十一歳の誕生日を迎えた朝、僕は机の上に並べた木片を見つめていた。
全部で六つ。
形も大きさも似たような木片で、うち一つにだけ、僕が考案した小さな紋様が刻まれている。
神字を二つ組み合わせた、簡素な印。
まだ美しいとは言えない。線の太さも揃っていないし、神字の配置も、資料に載っていたものをそのまま写したわけではない。
僕自身が必要だと考えた働きを実現するために、意味と形を照らし合わせながら組み直したものだ。
目指した機能は、たった一つ。
自分のオーラを残した場所を、ほかの場所と区別しやすくすること。
それだけだった。
「……できた、と思うんだけどな」
「その言い方をするうちは、まだ完成とは言えないわね」
背後から、お母さんの声がした。
振り返ると、ビスケット=クルーガー――僕のお母さんが、腕を組んで立っていた。
「おはよう、お母さん」
「おはよう。誕生日だからって、朝から研究?」
「うん。でも、今日はちゃんと確かめたいんだ」
「なら、朝食を食べてからね」
「……はい」
反論はしなかった。
お母さんの作る朝食はおいしい。研究に夢中になって食べ損ねるのは、僕にとっても損失だった。
それに、ここまで来るのに何度も教えられたことがある。
思いついたことと、確かめられたことは違う。
一度成功したことと、何度でも成功できることも違う。
だから今日は、思いつきを成果に変える日だ。
◇
「まず、今までの方法を説明してちょうだい」
朝食を終えたあと、訓練場の机に向かい合って座った。
お母さんは木片を一つ手に取り、僕に説明を促した。
「普通の木片にオーラを流し込むと、僕のオーラがそこに残る。時間が経つと薄れていくけど、しばらくは凝を使えば感知できる」
「そうね」
「でも、それだけだと、どの木片にオーラを残したのか、ほかの木片と区別するのが難しい。距離が離れたり、意識が別のことに向いたりすると、感覚が曖昧になる」
「それで神字を使おうと考えた」
「うん。神字そのものに瞬間移動させる力があるんじゃなくて、僕のオーラが残った場所を、僕自身が見つけやすくするために使う」
そこまで話して、僕は紋様のある木片を指先で示した。
「この印にオーラを通して触れると、普通にオーラを残したときとは、感触が少し変わるんだ。僕には、その違いが分かる」
「少し、ね」
「……前よりは、はっきりと」
「では、実際に見せて」
お母さんの表情が引き締まる。
僕も姿勢を正した。
ここからは、説明ではなく実験だ。
最初に、六つの木片を机の上に並べた。
紋様のある木片は、そのうちの一つ。
僕は順番を覚えないように一度目を閉じ、お母さんに木片の位置を入れ替えてもらった。
「いいわよ」
目を開く。
凝を使い、六つの木片に残されたオーラを探る。
どれにも、僕自身のオーラが残っている。量はできるだけ揃えた。普通の木片にも、印のある木片にも、同じようにオーラを流し込んである。
以前なら、ここで迷っていた。
自分のオーラがあることは分かる。
けれど、それがどの木片にあるのかを、確信を持って見分けるのは難しい。
今回は違った。
六つの感触の中に、一つだけ、かすかな引っかかりがある。
普通のオーラの感触とは違う。
強いわけではない。遠くまで響くわけでもない。
ただ、僕が探しているものだと分かる。
「……これだ」
僕は右端から二番目の木片を指差した。
お母さんが、紋様のある木片を裏返す。
印が見えた。
「正解」
胸の奥で、何かが弾けたような気がした。
けれど、まだ喜ぶには早い。
「もう一回、お願いします」
「もちろん」
二回目。
成功。
三回目。
失敗。
僕が選んだ木片には印がなかった。
「……今のは、違った」
「ええ。でも、間違えたこと自体は問題じゃないわ。どうして間違えたのか、考えてみなさい」
僕は目を閉じ、先ほどの感覚を思い返した。
失敗したとき、僕は一番強く感じられたオーラを追っていた。
印のある木片を探すのではなく、オーラの量が多い木片を選んでしまったのだ。
「印の感触と、オーラの強さを混同したんだ」
「そう。あなたは自分の感覚を信じるのが上手だけれど、感覚を過信してはいけないわ」
「分かった」
それから、僕たちは条件を変えながら試した。
木片に残すオーラの量を変える。
木片同士の距離を変える。
並べる位置を変える。
目を閉じた状態で探す。
少し歩きながら探す。
結果は、完全ではなかった。
けれど、印のある木片を見分ける精度は、何も刻んでいない木片を探すときより明らかに高かった。
少なくとも、僕のオーラが残っている場所を識別するための目印として、機能している。
「……できた」
今度は、さっきよりもはっきりと言えた。
「ええ。最初の試作品としては、十分な成果ね」
お母さんが微笑む。
「ただし、これが何にでも使えると思わないこと。今のところ、あなた自身が残したオーラを見分けやすくする。それ以上の働きは確認できていないわ」
「うん。分かってる」
僕は紋様を見つめた。
たった二つの神字を組み合わせただけの、小さな印。
でも、これは僕が初めて、自分の考えを神字の形に落とし込み、意図した働きを確かめられたものだった。
これまでの実験では、偶然の感覚を追いかけることしかできなかった。
オーラが伸びる。
何かに触れる。
つながったように感じる。
そのどれもが、一度きりだったり、再現できなかったりした。
けれど、今は違う。
少なくとも、僕が残したオーラを見分けるための手掛かりを、僕自身の手で用意できた。
これなら、次に進める。
◇
午後の訓練で、僕は印のある木片を床の上に置いた。
距離は三メートル。
以前、僕が偶然に空間を跳んだときよりも近い。
あのときは、木片に残されたオーラを感知し、そこへ向けてオーラを伸ばし、先端が重なったような感覚を得たあと、右手を少し前に動かした。
そして、世界が歪んだ。
あれを再現できれば、僕は一歩進める。
けれど、今度は最初から瞬間移動を狙わない。
まずは、印を使ってオーラを導けるかどうか。
「無理だと思ったら、すぐに止めること。少しでも異常を感じたら、続けない」
お母さんが念を押した。
「分かった」
僕は床に置かれた木片を見つめた。
凝。
印のある木片に残したオーラを探る。
見つかった。
以前よりも、迷いが少ない。
その感覚を保ったまま、右手からオーラを放出する。
細く、少なく。
遠くまで伸ばそうと力むのではなく、木片のある場所を意識しながら、オーラの先端をゆっくりと近づけていく。
指先から伸びたオーラが、空気の中を進む。
いつもなら、ここで集中が乱れた。
残されたオーラを感知することと、放出したオーラを制御すること。その二つを同時に続けるのは、思っていた以上に難しい。
けれど、印がある。
僕の意識が迷いそうになるたび、あの独特の感触が目印になった。
オーラの先端が揺れる。
少しずつ方向を修正する。
そして――。
触れた。
放出したオーラの先端が、木片に残されたオーラと重なった。
今までにも、似た感覚はあった。
しかし今回は、その直前までの過程を、はっきりと追うことができた。
どこに目標があるのか。
自分のオーラがどこまで伸びているのか。
そして、二つのオーラが触れた瞬間。
それらを、ひと続きの感覚として捉えられた。
「……っ!」
僕は思わず息を呑んだ。
世界は歪まない。
身体も動かない。
瞬間移動は起きなかった。
それでも、僕は笑っていた。
だって、これは偶然じゃない。
印を使い、目標を見失わず、放出したオーラをそこへ導いた。
少なくとも、今の一回は、自分が何をしているのかを理解したうえで成功させたのだ。
「お母さん、今の……!」
「見ていたわ」
お母さんは僕のそばに歩み寄り、木片と僕の手を交互に見た。
「印が、目標を探す助けになったのね」
「うん。前よりも、ずっとやりやすかった。印があると、どこにオーラが残っているのか分かりやすい。それに、オーラを伸ばしている途中で意識が逸れにくかった」
「では、もう一度やってみましょう」
「うん!」
二回目は失敗した。
オーラの先端が木片の手前で逸れ、触れることができなかった。
三回目も失敗。
四回目は、目標を見失わずに済んだものの、先端を重ねる直前で集中が途切れた。
五回目。
もう一度、オーラが触れた。
今度も、空間跳躍は起こらない。
けれど、成功した。
僕は大きく息を吐き、床に座り込んだ。
「……できた」
「ええ。二回ね」
「二回も、だよ」
「そうね。二回も成功したわ」
お母さんは、僕の頭を優しく撫でた。
「十一歳の誕生日に、いい成果が出たわね」
その言葉が、何より嬉しかった。
僕は木片を手に取り、神字の紋様を見つめた。
これは、まだ完成された念能力ではない。
この印を使えば、どこへでも瞬間移動できるわけではない。距離の制限も分からないし、時間が経ったらどうなるのかも、別の人間が触れたらどうなるのかも、何一つ確かめられていない。
それでも、確かな一歩だった。
神字によって、僕のオーラが残された場所を識別しやすくする。
その目印を頼りに、放出したオーラを目標へ導く。
この二つを、意識して行えるようになった。
僕が作りたいものの、ほんの入り口。
けれど、その入り口は、ようやく僕の手の届くところに現れた。
◇
夜。
僕は机に向かい、今日の結果をノートに記録していた。
印の形。
神字の組み合わせ。
オーラを流し込む手順。
識別の成功と失敗。
放出したオーラが目標に触れた回数。
そして、空間跳躍は起こらなかったこと。
最後の一行を書き終え、僕はペンを置いた。
ノートの端には、最初に書いた目標が残っている。
大切な人のもとへ、すぐに駆けつけられる力を作る。
前世で憧れた、四代目火影のように。
あの技の仕組みを、この世界で再現できる保証なんてない。
そもそも、念能力は本人の性質や発想、修練によって形が変わる。漫画で見た技を、そのまま持ち込めるほど単純な世界ではない。
それでも、僕には念がある。
神字がある。
そして、少しずつだけれど、前へ進めている。
「……よし」
僕は今日作った紋様を、ノートの最後のページに描き写した。
その下に、名前を書き添える。
まだ正式な能力名ではない。
これから先、何度も作り直すことになるかもしれない。
それでも、今の僕には、この呼び方がしっくりきた。
――簡易型・避雷針。
場所を見つけるための印。
そこへ向かうための、最初の目印。
僕は紋様をもう一度見つめてから、ノートを閉じた。
十一歳。
まだ、道のりは長い。
けれど今日、僕は初めて、憧れをただの夢ではなく、形のある技術へと変えることができた。
明日からは、この印をもっと安定させる。
そしていつか――この印を目印に、世界そのものを飛び越えてみせる。