あれから一ヶ月後、かぐやに脳を焼かれたままの少女のお話 作:文文文文
「どうして引退しちゃったの、かぐや……」
消え入るような声でつぶやくと、少女の頬を涙が伝った。
夜の帳が降りた仮想空間ツクヨミ。
幻想的な光彩をまとう街から離れたその海岸に、彼女は立っていた。
ミラーボールの月明かりが、素足をさらおうとするさざ波を映す。足もとにまで届く黒髪もまた、波と
「せっかく見つけたのに……ずっと追いかけようと思ってたのに……」
身にまとっているのは朱色を基調とした女官装束——ひな人形の三人官女のそれ——をモチーフとしたものだ。涙でぐしゃぐしゃになった顔を、一重の袖でぬぐう。
さらにあふれてくる嗚咽を耐えようとして、天を仰いだ。
「かぐや、ほんとに、ほんとうに大好きだったのに……」
同刻、はるか上空。
「ねえアキラ。今日の対戦もさっさと片づけて、夜メシいこーよ。近所によさげなイタリアンができたんだ。お酒も結構揃ってるみたいでさー」
巨大な黒鳥——ヤタガラスが星々の背景をさえぎりながら飛翔していた。
その背には三つの影がある。不敵な笑みを浮かべ仁王立ちする帝アキラが、だらけて寝そべる駒沢乃依に応えた。
「速攻でバトルを終わらせるのはいいが、そのあとのファンサはしっかりバッチリ丁寧にこなすぞ。俺たちブラックオニキスの存在意義はただ勝つことじゃねえ、勝って子ウサギどもに夢を見せることにあるんだからな」
「はいはい、了解」
「そんでもって、お酒は二十歳になってから、だぜ」
「……はいりょーかい」
「あと、相手がどんなに格下でも手抜きはすんな。全力で狩れ。自分がテッペンだと思った時点で、目標は登ることから維持に変わる。トップであり続けたいなら、トップになりたいと思い続けろ。そのほうが強くなれんのはお前らもわかってるはずだ」
「「…………」」
乃依はあぐらで座る寡黙な兄、駒沢雷と顔を見合わせた。
こんな説教くさいことを言うヤツだったか?
いや、本質的には真面目でストイックな性格だ。ツクヨミに王者として君臨している今であっても、慢心など微塵も感じさせない。それをこうして吐露したのは新鮮だが、納得もできる。
しかし、格下でも手抜きをするな、とは。
以前の帝は相手との実力差をアピールするべく、余裕を見せつけるパフォーマンスを戦闘の隙間に差しはさんでいた。それがここしばらくの対戦ではめっきりなくなり、文字どおり鬼神の如き苛烈な攻撃に徹しているのだ。
「(やっぱ、あの戦いのことをまだ気にしてるのかな)」
乃依は声に出さなかったが、その考えは雷も一致していた。
ちょうど一ヶ月前。本当に月からやってきたというライバー『かぐや』を守るため、ブラックオニキスは月人なる存在とKASSENを繰り広げた。帝の妹である酒寄彩葉の求めに応じてのものだったが、御法度のチートモードをもってしても阻止は叶わず、かぐやは彩葉の眼前で連れ去られてしまったのだ。
気丈にも礼を言ってログアウトした妹を、兄がどのような顔で見送ったのか二人は知らない。だが、その後ろ姿は、敗北感ではない何かでひどく落ち込んでいるように見えた……。
「
「全力殲滅かしこまり」
ふっと、帝は知己を持ったことに満足する笑みを浮かべた。
そして、いつもの俺様キャラで肩をすくめてみせる。
「それにしても。まさかヤチヨが、かぐやちゃんだったとはなー」
三人が件の話を聞いたのは、つい先日のことだ。彩葉の呼びかけでミーティングスペースに綾紬芦花、諌山真実とともに集められ、彩葉だけでなく月見ヤチヨからも説明を受けた。
「聞かされたときゃ驚天動地のあまりバク転を50回転くらいしちまったぜ」
「妹さんがキモい連発してたのマジウケたね。ヤチヨは爆笑してたけど」
「なーんか似てるなと思ってたんだよ、歌声とか笑ったときの目とか。ヤチヨカップのコラボライブ、お前らも観てただろ。似てたよな?」
「負けてつまんなかったから観てない。それに全然似てなかった」
「観てるじゃないか」
ぼそっとした雷のツッコミが乃依の顔を曇らせる。
「これで一生涯かけて存ッ分ッに推せるってもんだぜェ、俺様のかぐやちゃんをヨォ!」
帝がこぶしを高々と突き上げると、乃依はくちびるを尖らせた。
「かぐやはもう引退したことになってるじゃん、あの日に」
「わかってねぇなあ乃依。引退ってのはな、復活するためにあんだよ。商業的にも大人の事情的にも」
「身も蓋もなさすぎ。子ウサギに夢を見せるヒーローがそれ言う?」
やれやれと乃依が苦笑した、そのとき。
「ん?」
帝が眼下の夜闇に何かを見つけ、拡大ウィンドウを開く。
「レアモンスターでも湧いた?」
乃依は立ち上がって得物の弓をつがえたが、
「子ウサギ……じゃなくて子狸だ」
「タヌキ?」
いぶかしむ乃依と雷がウィンドウを開くと、そこに望遠で映し出されたのは夜の海岸にたたずむ狸——の着ぐるみスキンを着たアバターだった。
「本当にタヌキだ。でもこの着ぐるみスキンって、たしか——」
乃依が言い終わるより先に、帝はヤタガラスから飛び降りた。腕を組んだ仁王立ちの姿勢のまま引力に身を任せる。
「方向音痴なくせに寄り道は好きなんだよな、アキラは」
「度し難し」
乃依と雷もそれに続く。
鈍い三連音とともにブラックオニキス一行は砂の上に着地した。
「どーもー、こんな寂しいところで何やってんの。どれだけ待ってもここじゃイベントは始まんないぜ? いや、たった今、始まっちまったな。俺のスペシャルイベントが」
毎度の俺様キャラで、帝はその狸に声をかけたが、
「……ふぇ?」
ちょうどログアウト処理に入った瞬間だったらしく、光の破片となって消えてしまった。
ばつが悪そうに帝が頭をかく。
「ひとりきりのタイミングで俺たちに遭遇できるなんて、すんげーラッキーだったのにな。現実の運を使い果たしてなけりゃいいが」
一方、ログアウトで消える直前、抜かりなく雷は狸のステータスウィンドウを開いていた。ユーザーネームはすでに灰色で表示されているが、それを見た三人が三様の反応をする。
「『モブ太郎』ね。自分をモブって言っちゃう子かー」
帝は思い悩むように顎をさすり、
「捨てアカなのかな? だったらあの着ぐるみを持ってるのもわかる」
乃依は納得し、
「…………」
雷は通常だった。
ふと、帝は周囲に視線を向けた。
何の変哲もない、いつもどおりのツクヨミの海、ツクヨミの夜空。
その虚空に浮かんでいるのが月ではなくミラーボールであること、海水浴にもってこいの海岸線が伸びていることに今では合点がいく。そして、変わらない水平線と繰り返される潮騒は、時の流れを悠久のものに感じたヤチヨの、心象の一部なのかとも思えた。
「……ここで、泣いていたのかもしれないな」
帝がつぶやく。
「さっきの子が? どうしてわかるの?」
「そんな気がするだけだ。行くぞ、子ウサギどもが俺達に飢えていやがる」
自分から寄り道しておいて、と乃依は帝の肩をこぶしで突いた。
雷が指笛を吹くと、ヤタガラスが風圧とともに舞い降り、頭を垂れた。
ツクヨミで伝説と言われるあのライブから、一度、月が満ち欠けたした頃。
これはかぐやに縁ある人々と、かぐやをなくした、とある少女の物語。
よろしくお願いします。そして遅筆や掘削不足等、色々とご容赦ください。
わたしたちが何度も劇場に足を運ぶのと同様に、あの世界にも脳を焼かれたままのかぐやファンがいるはずだ、という着想から執筆をはじめました。なるべくたくさんの原作キャラをからめて物語を書いていくことができればと思ってます。