念の修行を始めて、半年。
纏、絶、練、発。基本の四大行を繰り返し、オーラを練り、放出し、制御する。その積み重ねは、確実に僕の力になっていた。
けれど、最近の僕にはひとつ悩みがある。
――研究が、足踏みしている。
石に向けてオーラを放つ。放ったオーラを維持する。消える直前の感覚を確かめる。
そんな実験を繰り返してきたが、得られたのは曖昧な感触ばかりだった。
このまま同じことを続けても、大きな発見にはつながらないかもしれない。
「レオン、今日はその石を使わないわよ」
朝の修行場で、ビスケが僕の前に小さな木片を三つ並べた。
「石じゃなくて、木片?」
「ええ。それと、今日は応用技の修行もするわ」
「応用技……!」
思わず声が弾んだ。
ビスケはそんな僕を見て、楽しそうに笑った。
「何よ、その顔。まさか、ずっとそれを待ってたの?」
「待ってたよ。もちろん基礎も大事だけど、そろそろ次に進みたいと思ってたから」
「その気持ちは分かるわ。でも、基礎を忘れたら承知しないからね」
彼女は人差し指を立てた。
「今日は凝、隠、それから円の練習をするわ。発の精度も、引き続き鍛えていくわよ」
僕の胸が高鳴った。
凝は、オーラを身体の一部に集中させる技術。隠は、オーラを目立たなくする技術。円は、オーラを広げて周囲の動きを感知する応用技だ。
原作知識がある僕にとって、どれも馴染み深い言葉だった。
ただし、知っていることと、実際に使えることはまるで違う。
「まずは凝。目にオーラを集中させて、私の手を見なさい」
ビスケが掌をこちらに向けた。
僕は目の周囲にオーラを集める。
最初は視界が少し歪んだ。だが、意識を集中させると、彼女の手を包む薄いオーラが見えてくる。
「できてるわね。じゃあ、次」
ビスケは三つの木片を少し離して置いた。
「この中にひとつだけ、私がオーラを残したものがあるわ。凝を使って見つけなさい」
僕は木片を順番に見た。
左。中央。右。
中央の木片に、ごく薄いオーラがまとわりついている。
「これだ」
「正解。じゃあ、隠を使って、今度はあなたのオーラを隠してみて」
僕は身体を包むオーラを抑え、気配を薄くする。
「……うん。悪くないわね。でも、まだ粗いわ。念に長けた人間なら違和感に気づくでしょうね」
僕は頷いた。
隠は、単にオーラを小さくするだけではない。相手に悟られにくくする技術だ。
そして、僕が将来作りたい能力にも関係してくる。
もし、何かを目印にできるオーラを残せるなら。
それを相手に気づかれないようにできるなら。
ただ、今はまだ、その二つを結びつける具体的な方法がない。
「次は円よ。あなたのオーラを身体の外へ広げて、私がどこにいるか当てなさい」
「お母さんが動くの?」
「もちろん。止まっている相手を見つけるだけじゃ、修行にならないもの」
僕は息を整え、練でオーラを増幅させた。
そして、身体の周囲へゆっくり広げる。
最初は数十センチ。
少しずつ、範囲を広げていく。
足元の草。木々の幹。地面の小石。
オーラに触れたものの輪郭が、ぼんやりと感覚として伝わってくる。
その範囲の外側を、ビスケが歩いた。
僕は意識を研ぎ澄ませる。
右。
いや、右前方から背後へ。
「そこ!」
振り返ると、ビスケがにっこり笑っていた。
「正解。だけど、円を維持しながら動くのはまだ難しそうね」
「うん。広げることに集中すると、他のことが疎かになる」
「だから練習するのよ。念はひとつの技を覚えたら終わりじゃない。複数の技術を組み合わせて、初めて戦いの中で活きるんだから」
その言葉は、僕の胸に深く響いた。
僕が目指しているのは、ただ遠くへ移動する能力じゃない。
相手の動きを読み、危険を察知し、必要な瞬間に移動する。
そのためには、放出系の技術だけでは足りない。
周囲を把握する感覚も、オーラを隠す技術も、正確に制御する力も必要になる。
避雷針の術を再現する道は、思っていた以上に長い。
けれど、必要な技術は少しずつ見えてきた。
◇
午後。
応用技の修行を終えた僕は、いつもの実験場にいた。
木片をひとつ地面に置き、その前に座る。
今日は、これまでの実験を少し変えてみることにした。
今までは、放出したオーラが消える直前の感覚を確かめていた。
でも、もし重要なのが「消える瞬間」ではなかったら?
僕は右手から、ごく少量のオーラを放出する。
それを木片の表面に沿わせるように動かした。
触れさせるのではなく、木片のすぐ近くを通す。
すると、わずかな違和感があった。
木片そのものではない。
その周囲に、僕のオーラとは別の何かがあるような感覚。
「……今のは?」
僕はもう一度試した。
今度はオーラを木片から少し離して通す。
何も感じない。
木片に近づける。
――かすかな感触。
もう一度。
同じだった。
胸が大きく脈打った。
ただし、まだ確証はない。集中の仕方が変わっただけかもしれないし、凝や円の練習によって感覚が鋭くなった結果かもしれない。
そこで僕は、木片を別の場所に移した。
同じようにオーラを放つ。
今度は、何も感じなかった。
木片を元の位置に戻す。
かすかな感触がある。
僕は息を呑んだ。
もしかすると、木片に何かが残っているのか?
いや、木片そのものに特殊な力があるわけじゃない。
なら、考えられるのは――。
僕は木片に手を触れた。
そして、ほんの少しだけオーラを流し込む。
すぐに手を離し、距離を取った。
数秒後。
先ほどと同じ感触が、指先にかすかに返ってきた。
僕は目を見開いた。
今のは、単なる気のせいではないかもしれない。
木片に触れたとき、僕のオーラがそこに残った。
そして、その残ったオーラに近づいたとき、何かを感じた。
僕は何度も実験を繰り返した。
オーラを流し込む量を変える。
触れる時間を変える。
距離を変える。
すると、少なくともひとつ、はっきりした傾向が見えてきた。
木片に残すオーラが多いほど、感触を捉えやすい。
そして、時間が経つほど、その感触は弱くなっていく。
「……これだ」
思わず呟いた。
まだ遠く離れた場所から正確に感知できるわけではない。
残したオーラを自由に操れるわけでもない。
もちろん、移動することなんてできない。
それでも、ようやく一歩進んだ気がした。
僕は木片を見つめた。
もし、自分のオーラを特定の場所に残し、それを後から感知できるなら。
その感知をもっと正確にできたなら。
遠くにある目印を見失わずに済むかもしれない。
そして、いつかその目印を移動先として指定できるなら――。
「……まだ、先は長いな」
期待に胸が膨らむ一方で、僕は自分を戒めた。
今できたのは、あくまで小さな実験だ。
感知と移動の間には、大きな隔たりがある。
今の段階で分かったのは、木片に残したオーラらしきものを、ある程度感じ取れるということだけ。
それが本当に残留したオーラなのか。なぜ感じ取れるのか。どれくらい離れても感知できるのか。
まだ確かめなければならないことは多い。
だからこそ、次に何を試せばいいのかを考える必要があった。
僕は木片を大事に拾い上げた。
「お母さんに見てもらおう」
◇
ビスケは、僕の話を最後まで黙って聞いていた。
それから、木片を手に取り、目を細めた。
「つまり、あなたはここに自分のオーラを残して、後からその存在を感じ取ったのね?」
「うん。まだ確実とは言い切れないけど、何度か同じ結果が出たんだ」
「それは面白いわね」
ビスケは木片を机に置いた。
「ただし、ひとつ覚えておきなさい。オーラを残すことと、残したオーラを正確に捉えることは別の技術よ。そして、それを目印にすることと、その場所へ移動することは、さらに別の問題」
「分かってる」
「本当に?」
「……うん。ちょっとだけ、先のことを考えすぎた」
僕が正直に答えると、ビスケは満足そうに笑った。
「そう。それならいいわ。発想が先に進むのは悪いことじゃない。でも、できていないことまで、できた気になっちゃ駄目よ」
彼女は木片を僕に返した。
「明日からは、残したオーラがどれくらいの時間維持されるのか、距離が離れるとどうなるのかを調べましょう。それと、あなた自身がそのオーラを感知しているのか、それとも木片の変化を感じているのか。その区別も必要ね」
「うん!」
ようやく、次に試すべきことが見つかった。
それだけで、明日の修行が待ち遠しくなった。
ビスケはそんな僕を見て、小さくため息をつく。
「まったく……。少し前まで、私の後ろをついて歩いていた子がねえ」
「今でもついていくよ、お母さん」
「……そういうことを、さらっと言うんじゃないの」
ビスケは顔を背けた。
けれど、耳がほんの少し赤くなっている。
僕は笑った。
この人がいてくれる。
失敗しても、遠回りしても、ちゃんと見ていてくれる人がいる。
だからこそ、僕は焦らずに進める。
◇
その夜。
ビスケは、レオンが眠ったあとも、彼の実験記録に目を通していた。
十歳の子供が書いたものとは思えないほど、観察と仮説が丁寧に分けられている。
結果が出なければ、条件を変える。
期待した結果が出ても、すぐには結論を出さない。
うまくいった実験だけで判断せず、うまくいかなかった場合の記録も残している。
それは、研究を続けるうえで大切な姿勢だった。
「本当に、変わった子ね……」
もちろん、念の才能だけなら、珍しい子供はほかにもいる。
けれど、レオンの強みは才能だけではない。
彼は、自分の予想と実際に起きたことを区別できる。
予想どおりの結果が出れば喜ぶ。だが、それだけで自分の考えが正しいと決めつけたりはしない。
まだ分からないことがあれば、それを確かめるために次の実験を考える。
その積み重ねが、やがて彼自身の力になっていくのだろう。
ビスケは記録帳を閉じ、静かに立ち上がった。
廊下の向こうから、寝息が聞こえる。
「……頑張りすぎないでね、レオン」
小さく呟いてから、彼女は寝室の扉をそっと閉めた。
母としては、いつまでも危険から遠ざけておきたい。
師匠としては、彼がどこまで成長するのか見届けたい。
そのふたつの気持ちは、ときに矛盾する。
けれど、今はまだ。
彼が自分の足で進めるように、そばで支えていればいい。
◇
翌朝。
僕はいつもより早く目を覚ました。
机の上には、昨日の木片が置いてある。
僕はそれに触れ、少量のオーラを流し込んだ。
そして、少し離れた場所へ移動する。
目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませた。
かすかな気配。
昨日よりも、ほんの少しだけはっきりしている。
僕は息を止めた。
その瞬間、頭の中にひとつの考えが浮かんだ。
もし、残したオーラを単に感知するだけでなく、そこへ向かうための「目印」として利用できたら?
まだ、その方法は分からない。
どうすれば場所を指定できるのか。
どうすれば自分の身体をそこへ移動させられるのか。
何ひとつ、答えは出ていない。
それでも、僕は初めて、目指す能力の輪郭をほんの少しだけ掴んだ気がした。
避雷針の術。
僕が憧れた四代目の技。
その再現は、遠い夢のままではなくなりつつある。
今の僕にできるのは、残したオーラを調べ、仕組みを理解し、使い道を考えることだけだ。
だが、ひとつずつ確かめていけば、今は想像もできない方法が見つかるかもしれない。
焦る必要はない。
目指す場所は、もう決まっているのだから。
――そして、次の一歩は、僕自身も予想していなかった形で訪れることになる。