その日の朝、俺はいつもより早く目を覚ました。
理由は単純だ。
今日から、母さんが念の修行を始めてくれる約束になっていたからである。
九歳の頃、初めて心源流の総本山を訪れ、母さんの師匠であるネテロ会長に会った。
あれから一年。
身体を鍛える日々は続いていたが、念については一度も詳しく教わっていない。
もちろん、俺は念の存在を知っている。
前世でハンターハンターを読んでいたのだから、当然だ。
しかし、知識があることと、実際に使えることは別問題である。
念の基本は、知識だけで習得できるほど簡単ではない。
だからこそ、俺は待っていた。
母さんから正式に教わる、その日を。
「……よし!」
俺はベッドから飛び起き、身支度を整えた。
そして、階段を駆け下りる。
「お母さん!」
「あら、レオン。今日はずいぶん早いわね」
台所にいた母さんが、楽しそうに振り返った。
「お誕生日おめでとう」
「ありがとう!」
母さんは俺を抱きしめ、頬にキスをしてくれた。
いくつになっても、こうして祝ってもらえるのは嬉しい。
……ただ、今日はそれだけではない。
俺は母さんの服の裾を引っ張った。
「お母さん。今日から、念を教えてくれるんだよね?」
母さんは一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。
「ええ、そうよ。ちゃんと覚えていたのね」
「もちろん!」
「ふふっ。そんなに楽しみだった?」
「うん!」
母さんは俺の頭を撫でた。
「なら、朝ご飯を食べたら始めましょう。念は便利な力だけれど、使い方を間違えれば危険なものでもあるの。だから、しっかり学ぶのよ」
「はい!」
俺は元気よく返事をした。
胸が高鳴っていた。
ついに、この時が来たのだ。
俺が前世から知っていた知識を、今世の自分の力へと変えるための第一歩。
そして、いつか飛雷神の術を再現するための第一歩でもある。
ただし、浮かれてはいけない。
念の習得は、ここからが本番なのだから。
第七話 念という力
朝食を終えた俺は、母さんに連れられて家の裏にある修練場へ向かった。
そこは、普段の体力訓練にも使っている場所だ。
周囲は木々に囲まれ、余計なものは何もない。
修行に集中するには、うってつけの環境だった。
「さて、レオン」
母さんは俺の正面に立つと、いつもより少し真剣な表情を浮かべた。
「これから教えることは、今までの訓練とは違うわ」
「うん」
「念は、使い方次第で自分の命を守ることも、誰かの命を奪うこともできる力よ。だから、あたしが教えたことを、面白半分で他人に試したりしないこと」
「分かった」
「それから、念を覚えたからといって、自分が急に強くなったと思わないこと。念を使えるようになったばかりの人間は、経験を積んだ念能力者に簡単に負けることもあるわ」
母さんは俺の目をじっと見つめた。
「いいわね?」
「うん。約束するよ、お母さん」
俺の返事を聞いて、母さんは満足そうに頷いた。
「よろしい。じゃあ、まずは念とは何か、というところから説明するわね」
母さんは自分の胸に手を当てた。
「人間を含め、生き物は誰でも生命エネルギーを持っているの。念というのは、その生命エネルギーを自在に扱う技術よ」
知っている。
……いや、正確には前世で読んだ知識として知っている。
だが、ここで知っていると言うわけにはいかない。
俺は初めて聞く子供のように、真剣な表情で話を聞いた。
「念を学ぶうえで大切なのは、四大行と呼ばれる四つの基本技術よ。纏、絶、練、発。この四つを身につけることが、念能力者への第一歩になるわ」
母さんは一つずつ、丁寧に説明してくれた。
纏。
身体からあふれ出るオーラを、身体の周囲にとどめる技術。
絶。
オーラを外に漏らさないようにする技術。気配を消したり、心身を休めたりする際に役立つ。
練。
オーラを普段よりも多く生み出し、力を高める技術。
発。
自分の念を、実際の能力として発現させるための技術。
説明の仕方は、俺が知っている原作の内容と一致していた。
ただ、実際に目の前で母さんがオーラを扱う様子を見ると、漫画で読んだときとは印象が違う。
彼女の身体から、目には見えない何かが立ち上っているように感じる。
圧倒的な存在感。
これが念なのか。
「じゃあ、最初は纏から始めましょう」
母さんが手を差し出した。
「レオン。あたしの手を握ってみて」
「こう?」
俺は母さんの手を握った。
「ええ。今から、あたしのオーラを少しだけ流すわ。怖がらなくていいから、どんな感覚がするのか意識してみて」
次の瞬間。
母さんの手から、温かい何かが伝わってきた。
熱とは違う。
電気でもない。
けれど、確かにそこに何かがある。
「……これが、念?」
「そうよ。これがオーラ。生き物が持つ生命エネルギーね」
母さんは俺の手を離した。
「今度は、自分の身体に意識を向けてみなさい。普段、身体から何かが漏れていくような感覚がないかしら?」
俺は目を閉じた。
身体の内側に意識を向ける。
心臓の鼓動。
呼吸。
血液が流れる感覚。
そして――。
身体の表面から、何かが絶えず流れ出しているような感覚があった。
これか。
俺はゆっくりと目を開けた。
「……ある」
母さんの眉が、ぴくりと動いた。
「何か、感じられたの?」
「うん。身体の外に、何かが流れているような感じがする」
「そう……」
母さんは俺の身体を観察するように見つめた。
それから、静かに微笑んだ。
「いいわ。じゃあ、その感覚を忘れないようにしなさい。今日は、まず自分のオーラを感じるところから始めましょう」
「うん!」
こうして、俺の念の修行が始まった。
*
その日の訓練は、予想以上に難しかった。
自分のオーラを感じることはできても、それを自在に扱うのは別問題だったからだ。
母さんの手本を見ながら、俺は何度も挑戦した。
身体の内側に意識を向ける。
オーラの流れを感じる。
その流れを、身体の周囲にとどめる。
だが、うまくいかない。
少し集中を切らすと、オーラが外へ漏れてしまう。
「焦らないの。力を入れすぎると、かえって制御しにくくなるわよ」
「うん……」
「念は、力任せに扱えばいいというものじゃないの。大切なのは、どれだけ自分のオーラを理解しているかよ」
俺は深呼吸した。
そうだ。
焦る必要はない。
念の知識はあっても、実際に使うのは初めてなのだ。
ここで変に知識に頼るよりも、母さんの教えを素直に吸収するべきだろう。
俺は再び目を閉じた。
そして、身体から流れ出すオーラを意識する。
少しずつ。
少しずつ。
漏れ出す流れを抑え、身体の周囲にとどめる。
やがて、身体の表面を薄い膜のようなものが包み込んだ。
「……できた?」
俺が目を開けると、母さんは驚いたように目を見開いていた。
「レオン……。今、自分で纏を完成させたの?」
「うん。これで合ってる?」
母さんはすぐには答えなかった。
俺の周囲に維持されているオーラを、じっと観察している。
そして。
「……ええ。できているわ」
その声には、わずかな驚きが混じっていた。
「すごいわね、レオン」
「本当?」
「ええ。でも、できたからといって安心しないこと。今度は、その状態を長時間維持できるようにするのよ」
「分かった!」
俺は再び集中した。
……よし。
最初の一歩は踏み出せた。
だが、ここからだ。
纏を身につけただけでは、何も始まらない。
俺の目標は、念を使いこなすこと。
そして、空間を跳躍する技術を完成させることだ。
そのためには、もっともっと修行を積まなければならない。
俺はオーラを維持しながら、心の中で決意した。
いつか必ず。
この力を、自分だけの技へと昇華させてみせる。