螺旋丸が完成した。
けれど、技が完成したことと、実戦で使いこなせることは別だ。
僕はその当たり前の事実を、翌日の訓練で思い知らされることになった。
「よし、もう一度やってみなさい」
お母さんの声に頷き、右手にオーラを集める。
球状に練り上げたオーラ。その内部では複数の流れが複雑に絡み合い、互いの均衡を保ちながら回転している。
螺旋丸。
見た目は単純な球体でも、維持するためにはかなり細かな制御が必要だった。
僕はゆっくりとオーラを集め、球体を作り上げる。
――安定している。
昨日よりも、明らかに滑らかだ。
「……よし」
僕は訓練用の丸太に向かって踏み込んだ。
だが、接触する直前、球体がわずかに歪む。
「っ!」
慌てて力を調整したものの、螺旋丸は丸太に触れた瞬間に崩れた。衝撃で丸太が揺れ、表面に浅い傷が残る。
「今のは、惜しかったわね」
「接触する直前に、内部の流れが乱れました。踏み込むときに、身体の動きへ意識を割きすぎたのかもしれません」
「そうね。技そのものを維持することと、技を使いながら動くこと。その二つは別の課題よ」
お母さんは丸太を確認しながら言った。
「もう一度、立ち止まった状態で試してみなさい」
僕は頷いた。
今度は動かずに螺旋丸を作る。
一秒、二秒、三秒。
球体は安定している。
そのまま丸太へ押し当てると、先ほどよりも深い傷が刻まれた。
完全に崩れることもなかった。
「成功ね」
「はい。でも、これじゃあ実戦では足りません」
「その通り。だからこそ、順番に練習するの」
お母さんの言葉に、僕は苦笑した。
わかっている。
わかっているのだが、頭の中ではすでに次の段階を考えてしまっていた。
避雷針で間合いを詰め、螺旋丸を叩き込む。
あるいは、敵の攻撃を避雷針でかわし、死角から反撃する。
想像するだけなら、いくらでも組み合わせられる。
しかし、実際にやろうとすると問題が山積みだった。
避雷針で移動した直後、姿勢を崩さずにオーラを集められるのか。
移動先で敵の動きを見極め、攻撃を選択できるのか。
螺旋丸を作ることに集中しすぎて、周囲への警戒がおろそかにならないか。
――結局、必要なのは一つずつの完成度だ。
僕は螺旋丸を消し、深く息を吐いた。
「今日は、動かずに作る練習を繰り返します」
「ええ。それがいいわ」
お母さんは満足そうに頷いた。
焦る必要はない。
僕には、まだ時間がある。
そう自分に言い聞かせながら、僕は再び右手にオーラを集めた。
ビスケ---視点
レオンは、以前にも増して難しいことを考えるようになった。
螺旋丸を完成させたと思ったら、すぐに実戦での応用を考え始める。
円の代わりになる感知技術を研究し、脚力を利用した高速移動にも取り組んでいる。
さらに、避雷針の設置型まで並行して研究していた。
――欲張りなのよね、本当に。
けれど、ただ新しい技を集めたいだけではない。
それぞれの技術に、明確な目的がある。
螺旋丸は、強力な攻撃手段。
念波は、戦闘中の危険察知。
瞬身の術は、避雷針だけに頼らない移動手段。
そして避雷針は、レオン自身が求め続けてきた、誰かのもとへ素早く駆けつけるための能力。
どれも、根っこにある願いは同じなのだ。
大切な人を守りたい。
だからこそ、私は応援したいと思う。
でも――。
「レオン、ちょっとこっちへ来なさい」
「はい、お母さん」
「今週の訓練内容を見直すわよ」
彼は不思議そうに首を傾げた。
「見直す、ですか?」
「ええ。あなた、研究に夢中になると、同じ日にあれもこれも試そうとするでしょう?」
「……否定はできません」
「でしょうね」
私は小さくため息をついた。
「新しい技術を考えるのはいいことよ。でも、基礎訓練と休息を削ってまでやることじゃないわ」
「はい」
「それに、研究だけじゃ実戦では勝てない。技術を使わない状態でも、ちゃんと戦えること。そこも忘れないことね」
レオンは真剣な顔で頷いた。
彼は自分の弱点を指摘されても、言い訳をしない。
その素直さは長所だ。
同時に、自分が納得するまで努力を続けてしまう危うさでもある。
私は彼の頭を軽く撫でた。
「あなたが強くなるのは嬉しいわ。でも、無理をして倒れるのは駄目。これは師匠としてじゃなく、お母さんとしての命令よ」
「……わかりました、お母さん」
その返事を聞いて、私はようやく笑った。
この子には、強くなってほしい。
だけど、それ以上に。
ちゃんと生きて、帰ってきてほしいのだ。
レオン---視点
数日後。
僕は念波の研究を再開していた。
円は優れた技術だ。
自分のオーラを広げ、その範囲内にあるものの位置や動きを探ることができる。
しかし、円を展開し続けるには集中力が必要になる。
相手の攻撃を受け止めながら、円の情報を細かく読み取るのは簡単ではない。
そこで考えたのが、念波だった。
身体から、ごく微量のオーラを放出する。
そして、周囲の変化によって生じる微かな反応を感じ取る。
円のように周囲を詳しく把握するのではなく、危険の兆候だけを拾い上げる。
いわば、警報装置のようなものだ。
……理屈の上では。
「さて、どうなるかな」
僕は訓練場の中央に立ち、目を閉じた。
身体の表面から、薄くオーラを広げる。
量は少なく。
広げすぎず。
感覚を研ぎ澄ませる。
最初は、何も感じなかった。
風が頬を撫でる。
木々の葉が揺れる。
遠くで鳥が鳴いている。
どれも普段から感じられるものばかりだ。
これらと、オーラを通じて感じた変化を区別できなければ意味がない。
「……難しいな」
僕は一度、オーラを引っ込めた。
念波という名前をつけたのはいいが、現状では単に身体からオーラを放出しているだけだ。
感知技術として成立しているとは言えない。
まずは、何を感じ取るべきなのかを明確にする必要がある。
そう考えていると、お母さんが訓練用の小さな木片を手にやってきた。
「試すなら、条件を一つずつ変えなさい。最初から何もかも感じ取ろうとするから、わからなくなるのよ」
「確かに……。対象を絞るべきですね」
「そういうこと」
お母さんは僕から少し離れた場所に立った。
「私が木片を動かすわ。あなたは、動かした瞬間がわかるか試してみなさい。ただし、目は閉じたままよ」
「わかりました」
僕は目を閉じ、念波を薄く広げた。
しばらくして、木片が動く。
……今だ。
そう思った瞬間、僕は目を開けた。
木片は確かに移動していた。
「わかったの?」
「いえ……」
僕は首を横に振った。
「動いた気がしたんですが、音を聞いたのかもしれません。空気の動きもありますし、念波で感じ取れたとは言い切れません」
「よくわかっているじゃない」
お母さんは木片を元の位置へ戻した。
「なら、次は音が出にくい動かし方にしてみましょう。それでもわかるかどうか」
僕は再び目を閉じる。
同じ実験を、何度も繰り返した。
わかったような気がすることはあった。
けれど、正答率は安定しない。
念波によって感じ取ったのか。
それとも、別の感覚から推測しただけなのか。
今の僕には、まだ区別できなかった。
それでも、少なくとも一つはわかった。
ただオーラを放出するだけでは、欲しい情報は得られない。
何を感知したいのか。
どんな変化を危険と判断するのか。
その仕組みを、もっと具体的に考える必要がある。
僕は実験結果をノートに書き込んだ。
念波は、まだ始まったばかりだ。
レオン---視点
瞬身の術の訓練も、思った以上に難航していた。
脚の筋肉をオーラで強化し、地面を蹴る瞬間に足裏からオーラを放出する。
その反作用も利用して、一気に加速する。
理論だけなら単純だ。
問題は、加速した後だった。
「――っ!」
僕は地面を蹴った。
身体が前方へ飛び出す。
視界が流れ、風が頬を叩いた。
速い。
以前より、明らかに速い。
しかし――。
「うわっ!」
止まれなかった。
僕は地面を蹴って方向を変えようとしたが、勢いを殺しきれず、訓練場の端まで走り抜けてしまった。
どうにか転倒は避けたものの、最後は両足を踏ん張り、土煙を上げながら停止した。
「……危なかった」
「危なかった、じゃないわよ!」
お母さんの声が飛んできた。
「加速することしか考えていないでしょう!」
「はい……」
「速く動けても、止まれなければ攻撃を避けた後に隙だらけになるわ。曲がることも、姿勢を立て直すことも、全部必要なの!」
「おっしゃる通りです」
僕は素直に頭を下げた。
瞬身の術は、避雷針とは違う。
空間を移動するのではなく、自分自身が高速で走る技術だ。
だからこそ、移動の途中にも身体の制御が必要になる。
地面の状態。
踏み込む角度。
筋肉の強化。
足裏から放出するオーラの量。
そして、減速するための動作。
どれか一つでも失敗すれば、思った方向へ進めなくなる。
「しばらくは速度を抑えなさい。まずは、決めた地点で正確に止まること」
「わかりました」
僕は地面に目印を置いた。
目標地点まで走り、そこで止まる。
まずは普通の速度で。
次に、少しだけ脚を強化する。
何度も繰り返すうちに、ようやく目印の近くで止まれるようになった。
まだまだ遅い。
少なくとも、見た目が瞬間移動に見えるような速度には程遠い。
それでも、最初の一歩としては悪くない。
――急ぐな。
自分に言い聞かせる。
僕が目指しているのは、ただ速く走ることではない。
戦闘の中で、必要な場所へ、必要な速度で移動することだ。
それなら、制御できない速さに意味はない。
ネテロ---視点
「ふむ。次は高速移動か」
ビスケから届いた報告書を読み、わしは思わず笑みを浮かべた。
螺旋丸。
念波。
瞬身の術。
それに、まだ完成していない設置型の避雷針。
十四歳の少年が取り組む量としては、ずいぶん多い。
だが、レオンのことだ。
ただ闇雲に技を増やしているわけではあるまい。
問題は、どこまで実戦で使えるようになるかじゃ。
わしは机の上の報告書を置き、立ち上がった。
ちょうどいい。
少し、試してみるとするか。
「おじいちゃん、今日は何をするんですか?」
道場に顔を出したレオンが尋ねた。
わしは笑って答えた。
「お前さんの新しい技を見せてもらおうと思ってな」
「新しい技、ですか?」
「螺旋丸でも、高速移動でも構わん。好きなものを使ってみなさい」
レオンは少し考えたあと、構えを取った。
「では、普通に戦わせてください」
「ほう。技の披露ではなく、実戦を選ぶか」
「技が使えることと、戦いの中で使えることは違うと、お母さんに言われたので」
「くくく。ビスケらしいのう」
わしは軽く手を振った。
「よかろう。来なさい」
レオンが動く。
脚を強化して、一気に間合いを詰めようとした。
しかし、わしが半歩ずれただけで、彼の進路はわずかに逸れた。
レオンはすぐに姿勢を立て直し、拳を繰り出す。
わしはそれを受け流す。
彼は続けて螺旋丸を作ろうとした。
――その瞬間。
わしは彼の懐へ踏み込んだ。
「っ!」
レオンは技の形成を中断し、後方へ跳ぶ。
判断そのものは悪くない。
だが、距離を取ったあと、彼の視線はわしの動きと自分の右手を行き来していた。
技を使うべきか。
避雷針で移動すべきか。
それとも、もう一度攻めるべきか。
選択肢が増えたぶん、判断に迷いが生まれている。
わしは攻撃を緩めず、レオンに考える時間を与えなかった。
数合の打ち合いの末、レオンは床に片膝をついた。
「……参りました」
「うむ。技は面白い。じゃが、今のお前さんは技を使うことに気を取られすぎておる」
「はい」
「どの技を使うか迷う前に、相手を見なさい。技が必要な場面なのか、普通の拳で十分なのか。そこを見誤れば、どんな能力も隙になる」
レオンは自分の手を見つめた。
悔しそうではあったが、落ち込んではいない。
「技を使わない選択も、技術の一部……ということですね」
「そういうことじゃ」
わしは彼の肩を軽く叩いた。
「お前さんは、これからもっと強くなるじゃろう。じゃが、能力が増えるたびに判断が複雑になるのなら、強くなったとは言えん」
「覚えておきます」
「うむ。では、もう一度じゃ」
「えっ、休憩は……?」
「さっき参ったと言ったじゃろう。休憩は次に参ってからじゃ」
「……おじいちゃん、厳しくないですか?」
「ほっほっほ!」
レオンの困った顔を見て、わしは声を上げて笑った。
まだまだ、伸びしろは十分にある。
それをどう育てるか。
それもまた、わしの楽しみの一つじゃった。
レオン--視点
その日の夜。
僕はノートを開き、今日の訓練を振り返っていた。
螺旋丸は、静止状態なら安定して使えるようになってきた。
しかし、移動しながらの形成には課題が残っている。
念波は、感知できたと思う瞬間があっても、ほかの感覚との区別がついていない。
瞬身の術は、加速することよりも、止まることと曲がることが難しい。
そして避雷針。
簡易型と通常型は、実戦でも使える。
一方、設置型は、まだ不安定なままだった。
遠くへ設置した印とのつながりを維持しようとすると、オーラの制御が乱れやすい。距離が伸びるほど、安定して扱うことが難しくなる。
それでも、以前よりは形になり始めている。
あと少しで完成する――と言える段階ではない。
むしろ、完成までに何を解決しなければならないのか、ようやく見え始めたところだった。
僕はノートの最後に書き加えた。
避雷針に制約と誓約は、まだ施さない。
今の僕には、技術そのものの限界がどこにあるのか、まだ正確にわかっていない。
ここで安易に制約を設ければ、確かに能力を強化できる可能性はある。
けれど、それによって本来なら技術の工夫で解決できる問題まで、制約に頼ってしまうかもしれない。
まずは、神字とオーラ制御で、どこまで到達できるのかを確かめたい。
その先で、どうしても必要なら――制約と誓約を組み合わせることも考えればいい。
僕はペンを置き、窓の外を眺めた。
十四歳。
螺旋丸は完成した。
念波と瞬身の術は、まだ研究の入り口。
避雷針の設置型も、完成には程遠い。
一つの技が形になれば、次の課題が見えてくる。
強くなればなるほど、自分の足りない部分もわかってくる。
でも、それは悪いことじゃない。
むしろ、まだ先へ進めるということだ。
「……明日も頑張ろう」
僕はノートを閉じた。
焦らず、一歩ずつ。
いつか本当に、大切な人を守れる強さを手に入れるために。