木片にオーラを残し、後からその存在を感じ取る。
その発見から、二週間が過ぎた。
僕は毎日、残したオーラの持続時間や、感知できる距離を調べていた。
結果は少しずつ積み上がっている。
オーラを多く残せば、感知しやすくなる。ただし、放出したオーラを長く維持するには、それだけ集中力が必要だった。
また、距離が離れるほど感知は難しくなった。
それでも、何も分からなかった頃と比べれば大きな進歩だ。
ただし、肝心の問題は解決していない。
どうすれば、残したオーラを目印として利用できるのか。
そして――どうすれば、そこへ移動できるのか。
「うーん……」
僕は修行場の地面に座り、木片を睨んでいた。
「レオン。さっきから唸ってばかりだけど、答えは出たの?」
「出てない……」
「なら、唸るより手を動かしなさい」
「はい……」
ビスケの正論が胸に刺さる。
僕は立ち上がり、木片を十メートルほど離れた場所に置いた。
そして、その表面に自分のオーラを残す。
今日の課題は、オーラを残した場所を正確に感知しながら、別の作業をすることだった。
目印を感知することばかりに集中していると、少し気を逸らしただけで感覚が途切れる。
戦闘中に使うなら、そんな状態では役に立たない。
僕は木片の位置を意識しながら、足元の小石を拾った。
その瞬間だった。
――ぞくり。
背中に、冷たいものが走った。
何かが起きる。
そう思った直後、僕の右手からオーラが弾けた。
木片に残していたオーラが、遠くでかすかに揺らいだように感じる。
いや、違う。
木片の位置が分かったのではない。
自分と木片の間に、何かがつながったような感覚があった。
「っ……!」
考えるより先に、僕はその感覚を追いかけていた。
木片のある場所を強く意識する。
そこへ向かって、自分のオーラを伸ばすように集中する。
次の瞬間。
視界が、歪んだ。
◇
音が消えた。
風の音も、木々のざわめきも、自分の呼吸さえも。
ほんの一瞬、世界から切り離されたような感覚。
足元がなくなった。
身体が宙に浮いたような感覚があり、胃がひっくり返る。
そして――。
どさっ!
「いったぁっ!」
僕は地面に尻もちをついた。
慌てて周囲を見回す。
目の前には、見覚えのある木片。
その少し先には、さっきまで僕が座っていた場所が見える。
「…………え?」
僕は自分の両手を見た。
次に、背後を振り返る。
間違いない。
僕は、さっきまでいた場所から移動していた。
歩いていない。
走ってもいない。
跳び上がったわけでもない。
ただ、瞬きをする間に、十メートルほど離れた場所へ移動していた。
「う、嘘だろ……」
心臓が激しく跳ねていた。
嬉しさよりも、驚きの方が大きい。
だって、僕はまだ移動能力を完成させていない。
移動先を指定する方法すら、見つけられていなかったのだ。
それなのに。
僕は確かに、空間を跳び越えた。
「レオン!」
遠くからビスケの声が響いた。
彼女は一瞬で僕のそばまで駆け寄ると、肩を掴んだ。
「大丈夫!? どこか痛いところは? 頭は打ってない?」
「だ、大丈夫。尻もちをついただけ」
「本当に?」
「うん。びっくりしたけど……」
ビスケは僕の身体を確かめ、怪我がないことを確認すると、ようやく息を吐いた。
その表情には、安堵と困惑が入り混じっていた。
「……今、何が起きたの?」
「僕にも分からない」
それは本心だった。
移動する直前の感覚は覚えている。
木片に残したオーラを意識したこと。
自分のオーラをそこへ伸ばすように集中したこと。
そして、世界が歪んだこと。
けれど、何が移動を引き起こしたのか、説明できなかった。
「もう一度やってみる?」
僕が尋ねると、ビスケは即座に首を横に振った。
「駄目よ」
「でも……」
「でも、じゃないわ。原因も分からないのに、同じことを繰り返すのは危険よ」
厳しい口調だった。
だけど、僕の肩を掴む彼女の手は、まだ少し震えていた。
「まずは何が起きたのか、整理するの。それから安全を確認する。分かった?」
「……うん。ごめん、お母さん」
「謝らなくていいわ。無事だったんだから」
ビスケは僕を抱き寄せた。
その腕の力は、いつもより少しだけ強かった。
「ただし、次からは何か変わったことがあったら、すぐに教えなさい。あなたが思っている以上に、念には危険な側面があるんだから」
「分かった」
僕は素直に頷いた。
今は、彼女の言うとおりにするべきだ。
僕自身、何が起きたのか分かっていないのだから。
◇
その日の午後。
僕とビスケは、修行場の隅に置かれた机を挟んで向かい合っていた。
机の上には、実験に使った木片がある。
僕は、起きたことをできる限り細かく説明した。
移動する直前に感じたこと。
オーラを意識したときの感覚。
視界が歪んだこと。
そして、移動した後に感じた身体の違和感。
ビスケは何度か質問を挟みながら、話を聞いていた。
「つまり、あなたは木片に残したオーラを意識して、その場所へ向かうように集中したのね?」
「うん。でも、移動しようと思っていたわけじゃないんだ。何かにつながったような感覚がして、それを追いかけたら……」
「気づいたときには、あそこにいた」
「そう」
ビスケは腕を組んだ。
「考えられることはいくつかあるけど、今の段階では断定できないわね」
「やっぱり、偶然なのかな?」
「偶然かどうかも、まだ分からないわ。ただ、あなたが残したオーラを意識した直後に起きたことは、重要な手掛かりになると思う」
僕は机の上の木片を見つめた。
もし、あの移動が偶然でなかったとしたら。
僕は知らないうちに、目指していた能力の一部を実現したことになる。
だけど、まだ喜ぶのは早い。
再現できなければ、実用にはならない。
それに、どういう仕組みで移動したのか分からないままでは、危険を避けることもできない。
「ねえ、お母さん」
「何?」
「もし、僕が本当に空間を移動したんだとしたら……それって、放出系だけでできることなのかな?」
ビスケは少し考え込んだ。
「放出系は、身体から離したオーラを維持するのが得意な系統よ。でも、空間を移動するという現象が、放出系だけで説明できるとは限らないわ」
「じゃあ……」
「今は、系統を決めつけるよりも、起きた現象を正確に調べることが先。あなたが何をしたときに、何が起きたのか。それをひとつずつ確かめるの」
僕は頷いた。
そうだ。
僕は避雷針の術を再現したい。
でも、憧れの技に似ているからといって、同じ仕組みだと決めつけるわけにはいかない。
この世界には念がある。
前世で知っていた作品の理屈を、そのまま当てはめられるとは限らないのだ。
「まずは、再現性の確認ね」
ビスケが指を一本立てた。
「次に、移動できる距離。そして、移動に必要なオーラの量。最後に、移動先をどこまで正確に指定できるのか」
「うん」
「ただし、いきなり十メートルの移動を試すのは禁止。まずは十分な安全を確保して、近距離から調べるわ。私が見ていないところで勝手に試すのも禁止よ」
「……はい」
「返事が遅い!」
「はいっ!」
ビスケはようやく笑った。
「よろしい。あなたの夢がどんな形になるのか、私も興味があるもの。でも、夢を叶える前に怪我をしてしまったら意味がないでしょう?」
「うん。ありがとう、お母さん」
僕は心からそう答えた。
◇
その夜。
ビスケは、レオンが眠った後も、修行場に残っていた。
彼が座っていた場所。
木片が置かれていた場所。
そして、彼が現れた場所。
それぞれの位置を確かめながら、彼女は今日の出来事を振り返っていた。
「空間移動、ね……」
念能力には、常識では説明しにくい現象が存在する。
条件や制約によって、通常なら不可能と思えることを実現する能力もある。
だが、レオンはまだ十歳だ。
念を学び始めて半年ほどしか経っていない。
そんな彼が、偶然とはいえ、あれほど明確な移動を起こした。
驚くべきことだった。
同時に、心配でもあった。
彼の才能がどれほど優れていても、経験の不足は埋められない。
強い力を得ることと、その力を安全に扱えることは別なのだ。
「……あの子、明日になったら絶対に試したがるわね」
ビスケは小さくため息をついた。
その顔には、困ったような笑みが浮かんでいた。
レオンは昔から、何かを目指すと決めたら真っ直ぐだった。
だからこそ、誰よりも慎重に見守らなければならない。
「まったく。手のかかる息子なんだから」
そう呟きながらも、彼女の声は優しかった。
◇
翌朝。
僕は目を覚ますなり、昨日の出来事を思い返していた。
十メートル。
あの距離を、一瞬で移動した。
まだ何も分かっていない。
だけど、ひとつだけ確かなことがある。
僕が目指している能力は、単なる夢物語ではないのかもしれない。
もちろん、昨日の現象が本当に空間移動だったのか、まだ断定はできない。
再現できるかどうかも分からない。
それでも、あの瞬間に感じたものは、僕の中に確かに残っている。
僕は布団から起き上がり、窓の外を見た。
朝日が、修行場を照らしている。
「……今度は、ちゃんと調べよう」
焦らない。
思い込みで決めつけない。
でも、可能性を見つけたなら、諦めずに追いかける。
それが、僕のやり方だ。
四代目のように、瞬時に仲間のもとへ駆けつけられる力。
いつか、その力を自分のものにするために。
僕の研究は、ようやく次の段階へ進み始めた。