武具店の店員は、客が短剣の銘を確かめる間、黙って待った。買い手が刃を見ず、値札だけを眺めることも多い。だが、この黒衣の客は、刃元から切先へ光を当て直し、柄の巻き方まで見ていた。
「こちらを打った者に、会えるか」
「御用件を伺ってもよろしいでしょうか」
「他の仕事を見たい。炉も、見せる気があるならば」
店員は少し考えた。
「工房への御案内は、責任者に確かめます。お名前は」
「サウロン」
その名で何かを思い出したらしい。店員は一礼し、奥へ入った。サウロンは槍の置かれた棚へ戻った。今度は、その穂先へ手を伸ばす前に、指輪が熱を持った。塔からの視線が、また触れてきた。
「二度目だぞ」
低く言い、彼は右手を握った。
*
バベルの上層で、フレイヤは使者の前から戻ったところだった。ウラノスの言葉は、簡潔だった。黒曜帝国の皇帝が来訪した。本人の許しなく、干渉するな。その忠告を聞いた後にも、彼女は窓へ近づいた。魂を見通すことは、彼女にとって、長く当たり前の感覚だった。望まずとも目に入り、輝きの違いが分かる。その感覚で捉えられないものがある。
もう一度だけ、確かめたいと思った。見つめた先から、言葉が返ってきた。
『許可した覚えはない』
フレイヤは、窓から手を離した。声は、耳の奥に響いたのではなかった。自分という存在を支える、さらに深いところへ届いていた。
「あなたは、何者なの」
『それを聞く前に、やめろと言われたことをやめるべきだろう』
返答は穏やかだった。そのために、拒絶の強さがかえって分かった。フレイヤが視線を退けると、言葉も消えた。背後のオッタルが一歩、近づく。
「フレイヤ様」
「……ええ。分かっているわ」
彼女は窓を離れた。だが、見えなかったものへの関心まで、手放せたわけではなかった。
*
ヘファイストスは、客の持ってきた短剣を見て、製作者の名を告げた。
「よく使っているわね」
「私が使った傷ではない。帝国へ渡るまでに、持ち主が変わっている」
「それで、作者に会いに来たの?」
「そのつもりだった。貴様の仕事も見てよいなら、なおよい」
神だからという遠慮はなかった。女神は客を見た。普通ならば失礼と取れる言葉だったが、その目は工房の工具を追っている。
「名前は、ウラノスから聞いたわ」
「ならば、名乗り直す手間が省ける」
「鍛冶が分かるのね」
「長く、続けている」
ヘファイストスは、作業台にあった試験片を渡した。
「これは、どう思う?」
サウロンは表面を撫で、端の割れ目を光にかざした。
「外へ魔力を流すことを考えすぎている。ここへ負荷が集まる」
「強度を上げると、流れが鈍るのよ」
「素材を換える前に、内側の並びを変えてみろ」
女神の目が細まった。彼は白墨を取り、許しを求めず、余っていた板へ線を引いた。ヘファイストスは途中で板を引き寄せ、別の線を足した。
「この温度で、そこまで動かせる?」
「貴様の炉を見てから答える」
女神は、奥の扉を開けた。
*
夕方、サウロンのもとへ女神からの招待が届いた。銀の髪の使者ではない。フレイヤの眷属だという男が、丁重な文面を差し出した。会って話したい。先ほどの不調法についても説明したい、とある。
「返事は、今、お待ちしても」
「会うとは答えておらぬ」
サウロンは紙を畳んだ。
「今日は、こちらの工匠と話している」
使者が退出すると、ヘファイストスが肩をすくめた。
「随分、興味を持たれたわね」
「人の中を覗こうとする。貴様らには普通の挨拶なのか」
「一緒にしないでちょうだい」
サウロンは板へ目を戻した。ヘファイストスは炉の火を調整し、話を続けた。
*
夜、フレイヤは返答のない招待状を思い浮かべていた。会えばよい。直接に声を掛ければ、彼も自分を見るだろう。そう考え、彼の滞在先へ向けて意識を伸ばしたとき、ほんの僅か、魅了の力が伴った。それは相手の心へ届く前に止まった。暗いものが、彼女の視界の縁に立った。甲冑の影。その奥に、動かない眼。
『三度目はないと言うべきだったか』
フレイヤは椅子の肘掛けを掴んだ。
「敵対するつもりは……」
『貴様のつもりを、こちらの許可の代わりにするな』
彼女は力を引いた。影は追わなかった。ただ、こちらへ伸ばしていた指を、いつでも掴めたことだけを残して消えた。オッタルを呼ぶまで、しばらく時間が掛かった。
「ウラノスへ、返事を」
女神は、指を肘掛けから離した。
「忠告は、届いたと伝えて」
同じ頃、サウロンは工房で金属の一覧を眺めていた。アダマンタイト。オリハルコン。迷宮から得られる、まだ触れたことのない素材。女神のことは、既に紙の外へ追いやられていた。明日の商談には、持ち込めるものが幾つもある。