指輪の王は世界を鍛える   作:ゆいニキ

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第5話 迷宮 冥王を拒む

迷宮都市オラリオ。ギルド本部。

「……はい?」

 受付嬢エイナ・チュールは、目の前の男を見上げた。黒髪に金色の瞳。上質な黒衣を纏い、腰には一振りの長剣。そして右手には、黄金の指輪。男は至極当然といった様子で告げた。

「ダンジョンに潜りたい」

「……はい。冒険者登録ですね?」

「ああ」

「では、所属ファミリアを教えていただけますか?」

「ない」

「……え?」

「どこの神にも属していない」

 エイナは瞬きをした。

「……申し訳ありませんが、冒険者登録には原則としてファミリアへの所属が必要になります」

「ほう」

 男は興味深そうに頷いた。

「それはギルドの規則か?」

「はい。冒険者の身元や能力を把握し、安全を確保するための制度です」

「なるほど。合理的だな」

 エイナは、少し安心した。どうやら話の通じる人物らしい。

「ですので、まずはファミリアを――」

「だが、私には必要ない」

「……はい?」

「私は神の恩恵を必要としない」

「そ、それは……」

 エイナは困惑した。恩恵を受けずにダンジョンへ潜る。それ自体は、絶対に不可能というわけではない。だが、極めて危険だ。魔物に対抗するためには、神の恩恵による身体能力の強化が事実上不可欠である。

「失礼ですが、お名前を伺っても?」

「サウロン」

 エイナの手が止まった。

「……サウロン、様?」

「ああ」

「……少々、お待ちください」

 エイナは慌てて奥へ引っ込んだ。サウロンは、その背中を見送りながら小さく笑った。

「……さて」

 どの程度、話が通じる組織なのか。少し楽しみだった。

*

 数分後。サウロンは応接室へ案内されていた。向かいに座るのは、ギルドの上級職員。その顔には、明らかな緊張が浮かんでいる。

「……冥王サウロン陛下で、いらっしゃいますね」

「そうだ」

「このたびは、我がギルドへお越しいただき、誠にありがとうございます」

「挨拶はいい。ダンジョンに潜りたい」

「……承知しております」

 職員は額の汗を拭った。

「ただ、現在の冒険者管理制度では、神の恩恵を持たない方の登録について、いくつか確認事項がございまして……」

「なるほど」

「では、確認しよう」

「……はい?」

「私がダンジョンに潜ることを、ギルドは禁じているのか?」

「い、いえ。正確には、ギルドの管理下にない方の入場を推奨しておりません」

「推奨していない、か」

 サウロンは微笑んだ。

「ならば、禁止ではないな」

「……それは、そうですが」

「では問題ない」

「お、お待ちください!」

 職員が慌てて立ち上がった。

「安全上の問題が――」

「私の安全か?」

「はい!」

「それなら心配する必要はない」

「……しかし」

 サウロンは、静かに職員を見た。

「私がこの世界で何年生きているか、知っているか?」

「……数千年、と」

「その間、数え切れないほどの魔物と戦ってきた」

「……」

「少なくとも、自分の身を守る方法くらいは心得ている」

 職員は黙った。それは、確かにそうなのだろう。だが、ギルドとしては、前例のない存在を無条件で認めるわけにもいかない。

「……少々、お時間をいただけますか」

「構わん」

「必要な手続きは踏もう」

 職員は深々と頭を下げ、部屋を出ていった。その背中を見送りながら、サウロンは小さく呟いた。

「……官僚組織というのは、どこも似たようなものだな」

*

 ギルド地下。祈祷の間。ウラノスは、フェルズから報告を受けていた。

「……冥王が、ダンジョンへの入場を希望しております」

「そうか」

「いかがいたしましょう」

 ウラノスは、しばらく沈黙した。冥王サウロン。神々が下界に降臨する以前から存在する、古代の超越者。その力は、神の恩恵によって測れるものではない。そして、何より。かつて一柱の神を完全に滅ぼした存在。

「……拒絶する理由はない」

 ウラノスは静かに告げた。

「しかし、ダンジョンが彼にどう反応するかは不明です」

「分かっている」

「万が一、迷宮そのものが暴走すれば……」

「それでも、彼を力ずくで止めることはできぬ」

 ウラノスは目を閉じた。

「彼は、我らの管理する秩序の外にいる」

「……」

「そして、我らの権威に従う義務もない」

 フェルズは沈黙した。ウラノスは続けた。

「ただし、一つだけ条件を提示せよ」

「条件、ですか?」

「ダンジョンの構造を、必要以上に破壊しないこと」

「……なるほど」

「彼が本気で力を振るえば、迷宮そのものに甚大な被害が及ぶ可能性がある」

「承知しました」

*

「……構造を破壊しないこと、か」

 サウロンは、ギルドから提示された条件を読んでいた。

「まあ、構わん」

 職員が安堵する。

「ありがとうございます」

「ただし、魔物が襲ってきた場合は、相応に対処するぞ」

「もちろんです」

「それから、私に危害を加えようとする者がいた場合も同様だ」

「……承知しました」

 サウロンは書類に署名した。

「これでいいか?」

「はい。特例として、ダンジョンへの入場を許可いたします」

「結構」

 こうして、冥王サウロンは、ギルド公認の特例入場者となった。その日の午後。サウロンは、バベルの地下へ続く階段を降りていた。周囲には、冒険者たちが行き交っている。剣士。魔導士。槍使い。重装の戦士。それぞれが装備を整え、迷宮へ挑んでいた。

「……ふむ」

 サウロンは周囲を見渡した。

「なかなか壮観だな」

 そして。一歩、ダンジョンへ足を踏み入れた。その瞬間。迷宮が震えた。

*

 最初に異変に気づいたのは、深層で戦っていた冒険者たちだった。

「……何だ?」

 足元が揺れる。壁が軋む。魔物たちが、突然動きを止めた。そして。一斉に、同じ方向を向いた。地上。いや。地上から降りてきた、何か。

「……おい」

 冒険者の一人が呟いた。

「何が起きてるんだ?」

 答える者はいなかった。第一階層。サウロンは、静かに立っていた。

「……ほう」

 周囲の壁が脈動している。まるで、生き物の内臓のように。

「……なるほど」

 彼は壁に手を当てた。その瞬間。何かが、彼の存在を認識した。敵。侵入者。異物。迷宮そのものから、明確な拒絶の意志が伝わってくる。

「……面白い」

「お前、意志があるのか」

 壁が震えた。魔物が生まれる。一体。二体。十体。数十体。通常の第一階層では考えられない速度で、魔物が次々と出現していく。周囲の冒険者たちが悲鳴を上げた。

「何だこれ!?」

「モンスターが多すぎる!」

「逃げろ!」

 サウロンは、その光景を眺めた。

「……なるほど」

 どうやら、迷宮は自分を排除したいらしい。

「随分と歓迎してくれるじゃないか」

 彼は右手を掲げた。黄金の指輪が輝く。そして。

「――伏せろ」

 声が響いた。命令。それは魔法ではなかった。神の恩恵による技でもない。ただ、サウロンという存在が発した意志。その言葉に、魔物たちが反応した。一斉に動きを止める。そして、地面へと崩れ落ちた。

「……え?」

 冒険者たちは、呆然とした。数十体の魔物が、何の抵抗もできずに倒れている。サウロンは、その光景を眺めた。

「……ふむ」

 そして、少し首を傾げた。

「思ったより効くな」

*

 だが、迷宮は諦めなかった。壁がさらに激しく脈動する。天井から、異様な音が響く。そして。新たな魔物が生まれた。通常の魔物とは異なる。黒い外皮。巨大な体躯。そして、異常な魔力。

「……ほう」

「これは、少し違うな」

 魔物は咆哮した。周囲の冒険者たちが、恐怖に凍りつく。

「……何だ、あれ」

「見たことねえぞ……」

 サウロンは、一歩前へ出た。

「さて」

 魔物が突進する。巨大な爪が振り下ろされる。その瞬間。サウロンは、右手を軽く振った。魔物の身体が、空中で停止した。

「……ふむ」

 彼は興味深そうに観察した。

「魔石を核にして、肉体を構成しているのか」

 魔物は暴れた。だが、動けない。

「なるほど。実に面白い」

 サウロンは指を鳴らした。次の瞬間。魔物の身体が、内側から崩壊した。黒い外皮が砕け、肉体が霧散する。そして、魔石だけが宙に残った。サウロンは、それを手に取った。

「……悪くない」

 彼は微笑んだ。

「いい研究材料だ」

*

 ギルド本部。

「第一階層で異常発生!」

「魔物の大量出現を確認!」

「冒険者の避難を急がせろ!」

 職員たちが慌ただしく動き回っていた。エイナは、報告書を見つめていた。

「……まさか」

 そこには、異常発生の時刻が記されていた。冥王サウロンがダンジョンへ入場した直後。偶然とは思えなかった。

「……どうなってるの」

 エイナは呟いた。そのとき。新たな報告が届いた。

「異常発生、収束しました!」

「……え?」

「魔物はすべて討伐された模様です!」

「……誰が?」

 職員は、困惑した表情で答えた。

「……サウロン陛下、です」

 エイナは、ゆっくりと椅子に座った。

「……やっぱり」

*

 第一階層。サウロンは、壁に手を当てていた。迷宮は、まだ震えている。だが、先ほどのような激しい反応はない。

「……なるほど」

 彼は、静かに呟いた。

「お前は、私を知っているのか」

 壁の奥から、何かが伝わってくる。憎悪。恐怖。そして、古い記憶。遥か昔。神々が下界に降臨する以前。魔物が地上を蹂躙していた時代。その魔物たちを、炎によって焼き払った存在。黒曜帝国の皇帝。冥王サウロン。迷宮は、その存在を覚えていた。

「……そうか」

「随分と根に持っているようだな」

 壁が震える。

「まあ、無理もない」

 彼は手を離した。

「私も、お前の魔物を随分と殺したからな」

 そして、静かに告げた。

「だが、勘違いするな」

 その声には、先ほどまでの軽さがなかった。

「私は今、お前を滅ぼしに来たわけではない」

 迷宮が沈黙した。

「興味があるから来ただけだ」

 サウロンは微笑んだ。

「だから、余計なことをしなければ、こちらも余計なことはしない」

 一瞬の静寂。そして。迷宮の奥から、明確な敵意が返ってきた。

「……そうか」

 右手の指輪が、赤く輝いた。

「ならば、覚えておけ」

 空気が変わる。炎が生まれる。黒い炎。黄金の炎。そして、世界の根源へ働きかける、冥王の意志。

「私は、お前に入場の許可を求めた覚えはない」

 壁が震えた。

「私がここにいるのは、私がそう望んだからだ」

 その言葉は、迷宮の奥深くへと響いていった。

「お前が拒絶しようと、私には関係ない」

 そして。

「次に邪魔をするなら、相応の代償を払ってもらう」

 迷宮は沈黙した。

*

 ギルド地下。ウラノスは、目を閉じていた。その表情は険しい。

「……やはり、こうなったか」

 フェルズが尋ねた。

「いかがいたしましょう」

「……何もするな」

「しかし、ダンジョンが再び暴走すれば……」

「分かっている」

 ウラノスは低く答えた。

「だが、今の彼はまだ、こちらとの約束を守っている」

「……はい」

「構造を破壊せず、魔物のみを排除している」

「……確かに」

「ならば、我らが介入する理由はない」

 フェルズは沈黙した。ウラノスは続けた。

「問題は、ダンジョンの方だ」

「……」

「彼を敵として認識している」

「……はい」

「そして、彼はその敵意を理解している」

 ウラノスは、深く息を吐いた。

「……願わくば、迷宮が愚かな選択をせぬことを」

*

 数時間後。サウロンは、ダンジョンから戻ってきた。手には、いくつかの魔石。そして、見慣れない鉱石。

「……ふむ」

 彼は満足げに頷いた。

「なかなか面白かった」

 ギルド職員たちは、遠巻きに彼を見ていた。エイナが、おずおずと近づいてくる。

「……サウロン様」

「ん?」

「……ご無事で、何よりです」

「ああ。特に問題はなかった」

「……問題、なかったんですか?」

「少し歓迎が激しかったがな」

 エイナは、何とも言えない表情になった。

「……それで、また潜られるのですか?」

「当然だ」

「……そうですか」

 エイナは、遠い目をした。サウロンは、魔石を一つ取り出した。

「ところで、これを鑑定してもらいたい」

「……はい?」

「通常の魔石とは性質が違うようでな」

 エイナは、魔石を見つめた。そして、顔色を変えた。

「……これ」

「何だ?」

「……見たことがありません」

「そうか」

 サウロンは微笑んだ。

「ならば、ますます面白い」

 その夜。黒曜帝国の遠隔通信術式を通じて、一通の報告が届いた。差出人は、九王の一人。第三の王。かつて、古代の魔物たちを討伐した戦士。報告には、こう記されていた。我が君。帝国東部にて、古代の魔物の活動を確認。その性質は、かつて我らが討伐したものと酷似しております。また、各地の古代遺跡にて、異常な魔力反応が観測されております。

 古い封印の劣化が疑われます。周辺の反応との関係を調査中です。ご指示を。サウロンは、報告書を読み終えた。

「……ほう」

 そして、ゆっくりと笑った。

「どうやら、面白いことになってきたな」

 右手の指輪が、静かに輝いた。

「さて」

 冥王は、窓の外を眺めた。オラリオの夜空。その下には、世界最大の迷宮が眠っている。

「……久しぶりに、少し本気を出すことになるかもしれんな」

 

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