特筆すべきは、当時の人類が決して無力な存在ではなかったことである。
世界には数万発の核兵器が存在し、数百万の兵士が第三次世界大戦に備えていた。
だが、その軍事力のほとんどは、人類同士の戦争を前提として整備されたものだった。
人類は戦争の準備をしていた。
ただし、人類以外の存在との戦争については、何一つ準備していなかったのである」
――国際連合地球外生命体戦争史編纂委員会編『第一次対BETA戦争史』第一巻「カシュガル降着」より
1973年、人類は戦争の準備を整えていた。
第二次世界大戦の終結から28年。かつてナチス・ドイツをはじめとする枢軸国を打倒するために協力関係にあったアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦は、今や互いを滅ぼすために数万発もの核兵器を保有し、その照準を向けあっていた。
世界もまた
第三次世界大戦が始まれば欧州は再び巨大な戦場となる。
いや、今度は欧州だけではない。
人類は自らの文明を自らの手によって何度も滅ぼせるほどの破壊力を手に入れていたのだ。
しかし、そんな世界になっても戦争や紛争はなくならなかった。
東南アジアでは主にアメリカの支援を受けた南ベトナムと中ソの支援を受けた北ベトナムが砲火を交えたベトナム戦争が続き、中東ではイスラエルとアラブ諸国の対立が深刻化。極東の朝鮮半島においても朝鮮戦争の休戦から20年が経過してなお、南北の軍隊が互いに銃口を向けあっていた。
そして
1969年3月、中ソ両国はウスリー川の中州に位置する珍宝島――ソ連側呼称ではダマンスキー島をめぐって武力衝突が勃発。
社会主義という同じ思想のもとに協力した二つの大国は、今や実際に戦車や砲兵を投入して戦うほどに対立を深め、その緊張は中央アジアにも及んでいた。
ソ連軍は中国との国境に国境警備隊やソ連軍極東軍管区の多数の部隊を多数展開し、中国人民解放軍もまた北方からの進行に備えていた。
中国西部、新彊ウイグル自治区。その広大な大地においても、兵士たちは国境の向こう側に存在する敵を警戒していた。
彼らの任務は祖国を守ることであり、敵は同じ陣営であるはずのソビエト連邦軍。
それ以外の何物でもなく、兵士たちは適度な緊張感を持ちつつ日々を送っていた、
少なくとも、1973年の4月19日までは。
~~~~~~
1973年4月19日 中国人民共和国 新疆ウイグル自治区カシュガル近郊
午前10時32分。
「……平和なもんだ」
乾いた数が吹き抜ける監視所で、人民解放軍の若い兵士がぼそりと呟いた。
彼の視線の先にはどこまでも続く荒涼とした台地が広がっており、遠方には山々の稜線が白くかすんでいる。
4月も半ばを過ぎたというのに吹き付ける風にはまだ肌寒さが残っており、思わず体を身震いさせた。
「おい、口を動かす暇があるんだったら、周囲をよく見ておけ」
相方で隣に立つ上等兵が、双眼鏡を覗いたまま口を開く。そんな上等兵を一瞥した若い兵士は上等兵がこちらを向いていないことを良いことに一度舌を出すと、自分も双眼鏡を覗く。
「見ていますよ。何もありませんけど」
「何もないのが一番だ」
「そりゃ・・・そうですけどね」
若い兵士は上等兵の言葉に肩をすくめる。
彼らが所属する部隊は新彊南部に配置された人民解放軍の国境警備部隊であり、ソ連との国境紛争以来、新彊では軍の警戒体制が強化されていた。
いつ
といっても、戦争が始まる気配など少なくともこの監視所からは見えず、近くの道路では時折トラックが土煙を上げながら走っていく。
それ以外には何もなく、銃を撃つ機会も訓練を覗けばほとんどなかった。
それゆえか、新兵訓練営を出てそれほど時間の経っていない新兵にとっては退屈な日々だった。
「……しかし、ソ連軍が本当に攻めてきたらどうするんです?」
「決まっているだろう。戦うんだ」
「それはわかってますけど、でも相手には戦車が山ほどあるんでしょう?」
「こっちにだって戦車はある。何より
「でも、向こうには核兵器だってありますよ?」
「我が国にもある」
「……それで、核戦争になったら?」
上等兵はその言葉を聞いて双眼鏡を下ろし、少しばかり考えてから若い兵士の頭を小突いた。
「バカなことを考えるな」
「痛っ!」
「核戦争なんぞ始まったら、俺たちが心配したところでどうにもならん」
「そりゃそうですけど…」
「分かってるんだったら余計なことは考えず任務に集中しろ」
「……了解です」
若い兵士は不満そうに答えると、双眼鏡を覗いて再び遠方へ目を向ける。
どこまでも青く、雲一つない穏やかな空が広がっていた。
しかし、そんな空に異変が生じたのはそれから数分後のことだった。
「……ん?」
晴れ渡った空の一角に、まるで星のような白い光が浮かんでいた。真昼間に星が見えるなどおかしな話であり、若い兵士はそれを見て目を細めた。
「先輩」
「なんだ」
「あれ…何ですかね?」
「何がだ?」
「空ですよ。ほら、あそこ」
若い兵士が指をさし、上等兵が顔を上げて指さした先を見る。
そして、眉をひそめた。
「……なんだ、あれは?」
最初は小さな光にしか見えなかったそれは、徐々に大きくなっていた。
いや、大きくなっているのではない。近づいてきている。
空のはるかな高みから、何かが地上へ向けて落下してきている。
「飛行機……でしょうか?」
「馬鹿言え。あんな飛行機があるものか」
上等兵は慌てて双眼鏡を構え、落下物を確認しようとするが、光が強すぎて詳しい形状を確認することができない。
白く輝いていたそれは、やがて周囲に赤みを帯び始めた。
「隕石……?」
若い兵士が思わずつぶやくが、それ以外に説明のしようがない。
しかし、上等兵は何も答えず、双眼鏡を握る手に力がこもっているのを感じている。
光は明らかにこちらへ近づいている。いや、厳密にいえばこの監視所から離れたカシュガルの方角へ向かっていた。
「……まずい」
「え?」
「連絡だ!」
困惑する若い兵士に上等兵が叫ぶ。
「
「りょ、了解!!」
若い兵士は慌てて無線機へ手を伸ばし、上等兵は監視を続ける。
その間にも空を裂く光は大きくなっていく。
「CP、こちら監視所!未確認飛翔物体を確認!飛翔物体は現在カシュガル方面へ落下中!」
若い兵士が無線に叫べば、雑音の後に返答が返ってくる。
『……未確認飛翔物体?航空機か?』
「不明です!非常に明るい光を放っています!」
『所属は確認できるか?』
「確認できません!」
『ソ連の航空機ではないのか?』
若い兵士は無線越しの言葉に頭を上げ確認するが、その時にはもう落下してくる物体の周囲に、炎のようなものがはっきりと見えていた。
「……違います」
『何?』
「あれは……飛行機なんかじゃない!!」
その直後だった。
遥か遠方の大地に巨大な光が生まれた。それはまるで、地平線の向こうにもう一つの太陽が現れたかのようだった。
「なっ……!?」
若い兵士は反射的に顔を覆い、上等兵も思わず身をかがめる。
光はすぐに薄れたが、その先にはすさまじい量の土煙が空へ舞い上がっている。
そして数秒遅れて腹の底まで響くような低く重い轟音が届き、落下による衝撃波が到達して監視所の窓が音を立てた。
「……なんなんだ、今のは」
顔を上げた上等兵は茫然と呟く。
遠くの地平線には巨大な土煙が天高く立ち上り、若い兵士はそれを見て無線機を握りしめたまま動くことができなかった。
『こちらCP!監視所、応答せよ!』
「……」
『監視所!何が起こった!?状況を報告しろ!!』
上等兵は無線機の声でようやく我に返り、いまだ呆然と土煙を見つめる若い兵士から無線機を奪い取り、震える声で答えた。
「こちら監視所……」
一度、つばを飲み込む。
「カシュガル方面で、大規模な爆発を確認しました……」
『爆発だと?』
「はい」
『ソ連軍の攻撃か!?』
上等兵は遠方に立ち上る土煙を見つめ、ゆっくりと首を振った。
「……わかりません」
『何?』
「一体、何が落ちてきたのか……」
上等兵は言葉を詰まらせる。
「……わからないんです」
~~~~~~
その日の午前10時40分。
中国人民解放軍新彊軍区所属の複数の部隊から、新彊西部で発生した異常事態についての報告が寄せられた。
それに合わせて、カシュガル方面の防衛を担当していたカシュガル司令部基地及びカシュガル空軍基地、または近辺の部隊からの連絡が途絶える。
当初、それは隕石の落下による大規模災害であり、連絡が途絶えたのもその影響によるものとして考えられていた。
しかし、軍の指揮官たちはソ連による新型兵器を使用した攻撃の可能性も否定できず、カシュガルに近い部隊から偵察部隊が派遣され、周辺の警備部隊には警戒体制の強化が命じられる。
誰もが戦争を意識し、落下した物体の正体を確かめる必要があると考えていた。
だが、この時点で人民解放軍の将校たちは知る由もなかった。
その物体が単なる隕石でないことも、それがソ連の新兵器ではないことも。
そして、その内部に何が存在しているのかすらも。
1973年4月19日。
この日まで人類が戦ってきた最大の敵は、常に同じ人類だった。
国家、民族、宗教、思想、領土。
人類は様々な理由を掲げ、同じ人類を殺し続けてきた。
だが、この日を境に歴史は大きく変わることになる。
この日、カシュガルへ膠着した存在を後に人類はこう呼ぶ。
Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race.
――人類に敵対的な地球外起原種。
BETAと。
それは人類が数千年にわたって繰り返してきた戦争の常識を、根底から覆す存在。
もっとも、そのことに気付く者はまだいない。
人類が人類史上初めて地球外起原種に接触し、彼らに銃口を向けるのは、ここからさらに1時間ほど後のことだった。
「人類は、互いを滅ぼすのに十分な兵器を持っていた。だが、それで自分たちを守れるかは、誰も知らなかった。」
――『第一次対BETA戦争史』より