十歳になってから、季節がひとつ移り変わった。
俺の生活は相変わらずだった。
朝は身体を鍛え、母さんから念の指導を受ける。午後は神字の勉強をし、夜にはその日の修行を振り返る。
少しずつ、できることは増えていた。
オーラを身体から離して維持する時間は長くなり、放出したオーラの方向や量も、以前より細かく調整できるようになった。
とはいえ、まだまだ基礎の段階だ。
母さんから見れば、俺は伸び盛りの子供にすぎないのだろう。
「レオン、今日は実戦形式でいくわよ」
修行場に着くなり、母さんが宣言した。
「実戦形式?」
「そう。あなたも念の扱いに慣れてきたでしょう? そろそろ、相手の動きを見ながら使う練習も必要ね」
母さんが構えた。
その瞬間、雰囲気が変わる。
普段は優しく笑っている母さんだが、修行となれば別だ。
隙がない。
「遠慮しなくていいわよ。もちろん、私も手加減はするけれど」
「……その言い方、あんまり信用できないんだけど」
「あら、失礼ね!」
母さんは笑顔のまま一歩踏み込んできた。
速い!
俺は慌てて後ろへ跳び、距離を取る。
しかし、母さんは追撃してきた。
右からの攻撃を身を捻って避け、続く一撃を腕で受け流す。反撃しようとしたところで、足元を払われた。
「うわっ!」
地面に倒れる寸前、なんとか手をついて転がり、体勢を立て直す。
「今のは悪くなかったわ」
「いや、最後のは完全にやられたよ……」
「相手が待ってくれると思わないこと。考えるのは大切だけど、考えている間にも戦いは進むのよ」
母さんの言葉が胸に刺さった。
俺は知識を持っている。
前世で読んだ物語の知識も、この世界で学んだことも。
だが、それだけでは戦えない。
実際の戦闘では、一瞬の判断が命を分ける。
そして、俺が将来作りたい能力は、ただ移動するためだけのものではない。
戦いの中で使いこなせなければ、意味がないのだ。
「もう一度、お願いします」
俺が構えると、母さんは嬉しそうに頷いた。
「いい返事ね!」
それから何度も、俺は地面に転がることになった。
◇
昼の休憩時間。
俺は修行場の端に座り、母さんからもらった水を飲んでいた。
身体のあちこちが痛い。
それでも、不思議と嫌な気分ではなかった。
失敗した分だけ、自分に足りないものが見えてくる。
「ねえ、母さん」
「なあに?」
「念能力って、作る前に完成形を決めておいたほうがいいのかな?」
母さんは少し考えた。
「そうね。自分が何をしたいのか、ある程度はっきりさせておくのは大切よ。でも、最初に考えた形にこだわりすぎる必要はないわ」
「どうして?」
「実際に練習してみたら、思っていたより難しいこともあるでしょう? 反対に、考えていなかった使い道が見つかることもある。能力も同じなの」
母さんは俺の隣に座った。
「自分の得意な系統を理解して、できることとできないことを知る。そのうえで、自分に合った能力を考えるのよ」
「……自分に合った能力」
俺はその言葉を反芻した。
俺の念の系統は放出系。
オーラを身体から離して扱うことに適性がある。
ならば、その長所を生かすべきだろう。
けれど、移動能力を実現するために、具体的に何が必要なのかはまだわからない。
オーラを遠くへ届けること。
特定の場所を認識すること。
そこへ移動するための仕組みを作ること。
頭の中に断片的な考えが浮かぶものの、どれもまだ仮説にすぎなかった。
「母さん。念能力を作るときって、制約や誓約を使うこともあるんだよね?」
母さんの表情が少しだけ真剣になった。
「ええ。自分に制約を課したり、何かを誓ったりすることで、能力の威力や精度を高められる場合があるわ」
「じゃあ、制約を強くすればするほど、能力も強くなる?」
「単純にそうとは限らないわ」
母さんは首を横に振った。
「大切なのは、制約の内容と、それを課すことで生まれる効果の関係よ。自分にとって本当に重い制約なのか。能力にどれだけ意味があるのか。そこをよく考えなければ駄目」
なるほど。
何でもかんでも制限をつければいいわけではないのか。
「それにね」
母さんは俺の額を指先で軽くつついた。
「子供のうちから、無理に自分を縛ることを考えなくていいの。まずは、自由にできることを増やしなさい」
「……はい」
痛いところを突かれた。
俺はどうしても、目標を考えると先へ先へと急いでしまう。
前世で知っている技術を、この世界で再現したい。
その気持ちが強いからだろう。
けれど、焦ったところで実力が伴わなければ、結局は何もできない。
「よし。午後は神字の勉強に戻るよ」
「その前に、もう一度実戦形式をやりましょうか」
「えっ?」
「まだ休憩は終わっていないけれど、元気そうだから!」
「いやいや、今の話は!?」
母さんは楽しそうに笑いながら立ち上がった。
……俺の母さんは、ときどき本当に容赦がない。
◇
その日の夕方。
俺は机に向かい、神字の資料を広げていた。
母さんとの話を思い返しながら、ノートに自分の考えを書いていく。
能力を作るなら、まずは目的を明確にする。
俺の目的は、速く移動すること。
ただし、単純に走る速度を上げるだけでは足りない。
どれほど速く走れても、障害物に阻まれたり、道が遠すぎたりすれば間に合わないことがある。
では、遠くへ移動するための別の方法はないだろうか。
俺はそこで手を止めた。
――移動先を、あらかじめ決めておく。
そんな考えが浮かんだ。
だが、どうやって?
移動先を決めるだけなら、地図に印をつければいい。
しかし、地図上の印は、そこにある場所そのものではない。
念で何かを認識し、その場所を移動先として扱う。
もしそんな仕組みを作れるなら……。
「……いや、まだわからないな」
俺は頭を振った。
今の段階では、考えが飛躍しすぎている。
まずは神字の基礎を学び、念の制御を磨くこと。
それから、少しずつ試していけばいい。
俺はノートの端に、ひとつだけ書き残した。
『移動先を指定する仕組みは作れるのか?』
答えは出ていない。
けれど、初めて具体的な疑問として形になった気がした。
◇
数日後。
俺は母さんが使っている資料室で、神字に関する古い文献を読んでいた。
難しい記述も多いが、以前よりは内容を追えるようになっている。
そのとき、ある一節に目が留まった。
神字は、単独で用いるだけでなく、複数を組み合わせることで、より複雑な働きを補助することもできる。
俺はその文章を何度も読み返した。
複数の神字を組み合わせる。
つまり、ひとつの文字にすべての役割を持たせる必要はないということだ。
役割を分け、それぞれを組み合わせる。
もちろん、それだけで望む能力が完成するわけではない。
けれど、考える余地はある。
「……面白いな」
俺は資料を閉じ、ノートを開いた。
移動先を指定する仕組み。
念を安定させる仕組み。
それらを補助する神字。
まだ、何ひとつ実現できてはいない。
だが、以前は漠然としていた目標が、少しずつ考えるべき課題へと変わり始めていた。
焦る必要はない。
俺には時間がある。
母さんがいて、学べる環境がある。
そして、目指すべきものも決まっている。
「よし……明日も頑張ろう」
俺はノートを閉じた。
この小さな疑問が、いつか自分だけの能力へと繋がることを信じて。
――今はまだ、その可能性を育てる時期なのだから。