星読みの魔女、出奔!   作:riruru

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第三話 関所

 宿屋に戻り、店主に早朝に宿を出ることを伝えて、ベッドに潜り込んだ。 そして――多くの人が深い眠りに落ち、酒場の明かりも消えた頃。アデルはふと目を覚ました。文字盤の短針と長針が重なり、日付が変わったことを告げている。夜の底は驚くほど静かで、部屋の明かりを消しているアデルは、自分の呼吸の音だけが、やけに大きく部屋の中に響いているような気がした。「そろそろかな」 アデルは自分が星読みとして能力が使えるようになった時のことを思い出していた。 幼少期は明日の天気の気配がなんとなく分かるだけだった。それだけでも洗濯物や猟に出る人の役に立った。 段々とそれが明確にわかるようになり、雲の流れや水の流れ、自然界に生息している生き物の動きもわかるようになった。王宮にいたころには誰にも言わなかったが、大気を操ることもできるし、それ以上だって……。「雨よ」 使い方は簡単で頭の中で起こしたい事象を思い浮かべるだけでいい。場所を細かく指定すること非常に難しいけど、大雑把な範囲ならどうとでもなる。アデルはしばらく窓を開け空を眺めていた。 綺麗な星空はみるみるうちに曇り、瞬く間に雨が降り出す。 アデルも雨が打ち込まないように窓を閉じた。小雨程度、近辺に影響が出ないように降らせすぎない。「今は寒い時期じゃないから気温は下げなくていいか。日の出の前に起きて霧を発生させよう」 渓谷であること、秋には早いけど、誰も疑問には思うまい。「遠目に関所を見たけど、渓谷であれば登れる場所はたくさんある。あとは人の目さえなければ無事に通れるはずだ」 用事はすんだとばかりにアデルは横になり、目を閉じた。 数時間後アデルは目を覚ました。 外からはまばらな雨音が続いていた。「とまれ」 思い浮かべるだけでも済むのについつい言葉が出てしまう。 起き上がり、すぐさま窓を開ける。雨音は止まったが、軒先から落ちる水滴音が残るばかりとなった。「散れ」 雨雲を散らし。「下がれ」 霧が発生しやすいように気温を下げる。 霧を発生させようと思えばすぐさま発生できるが、そうすると周囲の水気が一気に失われてしまう可能性があった。そのためアデルは自然に近い形で霧の発生を行った。 瞬く間にうっすらと靄のようなものが現れるのを見てアデルは宿を出る準備をした。 宿を出るころには五歩先もわからないくらい濃い霧に包まれていた。じっとりとした空気から隠れるようにアデルはフードをかぶる。「自分でやったこととはいえ、こうも湿度が高いとくせ毛が暴れてしまってまいるね」 そう一人ごちると歩みを進めた。その姿はあっという間に霧に包まれて姿が見えなくなった。 関所の門がある場所から遠い位置、渓谷の切り立った崖が人を阻む。普通の人では通れないような場所ではあるが、昼間や天気のいい日であれば見える距離。 岩肌に手を添えると岩が意思を持ったように変形し、人が一人通れるような空洞が出来上がる。 無言のまま進み、すぐさま空洞を抜ける。関所は超えており、空洞もまた閉じていった。あとには何もなかったように綺麗に元に戻っていた。 自分の感覚を頼りに関所を背にして歩く。 街中は時折松明を持った哨戒が出ていたが、関所の外側となると哨戒に出ているような明かりは見えなかった。「無事に抜けられた」 そう思った直後、後方より何やら言い争う声が聞こえた。 関所からやや離れた場所であったが、はっきりと内容までもわかってしまった。「入るときはそんな話しなかった」「そりゃあ入るときとは国が変わってるから仕方ないことだろう」「そんな通行税が高いとは知らん。私はこの国の住民ではないのだから」「そうかもだけど、こちらも規則でね、ちゃんと払ってもらわないと通すことはできない」 具体的な事情までは聞こえなかったが、アデルにはなんとなく予想がついた。 国がまだ落ち着いていない状況、帝国は他国の人間の出入りをあまりしてほしくないのだろう、通行税がノルマン国だった時に比べ倍以上になっていた。 それを知らなかった商人がごねている、そんな感じだろうと。「払えないなら、荷物を没収するまでだ!」「なっ、ふざけるな! これには商売の全財産が詰まっているんだぞ!」 衛兵と商人の言い争いは、いよいよ険悪な雰囲気を帯びてきた。 濃い霧の向こう、わずかに漏れる松明の光のなかで、商人がガシリと自分の荷車にしがみついているのがシルエット越しにわかる。荷車に繋がれた馬は周囲の状況を理解しているのかせわしなく動いていた。周囲を固める衛兵たちは槍を構え、容赦なく踏み込もうとしている。(やれやれ……。関所を越えたはいいけど、これじゃ気分が悪いな) アデルは深くフードを被り直すと、小さく息をついた。 もちろん、関所の外のトラブルなど無視してそのまま歩み去ることもできる。しかし、この霧のなか、通行税のいざこざで騒ぎが大きくなれば、周囲の警戒網が一段と厳しくなるかもしれない。何より、ここで見捨てるのも少し後味が悪い。「あのう」 静まり返った夜気に、穏やかな声が響く。 突然背後から声をかけられた衛兵たちは、ピクリと肩を揺らし、警戒した面持ちで一斉に振り返った。薄暗い霧の中からひょっこりと姿を現したアデルが立っていた。「なんだ、お前は。こんな明け方に、しかも関所の外側から……?」 衛兵のひとりが、胡散くさそうに槍の穂先をアデルに向ける。「夜の散歩さ。ちょっと空気が美味しかったものでね」 アデルはひらひらと手を振ってみせる。その物腰の柔らかさに、衛兵の警戒は少しだけ解けたが、代わりに不審の目が強まった。「ふざけているのか……それよりこの騒ぎに貴様は関係ないだ――」「まあまあ、そう怒らないでくれよ」 アデルは遮るように言うと、ふと商人の積荷に視線をやった。商人一人だけの声しかしなかったが、こうして近づくと子供の泣き声も聞こえる。「それより、そこのご主人。通行税が跳ね上がっていて困っているんだろう? ちなみに、いくら足りないんだい?」 商人は驚いたように目を見張り、すがるような目でアデルを見た。「き、きみ……! ノルマン国の時の倍だと言われたんだ! 家族四人で銀貨1枚だと、所持金のほとんどを先払いで使っちまって、手元にはこれしか……!」 商人が震える手で差し出したのは、銅貨がほんの数枚だった。これでは到底、跳ね上がった通行税には届かないだろう。 衛兵が冷ややかに鼻を鳴らす。「そういうことだ。規則は規則だからな。国が変われば法律も変わる。文句なら上の連中に言ってくれ」 アデルは小さく肩をすくめ、懐から小さな革袋を取り出した。革袋の中身は外見以上に金貨や銀貨が入っていた。「……やれやれ、これだから世知辛い世の中は嫌になるね」 チャリ、と小気味よい硬貨の音が夜の霧に響く。 アデルは銀貨を無造作につまみ出し、衛兵の手元へと放り投げた。衛兵は慌ててそれをキャッチし、輝きと枚数を確認して目を丸くする。「これで足りるかい?」「あ、ああ……これなら、十分すぎるが……」「じゃあ、この商人の通行税は払ったということで。ね、通してあげてよ。余分な分は騒いでしまった礼だと思ってさ」 衛兵たちは顔を見合わせた。不審な者ではあるが、これだけの銀貨をぽんと出す者がただの浮浪者であるはずがない。かといって通行すると言っているわけでもない者を追及するのも面倒くさいという空気がありありと浮かんでいる。「……まあ、税が支払われたのなら、これ以上引き止める理由はないが……」 衛兵はしぶしぶといった様子で道をあけ、商人の荷車の車輪を蹴った。「おい、さっさと行け! 次からは気をつけろよ! 」「おお……! 助かった、本当にありがとうきみ! 」 商人は感極まったようにアデルの手を掴み、涙を流さんばかりに感謝した。隣には同じように頭を下げている女性の姿があった。「いや、大したことじゃないさ。ただ、これ以上ここで騒ぎにされると、僕の散歩の邪魔になって困るからね」 アデルが苦笑いを浮かべると、商人は慌てて頭を下げ、馬を走らせ霧の中へと消えていった。 静けさが戻った関所の前で、アデルは深く息を吐き出す。一仕事終えたかのように関所を後にして歩き出した。フードはすでに脱ぎ、いつの間にか薄くなっていた霧に朝日が差し込んできていた。 湿度のせいで、くせ毛がうっとうしく跳ねている。アデルはそれを手ぐしで適当になでつけながら、トボトボと歩いていた。「さて、余計なことをしてしまったかな。次の町では美味しいものを食べたいなぁ」

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