十一歳の冬が近づいていた。
簡易型・避雷針による空間跳躍を意識的に成功させてから、二か月ほどが過ぎている。
この二か月、僕はひたすら再現性を高める訓練を続けてきた。
三メートル。
五メートル。
そして、十メートル。
距離を伸ばすたび、難しさは増していった。
目標が遠くなるほど、残されたオーラの感知は曖昧になる。放出したオーラを目標へ導くにも、より繊細な制御が必要だった。
それでも、少しずつ成果は出ている。
「……よし!」
視界が揺れた。
次の瞬間、僕は十メートル先に置いた木片の隣に立っていた。
成功だ。
僕はすぐにその場で足を止め、身体の状態を確認する。
呼吸に乱れはあるが、強い目眩はない。オーラの消耗も、以前より把握できるようになってきた。
「今のは、よかったわね」
訓練場の端から、お母さんが近づいてきた。
「十メートルでも、目標とのつながりを保てるようになった。最初の頃を考えれば、大きな進歩よ」
「うん。まだ毎回成功するわけじゃないけどね」
「だからこそ、浮かれないこと。成功した回数だけでなく、失敗したときの条件も記録しておくのよ」
「分かってる」
僕はノートに結果を書き込んだ。
今の成功で、十メートルの空間跳躍は三回目。
まだ十分とは言えないが、偶然の一度きりではなくなっている。
そして、もう一つ。
最近、僕は空間跳躍そのものとは別の変化にも気づいていた。
印のある目標を探すとき、以前ほど強く集中しなくても、その位置を捉えられることが増えてきたのだ。
印が特別な力を持ったのか。
それとも、僕自身の感知能力が成長したのか。
今の段階では、断定できない。
だからこそ、次はそれを確かめる必要があった。
◇
その日の午後、僕は新しい実験を始めた。
訓練場の中に、いくつかの木片を離して配置する。
そのうち一つだけに、簡易型・避雷針の印を刻んである。
ほかの木片にも、できるだけ同じ量のオーラを残した。
これまでは、印のある目標を見つけ、それに向かってオーラを伸ばすことを重視していた。
今回は違う。
印を感知するまでの時間と、目標の位置を正確に把握できるかどうかを確かめる。
僕は目を閉じ、凝を使った。
最初は、すべての木片に残されたオーラを探る。
一つずつ感触を確かめていくと、その中に、印特有の引っかかりがあった。
見つけた。
僕は目を開き、位置を確認する。
正解だった。
次に、配置を変えてもらう。
また見つける。
正解。
今度は少し距離を離す。
それでも見つけられた。
「……前より、ずっと分かりやすい」
僕は思わず呟いた。
印を作った当初は、ほかの木片と区別するだけでも苦労していた。
今では、意識を向ければ、かなり安定して見分けられる。
これは印の改良によるものなのか、それとも僕の感知能力が上がったためなのか。
両方の可能性がある。
けれど、僕はここで一つの考えにたどり着いた。
印の性能だけを高めるのではなく、印を扱う自分自身の能力も高めればいい。
当たり前のことかもしれない。
でも、これまでの僕は、神字の形やオーラの流し方ばかりに目を向けていた。
印を使うための技術そのものを鍛えることも、同じくらい重要なのだ。
「お母さん。これからは、印の研究と並行して、離れた場所のオーラを感知する訓練も増やしたい」
「いい考えね。ただし、遠くを感知することと、遠くへ空間跳躍できることは別の課題よ」
「うん。そこは分けて考える」
「なら、やってみましょう」
お母さんは満足そうに頷いた。
僕はノートの新しいページに、二つの課題を書き込んだ。
一つは、簡易型・避雷針の性能を高めること。
もう一つは、印を見つけ、扱うための自分の能力を高めること。
その両方を鍛えていけば、きっと今より先へ進める。
◇
数日後。
僕は神字の資料を広げ、これまでに作った印を比較していた。
最初に完成した簡易型・避雷針。
そして、残されたオーラの感触を安定させようとして、配置やオーラを流す順序を変えた試作品。
後者は、まだ期待した効果を安定して示していない。
それでも、試す価値はある。
僕は二つの紋様を見比べながら、あることに気づいた。
最初の印は、目標を識別するためのものだった。
それに対して、新しい試作品は、印に残したオーラの状態そのものを変えようとしている。
同じように神字を使っていても、狙っている働きが違うのだ。
ならば、今後は機能ごとに設計を分けたほうがいい。
目標を識別するための印。
オーラの状態を維持するための仕組み。
そして、空間跳躍を補助するための仕組み。
それぞれの役割を整理し、必要に応じて組み合わせる。
そうすれば、複雑な機能を一つの印に詰め込むよりも、原因と結果を確かめやすくなるはずだ。
「……そうか。神字を組み合わせるって、こういうことでもあるんだ」
僕は、ノートに小さな図を描いた。
まだ具体的な完成形ではない。
ただ、役割を分け、それぞれの機能を組み合わせるという考え方だ。
念能力を一から作るというのは、単に強い技を思いつくことではない。
自分が何をしたいのかを定め、そのために必要な働きを考え、実現できるように訓練すること。
その過程で、神字は大きな助けになるかもしれない。
僕は資料を閉じた。
まだまだ学ぶことは多い。
でも、研究の方向性は、以前よりずっと明確になっていた。
◇
週末、僕は心源流総本山を訪れた。
「ほっほっほ。レオン、顔つきが変わったのう」
ネテロ会長は、僕を見るなり笑った。
「そうですか?」
「うむ。何かを掴みかけている者の顔じゃ」
僕は少し照れくさくなりながら、最近の訓練について話した。
簡易型・避雷針で十メートルの空間跳躍ができるようになってきたこと。
印のある目標を見つける精度が上がっていること。
そして、神字の機能を分けて考えるようになったこと。
会長は興味深そうに聞いていた。
「なるほどのう。つまり、おぬしは一つの能力を作るだけでなく、その能力を支える仕組みまで考えておるわけじゃな」
「はい。まだ試作品ばかりですけど」
「それでよい。最初から完成したものを作れる者など、そうそうおらん」
会長は椅子から立ち上がった。
「さて、話はここまでにして、今日は少し相手をしてもらおうかの」
「……組手ですか?」
「ほかに何がある?」
会長は、にっこりと笑った。
僕は小さく息を吐いた。
この人は、僕が研究に夢中になっていると、必ず身体を動かさせようとする。
でも、それが正しいことも分かっていた。
念能力は、研究室の中だけで完成するものではない。
実際の戦闘で使えるようになって、初めて意味がある。
「お願いします、会長」
僕は構えた。
◇
組手の最中、僕は空間跳躍を使わなかった。
今の僕が練習しているのは、あくまで印を目標にした移動だ。
会長との戦いでは、目印がない状況で相手の動きを読む必要がある。
その違いを、僕ははっきりと感じていた。
相手の肩が動く。
重心が移る。
オーラの流れが変化する。
そうした情報を捉え、次の動きを予測する。
以前より、わずかに反応が早くなっている。
けれど、会長には届かない。
「ほれ、そっちではないぞい!」
「しまっ……!」
足払いを受け、僕は床に転がった。
痛みはなかったが、完全に読まれていた。
「相手の動きに意識を向けるのはよい。じゃが、相手を見ようとしすぎて、自分の身体を忘れておるぞ」
会長が手を差し伸べてくれた。
「感知したものを、すぐに動きへ変える。そこまでできて、ようやく戦いに使える」
「……はい」
僕はその手を取って立ち上がった。
目標を見つけることと、そこへオーラを導くこと。
そして、相手の動きを読むことと、自分の身体を動かすこと。
どちらも、情報を得るだけでは足りない。
得た情報を、行動につなげなければならないのだ。
その意味では、空間跳躍の練習も、戦闘の訓練も、根本ではつながっているのかもしれない。
「もう一本、お願いします」
「よい返事じゃ!」
会長は嬉しそうに笑った。
僕は再び構えた。
まだ、遠い。
けれど、遠いからこそ、進む意味がある。
◇
その夜、僕は机に向かって、今日の成果をまとめた。
簡易型・避雷針は、十メートルの距離でも使用できるようになってきた。
印を識別する精度も上がっている。
神字については、機能ごとに役割を分けて設計するという新しい方向性が見えた。
そして、会長との組手では、感知した情報を行動につなげることの重要性を改めて学んだ。
どれも、まだ完成とは言えない。
けれど、確実に前へ進んでいる。
僕はノートの最後に、次の目標を書いた。
簡易型・避雷針を、戦闘中でも使える技術にする。
印を見つける。
オーラを導く。
つながりを維持する。
そして、迷わず移動する。
それを一つの動作として扱えるようになれば、今よりもずっと自由に使えるはずだ。
僕は窓の外を見た。
夜空には、冬の星が少しずつ増えていた。
いつか、もっと遠くへ。
もっと速く。
そして、必要なときに、迷わず大切な人のもとへ。
そのために、明日も鍛える。
念も、神字も、そして自分自身も。
僕の目指す力は、まだ成長の途中だった。