放出系。
水見式によって自分の系統が判明してから、俺の修行は新たな段階に入った。
「レオン、まずはこれをやってみなさい」
翌朝、ビスケが差し出したのは、小さな石だった。
「石?」
「そう。これにオーラを込めて、どれくらい離れた場所まで影響を与えられるか試すのよ」
彼女は石を地面に置いた。
「放出系の強みは、体から離したオーラを維持すること。でも、最初から遠くまで飛ばせばいいわけじゃない。まずは近距離で、正確にオーラを扱う練習をするの」
「わかった、師匠」
俺は石の前にしゃがみ込んだ。
放出系だとわかったからといって、すぐに自分の望む能力が使えるようになるわけではない。
念能力は、系統がわかれば完成するような単純なものではないのだ。
まずは基礎を磨く。
自分のオーラを正確に把握し、切り離し、維持する。その繰り返しが、いずれ自分だけの能力を作るための土台になる。
俺は石に手をかざし、練でオーラを高めた。
そこから、ごく少量のオーラを切り離す。
――難しい。
体から離した瞬間、オーラの感覚が変わる。
体を覆っているときとは違い、切り離したオーラを一定の状態に保つには、別の集中力が必要だった。
それでも、少しずつならできる。
俺は何度も試行錯誤を繰り返した。
「うん。悪くないわね」
しばらくして、ビスケがうなずいた。
「最初にしては上出来よ。ただ、オーラを切り離すことと、切り離したオーラを自在に扱うことは別。今はまだ、基本を身につけている段階だってことを忘れないで」
「わかってるよ、お母さん」
「よろしい。焦らず、確実にね」
俺はうなずいた。
焦るつもりはない。
原作の物語が始まるまでには、まだ時間がある。
その間にどれだけ強くなれるか。
それが、今の俺にとって何よりも重要だった。
◇
それから数週間、俺は放出系の基礎訓練を続けた。
小さなオーラを切り離す。
切り離したオーラを維持する。
距離を少しずつ伸ばす。
そして、同じ量のオーラを、できる限り正確に扱う。
単純な繰り返しだが、やればやるほど課題が見えてくる。
俺が特に重視したのは、制御の精度だった。
せっかく放出系なのだから、将来的にはオーラを遠くまで飛ばせるようになりたい。
けれど、俺が本当に求めているのは、単純な遠距離攻撃ではない。
もっと応用の利く能力。
攻撃にも、防御にも、そして大切な人を救うためにも使える能力だ。
……とはいえ、具体的に何をどうすれば実現できるのか、今の俺にはまだわからない。
前世では『HUNTER×HUNTER』の知識を持っていた。
念能力の基本的な仕組みも、主要な登場人物の能力も覚えている。
しかし、細かな設定や作中で一度しか登場しなかった情報まで、すべて記憶しているわけではない。
それに、今は実際に念を習得している最中だ。
頭の中の知識だけで、何でもできるわけではない。
「レオン、少し休憩しましょう」
ビスケに声をかけられ、俺は手を止めた。
「もうそんな時間?」
「ええ。集中するのはいいことだけど、疲れた状態で無理をしても効率が悪くなるわ」
「はーい」
俺は地面に腰を下ろした。
ビスケが隣に座り、俺の顔を覗き込む。
「ところで、レオン。あんたはどんな能力を作りたいの?」
「……え?」
「放出系の修行を始めてから、ずいぶん熱心に取り組んでいるでしょう? ただ強くなりたいだけなら、もっと単純な能力を目指してもいいはずよ」
ビスケの目は真剣だった。
「念能力は、自分の性格や戦い方、目的に合わせて作るもの。あんたが何を考えているのか、少し気になったの」
どう答えるべきか。
もちろん、前世のことを話すわけにはいかない。
それに、能力の構想自体、まだ完成にはほど遠い。
「……まだ、はっきり決まってないんだ」
俺は少し考えてから答えた。
「でも、誰かを守るために、必要な場所へすぐに駆けつけられる能力がいいなって思ってる」
これは嘘ではない。
むしろ、俺の本心そのものだった。
どれほど強くなっても、助けたい人のところへ間に合わなければ意味がない。
目の前で大切な人が傷つくのを、ただ見ているだけなんて耐えられない。
だから俺は、速さにこだわっている。
ビスケは少し目を丸くしたあと、柔らかく微笑んだ。
「そう。いい考えだと思うわ」
「本当?」
「ええ。でもね、レオン。誰かを守りたいなら、まず自分自身が生き残らなきゃ駄目よ。どんなに便利な能力でも、使い方を間違えれば自分を危険にさらすことになる」
「……うん」
「それに、能力は作って終わりじゃない。どんな状況で使うのか、どんな弱点があるのか、そこまで考えて初めて武器になるの」
俺は真剣にうなずいた。
さすがはビスケだ。
彼女は俺の考えのすべてを知っているわけではない。それでも、念能力を作るうえで重要なことを的確に教えてくれる。
「焦らなくていいわ。あんたはまだ十歳なんだから」
「……うん!」
俺は笑顔で答えた。
けれど、心の中では決意していた。
いつか必ず、自分だけの能力を完成させる。
今はまだ、具体的な方法が見つからなくても。
◇
それから数日後のことだった。
修行を終えて家に戻ると、ビスケの姿が見当たらなかった。
「お母さん?」
「こっちよ、レオン。ちょっと手伝ってくれる?」
声のした部屋へ向かうと、ビスケが机に向かっていた。
机の上には、小さな木箱や紙片、細い筆、それに見慣れない道具が並べられている。
ビスケは小さな板に筆を走らせていた。
描かれているのは、文字のようにも、図形のようにも見える不思議な模様だった。
「何を作ってるの?」
「これ? ちょっとした道具よ。修行にも使えるし、覚えておいて損はないものね」
ビスケは筆を置き、板を持ち上げた。
「これは神字っていうの。念を補助するために使う、特殊な文字よ」
「神字……?」
俺は思わず聞き返した。
「そう。文字や図形に意味を持たせて、念の働きを補助するの。もちろん、文字を書けば何でもできるというわけじゃないわ。知識も技術も必要だし、どういう効果を持たせるかによって難しさも変わるのよ」
神字。
その言葉を聞いた瞬間、頭の奥で何かが引っかかった。
どこかで聞いたことがある。
いや、聞いたどころではない。
俺は以前、この世界についての知識を持っていたはずだ。
前世で読んだ漫画。
念能力。
そして、念を補助するための文字。
記憶の底に沈んでいた情報が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
そうだ。
確か『HUNTER×HUNTER』の世界には、神字というものがあった。
ただし、神字そのものが瞬間移動を可能にするわけではない。
あくまで念を補助するためのものだ。
……待てよ。
俺はビスケが持つ板を見つめた。
神字を使えば、念能力の条件や仕組みを補助できるのか?
もしそうなら――。
能力を発動するたびに、すべての条件を自分の念で細かく制御する必要がなくなるかもしれない。
神字を使って、能力の仕組みの一部をあらかじめ形にしておく。
そして、その仕組みを利用して、目印を作る。
目印を利用して移動する。
もちろん、まだ思いつきにすぎない。神字にどこまでのことができるのか、俺は詳しく知らない。
だが、少なくとも考えてみる価値はある。
「レオン? どうしたの?」
ビスケの声に、俺ははっと我に返った。
「えっ? あ、ううん。初めて見る文字だから、気になって」
「そう。興味があるなら、今度教えてあげるわよ」
「本当?」
「ええ。ただし、神字を覚えたからって、すぐに念能力に応用できるわけじゃないわ。まずは文字の意味と、念の基礎をしっかり理解することね」
「うん! 教えてほしい!」
俺は勢いよくうなずいた。
ビスケは少し意外そうな顔をしたが、すぐに笑った。
「ふふっ。いい返事ね」
俺は改めて、机の上の板を見つめた。
さっきまで、神字のことなど考えてもいなかった。
前世の知識として、どこかに記憶が残っていたのかもしれない。
けれど、今の俺にとっては、ビスケが使っているのを見て初めて、その存在と自分の目標が結びついたのだ。
これなら、何かができるかもしれない。
いや、まだ何もわからない。
神字の習得には時間がかかるだろうし、念能力に応用するとなれば、さらに難しいはずだ。
それでも――。
俺の胸の中に、小さな火が灯った。
目指すべき方向が、ほんの少しだけ見えた気がした。
◇
その夜。
ベッドに横になった俺は、天井を見つめながら考えていた。
神字。
念を補助するための文字。
そして、放出系という自分の系統。
この三つを組み合わせれば、俺が理想とする能力に近づけるかもしれない。
ただし、神字だけに頼るつもりはない。
移動の仕組みそのものを念能力として成立させなければならないし、距離や消費オーラ、発動条件も考える必要がある。
何より、実戦で使える能力にしなければ意味がない。
使い勝手が悪ければ、どれほど格好よくても役には立たないのだから。
「……面白くなってきた」
思わず、声が漏れた。
前世で憧れた四代目火影。
その戦い方を、この世界の念で再現する。
簡単な道ではない。
でも、だからこそ挑戦する価値がある。
俺は目を閉じた。
明日からは、念の基礎訓練に加えて、神字についてもビスケに教えてもらおう。
まずは、知ることから始める。
そして、学んだことを自分なりに組み合わせていく。
焦る必要はない。
俺には、まだ時間がある。
――四代目への道は、ようやく最初の手がかりを見つけたところだった。