簡易型・避雷針による、初めての意図的な空間跳躍。
あの日から、僕の念の修行は大きく変わった。
今までは、空間跳躍につながる何かを探し続けていた。
残留したオーラを感知し、放出したオーラを伸ばし、神字の印を工夫する。
それらを何度も繰り返し、偶然のように起きた現象を少しずつ分析してきた。
でも、今は違う。
僕には、試すべき手順がある。
目標を見つける。
放出したオーラを目標へ導く。
二つのオーラが触れた感覚を保つ。
そして、そのつながりを維持したまま、自分の身体を動かす。
成功はまだ一度だけ。
それでも、進むべき方向は見えた。
「じゃあ、今日は何を確かめるの?」
訓練場で向かい合ったお母さんが尋ねた。
「まずは、同じ条件で再現できるかどうか。それができたら、距離を少しずつ変えてみたい」
「いいわね。最初から遠くへ飛ぼうとしないこと。成功したときの感覚を大切にしなさい」
「分かってるよ」
僕は三メートル先に置いた木片を見た。
神字の印は、昨日と同じもの。
位置も距離も変えていない。
まずは条件を揃え、再現性を確かめる。
念能力を作るうえで、ここを疎かにするわけにはいかなかった。
◇
最初の挑戦は失敗した。
印に残したオーラは感知できた。
放出したオーラも、目標に触れた。
しかし、つながりを保とうとした瞬間に集中が乱れ、空間跳躍は起こらなかった。
二回目も失敗。
三回目は、目標とのつながりを感じられたものの、身体を動かしても何も起こらなかった。
「……難しいな」
「一度できたからといって、すぐに何度もできるようになるわけじゃないわ」
お母さんは僕の肩に手を置いた。
「でも、以前とは違うでしょう?」
「うん。今は、どこで失敗したのかが少し分かる」
以前なら、空間跳躍が起きなかったという結果しか残らなかった。
今は違う。
目標を見失ったのか。
放出したオーラが触れなかったのか。
接触した感覚を維持できなかったのか。
それとも、最後の動作までつなげられなかったのか。
失敗を細かく分けて考えられる。
それだけでも、練習の質は大きく変わっていた。
僕は少し休んでから、四回目に挑戦した。
凝で目標を捉える。
オーラを伸ばす。
触れた感覚を維持する。
焦らず、その感覚を確かめる。
そして、一歩。
視界が歪んだ。
「――っ!」
次の瞬間、僕は木片のすぐそばに立っていた。
成功だ。
二度目の意図的な空間跳躍。
距離は、約三メートル。
僕はすぐにその場から動かず、身体の感覚を確かめた。
目眩はない。
痛みもない。
オーラは消耗しているが、立っていられないほどではなかった。
「お母さん、今のは……!」
「ええ。今度も、あなた自身の意思で移動したわね」
お母さんの表情には、喜びと同時に、指導者としての慎重さがあった。
「でも、まだ成功率は低い。しばらくは三メートルで練習しましょう。安定する前に距離を伸ばすのは危険よ」
「うん!」
僕は頷いた。
何度も失敗したあとだったからこそ、二度目の成功は嬉しかった。
これで、少なくとも一度きりの偶然ではないと考えられる。
簡易型・避雷針は、実際に空間跳躍を起こすための足掛かりになっている。
僕の念能力は、ようやく研究段階から実用化に向けた段階へ進み始めたのだ。
◇
数日間、僕は三メートルの空間跳躍を繰り返した。
成功率は少しずつ上がっていったが、毎回うまくいくわけではない。
目標とのつながりを保てても、移動に至らないことがある。
集中を強めすぎると、逆に身体がこわばって失敗することもあった。
そして、何度か成功したあと、僕は一つの疑問を抱いた。
――どうして、神字の印が必要なのだろう?
いや、目標を識別しやすくするという意味では、必要性は分かっている。
けれど、空間跳躍そのものに対して、神字はどこまで関わっているのだろうか。
今までの僕は、印を目印として扱ってきた。
目標を見失わないようにするための補助。
しかし、もし神字に別の働きも持たせられるのなら?
僕は訓練を終えたあと、机に神字の資料を広げた。
神字は、念を補助するために用いられる。
形や意味、配置、そしてオーラの扱い方によって、さまざまな働きを持たせられる可能性がある。
もちろん、何でもできるわけではない。
僕が作った印だって、オーラを無限に残せるわけではなかった。
それでも、考える余地はある。
「お母さん。神字って、書いた場所を目印にする以外にも、オーラの働きそのものを補助できるのかな?」
資料を読んでいたお母さんが、こちらを向いた。
「できる可能性はあるわ。ただし、神字を組み合わせれば自動的に何でもできる、という意味ではないわよ」
「うん」
「どんな働きを持たせたいのか。その働きを実現するために、どんな形が必要なのか。そして、その形にあなたのオーラをどう流すのか。全部を考える必要があるわ」
お母さんは僕のノートを手に取った。
「あなたの印は、今のところ、目標を識別しやすくするためのものね。では、そこに別の働きを加えたら、何が変わると思う?」
僕はしばらく考えた。
「……印に残したオーラの感触を、もっと安定させられるかもしれない」
「そうね。それも一つの考え方」
「あるいは、僕が目標へオーラを導くときの補助にできるかもしれない」
「ええ。ただし、両方を同時に変えたら、何が原因で結果が変わったのか分からなくなるわ」
僕は頷いた。
まずは一つずつ。
神字の印に、別の働きを持たせられるかどうか。
それを確かめるところから始めよう。
◇
翌日、僕は新しい実験を始めた。
これまでの簡易型・避雷針は、そのまま残しておく。
比較対象がなければ、何が変わったのか分からなくなるからだ。
新しい試作品には、元の印に小さな変更を加えた。
神字を一つ増やすのではなく、既存の二つの配置と、オーラを流す順序を変える。
狙いは、印に残したオーラの感触を、少しでも安定させること。
まずは、木片に同じ量のオーラを流し込む。
その後、一定の時間を置いて感知する。
元の印では、時間が経つにつれて感触が弱くなった。
新しい印でも、同じように弱くなった。
「……駄目か」
そう呟きかけて、僕は手を止めた。
いや、まだ結論を出すには早い。
感触が弱くなる速度は、完全に同じだろうか?
僕は記録を見直した。
測定のたびに、オーラを流し込む量が微妙に違っていた。
これでは比較にならない。
僕は条件を揃え、もう一度試した。
今度は、オーラを流し込む時間を一定にする。
感知するときの姿勢も揃える。
目標との距離も変えない。
何度か繰り返した結果、新しい印では、感触の変化に小さな違いが見られた。
ただし、安定しているとは言い切れない。
成功する場合もあれば、元の印とほとんど差がない場合もある。
僕はノートに、慎重に書き記した。
神字の配置とオーラを流す順序によって、残留オーラの感触が変化する可能性がある。ただし、再現性は不十分。
まだ、新しい機能が完成したわけではない。
けれど、神字の使い方を変えることで、念の働きに違いが生まれる可能性は見えてきた。
これは、僕にとって大きな発見だった。
簡易型・避雷針は、単なる目印では終わらないかもしれない。
神字の組み合わせ次第で、もっと多くの役割を持たせられる可能性がある。
そう考えると、胸が高鳴った。
◇
その日の夕方、僕はお母さんと向かい合って座っていた。
「念能力のほうは、少しずつ安定してきたわね」
「うん。三メートルなら、何度か成功できるようになった」
「でも、まだ失敗もある。距離を伸ばすのは、成功率が十分に上がってからよ」
「分かってる」
僕は頷き、ノートを開いた。
「それと、神字にも、まだ試せることがありそうなんだ」
「そうね。でも、忘れないで」
お母さんは、僕の目をまっすぐに見た。
「あなたが作りたいのは、神字そのものではないでしょう?」
「……うん」
「神字は道具よ。大切なのは、それを使って何を実現するのか。そこを見失わないこと」
僕は、静かに頷いた。
そうだ。
僕が作りたいのは、複雑な紋様でも、珍しい神字でもない。
大切な人のもとへ、すぐに駆けつけられる力。
そのために必要な機能を、一つずつ作り上げていく。
神字は、そのための手段だ。
念能力の研究が進んだことで、神字に新しい可能性が見えてきた。
神字の研究が進めば、念能力のほうも、もっと発展するかもしれない。
この二つは、別々の道ではない。
互いに影響し合いながら、僕の目指す力を形作っていくのだ。
僕はノートの最後に、次の目標を書いた。
簡易型・避雷針の再現性を高めること。
神字による補助機能を、一つずつ検証すること。
それから、少しだけ考えて、もう一行を付け加えた。
いずれは、印を置いた場所へ移動するだけでなく、印そのものを使って、念の働きをさらに広げること。
書き終えた僕は、ペンを置いた。
まだ、できることは少ない。
けれど、以前は夢物語だった空間跳躍が、今は練習できる技術になりつつある。
そして神字もまた、僕の想像を超える可能性を秘めているのかもしれない。
十一歳の秋。
僕の念能力は、ようやく本当の意味で成長を始めたのだった。