サウロン記   作:ゆいニキ

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AI使うと、微妙な解釈というかニュアンスとかはやっぱり伝わらないですね。
今話も、なぜかへルメスが道化の神ってなっちゃうし。
いや、道化ではあるけど道化の神と書くと意味変わるだろと。

でも訂正も面倒だからそのまま載せちゃいます。


第10話 道化の神 冥王を謀る

「ヘルメス様。もう一度だけ確認します」

 ヘルメス・ファミリア本拠地。団長アスフィ・アル・アンドロメダは、机の向こうに座る主神を睨みつけていた。

「本当に、冥王サウロンを利用するつもりですか?」

「利用という言い方は人聞きが悪いな。僕は、ほんの少し協力してもらいたいだけさ」

「本人が拒否しているにもかかわらず、ですか?」

「まだ正式に拒否されたわけじゃないよ。彼は交渉なら話を聞くと言っていた」

「では、交渉してください」

「それでは断られてしまうだろう?」

 アスフィは額を押さえた。

「ご自分で何をおっしゃっているか、理解されていますか?」

 ヘルメスは困ったように笑った。

「もちろん理解しているとも」

 その言葉に嘘はなかった。少なくとも、彼自身はそう信じていた。ヘルメスは、英雄という存在に並々ならぬ執着を持っている。人々を導き、絶望を打ち払い、世界の運命を切り開く者。そのような英雄が現れるためなら、多少の危険や犠牲は避けられない。彼はそう考えていた。そして今、その英雄を育てるための格好の存在がオラリオに滞在している。

 冥王サウロン。神々の恩恵を受けず、数千年にわたって国家を統治し、古代の魔物を滅ぼしてきた超越者。彼ほど強大な試練を与えられる存在は、ほかにいない。

「僕はね、アスフィ。彼と英雄候補たちが接触する機会を作りたいんだ」

「それが何を意味するか、分かっているのですか?」

「もちろん。彼に危害を加えようというわけじゃない。ほんの少し、彼の注意を引いてもらうだけだよ」

「誰に?」

 ヘルメスは、机の上の書類へ視線を落とした。そこには、ある少年の名前が記されていた。ベル・クラネル。ヘスティア・ファミリア所属。急速な成長を続ける若き冒険者。ヘルメスが特に期待を寄せる英雄候補だった。

「ベル君さ」

 アスフィは、長い沈黙の後に答えた。

「ヘルメス様。私は、この計画には協力しません」

 ヘルメスの笑顔が止まった。

「……アスフィ?」

「冥王陛下は、すでに警告されています。私はファミリアの団員を、主神の個人的な思惑によって危険に晒すつもりはありません」

「それは少し大げさじゃないかな?」

「いいえ。相手は、神格を完全に破壊した実績のある存在です」

 アスフィは一歩も引かなかった。

「私たちの命だけならまだしも、ファミリア全体を巻き込む可能性があります。どうしても実行なさるなら、ご自身の責任でお願いします」

 ヘルメスは、しばらく彼女を見つめていた。やがて、苦笑した。

「分かったよ。君たちには何もさせない」

「約束してください」

「約束する」

 アスフィは一礼し、部屋を出た。扉が閉まる。静寂。ヘルメスは椅子の背にもたれた。

「やれやれ。ずいぶん嫌われたものだ」

 だが、その手は机の上の書類を片づけなかった。彼には、まだ別の手段があった。

*

 三日後。オラリオの冒険者たちの間で、一つの噂が広まり始めた。曰く。黒曜帝国の皇帝サウロンは、優れた資質を持つ若者を探している。曰く。その眼鏡にかなった者には、伝説の力の指輪が授けられる。曰く。冥王は、近いうちに若き冒険者の力量を試すつもりらしい。当然ながら、すべて根拠のない話だった。もっとも、完全な作り話というわけでもない。

 サウロンが新たな指輪を製作したことは事実。優れた人物ならば、その能力を評価することもあるだろう。ただし、それと誰かに指輪を与えることは、まったく別の話である。だが、噂とは都合よく変化するものだった。

「なあ、聞いたか? 冥王が弟子を探してるらしいぞ」

「弟子じゃなくて、後継者じゃなかったか?」

「いや、力の指輪を渡す相手を選んでるんだろ?」

「だったら、私にも可能性があるんじゃないか?」

 酒場では、そんな会話が交わされていた。そして、その噂は当然ながら、ロキ・ファミリアにも届いた。黄昏の館。フィンは、報告書を読んで眉をひそめた。

「……妙だね」

 リヴェリアが尋ねる。

「何がだ?」

「この噂だよ。僕が直接話した限り、サウロンは指輪を他人に与えることに極めて慎重だった」

「そうだろうな」

「それなのに、突然若者を探しているという話が広まっている」

 ガレスが鼻を鳴らした。

「誰かが流したんじゃろう」

「僕もそう思う」

 フィンは報告書を閉じた。

「問題は、誰が何のために流したかだね」

 そのとき。扉が開いた。

「フィン! ちょっとええか!」

 ロキが入ってきた。

「どうしました?」

「ヘルメスの奴、最近何か企んどらんか?」

「……心当たりがあるんですか?」

「勘や」

「勘ですか」

「神の勘を舐めたらあかんで」

 そして、静かに答えた。

「では、その勘が正しいかもしれませんね」

 ロキの笑みが深くなった。

「やっぱりな」

*

「……私が弟子を探している?」

 サウロンは、宿の食堂で紅茶を飲んでいた。向かいに座るヴァルザークが頷く。

「はい。市中では、そのような噂が広まっております」

「いつからだ?」

「三日ほど前からです」

「出所は?」

「複数の酒場や冒険者の集会所です。ただし、最初の発信者は特定できておりません」

 サウロンは紅茶を一口飲んだ。

「なるほど」

「陛下。流言を取り締まりましょうか?」

「いや、まだいい」

「よろしいのですか?」

「噂だけなら放置しても構わん。私が弟子を探していないことは、会えば分かる」

 サウロンは皿の上の焼き菓子を一つ取った。

「それにしても、面白いな」

「何がでございますか?」

「私が指輪を与える相手を探しているという話だ」

「確かに奇妙でございます」

「指輪を作ったからといって、他人に渡す義務などないのにな」

「まるで私が、善良な若者に力を授けるために存在しているような話じゃないか」

 ヴァルザークは苦笑した。

「そのような認識を持つ者がいるのでしょう」

「迷惑な話だ」

 サウロンは菓子を口に運んだ。しばらくして、彼は尋ねた。

「ところで、ヘルメスは最近どうしている?」

 ヴァルザークの表情が変わった。

「……調査いたしましょうか?」

「いや。すでに動いているなら、いずれ尻尾を出す」

 サウロンは窓の外を眺めた。

「ただし、噂の出所は記録しておけ。後で必要になるかもしれん」

「承知しました」

 そのとき。食堂の入口から、一人の少年が顔を覗かせた。白髪。赤い瞳。ベル・クラネルだった。彼は、少し緊張した様子で周囲を見渡している。やがて、サウロンを見つけた。

「あ、あの!」

「何だ?」

「あなたが、サウロンさんですか?」

「そうだが」

「ぼ、僕はベル・クラネルといいます!」

「そうか」

 ベルは、深々と頭を下げた。

「少しだけ、お話を聞いていただけませんか!」

 サウロンは、しばらく少年を見つめた。そして、ヴァルザークへ視線を向けた。

「……なるほど」

 ヴァルザークも頷いた。

「噂を聞いた者のようですな」

 サウロンはベルへ向き直った。

「用件を言え」

 ベルは、少し迷った。そして、意を決したように口を開いた。

「サウロンさんが、若い冒険者を探しているって聞きました!」

「探していない」

 即答だった。ベルが固まった。

「……え?」

「その噂は間違いだ」

「そ、そうなんですか?」

「ああ」

 サウロンは紅茶を飲んだ。

「私は弟子を募集していないし、指輪を与える相手を探してもいない」

 ベルは、しばらく黙っていた。そして、困ったように笑った。

「……そうだったんですね」

「誰から聞いた?」

「えっと、酒場で聞いたんです。それで、ヘルメス様にも相談したら、一度お話ししてみるのもいいんじゃないかって……」

 サウロンの手が止まった。ほんの一瞬。そして、ゆっくりと笑った。

「……ヘルメスが?」

「はい」

「なるほど」

「よく分かった」

 ベルは、少し首を傾げた。

「……あの?」

「用件はそれだけか?」

「は、はい。すみません、お邪魔してしまって」

「構わん。噂を聞いて確かめに来ただけなら、別に問題はない」

 サウロンは、静かに告げた。

「だが、今後は人から聞いた話を鵜呑みにしない方がいい」

「……はい!」

 ベルは、もう一度頭を下げた。そして、食堂を出ていった。サウロンは、その背中を見送った。特別な感慨はなかった。少年がどれほど急速に成長していようと、彼にとっては大勢いる冒険者の一人でしかない。だが。

「ヴァルザーク」

「はっ」

「ヘルメスを呼べ」

 その声には、笑みが含まれていた。

「どうやら、話をする必要がありそうだ」

*

 ヘルメスは、呼び出しを受けて上機嫌だった。少なくとも、最初は。

「やあ、サウロン。わざわざ呼んでくれるなんて光栄だね」

 宿の応接室。ヘルメスは、いつもの笑顔を浮かべていた。サウロンは椅子に座り、書類を読んでいる。ヴァルザークは、その傍らに立っていた。

「座れ」

「おや、ずいぶん改まっているね」

「座れと言った」

 声は穏やかだった。だが、ヘルメスはそれ以上冗談を続けなかった。椅子に腰を下ろす。サウロンは書類を机に置いた。

「最近、妙な噂が流れているそうだな」

「噂?」

「私が弟子を探しているという話だ」

 ヘルメスは、少し驚いたような表情を作った。

「ああ、聞いたことがあるよ。人気者は大変だね」

「そうだな」

「それで、お前はその噂をどう思う?」

「どうと言われてもね。君のような人物に憧れる若者がいても、不思議ではないだろう?」

「確かにな」

 サウロンは微笑んだ。

「では、質問を変えよう」

 ヘルメスは、わずかに姿勢を正した。

「何かな?」

「その噂を広めたのは、お前か?」

 ヘルメスは、すぐには答えなかった。そして、笑った。

「僕がそんなことをする理由があるのかい?」

「あるだろう」

「……へえ」

「英雄育成だ」

 ヘルメスの笑みが、わずかに固まった。サウロンは続けた。

「お前は、私を若い冒険者たちの試練にしたい。だが、直接頼んでも断られると考えた」

「……」

「そこで、私が若者を探しているという噂を流した。そうすれば、向こうから私に接触してくる」

 ヘルメスは、静かに聞いていた。

「私が興味を示せば成功。拒絶しても、若者たちにとっては一つの経験になる。お前自身は表に出ない」

 サウロンは、ゆっくりと紅茶を飲んだ。

「なかなか安上がりな計画だ」

 ヘルメスは、しばらく沈黙した。そして。

「……参ったな」

 苦笑した。

「そこまで分かっているのかい?」

「分かりやすいからな」

「……そうか」

 ヘルメスは肩をすくめた。

「確かに、噂を広めるよう手配したのは僕だよ」

 ヴァルザークの視線が鋭くなる。だが、サウロンは平然としていた。

「そうか」

「怒っているのかい?」

「まだな」

 ヘルメスは、少し安心した。しかし。

「ただし、私は以前、お前に何と言った?」

 ヘルメスの笑顔が止まった。

「……交渉するなら、正面から来いと」

「そうだ」

「……」

「そして、私を計画に組み込むなら、先に許可を取れと言った」

「……確かに」

 サウロンは、静かに告げた。

「お前は、その警告を無視した」

 ヘルメスは、ゆっくりと息を吐いた。

「……それについては、謝罪するよ」

「謝罪は受け取ろう」

「だが、話はそれで終わらない」

 ヘルメスが顔を上げた。

「……どういうことだい?」

 サウロンは、机の上に一枚の紙を置いた。

「訂正文だ」

「……訂正文?」

「お前が流した噂を、お前自身の責任で訂正しろ」

 ヘルメスは、紙を手に取った。そこには、簡潔な文面が記されていた。冥王サウロン陛下が弟子や力の指輪の授与対象を募集しているという噂は、事実ではありません。この噂は、ヘルメスが独断で流布させたものです。サウロン陛下および黒曜帝国は、この件に一切関与しておりません。ヘルメスは、ゆっくりと顔を上げた。

「……これを公表しろと?」

「ああ」

「僕の名前まで出す必要があるのかな?」

「ある」

 即答だった。

「噂を広めた責任者が誰か、明確にする必要がある」

「……なるほど」

「それから、今後私の名前を使った宣伝や勧誘を行う場合は、事前に許可を取れ」

 ヘルメスは、しばらく紙を見つめていた。そして、苦笑した。

「……分かったよ」

「結構」

 ヘルメスは、少し肩の力を抜いた。だが。サウロンは、まだ話を終えていなかった。

「ところで、ヘルメス」

「……何だい?」

「お前の計画は、本当にこれだけか?」

 ヘルメスの指が止まった。サウロンは、静かに彼を見つめた。

「噂を広め、若者を私に接触させる。それだけなら、随分と回りくどい」

「……」

「お前は、もう一段階先を考えているのではないか?」

 ヘルメスは、答えなかった。サウロンは微笑んだ。

「まあ、いい」

 そして、静かに告げた。

「次は、訂正文では済まんぞ」

*

 ヘルメスは、宿を出た。夕暮れの街。人々が行き交う大通り。彼は、しばらく無言で歩いていた。

「……参ったね」

 冥王サウロン。想像以上に厄介な相手だった。普通なら、噂を流された程度であれば、多少不快に思うだけで済む。だが、サウロンは違った。噂の内容を確認し、出所を調べ、責任者を特定し、訂正を要求した。そして、今後の干渉について明確な警告を与えた。

「……まるで、国家間の外交交渉だ」

 ヘルメスは苦笑した。だが、それも当然だった。相手は、数千年にわたって帝国を統治してきた皇帝なのだから。

「……しかし」

 ヘルメスは、帽子のつばを下げた。

「これで終わるわけにはいかないんだよね」

 彼には、まだ計画があった。噂は、第一段階にすぎない。第二段階。それは、ダンジョンでの偶発的な接触だった。サウロンがダンジョンへ潜ることは、すでに分かっている。そして、若い冒険者たちも、同じ迷宮へ潜っている。ならば、両者が同じ場所へ居合わせる状況を作ればいい。危険な魔物。逃げ場のない状況。そして、圧倒的な力を持つ冥王。

 そこでサウロンが若者を救えば、英雄候補にとって忘れがたい経験になるだろう。

「……もちろん、危険すぎる状況にはしないさ」

 ヘルメスは、そう呟いた。だが、その言葉を聞いている者はいなかった。彼自身も、気づいていなかった。自分がすでに、サウロンから与えられた二度目の警告を無視しようとしていることに。

*

「……ヘルメス様」

 その夜。アスフィは、主神の部屋へ入った。

「訂正文の件、聞きました」

 ヘルメスは苦笑した。

「耳が早いね」

「当然です。ギルドにも正式な通知が届いています」

「……そうか」

 アスフィは、机の上に一枚の書類を置いた。

「こちらをご確認ください」

「何だい?」

「ファミリアとしての正式な声明です」

 ヘルメスは、書類を読んだ。そこには、こう記されていた。ヘルメス・ファミリアは、冥王サウロン陛下および黒曜帝国に対する無許可の干渉行為に関与しません。また、ファミリアの団員、資金、装備、施設を、当該行為に使用することを認めません。ヘルメスは、ゆっくりと顔を上げた。

「……アスフィ」

「主神様」

 アスフィは、まっすぐに彼を見た。

「私は、あなたの眷属です」

「……ああ」

「ですが、あなたのすべての判断に賛成するわけではありません」

 ヘルメスは黙っていた。

「私には、ファミリアの団長として、団員たちを守る責任があります」

「……分かっているよ」

「本当に分かっているのであれば、これ以上はおやめください」

 ヘルメスは、しばらく沈黙した。そして。

「……君には、迷惑をかけてしまったね」

 静かに謝った。アスフィは、少しだけ表情を緩めた。

「……それなら」

「分かった。君たちには、何もさせない」

「……ヘルメス様」

「約束するよ」

 アスフィは、深く息を吐いた。そして、部屋を出た。だが。扉が閉まった後。ヘルメスは、机の引き出しから別の書類を取り出した。そこには、ファミリアとは無関係の協力者の名前が記されていた。

「……さて」

「ここからは、僕個人の仕事だ」

*

 同じ頃。サウロンの宿。ヴァルザークは、主君の前に立っていた。

「陛下。ヘルメスが、再び動き始めたようです」

 サウロンは、書物から顔を上げた。

「そうか」

「市中の情報提供者を通じて、ダンジョン内の冒険者の行動予定を調べております」

「なるほど」

 サウロンは、書物を閉じた。

「まだ諦めていないらしいな」

「いかがいたしましょう?」

「今は放置しろ」

 ヴァルザークは、少し眉をひそめた。

「……よろしいので?」

「ああ」

「現時点では、情報収集をしているだけだ」

「しかし、明らかに陛下を利用する意図がございます」

「そうだな」

「……ならば」

「ヴァルザーク」

 サウロンは、静かに臣下を見た。

「私は、考えているだけの相手を罰するつもりはない」

「……御意」

「だが、実際に私の行動を誘導しようとしたなら、その時点で対応する」

 サウロンは、ゆっくりと立ち上がった。

「それにしても、面白い男だな」

「……面白い、でございますか?」

「ああ」

「一度警告され、訂正文まで出させられたというのに、まだ自分なら上手くやれると思っている」

 ヴァルザークは、静かに頷いた。

「……愚かとしか言いようがございません」

「愚かかどうかは、結果を見て判断しよう」

 サウロンは、窓の外を眺めた。

「ただし、私の時間を無駄にした分は、きっちり支払ってもらう」

*

 翌日。オラリオの裏通り。ヘルメスは、一人の男と向かい合っていた。男は、冒険者向けの情報を扱う仲介人だった。

「……例の件ですが」

 男が口を開く。

「本当に、あの冥王を巻き込むんですか?」

 ヘルメスは微笑んだ。

「巻き込むというほどのことじゃないよ」

「……しかし」

「ただ、少しだけ冒険者たちの行動予定を調整してほしいんだ」

 男は、書類を見つめた。

「……報酬は?」

「十分に用意してある」

 ヘルメスは、小袋を差し出した。中には、金貨が入っていた。男は、しばらく考えた。そして、頷いた。

「……分かりました」

 ヘルメスは微笑んだ。

「ありがとう。助かるよ」

 男が立ち去る。ヘルメスは、静かに息を吐いた。

「……さて」

 計画は、順調だった。少なくとも。彼自身は、そう思っていた。

*

 その日の夕方。サウロンは、宿で地図を眺めていた。ダンジョンの階層図。魔石の分布。そして、いくつかの古代遺跡の位置。

「……ふむ」

 ヴァルザークが尋ねた。

「陛下。明日は、ダンジョンへ潜られるご予定でしょうか?」

「ああ。そのつもりだった」

「……だった、でございますか?」

「予定を変える」

 サウロンは、地図を閉じた。

「明日は、ヘファイストスの工房へ行く」

 ヴァルザークは、少し驚いた。

「……競作の件でございますか?」

「それもあるが、例の魔石について新しい仮説を思いついた」

「……なるほど」

 サウロンは微笑んだ。

「それに、そろそろ新しい指輪の改良を進めたい」

「……承知しました」

 ヴァルザークは頷いた。だが、内心では、別のことを考えていた。ヘルメスの計画。ダンジョンでの偶発的な接触。そして、サウロンの予定変更。偶然なのか。それとも。ヴァルザークは、主君へ尋ねた。

「……陛下」

「何だ?」

「明日の予定変更は、ヘルメスの計画を察知されたからでしょうか?」

「さて、どうだろうな」

「……」

「少なくとも、私が他人の予定に合わせる義務はない」

 ヴァルザークは、深々と頭を下げた。

「……御意」

*

 翌日。ダンジョン第十階層。若い冒険者たちが、慎重に進んでいた。その中には、ベル・クラネルの姿もあった。彼らは、ある情報をもとに、この階層へ来ていた。珍しい魔物が出現する。その魔物を討伐すれば、貴重な素材が手に入る。そう聞かされていた。だが。

「……おかしいな」

 ベルが呟いた。

「何もいない」

 周囲には、通常の魔物しかいなかった。珍しい魔物の姿はない。そして。当然ながら、サウロンの姿もなかった。同じ頃。ヘルメスは、地上で報告を待っていた。

「……まだかな」

 やがて、情報仲介人が現れた。

「……ヘルメス様」

「どうだった?」

「……冥王サウロンは、ダンジョンへ入っていません」

 ヘルメスは、瞬きをした。

「……え?」

「本日は、ヘファイストス・ファミリアの工房に滞在しているようです」

 ヘルメスは、ゆっくりと椅子に座った。

「……そうか」

 計画は、完全に空振りした。若い冒険者たちは、普通にダンジョンを探索しただけ。冥王との接触は、起こらなかった。

「……参ったな」

 ヘルメスは苦笑した。だが。そのとき。背後から、声が響いた。

「そうだな。随分と間抜けな話だ」

 ヘルメスは、ゆっくりと振り向いた。そこには。黒い礼装。金色の瞳。右手には、黄金の指輪。冥王サウロンが立っていた。

「……やあ」

 ヘルメスは、引きつった笑みを浮かべた。

「奇遇だね」

 サウロンは、静かに微笑んだ。

「二度目だな、その台詞は」

 ヘルメスは、何も言えなかった。

*

 サウロンは、机の上に一枚の紙を置いた。

「……何だい、これは?」

 ヘルメスが尋ねた。

「請求書だ」

「……請求書?」

「ああ」

「お前の計画に対応するために発生した費用だ」

 ヘルメスは、紙を手に取った。そこには、いくつかの項目が記されていた。調査費用。情報収集費用。帝国関係者の稼働費用。名誉毀損に伴う訂正措置の追加費用。そして。皇帝の時間を無断で利用しようとしたことに対する補償請求。ヘルメスは、ゆっくりと顔を上げた。

「……最後の項目は、何だい?」

「そのままの意味だ」

「……君の時間に、値段がついているのかい?」

「当然だ」

 サウロンは平然と答えた。

「私は一国の皇帝だ。私の時間には、それなりの価値がある」

「……なるほど」

 ヘルメスは、再び紙を見た。そして。

「……ちょっと待ってくれ」

 顔色が変わった。

「この金額、本気かい?」

「本気だ」

「……いやいや、これはいくら何でも高すぎるだろう!」

「そうか?」

「そうだよ!」

「ならば、異議を申し立てればいい」

「……え?」

「帝国の法務官を通じて、正式に争うことができる」

 ヘルメスは、完全に固まった。サウロンは続けた。

「ただし、争う場合は、今回の経緯をすべて公表する」

「……」

「お前が噂を流し、若い冒険者を誘導し、私の行動を利用しようとしたことも含めてな」

 ヘルメスは、しばらく沈黙した。そして、苦笑した。

「……君、本当に容赦がないね」

 サウロンは微笑んだ。

「当然だ」

「……」

「私は、最初から警告していた」

 ヘルメスは、何も言えなかった。サウロンは続けた。

「お前は、自分の理想のためなら他人を利用しても構わないと思っている」

「……」

「だが、利用された側にも、意思と権利がある」

「……」

「そして、その権利を侵したなら、責任を取る必要がある」

 ヘルメスは、ゆっくりと息を吐いた。

「……分かったよ」

「結構」

「……支払いについては、少し時間をもらえるかな?」

「構わん。分割払いも認めよう」

 ヘルメスは、乾いた笑いを漏らした。

「……ずいぶん親切だね」

「私は、合理的な取引を好むからな」

*

 その夜。ヘルメス・ファミリア本拠地。アスフィは、机の上に置かれた請求書を見つめていた。そして。

「……ヘルメス様」

「……はい」

「私は、何と言いましたか?」

「……関わるな、と」

「それで?」

「……関わってしまいました」

「しかも?」

「……二度も警告を無視しました」

 アスフィは、深く息を吸った。そして。

「何をやっているんですか、あなたはぁぁぁ!!」

 怒声が、本拠地に響き渡った。ヘルメスは、椅子の上で小さくなった。

「……ごめんなさい」

「謝る相手が違います!」

「……はい」

「しかも、何ですか、この金額は!」

「……僕も驚いたよ」

「驚く前に反省してください!」

 ヘルメスは、完全に沈黙した。アスフィは、しばらく怒り続けた。そして、ようやく落ち着いた頃。

「……それで」

 静かに尋ねた。

「本当に、これで終わりにするんですね?」

 ヘルメスは、少し考えた。そして、苦笑した。

「……しばらくはね」

 アスフィの額に、青筋が浮かんだ。

「……ヘルメス様?」

「……いや、冗談だよ」

「本当に?」

「……本当に」

 アスフィは、深いため息をついた。

「……もう、知りません」

 同じ頃。サウロンの宿。ヴァルザークは、主君へ報告していた。

「陛下。ヘルメスより、請求内容を確認した旨の返答がございました」

「そうか」

「支払いについては、分割を希望しております」

「認めよう」

「ただし、支払いが滞った場合は、正式な手続きを取れ」

「承知しました」

 ヴァルザークは、少し笑った。

「……陛下」

「何だ?」

「今回の件、いかがでしたか?」

 そして。

「……面白かったな」

 笑った。

「まさか、神に請求書を送ることになるとは思わなかった」

 ヴァルザークも笑った。

「……確かに」

 サウロンは、紅茶を飲んだ。

「だが、これで少しは懲りただろう」

「……そうであればよいのですが」

「まあ、また何かするなら、そのときはそのときだ」

 サウロンは、窓の外を眺めた。

「さて」

 夜のオラリオ。街には、無数の灯りが輝いている。

「明日は、何をするかな」

 冥王は、静かに微笑んだ。そして、机の上に置かれた銀色の指輪を手に取った。二十一番目の指輪。まだ誰にも与えていない、新たな力の指輪。

「……そろそろ、これも完成させたいな」

 サウロンは、再び研究へと没頭していった。一方。ヘルメス・ファミリア本拠地では。道化の神が、請求書を前に頭を抱えていた。

「……英雄を育てるつもりが、借金を背負うことになるなんてね」

 その呟きに、アスフィが即答した。

「自業自得です!」

 ヘルメスは、何も言い返せなかった。

 

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