簡易型・避雷針が形になってから、三日が経った。
僕は訓練場の床に座り、目の前に置いた三つの木片を眺めていた。
一つには、完成したばかりの神字の印。
もう一つには、以前から使っていた方法でオーラを残している。
最後の一つには、何もしていない。
この三つを使って、今日は新しい実験をする。
「レオン、準備はいい?」
「うん、お母さん」
「では、始めましょう。今日の目的は?」
「印を見分けることじゃなくて、印を使ったときに、どこまで安定してオーラを導けるかを確かめること」
「正解。昨日までの成果に満足して、先へ進んだつもりにならないようにね」
「分かってるよ」
そう答えながら、僕は少しだけ苦笑した。
お母さんは、僕が浮かれていることをお見通しらしい。
実際、簡易型・避雷針ができたことは嬉しかった。
これまでの研究は、偶然の感覚を追いかける日々だった。何かを感じても再現できず、再現できたと思えば別の条件で失敗する。
それが今は、目標を見つけるための目印がある。
自分で作った仕組みが、ちゃんと役に立っている。
この進歩は大きい。
だからこそ、焦ってはいけない。
僕は目を閉じ、凝を使った。
まずは、印のある木片を探す。
すぐに見つかった。
次に、右手から少量のオーラを放出する。
指先から伸ばしたオーラを、印のある木片へ向けてゆっくりと進めていく。
昨日までと同じ手順。
目標の感覚を保ち、放出したオーラの先端を少しずつ修正する。
――触れた。
成功だ。
僕は一度オーラを引き戻し、呼吸を整えた。
もう一度。
今度は、わざと目標から意識を少しだけ逸らしてみる。
オーラの先端が揺れた。
目標を見失いかける。
けれど、印の感触を捉え直すことで、なんとか方向を修正できた。
三回目も成功。
四回目は失敗。
五回目は、目標に近づいたものの、接触したかどうかを判断できなかった。
「……思ったより、集中力を使うな」
「当然よ。今のあなたは、目標の感知とオーラの放出、その両方を同時に制御しているんだから」
お母さんが僕の隣に腰を下ろした。
「印があれば、全部自動でできると思った?」
「少しだけ」
「正直でよろしい」
お母さんは笑った。
「でも、いい変化はあるわね。印がないときより、目標を見失ってから立て直すのが早い。これは記録しておきなさい」
「うん」
僕はノートを開き、結果を書き込んだ。
印は、僕の代わりにオーラを操ってくれるわけではない。
けれど、僕が目標を見失わないための支えにはなる。
それだけでも、十分に価値がある。
◇
午後は、少し違う実験をすることになった。
「今度は、木片を動かすわよ」
「動かす?」
「ええ。あなたが目印にしている場所が移動したら、感覚はどう変わるのかしら?」
お母さんは、印のある木片を持ち上げた。
僕はすぐに首を横に振った。
「それは、まだ分からない。印は木片に刻んであるから、木片が動けば印も動く。でも、僕が感知しているのは印そのものなのか、印に流したオーラなのか、それとも両方なのか……」
「だから、確かめるのよ」
お母さんが木片を、ゆっくりと右へ動かした。
僕は凝を維持しながら、その感触を追う。
最初は問題なかった。
印のある木片が移動していることも分かる。
しかし、お母さんが動かす速度を上げると、感覚が曖昧になり始めた。
木片の位置を追っているつもりなのに、意識が少し遅れる。
やがて、印の感触を捉えきれなくなった。
「……見失った」
「では、どうする?」
「無理に追いかけない。いったん感知し直す」
僕は放出していたオーラを引き戻し、呼吸を整えた。
もう一度、凝。
今度は木片の位置を目で確認しながら、印の感触を探す。
見つかった。
「よし」
「今のは悪くなかったわ」
お母さんが木片を元の位置に戻す。
「でも、あなたが作った印は、まだ移動する目標を追い続けるには不安定ね。現段階では、決まった場所に置いて使うほうが向いているでしょう」
「そうだね。今の印は、場所を固定して使うためのものとして考えたほうがよさそうだ」
僕はノートに書き加えた。
移動する対象を追跡する用途には、現状では不向き。
これは、失敗ではない。
使える条件が分かったということだ。
僕が最終的に作りたいものには、いくつもの使い方がある。
けれど、最初から全部を実現しようとすれば、どこかで破綻する。
まずは、一つの機能を確かなものにする。
そして、その機能を土台にして、次の機能を積み重ねていく。
今の僕にできるのは、それだけだ。
◇
数日後。
僕は心源流総本山を訪れていた。
「ほう。神字を使った目印とな」
ネテロ会長は、僕のノートを覗き込みながら、楽しそうに笑った。
「はい。まだ試作品ですけど、自分のオーラが残っている場所を見分けやすくできました」
「ふむ。では、その印を使えば、離れた場所にあるものも見つけられるのかの?」
「今は、あまり遠くまでは無理です。距離が離れるほど感知が曖昧になりますし、放出したオーラを目標に導くのにも集中が必要です」
「なるほど、なるほど」
会長は頷きながら、僕のノートを閉じた。
「それで、おぬしは何を目指しておる?」
その質問に、僕は一瞬だけ言葉を止めた。
もちろん、答えは決まっている。
ただ、今の段階で全てを説明することはできない。
僕自身、まだ完成形を理解しているわけではないのだから。
「目標を見失わずに、オーラを届けることです。今はそれを確実にできるようになりたい」
「ふむ。それができたら、次は?」
「……もっと遠くへ。もっと速く」
口にしてから、自分でも少し笑ってしまった。
「欲張りかもしれませんけど」
「欲があるのは悪いことではないぞい」
ネテロ会長は、白い髭を撫でた。
「ただし、欲しいものが大きいほど、足元を確かめねばならん。速さを求めて、届く前に壊れてしまっては意味がないからの」
「はい」
「それに、おぬしが本当に作りたいものは、ただオーラを遠くへ飛ばす技ではなかろう?」
僕は顔を上げた。
会長は、いたずらっぽい笑みを浮かべている。
「今の話しぶりでは、目標に届くことそのものよりも、目標を確実に捉えることを気にしておるように見える」
……さすが、ネテロ会長だ。
細かな仕組みまでは分からなくても、僕が何を大切にしているかは見抜いている。
「そうです。どれだけ速くても、行き先を間違えたら意味がありませんから」
「よい答えじゃ」
会長は立ち上がった。
「ならば、今日はわしと少し身体を動かそうかの」
「えっ、今からですか?」
「研究ばかりでは、身体がなまるぞい」
「なまってはいないと思いますけど……」
「ほっほっほ。口答えできる元気があるなら十分じゃ!」
そのまま訓練場へ連れていかれた。
そして、僕は自分の考えが甘かったことを思い知らされた。
◇
ネテロ会長との組手は、いつも学ぶことが多い。
僕が攻めれば、会長は最小限の動きでかわす。
僕が距離を取れば、会長は一瞬で間合いを詰める。
どこを狙っても、あと一歩届かない。
けれど、今日はいつもと少し違うことを試していた。
会長の動きを目で追うだけではなく、身体から放たれるオーラの動きにも意識を向ける。
動き出す直前のわずかな変化。
重心が移る気配。
オーラが偏る瞬間。
それらを捉えられれば、攻撃が来る方向を少し早く判断できるかもしれない。
しかし、実際にやってみると難しかった。
会長の動きを見ながら、オーラを感じ、同時に自分の身体を動かす。
どれか一つに意識を集中すれば、ほかが疎かになる。
「ほれ、遅いぞい!」
「くっ……!」
軽く額を小突かれた。
「今のは、目で追うことに意識を使いすぎじゃ。身体全体で感じるのじゃよ」
「身体全体で……」
「考えるな、とは言わん。考えながら動けるようになればよい」
会長は構えを解き、僕を見た。
「おぬしは、何かを作るとき、細かく分けて考えるのが得意じゃろう。じゃが、戦いの最中に全てを一つずつ考えておっては間に合わん」
その言葉に、僕は思わず頷いた。
確かにそうだ。
研究では、現象を細かく分解することが役に立つ。
けれど、戦闘では、分解して理解したものを、最終的には一つの動作として扱わなければならない。
目標を感知する。
オーラを伸ばす。
相手の動きを読む。
自分の身体を動かす。
それらを別々に練習することはできる。
でも、実際に使うときには、同時にできなければ意味がない。
「……ありがとうございます、会長」
「なあに。わしも、孫のような弟子が成長するのを見るのは楽しいからの」
「孫……」
「なんじゃ、嫌か?」
「いえ。嬉しいです」
僕が答えると、会長は満足そうに笑った。
「よし。では、もう一本じゃ!」
「えっ、まだやるんですか!?」
「当然じゃろう!」
結局、その日は日が傾くまで組手を続けることになった。
帰り道、身体はくたくただった。
けれど、頭の中には、新しい課題がはっきりと浮かんでいた。
研究で得た感覚を、戦いの最中でも使えるようにする。
それは、簡易型・避雷針を完成させるためにも、きっと必要になる。
目標を見つけること。
そこへオーラを導くこと。
そして、余計な思考に邪魔されず、それらを一つの動作として行うこと。
まだ、できないことばかりだ。
でも、できないことが分かれば、次に何を練習すべきかも分かる。
僕は夕空を見上げた。
十一歳の一年は、始まったばかりだ。
簡易型・避雷針は、まだ小さな目印にすぎない。
それでも、いつかその印を頼りに、誰よりも速く大切な人のもとへ駆けつけられるように。
僕は、また一歩ずつ進んでいく。