アデラが村近くの森に住み始めて三週間ほどが経った。
その間追手がかかるようなことはなく、住民の虐殺が起こるようなこともなかった。ただ、敗戦国側の状況として暗い雰囲気に包まれており、軍の進行上にあった町や村はほとんど壊滅状態だという。
王族斬首の話を聞いて一度は国のため復讐をと思ったが、冷静に考えてそんな柄じゃないとすぐに諦めた。星読みの魔法は大雑把なものばかり、雨を降らし続けることや嵐を呼び込むこともできる。だけどそれで被害に遭うのはその地に住む国民だ。一番被害を受け、なおかつその後の立て直しに使われるのはきっと元ノルマン領の国民だろう。兄弟たちの子孫が暮らしているのだ。
そうなってしまうと復讐なんて考えるべきではないと冷静な判断がつく。
仮の拠点だった森は多少切り開かれ、人が住めそうなこじんまりとした小屋ができていた。情報収集に拠点整備とアデルも何もしていないわけではなかった。地に足つけて考える時間を作り、そのためには雨風をしのぐ拠点も必要だったわけで考え事をする以外は一生懸命体を動かしていた。
長年城で勤めていたアデラにとってお金には困らないはずであったが、情勢が許さなかった。
敗戦国となった元ノルマン国は王族が全員いなくなった後、敗戦国の賠償金を国民への重税という形で回収しようとした。むろん食料とは別口の徴収である。
つまりアデラはアデラとして出ていくとお金を持っているがゆえに、多額の税金がかかる可能性が出てしまったのだった。
「名前を変えるしかない、か」
それにアデラという名前を出していると余計な詮索に引っかかってしまう可能性もある。
森のなかにこしらえた、これまでと比べればずっと居心地の良い新しい拠点――手作りの椅子の上でアデラはふうっと小さく息をついた。すっかりと過ごしやすくなったその場所を眺めながら、彼女は自分の新しい名について考え始めた。
「新しく名乗るなら……そうだな、まったく違う響きの名前がいいかな?」
『マリア』? いや、少し優しすぎるか。
『ルイーゼ』? 賢そうだけど、自分の顔立ちには少し大人びすぎているかもしれない。
いくつかの名前を口の中で転がしてみる。しかし、どれもしっくりこなかった。そもそも、60年以上「アデラ」として生きてきたのだ。今さら全く違う別の名前を自分に当てはめるのは、まるで他人の服を無理やり着こむような居心地の悪さがあった。
「……そうなるとちょっとだけ変えて、アデル、でいいかな」
結局のところ、自分が一番聞き慣れていて、しっくりくるものがいい。そうなると元の名前を少しもじった程度ならまだ受け入れできる。とっさの時に反応しやすいほうがいい。「アデル」と小さく呟いただけで、不思議と肩の力が抜けた。名前を変えるための名前選びは、ものの数分で終わってしまった。
「となると、次は身分証かなぁ」
問題は、名前ではなく「身分証」のほうだった。
ノルマン国が発行した古い身分証は手元にあるが、今の帝国領においてそれを提示すればいいことは起こらないだろう。むしろ厄介ごとが増えることが目に見えてわかる。
新しい身分で元ノルマン領に住むという方法もあるが、敗戦直後の国である元ノルマン領に新しく住みたいという酔狂な人物なんて到底いるとは思えなかった。そんな人物普通に考えたら怪しさしかない。そうなると。
「身分証がないと、私は……ただの少女、ということになるのかな」
頭を抱えて、アデルは自分の手を見た。
潤沢な魔力によって15歳の頃の姿のまま固定された肉体は、どれだけ歳月が流れても変わらない。しかし、身分証の上では、彼女は三代の王に仕え、そして崩壊を見届けた老齢の魔女である。
「年齢詐称の怪しいただの少女、か……」
自嘲気味に呟きながら、アデルは小さく苦笑した。
災害を防ぎ、国を豊かにしてきた星読みの魔女が、いまや帝国の一端で「身分証のない不法滞在者」として追われるかもしれない立場になるとは、人生とは何が起きるか分からないものだ。統治主が変われば統治方法も変わる。帝国は不法滞在に厳しく冒険者もあまり好まないらしい。
国を捨て、新しい名前を背負い、身分証すらない。
それでも、誰の命令も受けず、自分の意志でこの風に吹かれているのは、生まれて初めてのことだった。
「さて、どうやって身分証を手に入れたものか」
胸を覆った虚無感はもうない。兄弟たちとのお別れはとっくの昔に終わっている。お別れをしたい人はもういない。
今までの生活とは違う少しだけ危険を含んだ新しい日常の始まりに、アデルは腰を上げ、小さく伸びをしたのだった。
育った孤児院には金貨を置いてきた、もし税の回収に来ても払えるだけの余裕はあるだろう、小さい村だからもしかしたら全員分まかなえるかもしれない。そうなると村の安全は大丈夫だろう。
身分証を手に入れるためには、お金を払って他国の住民登録をするのが手っ取り早い。
隣国であるトリヴァル国が地理的にも行きやすい。そうなると――
「この住み心地がよくなってきた仮拠点ともお別れだね」
様々な場所で対策を行ってきたアデルにとって簡単な大工はお手の物だった。木は周りに沢山あるし、加工するのも魔法で何とかなる。
トレードマークのような大きな帽子は収納してあり、ローブもしまう。動きやすいズボンと胸当てにと装いを替え、杖は簡素なものに変更する。王宮では魔法使いとしてわかりやすい恰好をしていたが、外の作業をするときは動きにくいローブを脱ぐことは多かった。軽装に作業しやすい恰好、道具などもカバン一つにすべて収められている。
「よし、どこからどう見ても冒険者にみえるかな」
国をまたいで活躍する冒険者は傭兵のような仕事から魔物退治、ましてや何でも屋のようなお使いまでを生業とする幅広い職業のことを指す。そんな幅広い職業であるため国をまたいで活躍する冒険者も沢山いる。
「そういえば私のように年を取らない魔法使いもいるって噂聞いたことあったな」
まずはこれから行く先の国で身分証を得る、そして同じような人を探すことも目標とする。
「それとむやみやたらに星読みの魔法を使わない」
何十年と国を支えてきた魔法使い、その魔法はどんなものか他国に知れ渡っていると思っていいだろう。なので基本魔法のみを使うこと、もし使う場合は絶対にばれないようにすること。
そして定期的に元ノルマン領がどうなっているかの確認をすること。
アデルは指折り数え、満足そうにうなずいた。これで旅に大まかな目標が三つできた。
「よし、行こう」
アデルが見送るように振り返った仮拠点の入り口には、『ご自由にお使いください』と張り紙が置いてあった。
「さよならだ、ノルマン国」
孤児は10歳で成人扱い、お酒は15歳から