戦術機のいない空で   作:ダニエルズプラン

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「カシュガル降着から一時間余りで、人類は最初の敵個体を撃破した。

後世の人間はこれを幸運な出来事として語る。しかし当時の指揮官にとって、敵を撃破できるという報告は、事態を収拾できるという期待を抱かせるものでもあった。

その期待が正しかったかどうかを判断するには、まだあまりにも情報が不足していた」

――『第一次対BETA戦争史』第一巻より


最初の接触(ファーストコンタクト)

 

 1973年4月19日午前10時56分

 

 中華人民共和国 新疆ウイグル自治区 ウルムチ市

 

 「……隕石?」

 

 中国人民解放軍新彊軍区司令部、その作戦室で当直の参謀は通信担当者から提出された報告書を見て眉をひそめた。

 

 「はい。カシュガル方面において正体不明の飛翔物体が落下したとのことです」

 

 「落下地点は?」

 

 「詳細は不明です。ただし、カシュガル市街地近郊との報告が複数入っています」

 

 「被害は出ているのか?」

 

 「現在確認中です。どうやら現地の通信回線に障害が発生しているようで、カシュガル軍分区司令部との連絡が取れません」

 

 「なんだと?」

 

 参謀の表情が険しいものになる。

 

 新彊軍管区は中国西部の広大な国境地帯を担当する軍事組織であり、その任務の中で最も重視されていたものの一つがソビエト連邦への警戒だった。

 

 4年前に発生した中ソ国境紛争以来両国の関係は緊張したものが続いており、新彊の北方にはソ連軍が存在し、国境を挟んで人民解放軍と対峙していた。

 

 そのような状況で発生した正体不明の飛翔物体の落下。

 

 それだけならばまだ隕石による不幸な自然災害という説明が成り立つが、現地の軍事施設との通信が途絶しているとなれば、話は別だった。

 

 「ソ連軍の動きは?」

 

 「国境監視部隊からは現時点で大きな以上は報告されていません」

 

 「航空機やヘリの類は?」

 

 「こちらも確認中です。ただ、カシュガル空港方面の通信にも異常が発生しているとの情報があります」

 

 「……」

 

 参謀は地図へ視線を向けた。

 

 新疆ウイグル自治区の南西部に位置するカシュガルは、中央アジアへ通じる古くからの交通の要衝である。

 

 周囲には広大な乾燥地帯と険しい山々が存在し、その地形は大規模な機甲部隊の自由な移動を制限している。

 

 しかし、航空機やミサイルによる攻撃となれば話が異なり、加えてソ連は世界最大級の核戦力を保有する国家である。

 

 「司令員代理に報告しろ」

 

 「了解しました」

 

 「それから、南彊軍区との連絡を最優先で確保しろ。生きている通信回線を調べさせるんだ」

 

 「はい!!」

 

 参謀は報告書を机に置いた。

 

 隕石、ソ連軍の新兵器、あるいは何らかの航空事故。

 

 可能性はいくらでも考えることはできたが、現地からの情報が不足している以上何一つ断定することはできない。

 

 今必要なのは、現場の状況を直接確認することだった。

 

 ~~~~~~

 

 午前11時04分

 

 新彊軍区司令部にはさらに複数の報告が寄せられていた。

 

 カシュガル近郊で巨大な閃光が確認されたという報告や遠方から爆発音が聞こえ、地面が揺れたという報告。

 

 内容は様々だったが、いずれもカシュガル方面で大規模な異常事態が発生したことを示している。

 

 そしてその中で、複数の報告が一つの点で一致していた。

 

 午前10時40分前後に、何かがカシュガルへ落ちたということ。

 

 「……状況は?」

 

 作戦室に入ってきた人物へ、当直参謀が敬礼する。

 

 「曹司令員代理!」

 

 新彊軍区司令員代理、曹思明。

 

 この時、人民解放軍新彊軍管区の指揮を執っていた人物である。

 

 曹思明は敬礼に答えると、机に置かれた報告書へ目を落とした。

 

 「現地との連絡は?」

 

 「依然として一部が途絶しています。ただし、周辺部隊や通信中継所から断片的な報告が届いています」

 

 「ソ連か?」

 

 「現時点では不明です。国境付近の監視部隊からは、ソ連の大規模な移動についての報告はありません」

 

 「核兵器の可能性は?」

 

 「放射線に関する情報はなく、爆発の規模についても同様です」

 

 「……そうか」

 

 曹思明はしばらく考え込んだ。

 

 仮にソ連軍による攻撃だったとしても、現状で確認できているのは飛翔物体の落下だけである。

 

 この情報だけで全面戦争が始まったと判断することはできないが、もし実際に軍事攻撃が行われているのであれば、対応の遅れは致命的なものになる。

 

 「南彊方面の部隊に命令を出せ」

 

 「はっ!」

 

 「カシュガル周辺で行動可能な舞台を使い、偵察を実施する。落下地点だけではなく、周辺の道路と集落についても状況を確認させろ」

 

 「了解しました」

 

 「それから、現地の部隊には不用意に接近するなと伝えろ。NBC兵器の可能性も排除できん」

 

 「はい!」

 

 「中央軍事委員会への第一報も準備しておけ。まだ確定していない情報については、その旨を明記するんだ」

 

 命令を受けた参謀たちが慌ただしく動き始め、通信担当者は受話器を握り、作戦参謀は落下地点の推定位置を書き込んでいった。

 

 曹思明はその様子を黙って見つめていたが、この時点で彼が知らないことがあった。

 

 カシュガルへ落下した物体の周辺では、すでに人類がこれまでに遭遇したことのない存在が活動を始めていたのである。

 

 ~~~~~~

 

 午前11時18分

 

 カシュガル近郊

 

 「偵察任務?」

 

 人民解放軍の警備部隊が駐屯する小規模の兵営では、連長の言葉に一人の班長が眉をひそめていた。

 

 「そうだ。軍区司令部から命令が来た。落下地点周辺の状況を確認する」

 

 「落下地点そのものへ向かうのですか?」

 

 「いや、現在落下地点の詳細な位置はわかっていない。それに付近の道路が通行できるかどうかも今のところ不明だ」

 

 連長は机上に地図を広げ、指さした。

 

 「お前たちには、まずこの一帯を確認してもらう」

 

 指の先にあったのはカシュガル近郊に広がる農村地帯であり、灌漑用の水路と納道が交差し、小さな集落が点在する地域である。

 

 落下地点と思われる場所からは、まだある程度離れている。

 

 「現地住民の安全確認も必要だ。負傷者がいれば報告を。状況によっては救助を行っても構わん」

 

 「了解しました」

 

 「ただし、落下物そのものに接近する必要はない。放射線や毒物の危険もある。異常を発見した場合はまず報告しろ」

 

 「はっ」

 

 「人員は?」

 

 「私を含めて9名で編成できます。車両は北京212型1両と兵員輸送用のトラック1両を使用します」

 

 「よし」

 

 連長は頷いた。

 

 「通信機は忘れるなよ。それと……実弾を携行させろ」

 

 「……実弾、ですか?」

 

 「念のためだ」

 

 班長はそれ以上何も訪ねなかった。

 

 彼の名前は馬長河。

 

 30歳を少し過ぎた人民解放軍の古参兵であり、朝鮮戦争をはじめとする実戦には参加した経験はないものの、長く辺境地域で任務に就いてきた軍人である。

 

 ソ連との国境紛争以降は警備任務が増え、部下たちにも繰り返し実践を想定した訓練を行わせていた。

 

 しかし、今回の任務に就いては彼自身も奇妙なものを感じていた。

 

 隕石が落ちただけであれば、呼ばれるのは軍よりも先に学者の方が先だ。

 

 だが、現地の軍事施設との連絡が途絶えたともなれば軍が動くの無理はない。

 

 何より、連長による実弾の携行許可とソ連軍による攻撃の可能性は否定されていなかった。

 

 「おい、集合だ!」

 

 馬が兵営の外へ声をかける。

 

 「装備を確認しろ!これより偵察に出る!」

 

 その声を聞いた兵士たちが、一斉に動き始めた。

 

 ~~~~~~

 

 午前11時29分

 

 偵察隊を乗せた2両の車両が兵営を出発した。

 

 先頭を走るのは北京212型の四輪駆動車であり、その後ろには数名の兵士と装備を乗せたトラックが続いている。

 

 偵察隊の兵士たちはそれぞれ56式半自動歩槍や56式自動歩槍を携行しており、トラックには56式軽機関銃も搭載されている。

 

 いずれも、人民解放軍が運用している標準的な歩兵火器である。

 

 「まったく、とんでもないことになったな」

 

 助手席で地図を確認していた馬が呟く。

 

 そんな馬の言葉に、ハンドルを握る兵士が答えた。

 

 「隕石が落ちたんでしょう?」

 

 「そういう話だ」

 

 「なら、なんで我々が銃を持っていくんですか?」

 

 「俺に聞くな」

 

 「もしかしたら、本当にソ連軍の攻撃かもしれませんよ」

 

 「……そりゃ困るな」

 

 馬は憂鬱そうに呟くと窓の外へ目を向けた。

 

 乾燥した大地の向こうには依然として灰色の土煙が立ち上っており、降着から40分以上が経過してなお収まる様子はない。

 

 少なくとも、ただの小さな隕石が落ちた程度の出来事ではないことは誰の目で見ても明らかだった。

 

 「班長」

 

 後部座席に座っていた若い兵士が口を開いた。

 

 「なんだ、張衛東」

 

 「あれ、本当に隕石なんでしょうか?」

 

 「だから、まだわからんと言ってるだろう」

 

 「ですが……」

 

 張は窓から顔を出した。

 

 遠くの天には、異様な色の土煙が広がっている。

 

 「……俺、あんなもの見たことありません」

 

 「俺もだ」

 

 馬は短く答えた。

 

 「だから、これから見に行くんだろうが」

 

 「……はい」

 

 車内が急に静かになる。

 

 窓から入り込む風には、土煙のにおいが混じっていた。

 

 ~~~~~~

 

 午前11時38分

 

 偵察隊は目標の集落に到着した。

 

 道路の両側には農地が広がり、その間を灌漑用の水路が走っている。遠方に見える土煙を除けば、新彊のどこにでもありそうな農村。

 

 ただし、普段なら農作業に出ているはずの住民の姿がほとんど見えなかった。

 

 「……妙だな」

 

 馬は車両を止めさせた。

 

 道路脇には荷物を積んだ荷車が放置されており、その近くには壊れた陶器が散乱し、水路沿いの土壁にも落下の衝撃によるものか亀裂が走っている。

 

 「住民を探せ。ただし、勝手に遠くに行くなよ」

 

 「了解!」

 

 兵士たちが周辺を確認しようとすると、一軒の家屋から年老いた男性が飛び出してきた。

 

 彼は馬たち人民解放軍の兵士を見ると何かを叫びながら近づいてくる。

 

 しかし、馬にはその言葉が分からなかった。

 

 「艾力江!」

 

 「はい!」

 

 馬が呼んだのは偵察隊の一人であるウイグル族の兵士。

 

 艾力江は老人へ近づくとウイグル語で何かを尋ね、老人は力江に縋りつくように服をつかむと早口で話し始めた。

 

 その表情には、明らかな恐怖が浮かんでいる。

 

 「なんと言ってるんだ?」

 

 「村の向こうで、何かが人を襲っているそうです」

 

 「何か?」

 

 「はい」

 

 「それは人間か?」

 

 力江は老人へ問いただすが、老人は激しく首を横に振る。

 

 そして両手を広げ、何かの形を表現し始めた。

 

 「……班長」

 

 「なんだ?」

 

 「人間ではない、と言っています」

 

 「人間でない?車か何かか?」

 

 「いえ。大きな……動物のようなものだと」

 

 馬はその言葉に眉をひそめた。

 

 野生動物かと考えたが、このあたりで人を襲うほど大型の野生動物などそう簡単に現れるものではない。

 

 ましてや、落下した隕石との関係もわからない。

 

 「どこにいるんだ?」

 

 力江が老人へ尋ねると、老人は集落のはずれにある農道を指差した。

 

 そこには背の低い土壁に囲まれた農地が広がっている。

 

 「……わかった」

 

 馬は部下たちへ振り返る。

 

 「二人は車両と住民を警戒。残りは俺についてこい」

 

 兵士たちは小銃を構え、馬を先頭に農道に向かう。

 

 この時、誰もが野生動物かせいぜい正体不明の危険人物を相手にするのだと考えていた。

 

 そこに人類史上初めての地球外生命体との戦闘が待ち受けているなど、想像できるはずはなかった。

 

 ~~~~~~

 

 午前11時43分

 

 集落の外れで低い土壁に沿って進んでいた馬は、前方に奇妙なものを発見した。

 

 水路の近くに何かが倒れている。

 

 最初は家畜だと思っていたが、近づくにつれてそれが人間であることに気付いた。

 

 「……誰か倒れている」

 

 馬が手を上げ、兵士たちはいっせいに足を止めた。

 

 馬がよくよく目を凝らしてみてみれば、倒れていたのは農作業用の服を着た男性であることが分かる。

 

 男性の近くには農具が落ちているが、男性は動く様子がない。

 

 「張、確認しろ。他の者は周辺警戒」

 

 「はい」

 

 張が慎重に近づき、倒れている男性の姿を間近で見た瞬間、その顔を強張らせた。

 

 「は、班長!」

 

 「どうした?」

 

 「この人……!」

 

 馬も近づき、思わず息をのむ。

 

 男性の体には、明らかに通常の事故では説明ができない損傷があった。

 

 服は大きく破られ、身体の損傷は激しいうえに地面には血が広がっている。

 

 野生動物に襲われたとしても、これほどの損傷が生じるだろうか?

 

 「……一体、何にやられた?」

 

 馬が呟いた、その時だった。

 

 背後の土壁の向こうから何かが動く音が聞こえた。

 

 ざりっと土を踏みしめる音だったが、奇妙な音だった。

 

 「……?」

 

 張が顔を上げる。

 

 壁の向こうに、何かがいる。

 

 それは、ゆっくりと姿を現した。

 

 最初に見えたのは白っぽい肉の塊。続いて異様に膨らんだ頭部と、そこに存在する赤い斑点のような何か。

 

 そして、不規則に動く鼻のようにも見える長い器官。

 

 「……なんだ、あれ?」

 

 張が呟いた。

 

 その生物は明らかに人間ではない。

 

 身長は二メートルを優に超えており、巨大な頭部に対して奇妙な胴体で、不格好な二本の脚で地面に立っている。

 

 しかし、その動きには不自然なほどの素早さがある。

 

 動物のように見えるが、地球上に存在するどの動物とも似ていない。

 

 「……全員、下がれ。ゆっくりとだ」

 

 馬が静かに命じると、兵士たちもそれに向けて小銃を構える。

 

 「おい!」

 

 馬は中国語でそれに呼びかける。

 

 「動くな!」

 

 返答はない。

 

 そもそも、目の前の存在が言葉を理解しているのか、聞こえているのかもわからない。

 

 それはただ、こちらへ頭部を向けている。

 

 「……班長」

 

 「なんだ」

 

 「あれは……一体……?」

 

 「俺が知るか」

 

 馬は若い兵士の言葉に応えるが、その頬には汗が流れている。

 

 「……撃つなよ。まだ撃つな」

 

 しかし、その言葉を言い終えるよりも早く目の前の生物が動き出した。

 

 「――ッ!?」

 

 一瞬だった。

 

 不格好なその体からは到底想像できない速度で、それは張へ向かって接近した。

 

 「張!下がれ!!」

 

 馬が叫ぶが、遅かった。

 

 長い鼻のような器官が、張の体へ向かって伸びる。

 

 それは鼻などではなく、先端に人間のような突起を持つ一本の腕のようなものだったのである。

 

 「うわあああああっ!?」

 

 張が反射的に小銃を構え、引き金を引く。

 

 乾いた発砲音が静かな農地に断続的に響き渡り、56式自動歩槍から放たれた7.62㎜弾が目の前の生物に命中する。

 

 白っぽい肉体が大きく揺れるが倒れない。

 

 「撃て!!」

 

 馬が叫ぶ。

 

 「全員、射撃!!」

 

 直後、複数の小銃が火を噴いた。

 

 乾いた銃声が連続し、目の前の生物へ弾丸が撃ち込まれる。

 

 命中するとその体からは血液とも体液ともつかないものが飛び散った。

 

 生物は数歩よろめくと、その場に倒れこむ。

 

 「……」

 

 沈黙がその場に広がり、硝煙の匂いが乾いた風に交じって流れていく。

 

 張は荒い息を吐き、小銃を構えたまま動けなかった。

 

 「……死んだ、のか?」

 

 誰かが呟くが、馬はすぐには答えず目の前に倒れている存在を見つめる。

 

 巨大な頭部に異様に発達した腕のようなもの、白く不気味な皮膚と、少なくとも彼がこれまで見てきたどの動物ども一致しない。

 

 「……誰も近づくな。まだ、生きているかもしれん」

 

 馬が命じたその直後。

 

 ざりっ。ざりざりっ。

 

 別の方向から土を踏む音が聞こえた。

 

 「……おい」

 

 兵士の一人が顔を青褪めさせ、指さす。

 

 指さした方向、農地の向こうには先ほどとよく似た生物が二体、姿を現していた。

 

 「……二体?」

 

 馬が思わず呟く。

 

 しかし、それだけではなかった。

 

 土壁の向こうにも、別の影が見える。

 

 それらは倒れた個体にも、周囲で倒れた人間にも何ら反応を示さず、ただこちらへ向かって移動している。

 

 「……下がれ!!」

 

 馬が叫ぶ。

 

 「全員、車両まで後退しろ!!」

 

 その命令と同時に、新たな生物が走り始めた。

 

 「来るぞ!!」

 

 銃声が響き渡る。

 

 今度は最初から全員が射撃をはじめ、先頭の一体が何発もの弾丸を受けて倒れこむ。

 

 しかし、二体目は止まらなかった。

 

 「速い!?」

 

 その動きに兵士が叫ぶ。

 

 その生物は倒れた仲間を避け別の方向から接近してくる。

 

 直後、先頭にいた兵士が長い腕で打ち据えられた。

 

 「ぐあっ!?」

 

 体が土壁へ叩きつけられる。

 

 「李!」

 

 馬が叫ぶが、倒れた兵士はピクリとも動かない。

 

 馬は56式自動歩槍を構えなおし、接近する生物へ連射する。

 

 銃声が響き、生物の体に命中。

 

 続いて別の兵士も射撃し、ようやく二体目が倒れこんだ。

 

 「李を運べ!!」

 

 「はい!」

 

 「張!お前は後ろを警戒しろ!!」

 

 「りょっ、了解!」

 

 張は震える手で小銃に弾薬を装填する。

 

 訓練で何度も繰り返した動作だったが、指先がうまく動かなかった。

 

 つい数分前までは、ただの偵察任務だったはずだ。

 

 敵兵がいるかもしれないと、野生動物が現れるかもしれないとは思っていた。

 

 だが、あんなものと戦うことになるなど誰が想像できただろうか。

 

 「……何なんだよ」

 

 ようやくリロードを終えた張が呟く。

 

 「なんなんだよ!あれは!?」

 

 「口を動かすな!」

 

 馬が自分も奮い立たせるかのように叫んだ。

 

 「今は生きて帰ることだけを考えろ!!」

 

 ~~~~~~

 

 午前11時49分

 

 偵察隊は車両を停車させた地点まで後退した。

 

 負傷した李は仲間に抱えられてトラックへ運び込まれる。

 

 幸いまだ息はあったが、容態は決して楽観視できるものではなかった。

 

 「衛生兵!」

 

 「はい!」

 

 「応急処置を頼む!」

 

 「了解!」

 

 馬が周囲を見渡すが、集落のはずれから再び奇妙な足音が聞こえてくる。

 

 あの生物は、まだいる。

 

 しかも、数はわからない。

 

 「艾力江!」

 

 「はい!!」

 

 「住民に伝えろ!ここからすぐに離れるように!」

 

 艾力江はすぐに老人のもとへ向かい話すが、老人は集落の方向を指差し何かを訴えている。

 

 「班長!まだ集落に人が残っています!!」

 

 「……くそっ!」

 

 馬は歯を食いしばった。

 

 偵察隊の主任務は情報収集。

 

 しかし、目前で民間人が危険に晒されている。

 

 だからと言ってわずか9名の偵察隊で正体不明の生物の集団へ突入するわけにはいかない。

 

 彼らには負傷者がおり、何よりも敵の総数が分からないのだ。

 

 「集落の住民には、こちらへ避難できるものを誘導しろと伝えろ!」

 

 「はい!」

 

 「全員、車両に乗れ!援軍を呼ぶぞ!」

 

 馬は4輪駆動車の無線機を手に取る。

 

 「CP!こちら偵察隊!」

 

 雑音の後応答があった。

 

 『こちらCP。状況を報告せよ』

 

 「未確認の生物と遭遇!現在われわれは交戦状態にあります!」

 

 『……何?』

 

 「未確認の生物です!人間ではありません!!」

 

 無線機の向こうで、一瞬の沈黙が生じる。

 

 『……それは、落下物と関係があるのか?』

 

 「不明です!ですが、明らかに見たことのない生物です!」

 

 『武装しているのか?』

 

 「武器の類は確認できません!ただし、非常に危険です!我が方に負傷者1名!」

 

 『……状況を詳しく報告しろ』

 

 「体高はおよそ2メートル半!二足歩行で頭部が以上に大きく、長い腕のような器官をもっています!!」

 

 馬は一度息を吸った。

 

 「小銃による射撃は有効!複数体を撃破しました!」

 

 『……撃破した?』

 

 「はい!」

 

 『敵の数は?』

 

 その問いに馬は答えようとした。しかし、その時だった。

 

 農地の向こうから再び奇妙な音が聞こえてきたのだ。

 

 しかもそれは先ほどの者とは異なり、ざりざりという音ではなく、もっと低く重い音。

 

 何かが大量に地面を踏みしめながら移動してくるような音だった。

 

 「……?」

 

 馬が顔を上げる。

 

 遠方の土壁の向こうから、複数の影が現れ始めた。

 

 先ほどの白い生物とは違う、地面に貼り付くような低い姿勢で移動する、赤い巨大な生物。

 

 その大きさはまるで小型の車両のよう。

 

 それが一体、また一体、さらに一体と増えていく。

 

 「……なんだ、あれは?」

 

 運転席の兵士が呟いた。

 

 先ほど撃破した生物よりも明らかに大きく、その後方には同じような影がいくつも存在している。

 

 『偵察隊!偵察隊、応答せよ!!』

 

 無線機から指揮所の声が響く。

 

 『敵の数は!?』

 

 馬は無線機を強く握りしめた。

 

 「……わかりません」

 

 『何?』

 

 「敵の数は不明です!」

 

 その声は無意識のうちに大きくなっていた。

 

 「ですが、まだいます!!まだ、たくさんいるんです!!」

 

 『……』

 

 「増援をお願いします!!我々だけでは対処できません!!」

 

 『了解した!偵察隊は直ちに後退せよ!』

 

 馬は無線機を戻すと、運転手へ叫んだ。

 

 「車を出せ!」

 

 「了解!」

 

 エンジンが唸りを上げ、偵察隊と数名の住民を乗せた車両は土埃を巻き上げながら走り始めた。

 

 その後方では正体不明の生物たちが地表を埋め尽くすように移動しており、それらはまるで逃げる車両を追いかけているようにも見えた。

 

 しかし、その目的はわからない。

 

 馬にも、張にも。

 

 そして、この時点の人類にも。

 

 ~~~~~~

 

 午前12時03分

 

 人民解放軍新彊軍管区司令部。

 

 カシュガル方面の複数の偵察部隊から送られた緊急報告が、作戦室へ届けられた。

 

 当直参謀はその内容を見て、思わず眉をひそめた。

 

 「…なんだ、これは?」

 

 報告書には奇妙な言葉が並んでいる。

 

 未確認生物、二足歩行、小銃射撃による撃破、負傷者発生。

 

 そして敵の総数不明。

 

 どれもが軍が通常取り扱う報告書には似つかわしくない内容。

 

 「……本当に現地からの報告なのか?」

 

 「はい。偵察隊からの無線報告を記録したものです」

 

 「誤認ではないのか?」

 

 「確認しましたが、現地部隊は同様の報告を繰り返しています」

 

 「……」

 

 参謀は報告書を読み返した。

 

 未知の生物、人間ではない、小銃での撃破は可能。

 

 だが、その数はわからない。

 

 「……司令員代理へ報告しろ」

 

 「了解!」

 

 通信担当者が走り去っていく中、参謀はしばらく報告書を見つめていた。

 

 ソ連軍の新兵器や隕石、NBC兵器という可能性の中に、新たな言葉が加えられようとしている。

 

 正体不明の生物。

 

 それはあまりにも現実離れした報告ではあったが、前線の兵士たちが実際に交戦し、負傷者まで出ている。

 

 そうなればもはや冗談や誤報として片づけるわけにはいかなかった。

 

 やがて、参謀は地図上のカシュガルへ視線を落とした。

 

 そこには落下物の推定地点を示す印がつけられており、その周辺には偵察隊が交戦した位置が新たに書き込まれていた。

 

 両者は決して同じ場所ではない。

 

 しかし、落下地点から離れた場所で正体不明の生物が活動している。

 

 その事実が何を意味するのか。

 

 この時点ではだれも、正しく理解していなかった。

 

 ~~~~~~

 

 1973年4月19日

 

 午前11時45分前後

 

 中華人民共和国 新疆ウイグル自治区カシュガル近郊

 

 人民解放軍の偵察部隊が正体不明の生物と接触。

 

 その際、偵察隊が小銃による差激を実施し複数の個体を撃破した。

 

 これが、のちに人類がBETAと呼称する存在との、地球上における最初の交戦記録となる。

 

 この戦闘で確認された二足歩行の個体は後に闘士(ウォーリアー)級と分類される小型BETAであり、偵察隊が撤退する際に確認した別の個体は後に戦車(タンク)級と呼ばれる中型BETAであったと推定されている。

 

 しかし、当時の人民解放軍にはその区別を知る由もない。

 

 彼らに分かっていたのは目の前の生物が人間ではなく、人間を襲い、小銃による撃破が可能であるということだけ。

 

 この戦闘の報告を受けた中国軍は正体不明の生物が敵対的存在であると判断し、現地への増援派遣を検討し始める。

 

 ただし、この段階で中国軍は敵の総数も、種類も、その活動目的も把握していなかった。

 

 それどころか、降着地点から新たなBETAが活動を開始していることすら、正確に認識できていなかったのである。

 

 人類史上初めての対BETA戦闘。

 

 それは人類側が複数のBETAを撃破するという結果に終わった。

 

 しかし、それは決して勝利を意味しているのではない。

 

 なぜなら、この時点でカシュガル周辺に展開していたBETAの数は偵察隊が確認していた個体だけではなかったからである。

 

 そして、人類が初めてBETAを撃破したその頃、降着地点の周辺ではさらに大型の個体が地表へ姿を現し始めていた。




「人類は、地球外生命体との最初の戦闘に勝利した。問題は、それが戦争の始まりであることさえ知らなかったことである。」

――『第一次対BETA戦争史』より
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