翌朝。
「レオン、今日は少し趣向を変えるわよ」
朝食を終えた俺に、母さんがそう告げた。
「趣向を変える?」
「ええ。昨日はオーラを身体から離して維持する練習をしたでしょう? 今日は、そのオーラを使って物に働きかける練習をするの」
母さんがテーブルの上に置いたのは、小さな木片だった。
大きさは俺の手のひらほど。特別な細工もなく、どこにでもありそうな木の板だ。
「これをどうするの?」
「あなたが考えてみなさい。念を使って、この木片を動かすの」
なるほど。
単純な課題に見えるけれど、放出系の基礎を学ぶにはちょうどいいのだろう。
俺は木片に手をかざした。
まずはオーラを放出し、木片に向かって飛ばす。
だが、オーラが木片に触れたところで、何も起きなかった。
「……動かないな」
「そうね」
母さんは腕を組み、楽しそうに俺を見ている。
「じゃあ、もっと強くぶつけてみたら?」
言われた通り、今度はオーラを強めて放出した。
木片がわずかに揺れ、テーブルの上を滑った。
「おっ!」
「動いたわね。でも、それじゃあただ押しただけよ」
確かに。
念をぶつけて物を動かすことはできた。しかし、俺がやりたいのは、単純に物を吹き飛ばすことではない。
もっと細かく、狙った通りに念を扱えるようになりたい。
俺は木片を元の位置に戻した。
「母さん。念で物を動かすときって、どこまで細かく調整できるの?」
「練習次第ね。オーラの量や方向、放出するタイミング。そういうものを細かく制御できれば、できることも増えていくわ」
「つまり、力の強さだけじゃ駄目なんだ」
「その通り!」
母さんは満足そうに頷いた。
「念能力は、ただ強いオーラを出せればいいわけじゃないの。自分の得意な系統を理解して、何ができて何が苦手なのかを知ること。それが大切よ」
俺は木片を見つめた。
力任せに押すのではなく、必要な分だけの力を、必要な方向へ。
昨日の練習にも通じる話だ。
オーラを身体から離して維持すること。
離したオーラを思い通りに動かすこと。
そして、その精度を高めること。
一見すると別々の練習に思えるが、根っこは繋がっている。
「よし、もう一度!」
俺は木片に意識を向けた。
今度は強く押し出すのではなく、ごく少量のオーラを放出する。
木片の側面に触れさせ、ゆっくりと横へ押す。
ほんの少しだけ、木片が動いた。
「……よし」
「今のはよかったわ。力加減を意識できていたわね」
「でも、まだ狙ったところで止められないよ」
「だから練習するのよ」
母さんは笑った。
「最初から何でもできたら、修行なんて必要ないでしょう?」
それもそうだ。
俺は気持ちを切り替え、再び木片に向き合った。
◇
昼過ぎ。
木片を動かす練習を終えた俺は、休憩を挟んで神字の資料を開いていた。
昨日の修行で、念の制御がどれほど重要なのかを改めて実感した。
ならば、神字についても同じことが言えるはずだ。
文字の形を覚えるだけでは足りない。
その意味を理解し、念をどう込め、どんな仕組みを成立させるのか。
そこまで考えなければ、実際の能力には繋がらない。
俺は資料の端に、思いついたことを書き足していった。
『文字の意味』
『念の流し方』
『複数の文字を組み合わせた場合の変化』
まだ何もわからない。
けれど、わからないことを整理しておけば、いつか答えに近づけるかもしれない。
「ずいぶん真剣ね」
顔を上げると、母さんが飲み物を持って立っていた。
「うん。神字を使って何かをするには、念のこともちゃんと理解しないと駄目だと思って」
「いい考えね。でも、ひとつ忘れないで」
母さんは俺の向かいに腰を下ろした。
「神字を使うこと自体が目的になってはいけないわ。大切なのは、あなたが何をしたいのか。そのために神字が本当に必要なのか、ということよ」
俺はその言葉を頭の中で繰り返した。
確かに、神字はあくまで手段だ。
俺が欲しいのは、神字を自在に扱う技術そのものではない。
守りたい人のもとへ、素早く駆けつけられる力。
その目的を忘れてはいけない。
「……ありがとう、母さん」
「どういたしまして」
母さんは俺の頭を撫でた。
「ただし、今日はもう少し休憩しなさい。勉強ばかりしていると、身体が鈍るわよ」
「えー、でも……」
「でも、じゃありません」
有無を言わせぬ笑顔。
はい、わかりました。
俺は大人しく資料を閉じた。
◇
午後の修行は、再びオーラの放出だった。
昨日よりも少しだけ距離を伸ばす。
手のひらから離れたオーラを維持し、揺らさず、散らさず、一定の状態に保つ。
何度も失敗した。
途中で集中が切れたり、オーラを出しすぎて形が崩れたり、逆に弱めすぎて消えてしまったり。
それでも、昨日よりは長く維持できるようになっていた。
「よし……!」
手のひらから十数センチ離れた位置で、小さなオーラの塊が浮かんでいる。
昨日は数センチが精一杯だった。
わずかな進歩かもしれない。
だが、確かな進歩だ。
「いいわね、レオン。その調子よ」
母さんの声を聞きながら、俺は慎重にオーラを維持した。
そのとき、ふと頭に考えが浮かんだ。
もし、オーラを物に残すことができたら?
あるいは、特定の場所に念を留めておくことができたら?
今の俺には、まだその方法がわからない。
そもそも、そんなことが可能なのかどうかも確かではない。
だが、もしできるなら――。
「……いや、今は目の前の練習だ」
余計な考えを振り払い、集中を戻す。
すると、維持していたオーラが再び消えた。
「うわっ!」
「ふふっ。考え事をしていたでしょう?」
「……してました」
「念の修行中は、目の前のことに集中する。それも大事な練習よ」
「はい」
俺は苦笑した。
焦ってはいけない。
頭の中でいくら考えたところで、実際にできるとは限らないのだから。
まずは基礎を身につける。
その先に、道がある。
◇
夜。
自分の部屋で、俺は今日の練習を振り返っていた。
念を放出する。
その力を制御する。
神字について学ぶ。
どれもまだ初歩の段階だ。
けれど、俺が目指す能力を作るためには、きっと必要になる。
前世で憧れた四代目火影。
あの人のように、瞬時に戦場を駆け抜け、仲間を救う。
もちろん、この世界で同じことがそのまま実現できるとは限らない。
念には念の理屈があり、できることにも限界がある。
だからこそ、自分の頭で考え、自分の手で確かめるしかない。
俺はノートを開き、最後に一行を書き加えた。
『目標を忘れず、基礎を積み重ねること』
書き終えると、鉛筆を置いた。
「明日も頑張ろう」
窓の外には、静かな夜空が広がっている。
まだ見えない答えを求めて。
俺は一歩ずつ、前へ進んでいく。