サウロン記   作:ゆいニキ

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第8話 神々の宴と 招かれざる冥王

迷宮都市オラリオ。冥王サウロンがダンジョン深層で深層の異形を焼き払ってから、三日が経過していた。その間、迷宮都市は表面上の平穏を取り戻していた。ギルドは異常発生の原因を調査し、冒険者たちはいつもどおりダンジョンへ潜り、神々は相変わらず騒がしい日々を送っている。そして、当のサウロンはというと。

「……ふむ」

 宿の一室。彼は、机の上に置かれた一通の封書を眺めていた。豪華な装飾が施された封筒。封蝋には、神々の宴を示す紋章。

「神々の宴、か」

 サウロンは招待状を開いた。そこには、丁寧な文面で宴への招待が記されていた。差出人は、ガネーシャ。オラリオにおいて、比較的穏健で良識的な神として知られる存在である。

「……なるほど」

「神々の宴に、神でもない私を招待するとはな」

 向かいに座っていたヴァルザークが口を開いた。

「陛下。いかがなさいますか?」

「そうだな」

 サウロンは、招待状を机に置いた。

「料理は出るのか?」

「……はい?」

「宴なのだろう。ならば、料理と酒が出るはずだ」

「それは、当然かと」

「ならば、行ってみるか」

 ヴァルザークは一瞬、沈黙した。

「……陛下」

「何だ?」

「神々の宴でございます。何らかの政治的意図がある可能性も考慮すべきかと」

「当然だ」

「だが、それと料理を楽しむことは両立する」

「……なるほど」

「それに、神々が何を考えているのか、直接観察する機会にもなる」

 サウロンは微笑んだ。

「悪くないだろう?」

 ヴァルザークは、深々と頭を下げた。

「御意」

「お前も来るか?」

「……私も、でございますか?」

「ああ。護衛としてではなく、客としてな」

 ヴァルザークは少し考えた。

「……陛下のお許しがあるのでしたら、ぜひ」

「結構」

 サウロンは招待状を閉じた。

「では、返事を書いておこう」

*

 同日。ロキ・ファミリア本拠地、黄昏の館。

「……来るんか!?」

 ロキは、椅子から飛び上がった。向かいに座るヘルメスが苦笑する。

「どうやらね。ガネーシャから返事があったそうだよ」

「ほんまに、あの冥王が?」

「ああ。正式に出席すると回答したらしい」

 ロキは、しばらく沈黙した。そして。

「……おもろいやん」

 にやりと笑った。

「ようやく、まともに話せる機会ができたわ」

 ヘルメスは肩をすくめた。

「君は、以前にも彼の臣下に話しかけていただろう?」

「そっちはそっちや。今回は本人やで」

「……余計なことはしない方がいいと思うけどね」

「分かっとるわ」

「ちょっと話すだけや」

 ヘルメスは、その言葉をまったく信用していなかった。

「……ロキ」

「何や?」

「一応、忠告しておくよ」

 ヘルメスは、珍しく真剣な表情になった。

「彼は、僕たち神々を特別扱いしない」

「知っとる」

「それだけじゃない。彼は、神々の権威そのものを認めていない」

「……それも知っとる」

「ならば、なおさら慎重に接するべきだ」

 ヘルメスは続けた。

「彼は、神々が下界に降臨する以前から存在している。しかも、神々を殺すことができる」

 ロキの笑みが、わずかに消えた。

「……あの話か」

「ああ」

 かつて、一柱の神が冥王サウロンへ神威を向けた。そして、その神は完全に消滅した。天界へ送還されたのではない。神格そのものを破壊されたのだ。

「……ほんまに、そんなことができるんか?」

 ロキが尋ねた。ヘルメスは頷いた。

「ウラノスが証言している以上、疑う理由はないよ」

「……そうか」

 ロキは考え込んだ。そして、静かに笑った。

「……ますます興味が湧くわ」

 ヘルメスは、深いため息をついた。

「……君は本当に懲りないね」

*

 フレイヤ・ファミリア本拠地。バベル最上階。フレイヤは、窓の外を眺めていた。

「……サウロンが、神々の宴に?」

 オッタルが頷く。

「はい。ガネーシャ様からの招待を受けたとのことです」

「……そう」

 フレイヤは微笑んだ。

「楽しみね」

 オッタルの表情が、わずかに険しくなる。

「……フレイヤ様」

「何かしら?」

「以前の件を、お忘れではありませんか?」

 フレイヤは、少し目を細めた。以前の件。サウロンの魂を覗こうとしたこと。そして、その行為を明確な敵対行為と見なされかけたこと。あのとき。彼女は、生まれて初めて、自分の視線を拒絶された。いや。拒絶という言葉では足りない。彼女の視線そのものが、相手の領域への侵入として認識されたのだ。

「……忘れていないわ」

 フレイヤは静かに答えた。

「ならば、どうか慎重に」

「分かっているわ、オッタル」

 フレイヤは微笑んだ。

「今回は、普通にお話しするだけよ」

 オッタルは、しばらく沈黙した。そして、深々と頭を下げた。

「……承知しました」

 だが、その内心では、強い警戒心が渦巻いていた。冥王サウロン。あの男は、フレイヤの魅了が通じるかどうか以前の問題として、彼女の干渉を許さない。もしも、フレイヤが再び彼の領域を侵そうとすれば。今度こそ、取り返しのつかない事態になるかもしれない。

*

 数日後。オラリオの高級区画。巨大な屋敷では、神々の宴が開催されていた。豪華な料理。芳醇な酒。美しい音楽。そして、華やかな衣装に身を包んだ神々。その中心で、ガネーシャが声を上げた。

「私はガネーシャだ!」

 周囲の神々が笑う。

「知ってるよ!」

「毎回言わなくても分かるって!」

 ガネーシャは胸を張った。

「本日は、我が宴へようこそ!」

 拍手が起こる。そのとき。入口付近が、静かになった。一人の男が現れた。黒い礼装。金色の瞳。右手には、黄金の指輪。冥王サウロン。その後ろには、同じく黒い礼装に身を包んだヴァルザーク。二人は、ゆっくりと会場へ足を踏み入れた。

「……ほう」

 サウロンは周囲を見渡した。

「なかなか豪華だな」

 ヴァルザークが頷く。

「帝国の宮廷宴会にも劣らぬ規模でございます」

「そうだな」

 サウロンは微笑んだ。

「さて、料理はどこだ?」

 ヴァルザークは、少し笑った。

「……あちらかと」

 二人は、迷うことなく料理の並ぶ卓へ向かった。その姿を、神々は呆然と見送った。

*

「……あれが、冥王サウロンか」

 一柱の神が呟いた。

「思ったより普通だな」

「普通なものか」

 別の神が答えた。

「よく見ろ。あの男からは、神威とは異なる何かが感じられる」

「……確かに」

「だが、何だ?」

「分からん」

 神々は、遠巻きにサウロンを観察していた。一方、当の本人は。

「……この肉料理は美味いな」

「左様でございますな」

「香辛料の使い方が面白い」

「帝国の料理人にも研究させましょうか」

「それもいいが、まずは料理人本人に敬意を払うべきだろう」

「……確かに」

 サウロンは、満足げに頷いた。

「うむ。良い宴だ」

 そのとき。

「ようこそ、冥王サウロン殿!」

 ガネーシャが近づいてきた。サウロンは振り向いた。

「お前が主催者か」

「そうだ! 私はガネーシャだ!」

「知っている。招待状に名前が書いてあった」

「そうか!」

 ガネーシャは豪快に笑った。

「楽しんでいるか?」

「ああ。料理が美味い」

「それはよかった!」

 ガネーシャは満足げに頷いた。

「ぜひ、存分に楽しんでくれ!」

「感謝する」

 サウロンは、素直に礼を述べた。ガネーシャは、その様子に少し驚いた。

「……意外だな」

「何が?」

「もっと、神々を嫌っているのかと思っていた」

「なぜ?」

「いや、噂では……」

「ああ」

「神を殺した話か」

 周囲の空気が、一瞬で凍りついた。ガネーシャも、わずかに表情を引き締めた。だが、サウロンは平然と続けた。

「私は神々を嫌っているわけではない」

「……そうなのか?」

「ああ。礼節を弁えた相手なら、神だろうと人間だろうと問題ない」

 サウロンは酒杯を掲げた。

「現に、お前は私を客として招き、丁重にもてなしてくれている。感謝しているぞ」

 ガネーシャは、しばらくサウロンを見つめた。そして、豪快に笑った。

「ははは! それならよかった!」

「うむ」

 二人は、酒杯を軽く合わせた。

*

「……サウロン」

 柔らかな声が響いた。振り向くと、そこにはフレイヤが立っていた。銀色の髪。美しい容貌。そして、神々の中でも際立った存在感。サウロンは、静かに彼女を見た。

「……フレイヤか」

「ええ。お久しぶりね」

「ああ」

 フレイヤは微笑んだ。

「今夜は、楽しんでいる?」

「それなりにな」

「そう。よかったわ」

 フレイヤは、少し間を置いた。そして、静かに尋ねた。

「……以前のこと、まだ怒っているかしら?」

「怒ってはいない」

「……そうなの?」

「ああ」

 彼は、静かに続けた。

「ただし、次に同じことをすれば、敵対行為と見なす」

 フレイヤの表情が、わずかに変わった。

「……相変わらず、厳しいのね」

「当然だ」

 サウロンは淡々と答えた。

「私の魂は、私のものだ。お前の好奇心を満たすために存在しているわけではない」

「……」

「見るなと言ったものを、無断で覗こうとするな。それだけの話だ」

 フレイヤは、しばらく沈黙した。そして、静かに頷いた。

「……分かったわ」

「結構」

 フレイヤは、少し寂しげに微笑んだ。

「……それでも、あなたと話すことは許してもらえる?」

「普通に話す分には構わん」

「……ありがとう」

「礼を言うほどのことではない」

 サウロンは、酒杯を傾けた。フレイヤは、その姿を見つめていた。だが、今度は魂を覗こうとはしなかった。それが、彼女にとってどれほど珍しい自制だったのか。周囲の神々には、理解できなかった。

*

「なあ、サウロン!」

 今度は、ロキが近づいてきた。サウロンは振り向いた。

「……ロキか」

「おっ、ウチのこと知っとるん?」

「名前くらいはな」

「そら光栄やわ」

 そして、サウロンの右手を見た。

「……その指輪、例の一つの指輪やろ?」

「ああ」

「ほんまに、他の指輪を支配できるん?」

「できる」

「……へえ」

「それって、他の指輪の持ち主も操れるってこと?」

「場合による」

「……場合?」

「所有者の意志、指輪の性質、私との繋がりによって異なる」

「……なるほどな」

 ロキは考え込んだ。そして、にやりと笑った。

「……ほな、もしウチがその指輪を奪ったら、どうなるん?」

 会場の空気が、再び凍りついた。ヘルメスが、遠くで頭を抱えた。ヴァルザークの表情が、冷たくなる。だが、サウロンは笑った。

「試してみるか?」

 ロキの笑みが、わずかに固まった。

「……冗談やで?」

「そうか」

「ならば、私も冗談として受け取ろう」

「……はは」

 ロキは苦笑した。サウロンは続けた。

「ただし、私の指輪を奪うという行為は、帝国皇帝への敵対行為だ」

「……」

「お前が神であろうと、その扱いは変わらん」

 ロキは、しばらく沈黙した。そして、両手を上げた。

「……分かった、分かった。もう言わへん」

「結構」

 サウロンは、再び料理へ手を伸ばした。ロキは、その姿を見つめながら呟いた。

「……ほんま、やりにくい奴やな」

 サウロンは聞こえていたが、何も言わなかった。

*

 宴も半ばを過ぎた頃。一柱の神が、サウロンへ近づいてきた。壮年の男の姿をした神。名を、バルドゥルという。彼は、サウロンを見つめていた。

「……冥王サウロン」

「何だ?」

「一つ、聞きたいことがある」

「聞こう」

 バルドゥルは、静かに尋ねた。

「……お前は、本当に神を殺したのか?」

 周囲の神々が、静まり返った。そして、頷いた。

「ああ」

 その一言に、会場がざわめいた。バルドゥルは、さらに尋ねた。

「……なぜ、殺した?」

「私に神威を向け、服従を強要したからだ」

「……それだけで?」

 サウロンは、静かにバルドゥルを見た。

「それだけ、とは?」

「……いや」

「お前は、神が他者へ神威を向け、服従を強要することを軽い行為だと思っているのか?」

 バルドゥルは沈黙した。サウロンは続けた。

「私は、その神に退くよう警告した」

「……」

「だが、相手は警告を無視し、私を屈服させようとした」

「……」

「だから、殺した」

 サウロンは、淡々と告げた。

「それだけの話だ」

 バルドゥルは、しばらく沈黙した。そして、静かに尋ねた。

「……後悔は?」

「ない」

 即答だった。

「……まったく?」

「ああ」

「私は、自分の行動に責任を持っている」

「……」

「相手が神であろうと、王であろうと、私に敵対するなら相応の結果を受け入れるべきだ」

 バルドゥルは、静かに目を閉じた。そして。

「……分かった」

 そう言って、立ち去った。

*

 そのとき。会場の奥から、静かな声が響いた。

「……彼の言葉に、偽りはない」

 神々が振り向いた。そこには、ウラノスが立っていた。普段はギルド地下の祈祷の間から動かない老神。その彼が、今夜は珍しく宴に姿を現していた。

「……ウラノス?」

 ロキが驚いた。

「何でここにおるん?」

 ウラノスは答えなかった。ただ、サウロンを見つめていた。

「……久しいな、冥王」

「ああ。久しぶりだな」

 ウラノスは、周囲の神々へ向き直った。

「彼が神を殺したことは事実だ」

 会場が静まり返った。

「だが、その経緯を知らずに彼を非難することはできぬ」

 ウラノスは続けた。

「かつて、一柱の神が彼に服従を要求した」

「……」

「冥王は拒絶した」

「……」

「神は、神威を解放した」

「……」

「そして、冥王はそれを打ち破った」

 ウラノスは、静かに目を閉じた。

「その後、神は消滅した」

 神々は、息を呑んだ。ウラノスは続けた。

「天界への送還ではない。神格そのものの消滅だ」

「……そんなことが」

 一柱の神が呟いた。

「我ら神々にとって、あれは初めての経験だった」

 そして、静かに告げた。

「神であっても、滅び得るのだと知った」

 誰も、言葉を発しなかった。

*

 サウロンは、酒杯を置いた。

「……一つ、言っておこう」

 神々の視線が集まる。

「私は、神々を敵視しているわけではない」

 彼は、静かに続けた。

「お前たちが下界で何をしようと、基本的には自由だ」

「……」

「ファミリアを作ろうと、冒険者を育てようと、娯楽に興じようと、私には関係ない」

 サウロンは、周囲を見渡した。

「ただし」

 その声が、わずかに低くなる。

「私の領域を侵すな」

 神々は沈黙した。

「私の臣民を害するな。私の財産を奪うな。そして、私自身へ服従を強要するな」

 サウロンは、静かに告げた。

「それだけ守れば、私とお前たちが争う理由はない」

「……理解した」

 ガネーシャも頷いた。

「うむ! 実に明快だ!」

 ヘルメスは苦笑した。

「……本当に、分かりやすい人だね」

 ロキは、腕を組んでいた。フレイヤは、静かにサウロンを見つめていた。そして。ヴァルザークは、主君の背後で微笑んでいた。彼にとって、その言葉は何も新しいものではなかった。数千年前から、サウロンは同じことを言っている。自らの領域を守る。敵対する者は排除する。だが、敵対しない者にまで無意味な干渉はしない。

 それが、黒曜帝国の基本方針だった。

*

 夜も更けた頃。サウロンは、ヴァルザークとともに会場を後にした。

「……なかなか面白い宴だったな」

「左様でございますな」

「料理も美味かった」

「陛下は、ずいぶんと料理をお気に召されたご様子でした」

「ああ。特に、あの肉料理は良かった」

 ヴァルザークは、少し笑った。

「……帝国の料理人に再現させますか?」

「いや」

 サウロンは首を振った。

「それでは、ここで食べる楽しみがなくなる」

「……なるほど」

 二人は、夜の街を歩いていた。そのとき。ヴァルザークが、静かに尋ねた。

「……陛下」

「何だ?」

「神々について、いかがお考えですか?」

「……そうだな」

 そして、静かに答えた。

「面白い連中だ」

「……面白い、でございますか?」

「ああ」

「神という立場にありながら、人間以上に人間臭い」

 ヴァルザークも、わずかに笑った。

「……確かに」

「だが、それも悪くない」

 サウロンは、夜空を見上げた。

「世界には、いろいろな存在がいる。それぞれが好きに生きればいい」

「……御意」

「ただし、他人の自由を侵すなら話は別だがな」

 ヴァルザークは、深々と頷いた。

「……肝に銘じます」

 二人は、静かに歩き続けた。その頃。神々の宴が終わった会場。ウラノスは、ヘルメスと向かい合っていた。

「……どう思う?」

 ヘルメスが尋ねた。ウラノスは、静かに答えた。

「彼は、変わっておらぬ」

「……そうか」

「ああ」

 ウラノスは続けた。

「数千年前と同じだ。己の意志を貫き、他者の権威に屈しない」

 ヘルメスは苦笑した。

「……厄介だね」

「そうでもない」

 ウラノスは首を振った。

「彼は、明確な基準を持っている」

「……基準?」

「ああ。敵対しなければ、争わない」

「……なるほど」

「それは、ある意味では非常に分かりやすい」

 ヘルメスは頷いた。

「……確かにね」

 ウラノスは、静かに目を閉じた。

「ただし、忘れるな」

「……何を?」

「彼は、神々の秩序の外にいる」

「……」

「我らの常識で、彼を測るな」

 ヘルメスは、静かに頷いた。

「……肝に銘じるよ」

 オラリオの夜。サウロンは、宿の窓から街を眺めていた。

「……さて」

 神々の宴。なかなか興味深い経験だった。だが、それ以上に。彼には、気になることがあった。ダンジョンの構造。魔石の性質。そして、神々が下界に降臨する以前の歴史。

「……この世界、まだまだ面白いものがありそうだな」

 右手の指輪が、黄金に輝く。そして。冥王は、再び研究へと没頭していった。

 

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