纏を覚えてから、数日が過ぎた。
俺――レオン・クルーガーは、今日も朝早くから森の中を走っていた。
「レオン! 足が止まってるわよ!」
「止まってないよ、お母さん!」
「口答えする余裕があるなら、もう少し速く走れるわね?」
「……はい!」
俺は慌てて速度を上げた。
くそっ、相変わらず容赦がない。
とはいえ、これも大切な修行だ。纏を維持したまま走り、呼吸を乱さず、周囲の気配にも注意を払う。単純に見えて、実際にやってみると難しい。
知識があることと、実際にできることは違う。
それを俺は、身をもって理解し始めていた。
「はい、そこまで!」
ビスケの声が響く。
俺は足を止め、膝に手をついた。
「はぁ……はぁ……」
「前よりはずいぶんよくなったわね。纏を維持することにも慣れてきたみたいだし」
「お母さんの特訓のおかげだよ」
「あら、素直でよろしい!」
ビスケは満足そうに笑うと、俺の頭をぽんぽんと撫でた。
その手が優しくて、思わず頬が緩む。
俺にとって、ビスケは世界で一番大切な人だ。
強くなりたい理由も、念を極めたい理由も、突き詰めればそこに行き着く。
守りたいものがある。
だからこそ、俺は強くなる。
◇
その日の修行では、絶を教わった。
「絶は、体から漏れ出すオーラを断つ技術よ。気配を抑えられるし、心身を休ませる効果もあるわ。ただし、体を覆うオーラがなくなるから、防御力は大幅に落ちる。戦闘中に使うなら注意が必要ね」
ビスケは実際に絶を使ってみせた。
彼女の存在感が、すっと薄くなる。
姿は見えている。それなのに、意識を向けていなければ、うっかり見失ってしまいそうになる。
「じゃあ、やってみなさい」
俺は目を閉じた。
自分の中にあるオーラを意識する。
纏で体の周囲に留めていたオーラの流れを、少しずつ静めていく。
やがて、体から漏れ出すオーラが消えた。
「……できた」
「えっ?」
ビスケが目を丸くした。
俺は目を開ける。
「どう?」
「どうって……あんた、今、本当に初めてやったの?」
「うん」
ビスケは俺の周りを回り、何度かオーラの状態を確かめた。
「……ちゃんと絶になってるわね」
「よかった」
「よかった、じゃないわよ! 普通はもう少し苦労するものなの!」
そう言われても困る。
俺はただ、オーラの流れを感じ取って、それを止めることに集中しただけだ。
とはいえ、ビスケの反応を見る限り、俺の習得速度は普通ではないらしい。
「でも、できたことと使いこなせることは別よ。絶を維持したまま歩く、走る、周囲を観察する。そこまでできて初めて実戦で役立つの」
「わかった、師匠」
「あら。もう師匠って呼ぶの?」
「修行中だからね」
「ふふっ。そういうところは素直なのよね、あんた」
ビスケは楽しそうに笑った。
その後、俺は絶を維持したまま森の中を歩き、走り、周囲の音や気配を探る訓練を繰り返した。
気配を消すだけでは不十分だ。
危険を察知し、必要ならすぐに動けなければ意味がない。
俺が目指すものを考えても、この訓練は決して無駄にならない。
◇
翌日。
「今日は練を教えるわよ」
ビスケはそう言うと、軽く息を吐いた。
直後、彼女の体から放たれるオーラが膨れ上がる。
空気が変わった。
目に見えない圧力が、周囲を満たしていく。
俺は思わず息をのんだ。
これが、練。
纏のときとは比較にならないほど、濃密なオーラが彼女を包み込んでいる。
「練は、体から発するオーラを増大させる技術よ。攻撃にも防御にも関わる、重要な基礎ね。でも、ただ大量に出せばいいわけじゃない。制御できなければ無駄になるわ」
ビスケは練を解いた。
「さあ、レオン。やってみなさい」
俺は目を閉じ、体の内側に意識を向ける。
オーラを感じる。
流れを捉える。
そして、それを増やす。
体の奥底から、熱のようなものが湧き上がってくる。
俺はそれを無理に押し出すのではなく、少しずつ広げるように意識した。
すると、オーラが体の外へと勢いよく溢れ出す。
「……っ!」
ビスケが息をのんだ。
俺はすぐにオーラを抑え、纏の状態へ戻した。
「できたよ、師匠」
「……レオン。もう一度やってみなさい」
ビスケの声は真剣だった。
俺は言われたとおり、再び練を行う。
今度もオーラは安定して膨れ上がった。
「まいったわね……」
「失敗した?」
「逆よ。うまくいきすぎてるの!」
ビスケは腕を組んで、俺の顔をじっと見つめた。
「念の修行で大切なのは才能だけじゃないわ。経験も、理解も、積み重ねも必要なの。それなのに、あんたは感覚をつかむのが早すぎる」
「お母さんに教えてもらうのが上手だからだよ」
「……もう、この子ったら」
ビスケは一瞬だけ呆れた顔をした。
けれど、その頬は少し緩んでいた。
「そうね。あたしが教えるのが上手なのは間違いないわね!」
胸を張るビスケを見て、俺は笑った。
――ありがとう、お母さん。
心の中で、そっと感謝した。
◇
それからしばらく、俺は纏、絶、練の反復練習を続けた。
歩きながら纏を維持する。
絶の状態で周囲を観察する。
練でオーラを増やし、必要な分だけ正確に抑える。
基礎の完成度を高めることに、俺は全力を注いだ。
そして、ある日のこと。
「レオン。そろそろ、あんたの念の系統を調べましょうか」
ビスケがそう切り出した。
ついに来た。
俺は胸の高鳴りを抑えながら、平静を装って答えた。
「系統って、念には種類があるの?」
「あるわ。大きく分けて六つ。強化系、変化系、具現化系、放出系、操作系、そして特質系よ」
ビスケはそれぞれの特徴を説明してくれた。
強化系は、物や肉体などの持つ性質を強める。
変化系は、オーラの性質を変える。
具現化系は、オーラを物質化する。
放出系は、オーラを体から離しても維持することに長ける。
操作系は、物や生物などを操る。
そして特質系は、それらの枠に収まらない特殊な能力を発現する系統。
説明を聞きながら、俺は心の中で祈った。
どうか、放出系であってくれ。
俺が目指しているのは、四代目火影のような戦い方だ。
マーキングした場所へ瞬時に移動する。
手元から離れた武器を呼び戻す。
戦場を縦横無尽に駆け、敵の攻撃を紙一重でかわし、一瞬の隙を突く。
念の仕組みを応用し、それを実現する。
そのためには、放出系が最も相性がいいはずだった。
「じゃあ、水見式をやりましょう」
ビスケは水を入れたコップを用意し、その上に一枚の葉を浮かべた。
「コップに手をかざして練を行うの。水や葉に起きる変化で、自分の系統がわかるわ」
俺はコップの前に座った。
手をかざす。
練を行う。
水面が静かに揺れた。
俺は息を整え、オーラをコップへ向けて集中させる。
しばらくすると――。
水の色が、ゆっくりと変わり始めた。
透明だった水が、少しずつ色づいていく。
水面に映る光景を見て、俺は思わず息を止めた。
成功だ。
放出系の反応。
俺が望んでいた結果だった。
「……放出系ね」
ビスケは水の色を確かめてから、満足そうにうなずいた。
「おめでとう、レオン。あんたは放出系よ」
その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
よし。
心の中で、俺は拳を握った。
――これで、目指す道が見えてきた。
「ありがとう、お母さん!」
俺は笑顔で答えた。
嬉しい。
その気持ちに嘘はない。
ただし、俺が本当に喜んでいる理由を、ビスケは知らない。
俺はまだ、何も語っていない。
前世のことも。
四代目火影への憧れも。
そして、いつか作り上げようとしている能力のことも。
それらは、俺だけの秘密だ。
「これからは、系統に合った修行も始めるわ。でも、放出系だからといって、ほかの技術をおろそかにしてはいけないわよ」
「うん。基礎もちゃんと続ける」
「よろしい!」
ビスケは満足げにうなずいた。
俺はもう一度、水の入ったコップを見た。
放出系。
俺が望んだ系統。
ここから先は、ただ念を覚えるだけではない。
自分の理想を、現実の能力へと変えていく段階だ。
焦らず、少しずつ。
マーキングの仕組みも、移動の条件も、能力の制約も、すべて自分で考えていく。
いつか必ず、俺だけの飛雷神を完成させる。
そして、その力で大切な人たちを守る。
俺はそっと拳を握りしめた。
――四代目への道は、確かに一歩ずつ進んでいた。