白き薔薇の聖女 × ダイの大冒険 作:AmethystBlue
氷炎将軍フレイザードの巨体が、轟音とともに石畳へ崩れ落ちた。
左右に断ち割られた身体から炎と氷の破片が飛び散り、周囲の石柱を激しく打ちつける。つい先ほどまで少女を叩き潰そうとしていた巨大な拳も、原形を失って転がっている。
「……す、すげえ……!」
ポップは呆然と立ち尽くした。間に合わないと思った瞬間、ヒルダの剣が閃き、それだけで魔王軍の軍団長が真っ二つにされたのだ。
「……ヒルダ姉ちゃん!」
真っ先に我に返ったダイが、少女へ駆け寄った。
ヒルダはアストレアを振り抜いた姿勢のまま、しばらく動かなかった。長い水色の髪が潮風に揺れ、傷ついた白い軽鎧には、戦闘で付着した煤や土埃が残されている。剣を握る指先は微かに震えており、今にも膝から崩れ落ちそうだった。
「……ああ……ダイくん……」
呼びかけに気づいたヒルダは、ゆっくりと顔を上げた。
霞む視界の中に、懐かしい少年の姿が見える。その後ろには、デルムリン島で一緒に過ごしたポップもいた。2人とも傷を負っているようだったが、自分の足で立ち、こうして声をかけてくれている。
「……ポップさんも……。よかった……お2人とも、ご無事だったんですね……」
ヒルダの顔に、心から安堵したような微笑みが浮かんだ。
ダイは何か答えようとしたが、少女の様子がおかしいことに気づいて足を速めた。彼女の手からアストレアが滑り落ち、重い金属音を立てて石畳へ倒れたのである。
「……あ……れ……?」
ヒルダは不思議そうに目を瞬かせた。
急に身体が軽くなったような気がしたが、それが自分の力で立っていられなくなったためだと気づくより早く、視界が暗くなっていく。膝から力が抜け、白い衣装に包まれた身体がゆっくりと傾いた。
「ヒルダ姉ちゃんッ!!」
ダイが駆け寄ったときには、少女はすでに意識を失っていた。
その身体を、すぐ近くまで来ていたマァムが受け止める。華奢な少女の体重は思いのほか軽かったが、顔色はひどく悪く、額に浮かんだ汗も冷たかった。
「……ひどい……! こんなになるまで戦っていたなんて……!」
マァムは急いで呼吸を確かめた。幸い、命に関わるような傷は見当たらなかったが、全身には大小の負傷があり、何より身体が完全に衰弱しているようだった。
抱きかかえた少女の顔を間近で見たとき、マァムは思わず息を呑んだ。
長い水色の髪に、驚くほど整った顔立ち。目を閉じたその表情には、激しい戦いを終えたばかりとは思えないほど穏やかな面影が残されており、同性のマァムでさえ、一瞬見入ってしまうほどだった。
「……なんて綺麗な人……。この人が、ヒルダさん……」
「うん! オレたちがデルムリン島で会った人だよ!」
ダイが頷いたものの、その声には不安が滲んでいた。島にいた頃、ヒルダがこれほど傷ついた姿など見たことがない。どれほど激しく木剣を打ち合わせても、彼女はいつも涼しい顔で受け止め、最後には優しく笑ってくれていたのである。
そのヒルダが、今は自分の力で立つことさえできない。
「……マァム! ヒルダ姉ちゃんを助けて!」
「ええ、もちろんよ! でも、まずは安全な場所へ……」
マァムが周囲を見渡した、そのときだった。
背後から、不気味な軋みが聞こえてきた。
「……く……くそ……が……!」
地面に転がっていたフレイザードの身体が、再び動き始めていたのである。
砕けた氷の破片が互いに引き寄せられ、炎の塊が不自然な軌道を描いて集まっていく。その中心では、無傷のまま残された核が鈍い光を放ち、両断された肉体を再び形作ろうとしていた。
「……うそだろ!? あれだけ斬られて、まだ生きてんのかよ!」
ポップが驚愕の声を上げた。
ダイもすぐに剣を構え直し、マァムとヒルダを庇うように前へ出た。フレイザードが倒されたわけではないと分かった以上、ここで油断するわけにはいかなかった。
「マァム! ヒルダ姉ちゃんを頼む!」
「分かったわ! ダイも気をつけて!」
マァムはヒルダの身体を抱え直し、近くの石柱の陰へ向かおうとした。
しかし、そこで足元に転がっている巨大な銀白色の剣に気づいた。ヒルダが先ほどまで使っていた大剣である。あのまま放置しておくわけにもいかず、マァムは少女を片腕で支えながら、空いている手でアストレアの柄を握った。
そして、何気なく持ち上げようとした瞬間。
「……うっ、お、重い……な、何これっ……!?」
予想をはるかに超える重量に、思わず腰が落ちかけた。
普通の剣より大きいことは分かっていたが、これほど重いとは思っていなかった。マァム自身、戦士としても身体を鍛えてきた身であり、腕力には相当な自信がある。それでも、片手で持ち上げたアストレアはずしりと腕へ食い込み、ほんの少し姿勢を崩しただけで、身体ごと引っ張られそうになった。
「……ちょ、ちょっと……! こんなものを振り回していたの、この人……!?」
マァムはどうにか剣を持ち直した。片腕にヒルダを抱え、もう一方の手には巨大な大剣を提げる。それだけでも相当な力仕事だったが、本人はただ、この少女を早く安全な場所へ運ぶことしか考えていなかった。
マァムは慎重に足を進め、戦場から少し離れた太い石柱の陰へヒルダを横たえた。アストレアもその傍らへ置くと、ようやく大きく息をつく。
「……ふぅ。さて、今度はあなたの番よ」
マァムは両手をヒルダの身体へかざした。
「――《ベホイミ》」
柔らかな光が少女を包み込み、傷ついた身体へゆっくりと浸透していく。マァムは額に浮かんだ汗を拭うこともせず、慎重に魔法を維持しながら、呼吸と生命力の回復を確かめ続けた。
そのとき、戦場の向こうから力強い声が響いた。
「――ダイ! 無事か!」
振り返ると、巨大な斧を手にしたクロコダインが、炎魔塔でともに戦ったバダックを連れて駆けつけてきた。その少し後ろからは、銀色の鎧をまとったヒュンケルも姿を現す。2人の戦士には傷が残っていたが、なおも武器を握り、フレイザードへ向かっていた。
「……クロコダイン! ヒュンケル!」
ダイが嬉しそうに叫んだ。
しかし、2人の視線はすぐに、石柱の陰へ横たえられた少女へ向けられた。
「……ヒルダ殿!?」
クロコダインの顔色が変わった。
あれほど無理をするなと言っておいたのに、ほんの短い時間で、再び意識を失うほどの傷を負っている。しかも、周囲の石畳には巨大な剣で切断されたような痕跡が残され、フレイザードの身体まで大きく損傷していた。
「……まったく……! あれほど身体を休めろと言っておいたのに……!」
苦々しく呟いたクロコダインだったが、その声に怒りはなかった。むしろ、自分たちのために力を使い果たした少女を、十分に守ってやれなかった悔しさが滲んでいた。
ヒュンケルもまた、険しい表情でヒルダを見つめていた。
「……ヒルダ……」
彼は一瞬、少女の傍らへ向かおうとした。しかし、目の前ではフレイザードが再生を終えようとしている。今ここで自分たちまで戦線を離れてしまえば、彼女を守る者がいなくなってしまう。
ヒュンケルは唇を引き結び、マァムへ声をかけた。
「……マァム。ヒルダの容態はどうだ?」
「……傷は少しずつ治ってきているわ。でも、身体がひどく弱っているの。魔法を使いすぎたときのような感じなんだけど……」
「……やはり、そうか」
ヒュンケルは小さく息をついた。
彼女がクロコダインと自分を治療するために、どれほどの力を使ったのかは、すでに知っている。その疲労が抜けきらないうちに、フレイザードと戦うことになったのだろう。
「……ヒュンケル?」
マァムは不思議そうに顔を上げた。
「あなた、この人のことを知っているのよね? さっき中央の塔に向かったって言っていたけど……」
「……ああ。俺の命を救ってくれた娘だ」
「……えっ?」
思いがけない答えに、マァムの手が一瞬止まりかけた。
「地底魔城でマグマに呑み込まれた俺を、この娘が救い出してくれた。あの灼熱の中へ、自ら飛び込んでな」
「……そんな……!」
「それだけではない。俺もクロコダインも瀕死の重傷を負っていた。その傷を癒やしてくれたのもヒルダだ」
マァムは言葉を失った。マグマの中へ消えたヒュンケルを見送ったときの絶望は、今も胸から消えていない。もう二度と会えないと思っていた彼が生きているのは、目の前で眠る、この少女のおかげだったのだ。
「……この人が……あなたを……?」
「ああ。だからこそ、今度は俺たちが守らねばならん」
クロコダインも力強く頷いた。
「ヒルダ殿には、俺たち2人とも返しきれぬ恩がある。マァム、どうか治療を頼む」
「……もちろんよ」
マァムはもう一度ヒルダを見つめた。ダイとポップから聞いていた、デルムリン島の優しい女剣士。これほど細い身体でマグマへ飛び込み、重傷の2人を救い、なおフレイザードと戦っていたというのか。驚きと感謝が胸に込み上げ、彼女は改めて治療の手へ力を込めた。
「……大丈夫。今度は私が助けるから……」
誰に聞かせるでもなく呟き、マァムは再び《ベホイミ》へ意識を集中させた。
その背後では、ダイとポップがフレイザードへ向き直り、クロコダインとヒュンケルもそれぞれの武器を構えていた。
かつて敵として刃を交えた者たちが、今は同じ仲間を守るため、肩を並べていた。
◇ ◇ ◇
その後の戦いを、ヒルダはほとんど覚えていない。
地鳴りと衝撃が石柱を震わせ、熱風や冷気が頬を撫でたが、それらはすべて遠い世界の出来事のようだった。ただ、時折注がれる温かな光と、自分の手を取る誰かの気配だけは感じられた。
「……もう少しだから……。頑張って、ヒルダさん……」
知らない女性の声だった。
けれど、その声音はとても優しく、どこか懐かしいものを感じさせた。なぜ自分の名前を知っているのだろうと不思議に思いながらも、問いかけるだけの力がなく、ヒルダは再び深い眠りへ引き込まれていった。
◇ ◇ ◇
次に意識が浮かび上がったのは、凄まじい爆発音が響いたときだった。
「……っ……」
ヒルダは微かに眉を動かした。
重い瞼を開くと、霞んだ視界の向こうに、石柱や崩れた外壁が見えた。そこかしこで炎が燃え上がり、大小の岩石が宙を飛び交っている。
どうやら、戦いはまだ続いているらしい。
フレイザードは自らの身体を粉々に砕き、無数の岩石の弾となってダイたちへ襲いかかっていた。その激しい攻撃を、仲間たちが懸命に防いでいる。
「……ダイくん……?」
声を出したつもりだったが、喉から漏れたのは、かすかな息だけだった。
そのとき、ヒュンケルの鋭い声が響いた。
「ダイ! 目に頼るな! 心の目で奴の悪のエネルギーを感じるんだ!」
その言葉を聞いた瞬間、ヒルダはぼんやりと顔を上げた。
視線の先では、ダイが目を閉じ、剣を構え直していた。先ほどまで激しく動き回っていた少年は、不思議なほど落ち着いた様子で、目の前の敵へ意識を集中させている。
そして、次の瞬間。
「――《空裂斬》!!」
眩い光が、戦場を貫いた。
それは岩石の身体ではなく、内側の邪悪な力を捉える一撃だった。光はフレイザードの中心を貫き、その肉体を維持する力を揺るがした。
「……あ……」
ヒルダの唇が、わずかに動いた。
アバン流刀殺法。
アバンが語っていた3つの基本技。その最後の《空裂斬》をダイが会得したのだと、朦朧とした意識の中でも分かった。
しかし、それ以上考えることはできなかった。
光が消えるとともに視界が暗くなり、ヒルダは再び意識を失った。
◇ ◇ ◇
どれほど時間が経ったのだろう。
再び目を覚ましたとき、ヒルダが最初に感じたのは、全身を包んでいた痛みがかなり和らいでいることだった。
まだ身体は重く、指先を動かすだけでも疲れを感じる。それでも傷は癒え始め、呼吸も落ち着いていた。
「……あっ! 気がついたのね!」
顔を向けると、桃色の髪の少女が心配そうに覗き込んでいた。手には淡い回復魔法の光が宿っている。
「……あの……あなたは……?」
「私はマァムよ。ダイとポップの仲間なの」
「……マァムさん……。わたしを、助けてくださったんですね……」
「ええ。でも、まだ動いちゃ駄目。傷は治ってきたけど、ものすごく疲れているんだから」
マァムはもう一度《ベホイミ》を唱えた。温かな光が残った傷を癒やしていくが、消耗したマナまで戻すことはできない。
「……ありがとうございます……」
「お礼なんていいのよ。今は休んでいて」
その声にヒルダは小さく微笑んだ。ダイたちは優しい仲間に恵まれているらしい。そのとき激しい金属音が響き、顔を上げると、黒々とした鎧の戦士が目に入った。
「……あれは……?」
「フレイザードよ。さっきダイの《空裂斬》で身体を砕かれたんだけど、ミストバーンっていう魔王軍の軍団長が、あいつに鎧を渡したの」
「……あの鎧を……?」
「ええ。もう少しで倒せそうだったのに。でも、ダイならきっと大丈夫よ」
ヒルダは戦場へ目を向けた。鎧の拳は石畳を砕くほど重い。それでもダイはむやみに打ち合わず、相手の動きに合わせて間合いを変え、反撃の機会を探っていた。
デルムリン島で毎日のように木剣を振っていた少年。初めは力任せに踏み込んでは受け流され、それでも翌日にはまた目を輝かせて稽古をせがんできた。その少年が、今は魔王軍の強敵と堂々と渡り合っている。
「……ダイくん……」
ヒルダの口元に、小さな微笑みが浮かんだ。
そして、少年がある構えを取った瞬間、その表情が変わった。
剣を身体の後方へ引き、全身の力をひとつの流れへ集めていく。そこには、以前アバンが見せてくれた剣技と共通する、独特の気配があった。
ヒルダは思わず息を呑んだ。
デルムリン島を出発する前夜。
月明かりの下、アバンと交わした最後の手合わせ。あのとき目にした、アバン流刀殺法の奥義。
ダイは今、その構えを取っている。
「……アバンさんの……!」
思わず漏れた声に、マァムも顔を上げた。
戦場では、ヒュンケルがダイの姿を見つめていた。彼もまた、少年が何をしようとしているのかを理解したらしく、その表情には驚きと、どこか誇らしげなものが浮かんでいる。
フレイザードはなおも自らの鎧を誇示し、凄まじい勢いで突進してきた。しかし、ダイの眼差しには、もはや恐れも迷いもなかった。
《大地斬》《海波斬》《空裂斬》。3つの剣技が、少年の中でひとつにつながろうとしていた。
「――《アバンストラッシュ》!!」
ダイの叫びとともに、眩い剣閃が走った。
ヒルダの目には、その一瞬が不思議なほど鮮明に映った。剣へ込められた力が無駄なく解放され、少年の身体と刃が、ひとつの流れとなって敵を貫いていく。
あの夜にアバンが見せた奥義と同じ構え。けれど、その剣は単なる模倣ではない。ダイ自身が幾度もの戦いを経て、完成させた一撃だった。
凄まじい破砕音が響き、フレイザードの鎧へ巨大な亀裂が走った。頑丈な装甲は次々と砕け散り、内部を満たしていた魔炎が、制御を失って噴き出していく。
「……ば……馬鹿なァァァッ!!」
フレイザードの絶叫が、広場へ響き渡った。
そして、巨大な鎧が崩壊した。
石畳へ無数の金属片が散らばり、濛々とした土煙が立ち上る。その向こうで、ダイが剣を振り抜いた姿勢のまま立っていた。
戦いは、終わったのだ。
「……やった……! やったわ、ダイ!!」
マァムが歓声を上げた。
ポップも嬉しそうに叫び、クロコダインは豪快な笑い声を響かせた。ヒュンケルも静かに頷き、剣を握る手からようやく力を抜いた。
ヒルダは何も言わず、ダイの姿を見つめていた。
胸の奥に、温かなものが広がっていく。
初めてデルムリン島で出会ったとき、剣を教えてほしいと目を輝かせていた少年。そのダイが、いつの間にかこれほど立派な剣士になっていた。
「……本当に……強くなられたんですね……」
小さく呟いた声には、驚きとともに、隠しきれない喜びが滲んでいた。
◇ ◇ ◇
しかし、喜びに包まれた広場で、ヒルダだけは、ある異変に気づいていた。
砕け散った鎧の残骸の中に、小さな炎が残されていたのである。
それは、つい先ほどまで巨大な肉体を形成していたフレイザードの、最後に残された命の灯だった。魔力はほとんど失われ、炎は今にも消えそうなほど弱々しい。それでも彼は、何とか形を取り戻そうとするように、地面の上でもがいていた。
「……ぐ……うう……!」
かすかな呻き声が聞こえた。
ヒルダはその姿を見つめ、静かに眉を寄せた。
あれほど多くの人々を苦しめ、レオナを氷に閉じ込め、勝利のためなら手段を選ばなかった魔物。その行いを許すことはできないし、再び誰かを傷つけるなら、何度でも止めなければならない。それでも、あの小さな炎からは、なお生きようとする意志が感じられた。
そのときだった。
広場の向こうから、白い衣をまとった長身の人物が歩いてきた。
魔影軍団長ミストバーン。
深く顔を隠したその人物は、崩れ落ちた鎧を一瞥すると、残されたフレイザードの炎へ近づいていった。
「……あの方は……?」
ヒルダが小さく呟いた。
その声に、マァムが振り返った。
「……ミストバーンよ。さっきフレイザードに鎧を渡した、魔王軍の軍団長……」
ヒルダはその人物から放たれる奇妙な気配へ意識を向けた。
白い衣の奥には、底知れぬ闇が潜んでいるようだった。ヒルダは不安を覚えたが、今はそれを探る力も残っていない。
ミストバーンは地面の炎を見下ろし、低い声で何かを告げた。そこには敗れた仲間への労りなどなく、与えた鎧を壊されたことへの冷たい失望だけがあった。
「……な……何だと……!?」
炎が必死に揺らめいた。けれどフレイザードが何か言い返すより早く、ミストバーンは無造作に足を持ち上げ、その小さな炎を踏み潰した。
「……っ!?」
石畳へ押しつけられた炎が一度だけ燃え上がり、消えた。フレイザードは、今度こそ完全に消滅したのである。
「……ひでえ……。仲間だったんじゃねえのかよ……」
ポップの掠れた声が聞こえた。
その言葉に、ヒルダも静かに目を伏せた。
勝利のために他人の命を踏みにじったフレイザードを、ヒルダは許していない。ダイが彼を倒したことも間違っていないと思う。それでも、戦いに敗れた仲間の命を、これほどあっさりと奪えるものなのだろうか。
「……あの方は……あなたの、仲間ではなかったのですか……?」
声は静かだったが、ミストバーンを見つめる水色の瞳から柔らかな光が消えていた。クロコダインもヒュンケルも、かつては魔王軍の軍団長だった。彼らの変化を知っているからこそ、敗者には生きる価値さえないと言わんばかりの仕打ちが、ひどく悲しかった。
ミストバーンは少女の視線に気づいたのか、わずかに顔を向けた。
2人の視線が、一瞬だけ交わる。
しかし、ミストバーンは何も答えなかった。
やがて彼はゆっくりと背を向け、広場を去っていった。
ヒルダはその姿を見送ったあと、ようやく小さく息をついた。
胸の奥には、冷たく重いものが残されていた。
◇ ◇ ◇
フレイザードとの戦いが終わり、広場にはようやく穏やかな空気が戻り始めた。ダイは剣を下ろして息を整え、ポップが嬉しそうに肩を叩いている。
しかし、勝利の喜びに浸っている時間はなかった。
「……よし! 早くレオナを助けに行こう!」
ダイの呼びかけに、仲間たちも表情を引き締めた。フレイザードは倒したものの、レオナを閉じ込めている氷が消えたとは限らない。残された時間も少なく、一刻も早く様子を確かめる必要があった。
一行は急いでバルジの塔へ向かった。マァムはヒルダの身体を支えながら歩き始めたが、傷の大部分が治っているとはいえ、失われたマナはほとんど回復していない。まだ足元がおぼつかない少女の様子を見て、思わず眉を寄せた。
「……ヒルダさん、本当に大丈夫?」
「……はい。おかげさまで、だいぶ楽になりました。ありがとうございます」
「もう。無理しちゃ駄目って言ってるのに」
「……すみません。でも、皆さんがご無事だったので……」
「それとこれとは別でしょ?」
きっぱり返され、ヒルダは驚いたように目を瞬かせた。その反応にマァムは思わず笑ってしまう。あれほどの剣技を使うのに、どこか素直で柔らかな少女だった。
「……ふふっ。あなたって、何だか不思議な人ね」
「……そうでしょうか?」
マァムは笑みを収め、改めてヒルダを見つめた。
「……ヒュンケルを助けてくれて、本当にありがとう」
「私たち、ヒュンケルが死んじゃったと思っていたの。あの人がマグマに呑み込まれるのを見て、何もできなかったことがずっと心に残っていて……」
言葉の終わりが震えた。ヒルダはその気持ちを受け止めるように、静かに微笑んだ。
「……ヒュンケルさんがご無事で、わたしも嬉しいです。あのとき、間に合って本当によかったと思っていますから……」
「それに、マァムさんも、わたしを助けてくださいました。ですから、お互いさまですね」
その言葉に、マァムは一瞬だけ目を丸くした。
そして、ふっと笑った。
「……そうね。じゃあ、お互いさまってことにしておくわ」
まだ会ったばかりの2人だったが、不思議とそれ以上の言葉は必要なかった。
やがて一行は塔の内部へ入り、最上階へ続く階段を上り始めた。ダイとポップが先を行き、クロコダインたちもその後に続いている。
その途中、バダックがマァムに支えられて歩くヒルダへ、興味深そうな視線を向けた。
「……ところで、こちらのお嬢さんは?」
「あっ、そうだった!」
ダイが振り返り、声を上げた。
「この人がヒルダ姉ちゃんだよ! デルムリン島で、オレに剣を教えてくれたんだ!」
「……初めまして。ヒルダと申します」
ヒルダは丁寧に頭を下げようとしたが、身体がふらついたため、マァムが慌てて支え直した。
「……もう! 無理してお辞儀しなくてもいいのに!」
「……あっ。すみません……」
申し訳なさそうに微笑む少女の姿に、バダックは少し驚いたように目を丸くした。先ほどまであの恐ろしいフレイザードと戦っていたという女剣士が、これほど穏やかで礼儀正しい少女だったとは思わなかったのである。
「……ほほう。おぬしが、噂のヒルダ殿か! いやはや、こんなに若いお嬢さんだったとはのう!」
バダックは感心したように頷いた。
その言葉を聞きながら、ヒルダは少し前を歩くダイへ目を向けた。先ほどまで戦っていたときの鋭い眼差しは、すでに普段の明るいものへ戻っている。けれど、その姿は、デルムリン島で毎日のように剣の稽古をしていた頃より、ずっと頼もしく感じられた。
「……ダイくん。先ほどの剣、とても素晴らしかったです」
「……えっ?」
「《アバンストラッシュ》……。見事に完成されましたね。わたし、驚いてしまいました」
ダイは少し照れくさそうに笑った。
「……へへっ。ありがとう!」
ヒルダも嬉しそうに微笑んだ。
「……アバンさんも、きっとお喜びになると思います」
その言葉を聞いた瞬間、ダイの表情が曇った。ポップも静かに目を伏せる。ヒルダは2人の様子に気づき、不思議そうに首を傾げた。
「……あの……どうかされましたか?」
「……ヒルダ姉ちゃん……アバン先生は、もういないんだ」
「……え……?」
「デルムリン島にハドラーが来て……。オレたちを守るために、先生が……」
ヒルダの足が、思わず止まりかけた。
脳裏に浮かんだのは、島を発つ前夜、月明かりの下で剣を交えたアバンの姿だった。穏やかに笑いながらも、その剣には幾度もの死線を越えた者だけが持つ確かな信念が宿っていた。
卓越した剣士でありながら力を誇らず、弟子たちの未来を誰より信じていた人。別れ際には、またいつか手合わせをしたいと微笑んでくれた。ヒルダも、再び会える日を楽しみにしていたのだ。
その願いが、もう叶わない。
「……アバンさん……」
小さく名前を呼ぶと、胸の奥へ深い悲しみが広がった。つい先ほどまで、ダイの成長を見たならどれほど喜んだだろうと考えていた。その人に、もう何も伝えることができないのだと思うと、言葉が見つからなかった。
やがて顔を上げると、ダイとポップも辛そうに彼女を見つめていた。ヒルダがともに過ごしたのは短い時間だったが、2人にとってアバンは、大切な師だったのだ。
「……お辛かったですね……お二人とも……」
聞きたいことはいくつもあった。しかし、レオナの救出がまだ残っている。ヒルダは涙をこらえるように目を伏せると、再び階段を上り始めた。
「……詳しいことは、また後で聞かせてください。でも、アバンさんが教えてくださったことは、ちゃんと皆さんの中に残っているんですね。先ほどの《アバンストラッシュ》を見て、それがよく分かりました」
ダイはしばらく黙っていたが、やがて力強く頷いた。
「……うん。オレ、もっと強くなるよ。アバン先生が教えてくれたこと、絶対に忘れない!」
その声を聞き、ヒルダは静かに微笑んだ。
「……はい。きっと、なれますよ」
そのやり取りを、ヒュンケルは少し後ろから見つめていた。かつて憎み続けていた師の名が、今はこれほど温かな思いとともに語られている。そのことに、青年は複雑な感情を抱きながらも、どこか救われるような気持ちになっていた。
やがて、一行は最上階へ続く階段を上りきった。
その先には、レオナが待っている。
◇ ◇ ◇
バルジの塔の最上階には、今も巨大な氷の塊が残されていた。
青白く透き通った氷の内部では、金色の髪を持つ少女が静かに目を閉じている。フレイザードが倒されたことで、周囲を満たしていた異様な冷気は幾分弱まっていたが、氷そのものが消える気配はなかった。
「……レオナ!」
ダイが真っ先に駆け寄った。
しかし、氷へ触れようとしたところで、ヒルダが静かに声をかけた。
「……ダイくん。少し、お待ちください」
「……ヒルダ姉ちゃん?」
「……この氷は、普通のものではないようなんです。先ほど調べたとき、レオナさんの生命活動と、氷の中の魔力が複雑に結びついているように感じられました」
ヒルダはマァムに支えられながら氷へ近づき、慎重にその表面へ手を触れた。
内部からは、まだかすかな生命の気配が伝わってくる。しかし、反応は以前より弱まり、残された時間が長くないことは明らかだった。
「……そんな……! じゃあ、どうすればいいんだよ!?」
ダイが焦ったように叫んだ。ヒルダは氷を維持する術式を見つめ、考え込んだ。万全ならば少しずつ魔力を解きほぐすか、十分な熱を与えて氷だけを溶かす方法も試せるかもしれない。けれど今は、マナがほとんど残っておらず、異なる世界の術式へ強引に干渉することも危険だった。
「……どうにか、氷を溶かすことができれば……」
ヒルダが小さく呟いたときだった。
「……待って。ひとつ、方法があるかもしれないわ」
マァムが顔を上げた。
彼女の手には、これまで幾度も戦いをともにしてきた魔弾銃が握られていた。
「……これを使うの。普通の炎じゃ溶かせないなら、もっと強い熱を一度に与えればいいんじゃないかしら」
「……魔弾銃か!」
ポップが顔を上げた。
マァムは頷くと、手元の魔弾を取り出した。そこにはすでに《ギラ》の呪文が込められており、さらに《ベギラマ》の力を重ねることができれば、通常の炎とは比較にならないほど強烈な閃熱を生み出せるはずだった。
「……でも、それじゃあ魔弾銃が……!」
ポップが言いかけ、口を閉じた。
《ギラ》と《ベギラマ》を重ねて放てば、魔弾銃そのものが負荷に耐えきれず、壊れてしまうかもしれない。
それは、アバンがマァムへ授けた大切な武器だった。ヒルダはそのことを知り、静かに尋ねた。
「……その銃は、アバンさんからいただいたものなんですね……?」
「……ええ。先生が、私に残してくれた大切なものよ」
ヒルダの胸が痛んだ。つい先ほど、その死を知らされたアバンが、弟子へ託したかけがえのない品。できることなら、失わせずにレオナを助ける方法を探したかった。
「……あの、少しだけ……わたしに、試させていただけませんか?」
ヒルダは静かに右手を掲げた。
指先へ、わずかなマナが集まり始める。彼女は慎重に意識を集中させ、小さな炎を生み出そうとしたが、その光は一瞬だけ揺らめいたあと、すぐに消えてしまった。
「……っ……」
身体が大きくふらついた。
「――ヒルダさん!」
マァムが慌てて支えた。
「……駄目よ! まだ魔法を使えるような状態じゃないんでしょう!?」
「……でも……。もしかしたら、わたしの魔法でも……」
「ヒルダ!」
今度はヒュンケルが声をかけた。
振り返ったヒルダは、青年の険しい表情を見て、思わず言葉を飲み込んだ。
「……お前は、もう十分に戦った。これ以上無理をする必要はない」
「……ですが……」
「……ヒルダ殿」
クロコダインも穏やかに声をかけた。
「お前がレオナ姫を助けたいと思う気持ちは、よく分かる。だが、ここには俺たちもおる。何もかも、お前ひとりで背負うことはあるまい」
ヒルダは2人を見つめ、言葉を失った。さらに、傍らのマァムが優しく微笑む。
「……ヒルダさん。今度は私たちに任せて」
目の前でレオナが助けを待っていると思うと、何もできないことがもどかしい。けれど、無理を重ねればまた皆を心配させてしまう。その眼差しに込められた気持ちを、今度こそ受け取らなければならなかった。
「……そう、ですね……」
やがて、ヒルダは小さく頷いた。
「……すみません。では、皆さんにお任せしても、よろしいでしょうか……?」
「もちろんよ!」
マァムは力強く答えた。
そして、改めて魔弾銃を握り直した。
「……この銃は、アバン先生が私にくださったものなの。だからこそ、最後まで誰かを助けるために使いたいわ」
その眼差しには、迷いがなかった。
ヒルダは彼女を見つめ、静かに微笑んだ。
「……はい。きっと、アバンさんも同じことをおっしゃると思います」
マァムも小さく笑った。
しかし、そこで新たな問題が浮かび上がった。
《ベギラマ》を使えるポップが、すでに魔法力をほとんど使い果たしていたのである。
「……くそっ……! ここまで来て……!」
ポップは杖を握りしめ、何とか魔力を集めようとした。しかし、長い戦いで消耗した身体は思うように応えず、指先にわずかな光が生じたところで、すぐに霧散してしまう。
「……畜生……! あと1発だけでいいってのに……!」
悔しそうに歯を食いしばる少年の姿に、ヒルダは胸を締めつけられる思いがした。
誰もが最後まで諦めようとしていない。それなのに必要な魔法力が足りず、重苦しい沈黙が広間を満たした。
そのときだった。
「……オレが、やってみる!」
ダイが一歩前へ出た。
「……ダイ?」
マァムが驚いたように顔を上げた。
少年は真剣な表情で、氷の中のレオナを見つめていた。
「……レオナを助けたいんだ。だから、オレがやる!」
その声には、少しの迷いもなかった。
ポップは驚いたように少年を見つめたが、やがて何かを思い出したように目を見開いた。
「……そうか……! ダイ、お前なら……!」
ダイは頷くと、マァムから魔弾を受け取った。
そして、それを両手で大切に包み込み、ゆっくりと目を閉じた。
ヒルダは目を見開いた。ダイの身体の奥で、普段の魔法とは異なる強大な力が目覚めようとしている。そして、少年の額に、竜をかたどったような眩い紋様が浮かび上がった。
デルムリン島でも、その内に眠る不思議な力を感じたことはある。今はそれが、レオナを救いたいという純粋な願いに応えるように、手の中の魔弾へ集まっていた。
「――《ベギラマ》!!」
ダイの声とともに、眩い閃熱の光が生まれた。
魔弾に込められていた《ギラ》の力へ、《ベギラマ》が重なっていく。小さな弾丸の内部では、通常ならば決して共存できないほどの魔法力が激しく渦巻き、今にも破裂しそうな輝きを放っていた。
「……やった……!」
ポップが歓声を上げた。
マァムはすぐに魔弾を受け取り、銃へ装填した。
その手は、わずかに震えていた。
アバンから授かった、大切な魔弾銃。
これまで何度も自分たちを助けてくれた武器を、今、自らの手で壊してしまうかもしれない。
けれど、マァムに迷いはなかった。
彼女は一度だけ銃を見つめ、静かに目を閉じた。
「……先生。力を貸してください……」
そして、氷の中のレオナへ銃口を向けた。
ダイはその隣へ立ち、祈るような眼差しで少女を見つめていた。
ヒルダもまた、両手を胸元へ重ねた。
今の自分にできることは、ほとんどない。それでも、皆の思いが届くことを、心から願っていた。
「……お願い……!」
マァムが引き金を引いた。
次の瞬間、眩い閃光が塔の広間を包み込んだ。
◇ ◇ ◇
凄まじい熱が、巨大な氷の塊へ叩き込まれた。
《ギラ》と《ベギラマ》を無理やり重ね合わせた魔弾は、本来の魔法をはるかに上回る熱量を一瞬で解放し、レオナを閉じ込めていた禁呪法の氷へ激しく作用した。
青白い表面に、無数の亀裂が走る。
それまで頑なに形を保っていた氷が、内部から激しく揺らぎ始めた。
「……いける……!」
ポップが思わず声を上げた。
ヒルダもまた、その変化を感じ取っていた。
氷の内部を巡っていた異質な魔力が、急速に弱まっている。レオナの生命活動を縛りつけていた術式が崩れ、閉じ込められていた身体が、少しずつ本来の状態へ戻ろうとしていた。
しかし、それと同時に、乾いた破砕音が響いた。
「……あっ……!」
マァムが目を見開いた。
手に握られていた魔弾銃の銃身へ、巨大な亀裂が走ったのである。内部の機構が耐えきれず、金属製の部品が次々と弾け飛び、とうとう銃全体が大きく破損してしまった。
それでも、放たれた魔弾の力は止まらなかった。
巨大な氷が、眩い光に包まれていく。
やがて、無数の亀裂は氷塊の奥深くまで達し、青白い表面から大量の蒸気が噴き出した。内部の魔力が次々と弱まり、巨大な氷はとうとう形を保てなくなった。
「……レオナッ!!」
ダイが叫んだ。
白い蒸気が広間を覆い、視界が一瞬遮られた。しかし、その向こうでは確かに氷が溶け始めており、閉じ込められていた少女の姿が少しずつ露わになっていく。
ダイは居ても立ってもいられず、氷の前へ駆け寄った。
そして、最後の氷が砕け散った瞬間、支えを失って前へ倒れかけたレオナの身体を、両腕でしっかりと受け止めた。
「……レオナ! レオナッ!」
何度も名前を呼びながら、その顔を覗き込む。
しかし、少女は目を閉じたまま動かなかった。レオナの顔は青白く、金色の髪は濡れて頬に張りついている。身体にはほとんど温もりがなく、どれだけ呼びかけても返事がなかった。
「……レオナ……。起きてよ……!」
ダイは少女を抱きしめた。ようやく助け出せたというのに、このまま目を覚まさなかったら。そんな不安が胸を締めつける。
周囲の仲間たちも息を呑んで見守っていた。マァムは壊れた魔弾銃を抱え、ヒルダはレオナの弱い生命の気配を確かめ続けている。
そのとき、少女の胸がほんのわずかに上下した。
「……ダイくん! レオナさん、息をされています!」
「……えっ!?」
ダイは慌てて少女の顔へ耳を近づけた。
最初は何も聞こえなかった。しかし、しばらく息を潜めていると、かすかな呼吸音が耳に届き、抱きかかえた身体からも、弱々しいながら確かな鼓動が感じられた。
「……生きてる……!」
ダイの瞳が大きく見開かれた。
「……レオナ、生きてるよ!!」
少年の叫びが、塔の広間へ響き渡った。
「……やった! やったじゃねえか、ダイ!!」
ポップが歓声を上げ、思わず拳を突き上げた。バダックも感極まったように何度も頷き、クロコダインは大きく息をつくと、豪快な笑い声を響かせる。
ヒュンケルも、ようやく表情を緩めた。静かに息をつき、ダイへ頷きかける。
「……よくやったな、ダイ……」
やがて、ダイの腕の中で小さな動きがあった。
「……う……」
「……レオナ!?」
少年が驚いて顔を上げた。
レオナの閉じられていた瞼が、ゆっくりと動いたのである。
少女はしばらく眩しそうに目を細めていたが、やがて目の前にいる少年の顔を認めると、かすかに唇を動かした。
「……ダイ……くん……?」
その声は、今にも消えてしまいそうなほど弱々しかった。
しかし、確かにレオナ自身の声だった。
「……レオナッ!!」
ダイは思わず少女を強く抱きしめた。
「……よかった……! 本当に、よかった……!」
それまで必死に堪えていたものが、一気に溢れ出したのだろう。ダイの目には涙が浮かび、その声も震えていた。
レオナはまだ状況を十分に理解できていないようだったが、少年が自分を抱きしめていることに気づくと、わずかに微笑んだ。
「……ふふっ……。そんな顔……しないでよ……」
弱々しくも、どこか普段と変わらない口調だった。
その言葉を聞いた途端、ダイの顔がくしゃくしゃになった。
ポップはそんな2人を見て笑いながら目元を擦り、マァムもようやく肩の力を抜いた。
しかし、彼女の腕の中には、壊れた魔弾銃が残されていた。
銃身は大きく裂け、もう元には戻らない。アバンから授かり、幾度もの戦いをともにしてきた大切な武器だった。失う寂しさは確かにあったが、それでも最後にレオナの命を救えたことを、後悔したくはなかった。
マァムはそっと魔弾銃を胸へ抱き寄せた。
「……先生……」
「……今まで、ありがとう……」
小さく呟き、マァムは静かに目を閉じた。
その傍らで、ヒルダは何も言わず彼女の姿を見つめていた。アバンがマァムへ託したものは、武器だけではない。ダイの《アバンストラッシュ》も、マァムが友人のために引き金を引いた決断も、師の想いを確かに受け継いでいる。
けれど、そう思うほどに、あの穏やかな笑顔を浮かべていたアバンにもう会えないことが悲しかった。デルムリン島の月明かりの下で剣を交えた夜を思い出し、ヒルダは静かに目を伏せる。
「……アバンさん。皆さん、本当に立派になられましたよ……」
声には、悲しみと、弟子たちの成長を喜ぶ温かさが入り混じっていた。
ふと、ダイが顔を上げた。
「……ヒルダ姉ちゃん!」
「……はい?」
「レオナ、助かったよ!」
少年は、満面の笑顔を浮かべていた。
その腕の中では、レオナがまだ少し疲れた様子ながらも、穏やかに微笑んでいる。
ヒルダは2人の姿を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……はい。本当に、よかったです……」
――第10話・了――