指輪の王は世界を鍛える   作:ゆいニキ

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第4話 小人族の英雄と 冥王の値踏み

迷宮都市オラリオ。その北部に位置する、ロキ・ファミリアの本拠地――黄昏の館。執務室には三人の人物が集まっていた。小人族の英雄、フィン・ディムナ。ハイエルフの魔導士、リヴェリア・リヨス・アールヴ。そして、ドワーフの戦士、ガレス・ランドロック。いずれもオラリオ最高峰の冒険者であり、ロキ・ファミリアの幹部である。

 その三人が、今、一枚の報告書を前に沈黙していた。

「……間違いないのかい?」

 フィンが尋ねた。リヴェリアは頷く。

「ああ。ヘファイストス・ファミリアに確認した。本人であることは確実らしい」

「冥王サウロン、か」

 ガレスが低く唸った。

「まさか、あの御仁がオラリオに来るとはのう」

 フィンは報告書に目を落とした。黒曜帝国。大陸東方に広大な版図を有する古代国家。その歴史は、神々が下界へ降臨する以前にまで遡る。幾度も王朝が興亡し、数え切れない国家が滅び去る中、ただ一度も皇帝が交代していない国。永遠の皇帝。冥王サウロン。

「……正直、信じ難い話だね」

 フィンは苦笑した。

「神の恩恵もなく数千年を生き、今なお巨大国家を統治しているなんて」

「それだけではない」

 リヴェリアが言った。

「古いエルフの伝承には、彼についての記述がある」

「どんな?」

「三つの指輪を鍛え、エルフの王たちに授けた者」

 フィンの表情が変わった。

「……力の指輪?」

「ああ」

「我らエルフに伝わる、古代の秘宝だ」

「……実在するのかい?」

「少なくとも、三つのうち一つは今もエルフの手にあると伝えられている」

「なるほど」

 フィンは顎に手を当てた。強大な力を持つ指輪。神の恩恵とは異なる体系の力。それを自在に製作できる存在。もしも、その技術をロキ・ファミリアが利用できれば。

「……遠征の戦力を大幅に増強できるかもしれない」

 フィンは呟いた。ガレスが眉をひそめる。

「おい、フィン」

「何だい?」

「まさか、あの御仁に指輪を作らせるつもりか?」

「可能性を検討しているだけさ」

「やめておけ」

 ガレスは即答した。

「ドワーフの間では、力の指輪は軽々しく求めてよいものではないと教えられておる」

「理由は?」

「代償があるからじゃ」

 リヴェリアも頷いた。

「エルフの伝承にも同じ記述がある。指輪は力を与えるが、同時に製作者との繋がりを生む」

 フィンは考え込んだ。

「……つまり、指輪の所有者はサウロンの影響下に置かれる可能性がある」

「そういうことだ」

「なるほどね」

「それなら、なおさら一度話を聞いてみたい」

 リヴェリアが目を細める。

「フィン」

「分かっているよ。相手が何者かは理解している」

 フィンは椅子から立ち上がった。

「ただ、僕たちにはダンジョン攻略という目標がある。そのために利用できる可能性があるなら、調べる価値はある」

「……利用、か」

 ガレスが呟いた。

「その言い方は、本人の前ではせん方がよいぞ」

 フィンは肩をすくめた。

「もちろんさ」

 だが、この時点で。フィンは一つ、根本的な認識を誤っていた。彼はサウロンを、交渉可能な強大な存在として捉えていた。それ自体は間違っていない。問題は、交渉の前提だった。ロキ・ファミリアが望むものを、相手も何らかの利益と引き換えに提供してくれるはずだ。その考えが、そもそも通用しない可能性を、十分には考慮していなかったのである。

*

 一方、その頃。サウロンは酒場にいた。

「……うむ」

 目の前には、香ばしく焼かれた肉料理。そして、よく冷えた酒。

「悪くない」

 サウロンは満足げに頷いた。黒曜帝国の宮廷料理は、当然ながら非常に洗練されている。だが、こうした大衆酒場の料理には、また別の魅力があった。何より、気楽でいい。

「お客さん、追加はいかがですか?」

「では、同じものをもう一皿」

「はーい!」

 店員が元気よく返事をする。サウロンは酒を飲みながら、周囲を見渡した。冒険者たちが騒いでいる。今日の戦果。仲間との喧嘩。ダンジョンで遭遇した魔物。そして、神々に関する噂話。実に平和な光景だった。

「……ふむ」

 彼はふと、窓の外へ目を向けた。三人の人物が近づいてくる。小人族。エルフ。ドワーフ。いずれも相当な実力者だ。

「……なるほど」

「客か」

 ほどなくして、三人が店内に入ってきた。先頭に立つ小人族の男が、サウロンへ歩み寄る。

「失礼。少し時間をいただけるかな?」

「誰だ?」

「ロキ・ファミリアの団長、フィン・ディムナです」

「……ああ」

「小人族の英雄か」

 フィンは微笑んだ。

「ご存じでしたか」

「名前くらいはな」

「光栄です」

「それで、何の用だ?」

 フィンは一瞬、周囲を見渡した。

「できれば、少し静かな場所でお話しできればと思うのですが」

「断る」

「……え?」

「ここで話せ」

 サウロンは肉を切り分けた。

「私は食事中だ。お前たちの都合で場所を移すつもりはない」

 フィンは一瞬、言葉を失った。リヴェリアが小さく息を吐く。ガレスは、どこか面白そうに口元を緩めていた。

「……分かりました」

 フィンは気を取り直した。

「では、こちらで」

「座るなら、店員に注文してからにしろ」

「……はい?」

「客席を使うなら、店に金を落とすのが礼儀だろう」

 フィンは瞬きをした。そして、苦笑した。

「……なるほど。おっしゃる通りですね」

 三人は注文を済ませ、席についた。サウロンは満足げに頷いた。

「それで?」

*

「単刀直入に伺います」

 フィンは言った。

「あなたが製作されたという、力の指輪についてです」

「ほう」

 サウロンは酒杯を置いた。

「それがどうした?」

「我々ロキ・ファミリアは、ダンジョンの深層攻略を目指しています」

「知っている」

「そのためには、さらなる戦力の増強が必要です」

「それも理解できる」

「そこで、あなたの指輪を――」

「断る」

 フィンの言葉が止まった。

「……まだ、条件を提示していませんが」

「聞く必要がない」

 サウロンは平然と答えた。

「私の指輪を、お前たちの戦力増強に利用したいのだろう?」

「……はい」

「ならば断る」

「理由を伺っても?」

「お前たちに与える理由がない」

 即答だった。フィンは沈黙した。サウロンは続けた。

「私が指輪を与えた者たちは、いずれも私自身が選んだ者だ」

「……なるほど」

「彼らには、それぞれ与えるだけの理由があった」

「我々にはない、と?」

「現時点ではな」

「……対価を提示しても?」

「金か?」

「それ以外にも、情報や協力関係など」

「不要だ」

 サウロンは酒を飲んだ。

「金ならある。情報も、自分で調べればいい。協力が必要なら、帝国の臣下に命じれば済む」

「……では、何を望まれますか?」

「なぜ、私がお前に何かを望んでいると思う?」

 フィンは答えられなかった。

「交渉とは、双方に利益があるから成立するものだ」

 サウロンは静かに言った。

「お前たちには指輪が必要なのだろう。だが、私にはお前たちが必要ない」

「……」

「それだけの話だ」

「……確かに、その通りですね」

「理解したなら結構」

 サウロンは再び肉を切り分けた。だが、フィンはまだ席を立たなかった。

「……もう一つ、伺っても?」

「何だ?」

「指輪の力は、神の恩恵を超えるものなのでしょうか?」

「比較の仕方によるな」

「と、言いますと?」

「恩恵は、所有者の経験や成長に応じて能力を高める仕組みだろう?」

「はい」

「指輪は違う。指輪そのものに力が宿っている」

「……なるほど」

「未熟な者が持っても、一定の力を発揮できる。逆に、優れた者が持てば、さらに大きな力を引き出せる」

 フィンの目が細くなった。

「……非常に興味深いですね」

「だろうな」

「もし、それがあれば――」

「フィン」

 サウロンの声が変わった。

「はい?」

「お前は先ほど、私の指輪を戦力増強に使いたいと言ったな」

「……はい」

「それ自体は理解できる。だが、一つ聞こう」

 サウロンは、まっすぐフィンを見た。

「お前は、私の指輪を何だと思っている?」

「……何、と申しますと?」

「武器か? 道具か? あるいは、便利な魔道具か?」

 フィンは答えを探した。

「……強大な力を秘めた、伝説の工芸品だと認識しています」

「そうか」

「ならば、もう一つ教えてやろう」

 右手の指輪が、わずかに輝いた。

「私の指輪には、私の意志が宿っている」

「……!」

「それを身につけるということは、私との繋がりを受け入れるということだ」

 リヴェリアの表情が強張った。ガレスも目を細める。サウロンは続けた。

「私は指輪の所有者を知覚できる。必要ならば、その力を封じることもできる」

「……支配も?」

 フィンが尋ねた。サウロンは微笑んだ。

「できる」

 周囲の喧騒が、遠く感じられた。

「……それを、隠さないのですね」

「隠す必要があるか?」

「普通なら、警戒されることを恐れるでしょう」

「警戒するなら、受け取らなければいい」

 サウロンは平然と答えた。

「私は誰にも、指輪を受け取るよう強制していない」

「……なるほど」

 だが、その内心では、別の計算が始まっていた。力の指輪。圧倒的な力を与える代わりに、製作者の干渉を受ける可能性がある。それは、単なる武器ではない。戦力増強と引き換えに、組織の独立性を損なう危険がある。仮に指輪を手に入れたとしても、ロキ・ファミリアにとって本当に利益になるのか。フィンは、初めてその問題を真剣に考えた。

*

「……もう一つ、質問してもよろしいでしょうか」

 フィンが言った。

「聞くだけならな」

「あなたは、何を基準に指輪の所有者を選ぶのですか?」

「場合による」

「……場合?」

「何を期待するかによって、必要な資質は異なる」

 サウロンは答えた。

「例えば、国を任せるなら統治能力が必要だ。軍を率いさせるなら、戦略眼と決断力が必要になる」

「……なるほど」

「鍛冶を任せるなら技術と探究心。知識を求めるなら知性と忍耐だ」

「では、英雄には?」

「……英雄か」

 そして、フィンを見た。

「お前は、英雄になりたいのだったな」

 フィンの表情が変わった。

「……ご存じでしたか」

「小人族の名誉を取り戻すため、英雄となることを目指している。そう聞いている」

「……はい」

「立派な目標だ」

 フィンは、わずかに表情を和らげた。だが、次の言葉で固まった。

「ただし、私には関係ない」

「……え?」

「お前が英雄になろうと、王になろうと、私には何の利益もない」

「……」

「もちろん、目標を持つこと自体は悪くない。だが、それを理由に他人が協力してくれると思うな」

 フィンは沈黙した。サウロンは続けた。

「お前が小人族のために英雄になりたいというのは、お前自身の願望だ」

「……はい」

「ならば、その責任もお前自身が負え」

「……」

「他人の力を借りるなとは言わん。だが、他人が協力しないことを不当だと思うな」

 フィンは、しばらく黙っていた。そして、ゆっくりと頭を下げた。

「……肝に銘じます」

「結構」

 だが、話はまだ終わらなかった。

「ところで、フィン」

「はい?」

「お前は、指輪の力を得たら何をする?」

「……ダンジョンの攻略を進めます」

「その先は?」

「……その先?」

「ダンジョンを攻略した後だ」

「……小人族の地位向上に尽力するでしょう」

「具体的には?」

「……それは」

 フィンは言葉に詰まった。サウロンは静かに言った。

「目標はある。だが、その目標を達成した後の構想が曖昧だな」

「……」

「英雄になれば種族の地位が上がる。そう考えるのは自由だ」

 サウロンは酒杯を置いた。

「だが、英雄の名声は制度ではない」

 フィンが顔を上げた。

「一人の英雄が現れたところで、その種族の社会的地位が永続的に向上するとは限らん」

「……」

「必要なのは、教育、経済、軍事、政治的な影響力。そして、それらを維持する仕組みだ」

 リヴェリアが、わずかに目を見開いた。サウロンは続ける。

「お前が英雄として死んだ後、小人族の地位が元に戻るなら、それは一時的な名声にすぎん」

「……なるほど」

「英雄になることは手段だろう。目的と取り違えるな」

 フィンは、深く考え込んだ。彼にとって英雄とは、種族の誇りを取り戻すための象徴だった。だが、目の前の男は、その象徴だけでは不十分だと言っている。数千年にわたり国家を統治してきた者の言葉。それには、確かな重みがあった。

「……勉強になります」

 フィンは静かに言った。サウロンは肩をすくめた。

「別に説教をするつもりはなかったがな」

「いえ。貴重なお話でした」

「そうか」

 サウロンは最後の肉を口に運んだ。

「ならば、今日の話はこれで終わりだ」

「お時間をいただき、ありがとうございました」

 三人は席を立った。そして、店を出ようとした。そのとき。

「……一つ、忠告しておこう」

 サウロンの声が響いた。フィンが振り返る。

「何でしょう?」

「私の指輪について、余計な調査をするなとは言わん」

「……はい」

「だが、私の臣下や指輪の所有者に、無断で接触して何かを企むなら話は別だ」

 サウロンは微笑んだ。

「私は、自分の所有物や臣下に手を出されるのが嫌いでな」

「……承知しました」

「結構」

 サウロンは酒杯を掲げた。

「では、よい一日を」

*

 帰路。フィンは、しばらく無言だった。リヴェリアが口を開く。

「……どう思った?」

「難しい相手だね」

 フィンは苦笑した。

「こちらの思惑を、最初から理解していた」

「当然じゃろう」

 ガレスが言った。

「何千年も生きた王じゃぞ。儂らのような若造の考えることなど、見透かされても不思議ではない」

「……そうだね」

「ただ、収穫はあった」

「ほう?」

「力の指輪の性質が分かった。少なくとも、我々が安易に手を出すべきものではない」

「それは同感だ」

 リヴェリアが言った。

「特に、製作者による支配の可能性は看過できない」

「……うん」

 フィンは考え込んだ。そして、ふと呟いた。

「……でも」

「何だ?」

「もし、支配機能のない指輪を作れるとしたら?」

 リヴェリアの表情が変わった。

「フィン」

「分かっているよ」

 フィンは苦笑した。

「今すぐどうこうするつもりはない」

 だが、その目には、まだ計算の光が宿っていた。

*

 一方。サウロンは、宿へ戻る道を歩いていた。

「……フィン・ディムナ、か」

 悪くない男だった。知性があり、判断力もある。組織を率いる能力も、相応に高いのだろう。だが。

「……まだ若いな」

 サウロンは呟いた。年齢の話ではない。視野の話だ。フィンは、自分の目的を達成するために、あらゆる可能性を検討する。それ自体は優秀な指揮官の資質だ。しかし、彼の思考はまだ、自分の目的を中心に回っている。相手にも独自の目的があり、そもそも交渉に応じる理由がない場合がある。その認識が、少し甘い。

「……まあ、今後どうなるかは本人次第だな」

 サウロンは肩をすくめた。別に、フィンを教育する義理はない。彼が成長しようと、失敗しようと、サウロンには関係のないことだ。ただし。

「……支配機能のない指輪、ねえ」

 フィンが最後に抱いた考え。それは、彼の表情から容易に読み取れた。

「……考えるだけなら自由だが」

 右手の指輪が、わずかに輝いた。

「私の技術を盗もうとするなら、話は別だぞ」

 サウロンは夜空を見上げた。オラリオの空には、無数の星が輝いている。

「……さて」

 明日は、ダンジョンに潜ってみるか。この世界の魔物の発生源。神々が管理し、冒険者たちが挑み続ける巨大迷宮。その最深部には、何があるのか。少し興味が湧いてきた。

「……面白そうだ」

 冥王は、静かに笑った。

*

 黄昏の館。フィンは、自室の机に向かっていた。目の前には、今日の会談内容をまとめた報告書。力の指輪。神の恩恵とは異なる力。そして、冥王サウロン。

「……支配機能、か」

 フィンは呟いた。それは、ロキ・ファミリアにとって看過できない危険だった。だが、同時に。もしも、その機能を取り除けるなら。もしも、同等の力を持つ指輪を独自に製作できるなら。ダンジョン攻略は、大きく前進する。

「……ヘファイストス・ファミリア」

 フィンは、報告書の一角に目を落とした。サウロンは、ヘファイストスと共同研究を行っている。ならば、彼女を通じて技術を得られる可能性がある。もちろん、サウロン本人からは拒絶されている。だが、技術そのものを独自に研究することまで禁じられたわけではない。

「……一度、相談してみる価値はあるか」

 フィンは、静かにペンを取った。そして、ヘファイストス・ファミリアへの面会依頼を書き始めた。その行動が、どのような結果を招くのか。彼は、まだ知らなかった。同時刻。ヘファイストス・ファミリアの地下工房。ヘファイストスは、サウロンから預かった指輪の設計図を眺めていた。ただし、それは完全な設計図ではない。金属の組成。加工工程。

 魔力伝導の仕組み。そこまでは記されている。だが、最も重要な部分。霊的な力を物質へ定着させる技術については、意図的に省略されていた。

「……なるほどね」

 ヘファイストスは苦笑した。

「ちゃんと線引きしてるわけだ」

 サウロンは、最初からすべてを教えるつもりなどなかった。共同研究は、あくまで共同研究。技術の譲渡ではない。そして、何より。

「……あの男、絶対に分かってるわね」

 ヘファイストスは呟いた。自分の技術が、どれほどの価値を持つのか。それを欲しがる者が、どれほど現れるのか。そして、その者たちが、どのような手段を取るのか。すべて理解したうえで、あえて一部の技術を公開している。

「……厄介な相手ね」

 だが、その声には、どこか楽しげな響きがあった。鍛冶の神として。彼女は、あの男の技術をもっと知りたかった。たとえ、それが冥王の技であったとしても。その頃。オラリオの地下深く。ダンジョンのさらに奥。誰も到達したことのない深淵で。何かが、目を覚ました。それは、遥か昔に感じた気配を思い出していた。炎。影。鉄。

 そして、世界そのものへ命令を下す、強大な意志。かつて、地上で数え切れないほどの魔物を焼き払った存在。冥王。サウロン。その気配が、再び迷宮都市に現れた。深淵の奥で、何かが蠢く。そして。ダンジョンは、冥王の帰還を知った。

 

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