白き薔薇の聖女 × ダイの大冒険   作:AmethystBlue

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第4話 不死の軍勢と水色の剣士

 ホルキア大陸、パプニカ王国。

 

 かつて豊かな自然と人々の営みに満ちていたこの国は、今や戦火に包まれようとしていた。街道には避難民の列が続き、各地の村や町では魔王軍の襲撃に備えて門を閉ざし、王国軍の兵士たちが慌ただしく防衛線を築いている。平穏な日々が失われてから、すでに幾日もの時間が流れていた。

 

 その元凶となっているのが、魔王軍六大軍団の一角、不死騎団である。

 

 骸骨兵や屍の兵士、そして数々の不死の魔物によって構成された軍勢は、人間の軍隊とは大きく異なる性質を持っていた。痛みを恐れず、負傷しても進撃を止めず、生きている者ならばとうに力尽きているような状態になっても、なお敵へ襲いかかる。そんな兵士たちを相手に、パプニカ王国軍は各地で苦戦を強いられていた。

 

 それでも、王国はまだ滅んでいない。

 

 王都へ通じる要所には兵が配置され、地方の領主や守備隊も必死に抵抗を続けていた。しかし、魔王軍は圧倒的な物量と不死の軍勢という利点を生かし、少しずつ人間側の勢力圏を削り取っている。

 

 そして、その侵攻を指揮している男は、今のところ戦況に大きな不満を抱いてはいなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 パプニカ王国の地方に築かれた古い砦。その一角を占拠した不死騎団の臨時指揮所では、数体の魔物が戦況を報告するために集まっていた。

 

 石壁には王国軍から奪った軍旗が無造作に掛けられ、卓上には周辺地域の地図が広げられている。そこに記された村や町のいくつかには、すでに不死騎団の進軍を示す印が付けられていた。軍勢が移動するたび、その印は王都へ向かって着実に増えている。

 

 地図の前に立つのは、銀色の鎧を身にまとった長身の男だった。

 

 鋭い眼差しに、肩まで伸びた銀色の髪。若い人間の剣士としか思えない容姿を持ちながら、その周囲に控えているのは、いずれも魔王軍に属する不死の魔物たちである。

 

 男の名はヒュンケル。

 

 魔王軍不死騎団長にして、かつて勇者と呼ばれた男アバンを師に持つ、異色の剣士だった。

 

「……東側の街道を守っていた人間どもは、すでに後退しております。現在、我が軍の先遣隊が周辺の集落を制圧しながら、次の拠点へ進軍中です」

 

 報告を行っているのは、ヒュンケルのすぐ傍らに控えていた、腐敗した身体を持つ魔物だった。ところどころ骨の浮き出た顔に、土気色の皮膚。見るからに不気味な風貌ではあるが、その物腰は丁寧で、主君に対しては深い敬意を払っている。

 

 彼の名はモルグ。不死騎団に所属するアンデッドであり、ヒュンケルの側近として仕えている人物だった。

 

 魔王軍の兵士であることに違いはないものの、モルグの忠誠心は、軍団そのものよりもヒュンケル個人へ向けられているように見えた。主君の実力を誰よりも信頼し、その命令に従うことを当然としながらも、時には身を案じるような言葉をかける。不死の魔物でありながら、その振る舞いにはどこか人間味すら感じられた。

 

 ヒュンケルはモルグの報告を聞きながら、卓上の地図へ視線を落としていた。数日前まで人間側が守っていた地点には、不死騎団の印がいくつも加えられている。王都へ続く主要な道を押さえつつ、周辺の集落を順次制圧するという方針は、おおむね予定どおりに進んでいるようだった。

 

「南方の守備隊については?」

「こちらも抵抗を続けておりますが、兵力は減少しております。王都から援軍が送られた模様ですが、現在のところ、我が軍の進撃を止めるほどの規模ではありません」

「そうか。ならば、そのまま進めろ。わざわざ俺が出向くほどのことでもあるまい」

 

 ヒュンケルは淡々と言い放った。

 

 パプニカが弱小国家というわけではない。むしろ、優れた兵士や魔法使いを抱え、長い歴史を持つ王国であることは、ヒュンケルも承知していた。しかし、現在の魔王軍を相手にしては、その力もあまりに不足している。

 

 まして、相手は不死騎団だ。

 

 生身の人間ならば恐れるはずの負傷も、疲労も、死への恐怖も、最前線で剣を振るう骸骨兵たちには通用しない。人間側が苦心して1体を倒している間にも、別の兵士が次々と押し寄せるのだから、並の守備隊では長く持ちこたえられないだろう。

 

 ヒュンケル自身が本気で剣を振るえば、王国軍の防衛線など容易に突破できる。少なくとも彼は、それだけの自信を持っていた。

 

 だが、だからといって、自ら出向いて雑兵を斬り伏せることに意味があるとも思えなかった。

 

「王都の守りが多少堅かろうと、時間の問題だ。人間どもがどこまで持ちこたえるか、見物させてもらおう」

 

「……承知いたしました。ヒュンケル様がお望みとあらば、我らはそのご命令に従うまででございます」

 

 モルグが恭しく頭を下げると、ヒュンケルは軽く頷いた。長く仕えているこの側近が、自分の考えに異を唱えることは滅多にない。それでいて、戦況の細かな変化にも気を配り、必要なことは先回りして手配してくれるため、ヒュンケルも相応の信頼を置いていた。

 

 そう告げて立ち去ろうとしたところで、指揮所の入口から別の魔物が駆け込んできた。

 

「ヒュンケル様! ご報告がございます!」

 

 ヒュンケルは足を止め、振り返った。報告に現れた魔物は慌てた様子だったが、特別に大きな戦闘があったという連絡も受けていない。彼はわずかに眉を動かし、続きを促した。

 

「どうした」

「北西の集落へ向かった部隊から、予定の連絡が届いておりません。偵察に向かった者も戻らず、現在、所在が確認できない状態です」

「……消息不明だと?」

 

 ヒュンケルは地図へ視線を戻した。北西の集落は大きな町ではなく、守備兵もほとんど配置されていないはずだった。そこへ向かったのは小規模な先遣隊だが、相手が民兵程度なら、十分に制圧できる戦力だったはずである。

 

「人間側の伏兵か?」

「分かりませぬ。ただ、付近で大規模な戦闘が行われたという情報はありません」

「ならば、調べさせろ。単なる連絡の遅れか、どこかで足を止められたのだろう」

 

 ヒュンケルはそれだけ告げると、再び歩き出した。

 

 地方の小さな集落へ向かった部隊が1つ消息を絶ったところで、戦況全体が変わるわけではない。仮に人間側が待ち伏せを仕掛けたのだとしても、それならば対応する部隊を送ればよいだけの話だった。

 

 このときのヒュンケルにとって、報告は数多くある戦況の変化の1つに過ぎなかった。

 

 しかし、異変はそれだけでは終わらなかった。

 

 数日後、今度は別の街道を進んでいた部隊が壊滅したとの知らせが届いたのである。

 

 しかも、そこは最初の集落からかなり離れた地域だった。人間側の抵抗が激しかったという報告もなく、部隊を率いていた指揮官からの連絡も途絶えている。確認に向かった偵察兵が見つけたのは、周囲に散乱する骸骨兵の残骸と、攻撃を受けながらも無事に残されていた村の建物だった。

 

「……妙だな」

 

 ヒュンケルは地図を眺めながら、低く呟いた。

 

 最初の1件ならば、単なる不測の事態として片づけられる。しかし、離れた地域で同様の被害が続くとなれば、偶然と考えるには少々無理がある。しかも、部隊が壊滅したというのに、人間側の守備兵が大きな損害を受けたという情報は届いていなかった。

 

「人間どもが、新手の部隊を投入したのか?」

「現時点では確認できておりません。ただ、周辺の村では、何者かが魔王軍を撃退したという噂が広まっているようです」

 

 モルグが答えると、ヒュンケルはわずかに眉をひそめた。

 

「何者か、だと?」

 

 ヒュンケルの声に、わずかな苛立ちが混じった。

 

 部隊が撃破されたというのに、その相手が誰なのかも分からない。そんな曖昧な報告を聞かされても、指揮官としては判断のしようがなかった。

 

「……くだらん。相手が誰であろうと、王都攻略の方針は変わらん。だが、いつまでも正体不明の敵に兵を失うわけにもいくまい。付近の部隊には警戒を命じ、別に偵察を出せ」

「かしこまりました。私めの方でも、詳しく調べさせていただきます」

 

 モルグは深く頭を下げたが、その場を離れる前に、わずかに言い淀んだ。

 

「……ヒュンケル様。もし、その敵が相当な手練れであった場合は、どうかご自身で無理に対処なさいませぬよう」

「ふっ。心配するな、モルグ。俺がわざわざ剣を抜くほどの相手かどうかも、まだ分からんのだ」

 

 ヒュンケルが薄く笑うと、モルグは安堵したように頭を下げた。彼が主君の実力を疑っているわけではないことは、ヒュンケルにも分かっている。ただ、どれほど強い相手であろうと、自分が信頼する主人には無用な危険を冒してほしくないのだろう。

 

 モルグが指揮所を出ていくと、ヒュンケルは再び地図へ目を向けた。

 

 何者かが、不死騎団の進撃を妨害している。

 

 少なくとも、その事実だけは確かなようだった。

 

 だが、ヒュンケルの関心は、依然として王都の攻略に向けられていた。地方で抵抗を続ける村が1つ2つ増えたところで、この戦争の趨勢が変わるとは考えていない。

 

 その判断自体は、決して不合理なものではなかった。

 

 しかし彼はまだ知らなかった。

 

 自分の軍団に損害を与えている相手が、普通の人間の戦士とは比較にならない力を持つ少女であることを。

 

◇ ◇ ◇

 

 不死騎団の被害に注目していたのは、ヒュンケルだけではなかった。

 

 魔王軍の各軍団はそれぞれの担当地域で作戦を進めているが、必ずしも互いの動向に無関心というわけではない。とりわけ、他の軍団長の失敗や弱みを見つけることに熱心な者もいる。

 

 妖魔士団長ザボエラは、まさにそうした人物だった。

 

「……ふん。ヒュンケルの若造め、随分と呑気に構えておるようじゃのう」

 

 魔王軍の拠点の一室で、ザボエラは不気味な笑みを浮かべた。

 

 小柄で老いた魔族の姿をした彼は、見た目こそ弱々しい老人のようだったが、その頭脳は魔王軍でも屈指のものだった。魔法や薬物、さまざまな妖術の研究に長け、目的のためなら卑劣な手段も平然と使う。何より、自分がいかに大きな功績を上げ、魔王軍内での地位を高めるかということに、異常なほど執着していた。

 

 そんなザボエラにとって、他の軍団の戦況は貴重な情報源だった。

 

 ロモス王国ではクロコダイン率いる百獣魔団が侵攻の準備を進めており、パプニカ王国ではヒュンケルの不死騎団が戦果を上げている。どちらの戦いも、現時点では自分の妖魔士団が表立って関わる必要はない。しかし、その動向を把握しておけば、いずれ利用できる機会が訪れるかもしれなかった。

 

 そして、そのためにザボエラが用いていたのが、《悪魔の目玉》による監視だった。

 

 離れた場所にいる敵や味方の動きを探り、戦場の様子を自らのもとへ伝える魔物である。ザボエラはこれを利用し、各地の情報を密かに集めていた。魔王軍の勝利に役立つ情報もあったが、その多くは自らの利益のために蓄えられている。

 

 そんな監視の中で、パプニカ方面に起きている異変が、彼の注意を引いた。

 

「不死騎団の部隊が、立て続けに壊滅しておるじゃと……?」

 

 ザボエラは、手元に集められた報告を眺めながら、細い目をさらに細めた。

 

 ヒュンケルの軍団は、骸骨兵を中心とした不死の軍勢である。普通の人間の兵士ならば手こずる相手であり、地方の小さな守備隊程度が簡単に撃退できるものではない。まして、複数の地域で同じような損害が出ているとなれば、何か特別な理由があるはずだった。

 

「ふむ……。少々、妙じゃのう」

 

 ザボエラは卓上の地図に目を落とした。被害が報告されている地点はいずれも王都から離れた地域で、共通する大規模な軍事拠点は存在しない。しかも、襲撃を受けたはずの村や町では、住民たちが無事に逃げ延びている例もあるという。

 

 人間側に強力な援軍が現れたのか。それとも、王国軍が何らかの新しい兵器を使い始めたのか。

 

 どちらにせよ、詳しく調べる価値はありそうだった。

 

「……まったく、ヒュンケルの奴も詰めが甘いわい。せっかくの不死騎団を率いておきながら、正体も分からぬ敵に兵を失うとはのう」

 

 ザボエラは皮肉めいた笑みを浮かべると、傍らに控えていた配下へ指示を出した。

 

「パプニカ方面の監視を増やせ。特に、最近不死騎団が撃退されたという地域じゃ。何か面白いものが見つかるかもしれん」

「はっ、ザボエラ様」

 

 配下が去ると、ザボエラは再び不気味な笑みを浮かべた。

 

 もしヒュンケルの軍団が手こずるほどの敵が現れたのであれば、その正体を先に掴んでおくことに損はない。場合によっては、自分の配下を使って始末し、その功績を横取りすることもできるだろう。

 

 あるいは、もっと利用価値のある相手かもしれない。

 

 いずれにせよ、まずは情報を集めることが先決だった。

 

 そして数日後。

 

 ザボエラのもとへ、待ち望んでいた知らせが届いた。

 

「ザボエラ様! パプニカ方面の《悪魔の目玉》が、不死騎団と交戦する人間を発見しました!」

 

 報告を聞いたザボエラは、興味深そうに顔を上げた。

 

「ほう……。ようやく尻尾を掴んだか。どのような奴じゃ?」

「それが……どうやら、人間の女が1人のようです」

「……女が、1人?」

 

 ザボエラは思わず聞き返した。

 

 彼が予想していたのは、王国軍の精鋭部隊か、強力な魔法使いを含む一団だった。しかし、部隊を次々と壊滅させている相手が、たった1人の人間の女だという。

 

 にわかには信じがたい話だった。

 

「……ふん。よかろう。ワシにも見せてみい」

 

 配下が指示に従うと、ザボエラの前に監視の映像が現れた。

 

 映し出されたのは、パプニカの地方にある小さな村だった。

 

 木造の家々が立ち並び、畑と低い石垣に囲まれた、ごくありふれた集落である。しかし、その一角からは黒い煙が立ち上っており、周辺の道には武器を持った骸骨兵が何体も姿を見せていた。

 

 そして、その骸骨兵たちの前に、1人の少女が立っていた。

 

 長く流れる水色の髪に、白を基調とした軽鎧。背中には、その華奢な身体とほとんど同じ長さの巨大な大剣を背負っている。

 

 少女は逃げ惑う村人たちを背にかばい、迫ってくる骸骨兵の群れを静かに見つめていた。

 

「……ほう」

 

 ザボエラは思わず身を乗り出した。

 

「水色の髪の大剣使いの女……か。ずいぶんと奇妙な格好をしておるのう」

 

 見たところ、まだ若い人間の娘である。あれほど巨大な剣を背負っていること自体は珍しいが、だからといって、不死騎団の部隊を次々と壊滅させるほどの実力者とは限らない。

 

 ザボエラはしばらく様子を見ることにした。

 

 そして次の瞬間、彼は自分の目を疑うことになった。

 

◇ ◇ ◇

 

 村の中央へ続く道を、数体の骸骨兵が駆けていた。

 

 錆びついた剣を振り上げ、互いの身体がぶつかることも構わず、一斉に少女へ襲いかかる。生きた兵士ならば多少なりとも警戒するはずの間合いに踏み込んでも、その動きには一切の躊躇がなかった。

 

 対する少女は、慌てる様子すら見せなかった。

 

 背中へ右手を伸ばし、巨大な大剣を抜く。その動作は驚くほど滑らかで、まるで普通の長剣を扱っているかのようだった。銀白色の刀身が陽光を受けて輝いた次の瞬間、少女は迫る骸骨兵へ向かって静かに踏み込んだ。

 

 鋭い斬撃が走った。

 

 先頭の骸骨兵が、胴体から真っ二つに断ち切られる。その背後にいた兵士も、ほとんど同時に身体を斬り裂かれ、骨と鎧の破片を散らしながら崩れ落ちた。

 

 あまりにも一瞬の出来事だった。

 

「……なんじゃと?」

 

 ザボエラは思わず目を見開いた。

 

 少女が振るった剣は、どう見ても並の人間には扱えないほど巨大だった。それを片手で軽々と振り抜き、しかも攻撃のあとにはまったく隙がない。すぐに次の敵へ向き直ると、今度は斜めに剣を振り下ろし、襲いかかってきた骸骨兵を肩口から断ち割ってしまった。

 

 それも、力任せに叩き潰したようには見えなかった。

 

 長大な剣の重量を生かしながらも、その動きには驚くほど無駄がない。まるで敵の動きを最初から見切っているかのように、必要な位置へ剣を運び、的確に斬り伏せていく。

 

「……ふむ。腕力だけではないようじゃのう」

 

 ザボエラは低く呟いた。

 

 巨大な剣を扱えるというだけならば、怪力自慢の戦士にも不可能ではない。しかし、あの細い身体であれほど自然に振るい、複数の敵を相手にしても姿勢を崩さないとなれば、相当な技量を身につけていることは間違いなかった。

 

 もっとも、それだけで不死騎団を壊滅させられるとは限らない。

 

 骸骨兵は、肉体を斬り裂かれたからといって、必ずしも活動を停止するわけではないからだ。

 

 案の定、地面へ転がった骸骨兵の上半身が、ゆっくりと動き始めた。

 

 腰から下を失った兵士は、なおも骨だけの腕を伸ばし、近くに倒れていた村人へ向かって這い進もうとしていた。その背後でも、頭部を砕かれた別の骸骨兵が身体を起こし、手探りで武器を探している。

 

 少女はその光景を見て、一瞬だけ目を細めた。

 

 そして、剣を握っていない左手を前へ向けた。

 

 次の瞬間、凄まじい風が巻き起こった。

 

 目に見えない力が骸骨兵たちを襲い、地面へ転がっていた骨や鎧の破片をまとめて吹き飛ばす。だが、ただ強風で押し流したのではない。少女の正面に集められた風は、まるで巨大な鉄槌のような圧力となり、骸骨兵の身体を次々と粉砕していった。

 

 硬い骨が砕け散り、錆びた鎧がひしゃげる。先ほどまで動き続けていた骸骨兵の残骸は、風が収まる頃には細かな破片となって地面へ散乱していた。

 

「……なっ!?」

 

 ザボエラの口から、驚きの声が漏れた。

 

 剣術だけではない。

 

 あの少女は、強力な風の魔法まで使うらしい。

 

 しかも、監視していた限りでは、長い呪文を唱えている様子もなかった。掌を向けた直後には風が生じ、目標だけを正確に破壊している。あれほどの威力がありながら、すぐ近くにいた村人や建物には、ほとんど影響が及んでいなかった。

 

「……ほう、ほうほう……!」

 

 ザボエラの表情が、次第に興味深そうなものへ変わっていく。

 

 単なる怪力の剣士なら、いくらでも対処の方法はある。しかし、剣術と魔法の両方に長け、それらを自然に使い分ける人間となれば、話は別だった。

 

 少女はまだ、息を切らしてすらいない。

 

 あれだけの骸骨兵を相手にしておきながら、特に疲れた様子もなく、周囲の様子を確かめていた。その動きには、必死に戦っている者特有の切迫感も見られない。

 

 むしろ、周囲の村人を守るために、必要な攻撃を選んでいるようにさえ見えた。

 

「……これは、少々面白いものを見つけたかもしれんのう」

 

 ザボエラは薄気味悪い笑みを浮かべた。

 

 しかし、彼の目の前に映し出されている少女が、何を思って剣を振るっているのかまでは、まだ分かっていなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 ヒルダがその村へ到着したのは、ほんの少し前のことだった。

 

 デルムリン島を旅立ってから、彼女は風のマナを操って海を渡り、ホルキア大陸へと上陸していた。当初はアバンに教えてもらったパプニカ王国を目指し、帰還方法の手掛かりを探すつもりだったが、大陸へ入って間もなく、各地で魔王軍による侵攻が行われていることを知った。

 

 最初に出会ったのは、街道を逃げてきた人々だった。

 

 荷物を失い、傷ついた身体で必死に歩き続ける避難民たち。その中には小さな子供や老人もおり、後方から迫る魔物を恐れながら、どこへ逃げればよいのかも分からずにいた。

 

 ヒルダは彼らを見捨てることができなかった。

 

 追いかけてきた魔物を退け、負傷者を治療し、近くの町まで送り届ける。そこで別の村が襲撃されていると聞けば、今度はそちらへ向かい、逃げ遅れた人々の救助を手伝った。そうして各地を巡るうちに、彼女はこの国が置かれている状況を少しずつ理解し始めていた。

 

 魔王軍。

 

 かつてデルムリン島の魔物たちからも耳にした、その名。

 

 しかし、実際にその軍勢が人々の暮らしを破壊している光景を目にすると、ヒルダは改めて胸を痛めずにはいられなかった。家を焼かれ、住む場所を失い、昨日まで隣にいた者を亡くした人々がいる。その悲しみは、彼女自身の世界でも幾度となく目にしてきたものだった。

 

 そして何より、魔王軍の中には、彼女にとって非常に理解しがたい兵士たちが存在していた。

 

 不死騎団。

 

 彼らの主力である骸骨兵は、生きている魔物とは明らかに異なっていた。

 

 剣を交えれば、相手の動きから意思や感情を感じ取ることができる場合がある。怒り、恐怖、戦意、あるいは殺意。たとえ姿形が人間と違っていても、生きている者であれば、その行動の中に何らかの意思が見えることは少なくない。

 

 しかし、目の前の骸骨兵たちには、それがなかった。

 

 痛みを感じる様子もなく、身体を斬り裂かれても動きを止めず、ただ命じられたとおりに人々へ襲いかかる。すでに生命を失った骨の身体が、外部から与えられた力によって動かされている。その異様な有様を、ヒルダは何度も目の当たりにしていた。

 

 そして今回も、村人へ襲いかかる骸骨兵をアストレアで斬り伏せた直後、同じことが起きた。

 

 腰から下を失った骸骨兵が、なおも腕を伸ばして動き続ける。

 

 その先には、逃げ遅れた女性が倒れていた。

 

「……っ!」

 

 ヒルダはすぐに動いた。

 

 骸骨兵と女性の間へ割って入り、左手を向ける。相手に意思や生命の気配がないことは、すでに十分に確かめていた。剣で斬り倒すだけでは止まらない以上、二度と人々へ襲いかかれない状態にする必要がある。

 

《ウインドブラスト》

 

 左手から放たれた圧縮された風が、骸骨兵の上半身を直撃した。

 

 硬い骨が砕け散り、残されていた腕も頭部も、瞬く間に粉々になる。さらにヒルダは風の流れを調整し、周囲で動き続けていた残骸もまとめて破壊していった。

 

 それは、極めて的確な攻撃だった。

 

 力任せに吹き飛ばしたのではなく、村人や建物へ被害を与えないよう、風の圧力と範囲を細かく調整している。戦闘不能になった残骸まで粉砕したのも、それらが再び動き出すことを防ぐためだった。

 

 やがて、最後の骸骨兵が崩れ落ちる。

 

 ヒルダは周囲を見渡し、ほかに動いている敵がいないことを確かめた。遠くからはまだ悲鳴や物音が聞こえていたが、少なくともこの通りにいた不死騎団の兵士たちは、すべて活動を停止しているようだった。

 

 彼女は静かに息をつくと、足元に散らばる骨の破片へ視線を落とした。

 

 つい先ほどまで、それらは人々を襲う恐ろしい敵だった。

 

 しかし今、動かなくなった骸骨兵を見ていると、ヒルダには別の感情が湧き上がってくる。

 

 あの骨が、もともと誰のものだったのかは分からない。人間だったのか、別の種族だったのか。それすら確かめる術はないが、少なくとも、かつては何らかの生命を宿していた存在だったのだろう。

 

 それが死後も安らぐことを許されず、武器を持たされ、人々を襲うために使われている。

 

 その事実が、ヒルダにはひどく悲しかった。

 

「……亡くなった方々を、こんなことに使うなんて……」

 

 小さく呟いた言葉には、深い悲しみと、静かな憤りが混じっていた。

 

 死者には、もはや自分の意思を伝えることも、戦うことを拒むこともできない。そんな存在を勝手に操り、人々を傷つけるための道具にするなど、どうして許されるのだろうか。

 

 ヒルダはアストレアを握り直し、しばらく散乱する骨を見つめていた。

 

 だが、いつまでもそこに立ち尽くしているわけにはいかなかった。

 

「……あの、大丈夫ですか?」

 

 ヒルダは振り返り、先ほど倒れていた女性へ声をかけた。

 

 女性はまだ若く、腕には転倒した際についたと思われる傷があった。服は土埃にまみれ、恐怖で顔色を失っている。ヒルダが近づくと、一瞬だけ怯えたように身体を縮めたが、すぐに彼女が自分を助けてくれた少女だと気づいたらしい。

 

「あ……あの……。あなたが、助けてくださったんですか……?」

「はい。もう大丈夫ですよ。近くにいた魔物は、全部倒しましたから」

 

 ヒルダは膝をつき、女性の腕へ視線を向けた。

 

「お怪我をされていますね。少し見せていただいてもよろしいですか?」

「えっ? あ、はい……」

 

 女性がおずおずと腕を差し出すと、ヒルダは短い詠唱を行い、傷口へそっと手をかざした。柔らかな光が生じ、血の滲んでいた傷が少しずつ塞がっていく。女性は驚いたように目を見開いたが、やがて痛みが和らいだことに気づくと、安堵したように息をついた。

 

「……すごい……。痛く、ない……」

「ふふっ。よかったです。でも、今日はあまり無理をなさらないでくださいね」

 

 ヒルダは穏やかに微笑んだ。

 

 先ほどまで巨大な大剣を振るい、骸骨兵を粉々に砕いていた少女とは思えないほど、その声は柔らかかった。女性はしばらく呆然としていたが、ようやく我に返ると、何度も頭を下げ始める。

 

「あ、ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……! あなたが来てくださらなかったら、私……!」

「そんな……。どうか、お気になさらないでください。それより、ほかに逃げ遅れた方はいらっしゃいませんか?」

 

 ヒルダが尋ねると、女性の表情が再び強張った。

 

「そ、そうです! 子供たちが、まだ……! 村の奥の家に、何人か取り残されているんです!」

「分かりました。わたしが行ってきます。あなたは、ここで少し休んでいてくださいね」

 

 ヒルダはすぐに立ち上がった。

 

 村の奥へ続く道には、まだ煙が漂っている。家屋の一部が崩れている場所もあり、炎を消し止めるために走り回っている村人の姿も見えた。

 

 このまま放置すれば、魔物がいなくなったとしても、別の被害が出るかもしれない。

 

 ヒルダはアストレアを背中へ戻すと、教えられた家の方角へ駆け出した。

 

◇ ◇ ◇

 

 その後、村の救出活動は夕方近くまで続いた。

 

 ヒルダは倒壊しかけた家から逃げ遅れた子供たちを助け出し、負傷した村人たちの治療を手伝った。火の手が広がりそうな場所では風の流れを調整して周囲への延焼を防ぎ、崩れた木材の下敷きになった人々がいれば、障害物を慎重に取り除いて救出する。

 

 もっとも、彼女1人で何もかもを片づけたわけではなかった。

 

 動ける村人たちは協力して水を運び、近くに駐屯していたパプニカ軍の兵士たちも、遅れて駆けつけると救護活動へ加わった。ヒルダは必要に応じて彼らを手伝いながら、特に危険な場所での作業や重傷者の治療を優先していた。

 

 やがて大きな混乱が収まると、村の中央には、負傷者を休ませるための場所が設けられた。

 

 そこへ、1人の兵士が歩み寄ってきた。

 

「……あなたが、魔王軍の部隊を撃退してくださった方ですか?」

 

 兵士はまだ若かったが、鎧には幾つもの傷があり、その腕には包帯が巻かれていた。どうやら近隣の防衛線で戦っていたらしく、顔には疲労の色が濃く浮かんでいる。

 

「はい。ですが、わたしはたまたま通りかかっただけですから……」

「それでも、助けていただいたことに変わりはありません。村の者たちから話を聞きました。あれだけの不死騎団を、たった1人で退けられたそうですね」

「……はい。ただ、あの魔物たちは普通の生き物とは違うようでしたので、少し驚きました」

 

 ヒルダがそう答えると、兵士は苦い表情で頷いた。

 

「不死騎団の兵士たちですね。奴らは、死んだ者の身体を操って戦わせるのです。まともな人間の軍隊とは違います。剣で斬り倒しても動き続ける奴らがいるので、我々も随分苦労しています」

「……そうだったんですね」

 

 ヒルダは静かに頷いた。

 

 自分が感じていた違和感は、やはり間違いではなかったらしい。

 

「ひどいことを……。亡くなった方々を、こんなふうに利用するなんて……」

「ええ。まったくです。ですが、奴らにそんなことを言っても通じません。魔王軍は、この国を滅ぼすつもりなんです」

 

 兵士は悔しそうに拳を握りしめた。

 

 ヒルダは少し考え込んだあと、静かに尋ねた。

 

「あの……。パプニカ王国は、今どうなっているんでしょうか? わたし、少し前にこの大陸へ来たばかりで、詳しい事情を知らないんです」

「……王国の状況、ですか」

 

 兵士は一瞬だけ驚いたようだったが、すぐに表情を引き締めた。

 

「正直に申し上げれば、よくありません。王都へ向かう主要な街道は次々と襲われ、地方の守備隊も後退を続けています。まだ王都は持ちこたえていますが、敵の勢いを止めるのは難しくなってきています」

「……そんなに、ですか?」

「はい。王国軍も必死に戦っていますが、相手はあの不死騎団ですから……。しかも、各地の村や町まで襲撃されているので、避難民の保護にも人手を取られています」

 

 ヒルダは黙って話を聞いていた。

 

 これまでの旅で、すでに何度も魔王軍の部隊を退けてきた。しかし、どうやら自分が助けた地域は、広いパプニカ王国のほんの一部に過ぎないらしい。

 

 別の場所では、今この瞬間にも人々が襲われているのだろう。

 

「……それでは、王都へ向かえば、何かお手伝いできるでしょうか?」

 

 ヒルダが尋ねると、兵士は少し困ったように眉を寄せた。

 

「王都も人手を必要としているでしょう。ですが、ここから先の街道には、まだ避難できていない集落がいくつもあります。王都へ向かう兵や物資の通り道にもなっていますから、そこを失えば、王都の守りにも影響が出るのです」

「……なるほど」

 

 ヒルダは、兵士が広げた地図へ視線を落とした。

 

 兵士が示してくれた街道沿いには、いくつもの小さな村や町が記されている。それらが次々と魔王軍に襲われているのであれば、王都へ向かう前に、少しでも安全な道を確保する必要があるのかもしれない。

 

「でしたら、わたしもその辺りを回ってみます。まだ避難できていない方がいるなら、お手伝いできるかもしれませんから」

「……本当ですか?」

 

 兵士の顔に、驚きと安堵が浮かんだ。

 

 ヒルダは穏やかに頷いた。

 

「はい。もちろん、わたし1人でできることには限りがあると思います。でも、困っている方がいると知った以上、そのままにはできませんから」

 

 その言葉に、兵士はしばらく何も答えられなかった。

 

 目の前の少女は、まだ若い。見た目だけなら、王都に暮らしている普通の少女と大して変わらないほどだった。しかし、巨大な大剣を背負い、不死騎団の部隊を撃破しておきながら、今はこうして、自分にできることを当たり前のように申し出ている。

 

 その姿に、兵士は深く頭を下げた。

 

「……ありがとうございます。どうか、よろしくお願いします」

 

 ヒルダは少し照れくさそうに微笑み、静かに頷いた。

 

◇ ◇ ◇

 

 一方、その一部始終を、ザボエラは悪魔の目玉を通じて観察していた。

 

 もちろん、村人たちの会話のすべてが分かるわけではない。しかし、少女が戦闘を終えたあと、負傷者の治療を行い、逃げ遅れた子供たちを救出し、兵士たちと協力して村の後始末を手伝っていることは、映像だけでも十分に読み取れた。

 

 ザボエラは、しばらく黙ってその光景を眺めていた。

 

 強力な剣術を持ち、詠唱らしい動作も見せずに風を操る。さらに回復魔法まで使い、しかもその力を村人の救護へ惜しみなく費やしている。

 

 これは、単なる剣士ではない。

 

「……ふむ。なかなか興味深い女じゃ」

 

 ザボエラは細い指を顎へ当てた。

 

 あれほどの腕を持つ人間が、どうして今まで魔王軍の監視に引っかからなかったのか。パプニカ王国が隠していた戦力なのか、それとも外部から現れた者なのか。少なくとも、王国軍の正規兵には見えなかった。

 

 そして、何より気になることがある。

 

 あの少女は、骸骨兵を容赦なく粉砕していた。

 

 だが、戦闘が終われば、今度は傷ついた村人たちを助けて回っている。敵を倒す力があるにもかかわらず、わざわざ自分から危険な場所へ赴き、他人のために力を使っている。

 

 ザボエラには、その行動が少々奇妙に映った。

 

「……人間というものは、相変わらず理解しがたい生き物じゃのう」

 

 そう呟きながらも、彼の関心は薄れていなかった。

 

 むしろ、あの女が持つ力を詳しく調べてみたいという思いが、次第に強くなっていたのである。

 

 ザボエラは傍らに控えていた配下へ顔を向けた。

 

「おい。妖魔士団から、腕の立つ斥候を何人か選べ」

「はっ。あの人間の女を討伐なさるのですか?」

「馬鹿者。誰がそんな命令を出した」

 

 ザボエラは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「あの女については、まだ分からぬことが多すぎる。剣術、魔法、身体能力……。まずはどの程度の力を持っておるのか、詳しく調べる必要がある」

「では、偵察でございますか?」

「そうじゃ。できれば、普段どこへ向かい、誰と接触しておるのかも調べてこい。余計な手出しはするでないぞ」

 

 配下は深く頭を下げた。

 

 だが、立ち去ろうとしたところで、ザボエラが呼び止めた。

 

「それと……この件については、ほかの軍団にはまだ知らせるな」

「……ヒュンケル様にも、でございますか?」

「無論じゃ。あの若造には、自分の軍団の面倒でも見させておけばよい」

 

 ザボエラは薄気味悪い笑みを浮かべた。

 

 もし、あの少女が予想以上に優れた能力を持っているのであれば、研究対象として利用できるかもしれない。特殊な魔法の仕組みを解明することができれば、妖魔士団の強化にもつながるだろう。

 

 そして、もし自分の手であの女を捕らえることができたなら、その功績はすべて自分のものになる。

 

 わざわざヒュンケルに手柄を譲ってやる必要など、どこにもなかった。

 

「……くっくっく。まずは、じっくりと調べさせてもらうとするかのう」

 

 ザボエラは再び《悪魔の目玉》へ視線を向けた。

 

 映し出されている村では、すでに日が傾き始めていた。

 

 少女は負傷した老人の治療を終え、近くにいた村人へ何かを話しかけている。やがて相手が笑顔で頭を下げると、彼女もまた、柔らかな笑みを浮かべた。

 

 あれほど恐ろしい戦闘能力を持つ者とは思えない、穏やかな表情だった。

 

 ザボエラは、その様子をしばらく観察していた。

 

 だが、次の瞬間。

 

 映像の中で、少女の動きがふと止まった。

 

◇ ◇ ◇

 

 ヒルダは、村の広場で最後の負傷者の治療を終えたところだった。

 

 ようやく混乱が収まり、村人たちにも安堵の表情が戻り始めている。まだ壊れた家屋の修復や食料の確保など、解決しなければならない問題は数多く残っていたが、少なくとも今夜は、魔物の襲撃に怯えず休めるだろう。

 

「……ふう」

 

 ヒルダは小さく息をついた。

 

 できれば、もう少し手伝っていきたいところだった。しかし、ほかにも救助を必要としている村があるという。明日にはそちらへ向かい、まだ避難できていない人々がいないか確かめるつもりだった。

 

 そんなことを考えていたとき、不意に妙な違和感を覚えた。

 

 何かが、こちらを見ている。

 

 ヒルダはわずかに眉を寄せた。

 

 周囲に敵の気配はない。少なくとも、今すぐ襲いかかってくるような魔物が潜んでいる様子は感じられなかった。村の人々も落ち着きを取り戻しており、辺りには夕暮れの穏やかな空気が流れている。

 

 しかし、どこか引っかかるものがあった。

 

 ほんのわずかに感じられる、見慣れない魔力の気配。自分の世界で知っている魔法とも、これまでこの大陸で遭遇した魔物たちのものとも、少し違っているような気がする。

 

 ヒルダは何気ない仕草で顔を上げ、周囲へ視線を巡らせた。

 

 屋根の上。

 

 村の外れに立つ木々。

 

 そして、少し離れた空の一角。

 

 どこにも、それらしい姿は見当たらない。

 

 それでも、違和感は消えなかった。

 

「……?」

 

 ヒルダは静かに目を細めた。

 

 もしかすると、自分の気のせいかもしれない。だが、これまでの旅でも、こうした小さな違和感が危険を知らせてくれたことは何度もあった。まだ何も分からない以上、軽々しく見過ごすべきではないだろう。

 

 彼女は周囲の風へ、そっと意識を向けた。

 

 村を吹き抜ける夕風。その流れに乗せるように、自分のマナを静かに広げていく。敵を攻撃するためではなく、周辺の様子を確かめるための、ごく繊細な操作だった。

 

 すると、村の外れにある木々の向こうで、わずかな魔力の揺らぎが感じられた。

 

 距離があるため、はっきりとした正体までは分からない。しかし、少なくとも周囲の自然なマナの流れとは、明らかに異なっている。

 

 ヒルダはしばらくその方角を見つめた。

 

 何者かが、村の様子を探っているのだろうか。

 

 それとも、先ほどの魔王軍の残党が、まだ近くに潜んでいるのかもしれない。

 

 どちらにしても、今の村にはまだ十分な防衛力がない。もし敵が再び襲撃してくるつもりなのであれば、早めに対処する必要があった。

 

 ヒルダは、すぐ近くで作業をしていた兵士へ声をかけようとした。

 

 しかし、その直前。

 

 遠くから感じられていた奇妙な魔力の揺らぎが、ふっと弱まった。

 

 完全に消えたわけではない。だが、まるでこちらの反応を察したかのように、わずかに気配が遠ざかっていく。

 

 ヒルダは静かにその方向を見つめ続けた。

 

 そして、背中のアストレアへそっと手を添えた。

 

 今のところ、こちらへ攻撃を仕掛けてくる様子はない。それでも、何者かが近くにいる可能性は高い。彼女は無理に追いかけることはせず、まず村人たちの安全を確かめることにした。

 

 もし相手が魔王軍の者なら、いずれまた姿を現すかもしれない。

 

 そう考え、ヒルダは静かに息を整えた。

 

◇ ◇ ◇

 

 遠く離れた魔王軍の拠点で、ザボエラは《悪魔の目玉》が映し出す光景を、じっと見つめていた。

 

 少女は、村の外れにある木々の方角へ顔を向けている。

 

 それは偶然の動きにも見えた。

 

 しかし、直前まで穏やかな表情で村人たちと話していた少女が、突然動きを止め、何かを探るように周囲へ視線を巡らせた。そして、監視している《悪魔の目玉》が潜む方角へ、まっすぐ目を向けてきたのである。

 

 ザボエラはしばらく黙っていた。

 

 やがて、その口元がゆっくりと歪んだ。

 

「……ほう。こちらの視線に気づきおったか」

 

――第4話・了――

 

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