サウロン記   作:ゆいニキ

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第3話 鍛冶の神と 十九の指輪

「それで、あんたは何が欲しいの?」

 ヘファイストスは、目の前に座る男へ尋ねた。黒衣に身を包んだ長身の男。黒曜帝国の皇帝にして、古代より存在する冥王。サウロン。彼は今、ヘファイストス・ファミリアの本拠地にある応接室で、出された紅茶を飲んでいた。

「アダマンタイト、オリハルコン、それからダンジョン産の希少金属を一通りだな」

「……ずいぶん欲張るじゃない」

「もちろん、相応の対価は払う」

「お金なら腐るほど持ってそうね」

「まあな」

 サウロンは平然と頷いた。実際、黒曜帝国の国庫には莫大な財貨が蓄えられている。もっとも、それは国家の財産であって、皇帝個人の財布ではない。両者を混同するほど、彼は愚かではなかった。とはいえ、数千年にわたって蓄積した私財だけでも、そこらの国家予算を軽く上回る。金銭的な問題など、存在しないに等しかった。

「それで?」

 ヘファイストスが腕を組む。

「そんな希少金属を集めて、何を作るつもり?」

「指輪だ」

「……指輪?」

「ああ」

 サウロンは右手を持ち上げた。中指には、黄金の指輪が輝いている。ヘファイストスの視線が、自然とそこへ向かった。そして、固まった。

「……ちょっと待ちなさい」

「何だ?」

「その指輪」

「ああ、これか」

「見せて」

「断る」

 即答だった。ヘファイストスは眉をひそめた。

「……減るもんじゃないでしょう?」

「減る可能性がある」

「どういう意味よ」

「これには私の力の相当部分を込めてある。私以外の者が触れれば、どうなるか分からん」

 それは誇張ではなかった。一つの指輪。すべての力の指輪を統べる、至高の指輪。その製作にあたり、サウロンは自らの霊的な力の一部を、指輪そのものへ注ぎ込んでいる。それゆえに、指輪は彼の力を増幅し、他の指輪を支配する。同時に、それは彼自身の存在と深く結びついていた。

「……なるほどね」

 ヘファイストスは、しばらく指輪を見つめた。

「つまり、それが例の……」

「そうだ」

「一つの指輪だ」

 沈黙が落ちた。

「……本当に実在したのね」

「伝説だと思っていたか?」

「実物を見るまでは、ね」

 彼女は椅子に深く座り直した。

「十九の力の指輪。そして、それらを統べる一つの指輪」

「ああ」

「エルフに三つ、ドワーフに七つ、人間に九つ」

「よく知っているな」

「鍛冶の神だもの。古代の伝説的な工芸品については、それなりに調べているわ」

 ヘファイストスは苦笑した。

「ただ、正直なところ、半分は作り話だと思っていた」

「無理もない」

 サウロンは紅茶を飲んだ。

「随分と昔の話だからな」

「……それで、今度は何を作るつもりなの?」

「新しい指輪だ」

「二十一番目?」

「そうなるな」

「……あんた、また世界の歴史を変えるつもり?」

「指輪を一つ作るだけだぞ?」

「その指輪一つで、国が興り、滅びることもあるでしょうが」

「使い方次第だな」

「……まったく」

 ヘファイストスは額を押さえた。この男にとって、歴史に名を残す神器の製作は、趣味の延長でしかないらしい。それが恐ろしい。そして、鍛冶の神としては、どうしようもなく興味をそそられた。

「……いいわ」

 彼女は言った。

「材料は用意する。ただし条件がある」

「聞こう」

「製作に立ち会わせなさい」

「……構わん」

「本当!?」

「ああ。ただし、私の許可なく作業へ干渉するな。それから、知り得た技術を無断で他者に教えるな」

「分かったわ」

「契約書を作ろう」

「……随分と現実的ね」

「約束というのは、後で揉めないために明文化するものだ」

「気に入ったわ、あんた」

「それは結構」

 こうして、冥王と鍛冶の神の共同研究が始まった。

*

 同じ頃。オラリオの一角にある神殿では、数柱の神々が集まっていた。ヘルメス。ロキ。ガネーシャ。そして、ギルドを通じて参加したウラノス。議題は一つ。冥王サウロンの来訪について。

「……で?」

 ロキが椅子にもたれかかった。

「そのサウロンっちゅう奴、そんなにヤバいん?」

 ヘルメスは苦笑した。

「少なくとも、ただの人間ではないね」

「そんなん分かっとるわ」

「古代から生き続けている。黒曜帝国の皇帝で、九人の不死の王を従えている。しかも、神の恩恵を受けていない」

「……ふうん」

「面白そうやん」

 ウラノスが口を開いた。

「興味本位で接触することは勧めぬ」

「何でや?」

「彼は、神々の庇護を必要としない」

「そら、強い奴ならそういうのもおるやろ」

「違う」

 ウラノスの声が低くなった。

「彼は、神々の権威そのものを必要としていないのだ」

 ロキは眉をひそめた。

「……どういう意味や?」

「彼にとって、神々は支配者でも、絶対者でもない。ただの異なる種族にすぎぬ」

「……は?」

「神だからといって敬意を払うこともなければ、神だからといって恐れることもない」

 ヘルメスが肩をすくめた。

「まあ、彼自身が神に近い存在だという話もあるからね」

「神に近い?」

「何やそれ。神の真似事でもしとるんか?」

 ウラノスは、しばらく沈黙した。そして、静かに告げた。

「……かつて、一柱の神が彼を侮辱した」

 ロキの笑みが薄くなる。

「神は、冥王に跪くよう命じた」

「……それで?」

「冥王は拒絶した」

「まあ、そうなるわな」

「神は怒り、神威を解き放った」

 その言葉に、ヘルメスの表情が変わった。

「……ウラノス様」

「そして」

 ウラノスは続けた。

「その神は、二度と天界へ戻らなかった」

 ロキは、ゆっくりと身体を起こした。

「……何やて?」

「神格を破壊され、存在そのものを消滅させられた」

「……冗談やろ」

「事実だ」

 ウラノスは目を閉じた。

「私も、その事件を天界から見ていた」

 誰も言葉を発しなかった。神々にとって、下界での死は天界への帰還を意味する。それは絶対的な法則だった。少なくとも、彼らはそう信じていた。だが、冥王はその法則を覆した。

「……どうやって?」

 ロキが尋ねた。ウラノスは答えた。

「分からぬ」

「は?」

「彼は神の肉体を破壊したのではない。神格そのものへ干渉したのだ」

「……そんなことが」

「あり得ぬ、と言いたいのだろう」

「私もそう思っていた」

 そして、最後に付け加えた。

「だからこそ、彼を侮るな」

*

 数日後。ヘファイストス・ファミリアの地下工房。サウロンは、用意された金属を眺めていた。

「……なるほど」

 アダマンタイト。オリハルコン。そして、ダンジョン深層から採掘された希少鉱石。いずれも興味深い性質を持っている。

「どう?」

 ヘファイストスが尋ねた。

「気に入った?」

「ああ。特にこのオリハルコンは面白い」

 サウロンは金属片を手に取った。

「魔力の伝導性が高い。それでいて、霊的な力に対しても安定している」

「霊的な力?」

「私の使う力だ」

「……なるほど」

 ヘファイストスは興味深そうに頷いた。

「それで、どう加工するの?」

「見ていろ」

 サウロンは炉の前に立った。だが、火を入れない。

「……あれ?」

 ヘファイストスが首を傾げた。

「炉は使わないの?」

「必要ない」

 サウロンは右手を掲げた。黄金の指輪が輝く。次の瞬間。空間そのものが熱を帯びた。

「――っ!」

 ヘファイストスが息を呑む。炎が生まれた。だが、それは通常の炎ではない。赤でも、青でもない。黄金に輝く、異質な炎。物質を燃やすための炎ではなく、物質の在り方そのものへ働きかける力。サウロンは金属を宙へ浮かべた。アダマンタイト。オリハルコン。希少鉱石。それらが炎の中で溶け合い、混ざり合い、再構成されていく。

「……嘘」

 ヘファイストスは呟いた。神である彼女ですら、下界では神の力を封じている。だが、目の前の男は違う。神の恩恵も、魔法も、魔道具も使わず。ただ己の意志によって、金属を支配していた。

「……これが」

 彼女は震える声で言った。

「冥王の鍛冶……」

 サウロンは答えなかった。その意識は、すでに製作へ集中していた。金属の形が変わる。輪となり、細かな紋様が刻まれる。そして、その内部へ、目に見えない何かが流れ込んでいく。力。意志。そして、法則。

「……完成だ」

 サウロンは、宙に浮かぶ指輪を手に取った。銀色の指輪。その表面には、青白い光が走っている。

「これが……?」

「二十一番目の指輪だ」

 ヘファイストスは、恐る恐る尋ねた。

「どんな能力があるの?」

「魔力の蓄積と増幅。それから、使用者の肉体保護だな」

「……それだけ?」

「それだけだ」

「……本当に?」

「もちろん、私が必要と判断すれば、機能を停止させることもできる」

 ヘファイストスの表情が変わった。

「……やっぱり」

「何だ?」

「その指輪にも、支配機能を組み込んでいるのね」

「ああ」

「……なぜ?」

 サウロンは、不思議そうに首を傾げた。

「なぜ、とは?」

「どうして、そんな機能が必要なの?」

 そして答えた。

「私が作ったものだからだ」

「……それだけ?」

「それだけだ」

 サウロンは続けた。

「私は、自分の作ったものに責任を持つ。指輪を与えた者が、その力で何をするかは本人の自由だ。だが、私に敵対するために使うなら話は別だ」

「……なるほど」

「それに、私の技術を利用して世界を滅ぼそうとする者が現れたら、止める必要もあるだろう」

「……合理的ね」

「当然だ」

 サウロンは指輪を机に置いた。

「さて」

「何?」

「次は、これを誰に与えるかだな」

 ヘファイストスは、嫌な予感がした。

「……まさか」

「せっかくオラリオに来たんだ。面白い冒険者にでも渡してみるか」

「……あんたねえ!」

 ヘファイストスは頭を抱えた。

「そんな気軽に、伝説級の神器を配るんじゃないわよ!」

「気軽ではないぞ」

「どこがよ!」

「ちゃんと相手は選ぶ」

「そういう問題じゃないでしょうが!」

 サウロンは、実に楽しそうだった。

*

 翌日。サウロンは、街を歩いていた。目的は、指輪の受け取り手を探すこと。もっとも、誰でもいいわけではない。強さ。才能。意志。そして、何より。自分の力を何のために使うのか。それを見極める必要があった。

「……ふむ」

 彼は広場で足を止めた。そこには、一人の少女がいた。金色の髪。金色の瞳。腰には細身の剣。周囲の冒険者たちが、彼女を見て囁いている。

「剣姫だ」

「ロキ・ファミリアのアイズ・ヴァレンシュタイン……」

「相変わらず綺麗だな」

 サウロンは少女を眺めた。

「……なるほど」

 興味深い。その肉体には、神の恩恵による強化が施されている。だが、それだけではない。魂の奥底に、強烈な執念がある。何かを求めている。何かを憎んでいる。そして、そのために自分自身を削り続けている。

「……面白いな」

 サウロンは呟いた。その声が聞こえたのか。少女が振り向いた。金色の瞳が、サウロンを捉える。

「……あなた」

「何だ?」

「……強い?」

「まあ、それなりにな」

 少女は、じっと彼を見つめた。

「……戦って」

「断る」

 即答だった。

「……え?」

「私は今、休暇中だ」

「……でも」

「戦いたいなら、他を当たれ」

 サウロンは歩き出した。少女は、しばらく呆然としていた。そして、小さく呟いた。

「……変な人」

*

 その夜。ロキ・ファミリアの本拠地。黄昏の館。アイズは、ロキに昼間の出来事を報告していた。

「……黒い服の男?」

 ロキが尋ねた。

「うん」

「名前は?」

「……聞いてない」

「……そうか」

「でも、強かった」

「どれくらい?」

 アイズは、少し考えた。そして答えた。

「……分からない」

 ロキの表情が変わった。

「……分からん?」

「うん」

 アイズは頷いた。

「強さが、見えなかった」

「……ほう」

「でも、すごく強いと思う」

 そして、ふと思い出した。ウラノスの言葉。冥王サウロン。神々の恩恵を必要としない、古代の存在。

「……まさかな」

 ロキは呟いた。だが、その予感は的中していた。

*

 同じ頃。サウロンは宿の一室で、完成した指輪を眺めていた。

「……さて」

 誰に渡すか。剣姫。あの少女は、確かに興味深い。だが、少し危うい。強さへの執着が強すぎる。指輪を与えれば、さらに力を求めるだろう。それが良い方向に働くかどうかは、分からない。

「……やめておくか」

 サウロンは指輪を箱へ戻した。

「もう少し、面白い奴を探そう」

 そのとき。窓の外から、騒ぎ声が聞こえた。

「待て!」

「泥棒だ!」

 サウロンは窓を開けた。路地を、一人の少年が走っている。白い髪。赤い瞳。その後ろを、数人の男たちが追いかけていた。

「……ん?」

 少年の魂は、まだ未熟だった。だが。

「……ほう」

 そこには、奇妙な可能性があった。何者にも染まっていない、純粋な意志。そして、異常なほどの成長の余地。

「……面白い」

 サウロンは微笑んだ。

「少し、見てみるか」

 冥王は、静かに立ち上がった。その右手には、一つの黄金の指輪。すべての指輪を統べる、唯一の指輪が輝いていた。

 

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