「レオン、最近ずいぶん考え込んでいるわね」
朝の修行を終えた俺に、母さんが声をかけてきた。
「そうかな?」
「そうよ。食事中も、修行中も、時々どこか遠くを見ているもの」
……そんなにわかりやすかっただろうか。
俺は頬をかいた。
「ちょっと、念能力について考えていたんだ」
「どんな能力にしたいの?」
母さんの問いに、俺は少し迷った。
本当の目標を話すこと自体は問題ない。俺が瞬時に移動できる能力を作りたいと思っていることは、すでに伝えてある。
ただ、前世の記憶については話せない。
そもそも、そんな話をしたところで、信じてもらえるとは思えないしな。
「遠くにいる人のところへ、すぐに行けるような能力が欲しいんだ。走る速さを上げるだけじゃなくて、もっと別の方法で」
「なるほどね」
母さんは腕を組んだ。
「それなら、まずは何をもって『移動できた』とするのか、考えてみたら?」
「どういうこと?」
「目的地まで自分の身体を動かすのか。それとも、身体を動かす過程そのものを省略するのか。似ているようで、必要な技術は違うでしょう?」
俺は目を見開いた。
身体を速く動かすことと、移動の過程を省略すること。
確かに、別物だ。
前者なら身体能力の強化や放出系の応用で、ある程度は近づけるかもしれない。
だが、俺が本当に欲しいのは後者だった。
「……移動の過程を省略したい」
「ふふ。ずいぶん大胆な目標ね」
母さんは笑ったが、否定はしなかった。
「できるかどうかは、まだわからないわ。でも、何を目指しているのかがはっきりしているのはいいことよ」
「うん」
「ただし、いきなり完成を目指すのは禁止。まずは、あなたができることから始めましょう」
そう言って母さんが取り出したのは、二つの小さな木片だった。
「今日はこれを使うわ」
◇
木片は、どちらも同じくらいの大きさだった。
母さんは片方を俺の前に置き、もう片方を数メートル離れた場所に置いた。
「まず、手元の木片にオーラを込めてみて」
「うん」
俺は木片に触れ、ゆっくりとオーラを流した。
念を物に込める練習は、これまでにも何度か行っている。
ただ、オーラを流すことと、その状態を長く維持することは別の話だ。
俺はできるだけ一定の量を保つように意識した。
「できたよ」
「じゃあ、次は手を離して。どのくらいオーラが残るか、感じ取ってみて」
俺は木片から手を離した。
少しだけオーラの気配が残っている。
しかし、時間が経つにつれて、その気配は薄れていった。
「……消えていくね」
「ええ。オーラを込める方法や、込めた後の状態によっても変わるわ。何も考えずに流し込むだけでは、思った通りに維持できないこともあるの」
俺は頷き、もう一度木片に触れた。
今度は、オーラを流し込んだ後も、その木片に意識を向け続ける。
だが、結果は大きく変わらなかった。
「うーん……」
「簡単にはいかないでしょう?」
「うん。でも、ちょっと面白い」
母さんは意外そうに眉を上げた。
「面白い?」
「自分の身体から離れた場所に、自分のオーラの気配が残っているんだ。これをもっと正確に扱えたら、いろいろなことができそうだから」
それは本心だった。
今は、木片に込めたオーラが少し残るだけ。
だが、俺が考えている能力を実現するためには、こうした基礎的な理解が必要になるかもしれない。
遠くへオーラを飛ばす。
物にオーラを残す。
そして、その気配を把握する。
それぞれの技術が、どこかで繋がる可能性がある。
もっとも、現段階では推測にすぎない。
「いいわね。その好奇心は大切にしなさい」
母さんは俺の頭を撫でた。
「でも、ひとつだけ注意して。オーラを残せることと、そこへ移動できることは同じじゃないわよ」
「……うん。わかってる」
今の俺には、まだ何もできない。
それでも、考えるための材料は少しずつ増えている。
◇
午後。
俺は再び神字の資料を広げていた。
午前中の実験を踏まえ、ノートにいくつかの項目を書き出す。
オーラを物に込める。
オーラを身体から離して維持する。
離れた場所にあるオーラの気配を把握する。
神字によって、念の働きを補助できるか調べる。
こうして整理してみると、自分が何を知らないのかがよくわかった。
特に気になるのは、神字の役割だ。
神字は念を補助するためのもの。
ならば、念だけでは難しい働きを補える可能性はある。
しかし、どこまで補えるのか。
何を補うことができて、何は補えないのか。
その境界は、まだわからない。
俺は資料のページをめくった。
しばらく読み進めたところで、部屋の入口から声がした。
「レオン、少しいい?」
母さんだった。
「どうしたの?」
「あなたが神字を使って何かを作りたいと思っているなら、文字を覚えるだけじゃなくて、実際に使われているものを観察するのも勉強になるわ」
「実際に使われているもの?」
「ええ。以前見せた道具を覚えているでしょう?」
「ああ、母さんが神字を書いていた道具?」
「そう。あれをもう一度見せてあげる」
俺はすぐに立ち上がった。
神字についての理解を深める、いい機会だ。
◇
母さんが持ってきたのは、以前にも見せてもらった小さな道具だった。
表面には神字が刻まれている。
俺は許可をもらって、間近から観察した。
文字の形。
配置。
それぞれの間隔。
そして、道具全体から感じられる、ごく微かな念の気配。
「この神字は、どうしてこの順番で並んでいるの?」
「その並び方にも意味があるのよ。どの文字を使うかだけでなく、どう組み合わせるかも大切だから」
「文字を入れ替えたら、効果も変わる?」
「変わることはあるわ。ただし、何でも順番を変えればいいというものではないの。組み合わせによっては、意図した働きが失われることもあるから」
俺はじっと道具を見つめた。
神字は、ただの文字ではない。
念の働きを補助するために、意味と構造を持たせて使うものなのだ。
だとすれば、俺が将来作る能力でも、神字の組み合わせが重要になるかもしれない。
けれど、今はまだ、その具体的な形を思いつけない。
「母さん。この道具を作るのに、どれくらい時間がかかったの?」
「そうね。準備も含めれば、それなりにかかったわよ」
「やっぱり、簡単には作れないんだね」
「当然でしょう?」
母さんは笑った。
「でも、時間がかかるからこそ、丁寧に作る意味があるの。念も神字も、雑に扱えば思った通りの結果にはならないわ」
俺は頷いた。
急いで完成させることばかり考えていたけれど、今は基礎を身につける時期だ。
焦って中途半端なものを作るより、きちんと理解してから挑戦するほうがいい。
「ありがとう、母さん。もう少し勉強してみるよ」
「ええ。わからないことがあったら、いつでも聞きなさい」
母さんは道具を片づけ、部屋を出ていった。
俺は机に戻り、ノートを開いた。
今日わかったことを、忘れないうちに書き留める。
念を残すことと、念を使って移動することは別の課題。
神字は、文字の意味だけでなく、組み合わせや構造も重要。
まだ、目的地へ瞬時に移動する方法は見つかっていない。
けれど、何を調べ、何を練習すべきなのかは、少しずつ見えてきた。
俺はノートを閉じ、窓の外を眺めた。
いつか必ず、自分だけの能力を作り上げる。
そのために必要なのは、特別なひらめきだけではない。
地道な修行と、失敗から学ぶこと。
そして、わからないことを一つずつ解き明かしていくことだ。
「……よし」
俺は再び資料を手に取った。
まだ道のりは長い。
それでも、前に進んでいる実感はあった。
――明日は、今日より少しだけ先へ。
そう心に決めて、俺は神字の勉強を続けた。