られるんだって……」

 

「大丈夫ですよ!多分!」

 

「何が大丈夫なんだか……」

 

 店主は深いため息をついた。

 

 しかし、その表情はどこか楽しげでもあった。

 

 ハオスは宿屋を出ると、荷物と剣を確かめた。

 

 向かう先は、濃霧に包まれた都市リバール。

 

 上級冒険者や王国騎士団が調査に向かったまま、消息を絶ったという危険な場所だ。

 

「……よし。行こう」

 

 ハオスは表情を引き締め、歩き出した。

 

 彼女はまだ知らない。

 

 その都市で、すでに何が起きているのかを。

 

     *

 

 ――リバール。

 

 かつては交易で栄え、多くの人々が行き交っていた都市。

 

 しかし、今やその面影はなかった。

 

 街路も、建物も、広場も。

 

 すべてが、異様なほど濃い霧に覆われている。

 

 視界は悪く、数歩先の景色さえぼんやりと霞んでいた。

 

 その霧の中を、一人の女性が必死に走っていた。

 

「はぁっ……! はぁっ……!」

 

 息が切れる。

 

 足が重い。

 

 それでも、立ち止まるわけにはいかなかった。

 

 彼女の名はエリザ。

 

 上級冒険者として名を知られる、武闘家の女性である。

 

 鍛え上げられた肉体と、素手で魔物を打ち倒す格闘術を武器に、これまで数多くの危険な依頼をこなしてきた。

 

 そんな彼女が今、逃げることしかできずにいた。

 

「くそっ……! どうして、こんなことに……!」

 

 エリザは背後を振り返った。

 

 霧の向こうから、何かが這いずるような音が聞こえてくる。

 

 続いて、うめき声。

 

 聞き覚えのある声だった。

 

 忘れられるはずがない。

 

 つい先ほどまで、共に戦っていた仲間たちの声なのだから。

 

     *

 

 数時間前。

 

 エリザは仲間たちと共に、リバールへ足を踏み入れていた。

 

 今回の依頼は、都市を包み込んだ濃霧の原因を調査すること。

 

 先行して派遣された冒険者や王国騎士団が戻らない以上、危険な任務になることは予想していた。

 

 それでも、彼女たちは上級冒険者だ。

 

 これまで数々の修羅場をくぐり抜けてきた自負があった。

 

「それにしても、気味の悪い霧だな」

 

 仲間の一人が周囲を見回す。

 

「ここまで視界が悪いと、奇襲を受けたときに厄介だ」

 

「油断しちゃ駄目よ。何が出てくるかわからない」

 

 エリザは拳を握り、警戒しながら歩いていた。

 

 そのときだった。

 

「……待て。何かいる」

 

 先頭を歩いていた仲間が足を止めた。

 

 霧の向こうに、複数の影が見える。

 

 人影のようだった。

 

「おい! そこの人! 大丈夫か!?」

 

 仲間の一人が声をかける。

 

 影は答えない。

 

 ゆっくりと、こちらへ近づいてくる。

 

 やがて霧の中から姿を現したのは、青白い肌をした人間だった。

 

 その身体は傷だらけで、衣服は血に汚れている。

 

 目には生気がなく、口からは濁ったうめき声が漏れていた。

 

「……ゾンビか!」

 

 エリザが叫ぶ。

 

 その瞬間、ゾンビたちが一斉に襲いかかってきた。

 

「構えろ!」

 

 仲間たちは即座に武器を抜いた。

 

 エリザも拳を構え、迫り来るゾンビの一体を正面から殴り飛ばす。

 

 鈍い音が響き、ゾンビの身体が地面を転がった。

 

「数が多い! 囲まれるな!」

 

 彼女たちは連携しながら応戦した。

 

 ゾンビの動きは鈍い。個々の力も、上級冒険者たちにとって大きな脅威ではなかった。

 

 だが、倒しても倒しても、霧の向こうから新たな影が現れる。

 

 そして――。

 

「……なんだ、あれ?」

 

 誰かが、震える声で呟いた。

 

 ゾンビの群れの奥。

 

 霧の中に、ひときわ異様な何かが立っていた。

 

 それを見た途端、エリザの背筋に冷たいものが走った。

 

 理由はわからない。

 

 ただ、本能が告げていた。

 

 あれは、目の前のゾンビたちとは違う。

 

 決して近づいてはならない存在だと。

 

「全員、下がれ! あれから距離を――」

 

 言い終わる前に、事態は動いた。

 

 仲間の一人が、突然苦しげな声を上げた。

 

「ぐっ……あ、ああああっ!」

 

「おい、どうした!?」

 

 仲間が駆け寄ろうとする。

 

 しかし、その人物の身体が大きく痙攣し始めた。

 

 皮膚の色が変わり、目から光が失われていく。

 

「な……なによ、これ……!」

 

 やがて、その身体から力が抜けた。

 

 倒れた仲間は、ゆっくりと起き上がった。

 

 そして、エリザたちへ向かって、濁ったうめき声を上げた。

 

「う、嘘でしょ……?」

 

 それは、先ほどまで共に戦っていた仲間だった。

 

 だが、もう人間ではない。

 

 ゾンビへと変わってしまっていた。

 

「そんな……!」

 

 エリザは目を見開いた。

 

 何が起きたのか理解できない。

 

 仲間を助けようと一歩踏み出した、そのとき。

 

「エリザ! 避けろ!」

 

 叫び声と同時に、仲間の一人が彼女を突き飛ばした。

 

 直後、何かが仲間を襲った。

 

 悲鳴が上がる。

 

 次々と、仲間たちが倒れていった。

 

 反撃する間もなかった。

 

 ゾンビに襲われた者たちが、次々と新たなゾンビへ変わっていく。

 

「お願い……! やめて!」

 

 エリザは歯を食いしばり、拳を振るった。

 

 迫ってきたゾンビを殴り飛ばす。

 

 だが、目の前で仲間が襲われる光景に、判断が追いつかない。

 

 そして、霧の奥にいた存在が、ゆっくりと動いた。

 

 それだけで、エリザは全身が凍りつくような恐怖を覚えた。

 

 勝てない。

 

 戦ってはいけない。

 

 ここにいては、全員が殺される。

 

 そう悟った彼女は、唇を噛み締めた。

 

「……ごめん」

 

 仲間たちへ向けた言葉だった。

 

 その声が届いたかどうかもわからない。

 

 エリザは踵を返し、走り出した。

 

     *

 

「はぁっ……! はぁっ……!」

 

 現在。

 

 エリザは霧の中を走り続けていた。

 

 背後からは、複数の足音が迫っている。

 

 それだけではない。

 

 かつて仲間だった者たちのうめき声が、霧の向こうから追いすがってくる。

 

「くそっ……!」

 

 何度も振り返りながら、彼女は必死に逃げた。

 

 仲間を置き去りにした。

 

 助けることができなかった。

 

 その事実が、胸を締めつける。

 

 それでも、彼女にはやらなければならないことがあった。

 

 この異常事態を、ギルドへ伝えなければならない。

 

 リバールで何が起きているのか。

 

 ゾンビたちがどれほど危険なのか。

 

 そして、霧の奥にいる、あの得体の知れない存在について。

 

 自分がここで死ねば、誰も真実を知ることができない。

 

「絶対に……戻って、伝えなきゃ……!」

 

 エリザは前を向き、走り続けた。

 

 やがて、見覚えのある街の入り口が見えてきた。

 

「出口だ……!」

 

 希望が胸に湧き上がる。

 

 あと少し。

 

 ここを抜ければ、外へ出られる。

 

 そう思い、エリザは最後の力を振り絞って走った。

 

 だが――。

 

「……え?」

 

 気づけば、彼女は再び同じ街路に立っていた。

 

 目の前には、先ほど見たはずの壊れた荷車。

 

 その脇に転がる木箱。

 

 壁に刻まれた、見覚えのある傷跡。

 

「な、なんで……?」

 

 エリザは息を呑んだ。

 

 確かに、街の入り口へ向かったはずだった。

 

 それなのに、なぜ同じ場所に戻っている?

 

 彼女は別の道を選び、再び走り出した。

 

 角を曲がり、路地を抜け、広場を横切る。

 

 今度こそ。

 

 今度こそ、外へ出られるはずだ。

 

 しかし、どれだけ走っても、霧の向こうに現れる景色は変わらなかった。

 

 同じ建物。

 

 同じ路地。

 

 同じ街路。

 

 まるで、都市そのものが彼女を閉じ込めているかのようだった。

 

「そんな……! どうして、出られないの……!」

 

 エリザは膝をついた。

 

 体力は限界だった。

 

 拳も傷だらけで、呼吸をするたびに胸が痛む。

 

 仲間は全滅した。

 

 自分だけが生き残った。

 

 それなのに、逃げることすらできない。

 

 霧の向こうから、またうめき声が聞こえてきた。

 

 ゾンビたちが、近づいている。

 

 エリザは震える身体を起こそうとした。

 

 けれど、もう足に力が入らなかった。

 

「誰か……」

 

 声が掠れる。

 

 助けを求める相手など、どこにもいない。

 

 それでも、願わずにはいられなかった。

 

「誰か……助けて……」

 

 濃霧の中に、彼女の声が消えていく。

 

 返事はない。

 

 ただ、霧の向こうから、何かが近づいてくる気配だけがあった。

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