俺が五歳になった頃、母さんから本格的な修行をつけてもらえることになった。
もちろん、今までも身体を動かすことは好きだったし、母さんと一緒に散歩をしたり、庭で遊んだりすることはあった。
けれど、これから始まるのは遊びではない。
「レオン。今日から、あなたに身体の使い方を教えてあげるわ」
「身体の使い方?」
「そう。走り方、転び方、受け身の取り方。それから、相手の動きを見て、自分がどう動けばいいのかを考えること」
母さんは俺の目を見ながら、指を一本ずつ立てて説明した。
「強くなりたいんでしょう?」
「うん!」
「なら、まずは基礎から。いきなり難しいことをしようとしても、身体がついてこなければ意味がないわ」
その言葉に、俺は大きく頷いた。
正論だ。
前世の知識があるからといって、身体まで大人のものになるわけではない。
どれほど優れた技術を知っていたとしても、それを実行するための身体能力がなければ意味がないのだ。
それに、俺には焦る理由がない。
原作の開始まで、まだ十年以上ある。
その時間を使って、じっくりと強くなればいい。
「じゃあ、始めるわよ!」
「お願いします、お母さん!」
こうして、俺の修行の日々が始まった。
*
「はい、もう一周!」
「は、はいっ!」
山道を走る。
走って、走って、走り続ける。
五歳児の身体には、かなりきつい。
だが、俺は歯を食いしばって走り続けた。
前世の記憶があるおかげで、精神的には多少の無理が利く。しかし、肉体はそう簡単には成長してくれない。
息が切れる。
足が重い。
それでも、俺は走る。
母さんを守れるくらい強くなるために。
いつか、この世界で四代目火影のような戦い方を実現するために。
「よし、そこまで!」
ようやく母さんの声が聞こえた。
俺はその場に倒れ込みそうになったが、なんとか踏みとどまった。
「お疲れさま。よく頑張ったわね」
「はぁ……はぁ……ありがとう、お母さん……」
母さんは俺の頭を撫でた。
その手が気持ちよくて、俺は思わず目を細める。
しかし、次の瞬間。
「じゃあ、次は受け身と体捌きの練習よ」
「…………え?」
「なぁに、その顔?」
母さんはにっこりと笑った。
「まだ朝食前よ?」
「……はい」
俺は悟った。
この人、絶対に手加減という言葉を知らない。
いや、正確には手加減してくれているのだろう。
本気で五歳児を鍛えれば、身体を壊しかねない。
つまり、これでも相当に加減されているのだ。
……怖い。
世界で一番怖いのは、犯罪者でも、幻影旅団でも、キメラアントでもない。
笑顔で修行を追加してくるお母さんだ。
この日、俺はその真理を学んだ。
*
修行が終わり、家へ戻る途中。
俺は母さんの手を握りながら、考え事をしていた。
俺には、この世界の人間が知らない知識がある。
それは前世で読んだ漫画やアニメの記憶だ。
そして、その中でも特に重要なのが、ハンターハンターの世界における戦闘の仕組みだった。
念。
この世界では、それを習得するかどうかで、戦いの次元が大きく変わる。
だが、俺はまだ念を使えない。
そもそも、母さんに念の存在を教わったわけでもない。
五歳の子供が突然、念の仕組みについて語り始めたらどうなるだろうか。
……間違いなく、不審に思われる。
最悪の場合、何かの病気を疑われるかもしれない。
そんなことは避けたい。
前世の記憶については、絶対に秘密にしておこう。
「レオン?」
「ん? どうしたの、お母さん?」
「さっきから、ずいぶん難しい顔をしているわよ?」
「えっと……どうしたら、もっと強くなれるのかなって」
嘘ではない。
ただし、すべてを話していないだけだ。
母さんは少し考えてから、俺の頭を撫でた。
「そうねぇ。今は、身体をしっかり鍛えることが一番大切よ」
「身体を?」
「ええ。走ることも、転ばないようにすることも、相手の動きを見ることも。どれも簡単そうに見えるけれど、極めようと思ったら大変なの」
母さんは俺の顔をのぞき込んだ。
「それにね、強くなるためには、自分の身体を知ることも大切なのよ。どれくらい動けるのか。何が得意で、何が苦手なのか。そういうことを、一つずつ覚えていくの」
「……うん!」
「焦らなくても大丈夫。あなたはまだ小さいんだから」
母さんはそう言って笑った。
俺は、その言葉を胸に刻んだ。
確かに、今の俺にはできないことが多い。
けれど、時間はある。
焦る必要はない。
今は基礎を固め、身体を鍛え、母さんから多くのことを学ぼう。
そして、いつか。
念を学ぶ時が来たら、その知識を活かして自分だけの技を作り上げる。
俺は母さんの手を握り返した。
「お母さん。明日も頑張るね!」
「あら、いい心がけね。でも、無理は禁物よ?」
「うん!」
……その翌朝、俺はまた山道を走らされることになった。
やっぱり、お母さんは怖い。
でも。
そんな母さんのことが、俺は大好きだった。