ダンジョンに壊滅を求めるのは間違っているだろうか 作:shelf
夢を見た。
光の届かない影の中、燃えるような痛みに苛まれながら、丸い石を押しながら途方もない坂を登っていく夢を。
登っては落ち…登っては落ち…登ってはまた…落ちていく…
僕に与えられた自由は、丸い石をどのように動かすかだけだった。時に速く、時に遅く、たまに緩やかな坂で止まり、石に寄りかかって休む。
しかし、その選択によって「徒労」そのものが変わることはない。丸い石は決まって坂から転げ落ち、僕も同じく始まりに戻って、最初からやり直す。
そうしている内に燃えるような痛みは限界に達した。やがてその身は発火し、内側から焼き尽くされていった。
燃え盛る烈火がすべてを焼き尽くしたとき、永遠とも思える時の果てから少女の声が聞こえた。
「汝は灰白の黎明が訪れるまで、灼熱の太陽を背負い続けるだろう」
「神託が示したとおり進み続けるの・・・この世界を背負い・・・灰白の英雄・・・無名の救世主が黎明をもたらすその時まで・・・」
はっきりとしない意識のままその声に目を覚ますと、辺り一面に黄金の麦畑が広がっていた。
「変な夢・・・前にも見た気がするけど・・・起きたら全部忘れちゃってるんだよな」
「うーん・・・ただ、誰かの声がしたような・・・誰なんだろう・・・・・・?」
その瞬間、奇妙な違和感を覚える。
「あれ・・・何かしないといけないことがあったような・・・」
誰かとの約束を忘れてしまったような、何かが記憶の中から抜け落ちているかのような感覚を覚える。
そして、もっと重大な欠落があることに気が付く。
「というか・・・僕は誰だ・・・?」
自分の名前が思い出せない。
そして今立っている、黄金の麦畑が広がるこの土地にも違和感を感じる。
記憶にないはずの土地を“故郷”であると認識している。
記憶の混濁に頭を抱えたその時、僕の手の中に何かがあることに気が付いた。
「これは・・・?タロットカード?」
いつの間にか持っていたタロットカードを見ると、大剣を携えた“救世主”を思わせる人物が描かれていた。僕はその人物に強く引き込まれた。
その絵を目にした瞬間、忘れていたはずの約束が、頭の奥から浮かび上がってくる。
「そうだ・・・今日は■■■■の“神託カード占い”に付き合うって約束してたんだ」
タロットカードを見た瞬間、自分でも意識しないうちに、そんな言葉が口をついて出ていた。
ただ、約束した相手の名前を呼ぶと言葉にノイズが走った。自分で発したはずのその名前を認識できなくなってしまった。
その事実に疑問を抱いていると、麦畑の奥から桃色髪の少女が歩いてきていることが分かった。
少女の姿を目にすると、ひどく郷愁を覚えた。同時に、彼女こそが神託カード占いの約束をしていた相手なのだとなぜか確信した。
しかし彼女の顔をみると、まるで薄い靄がかかったようになり、その表情を窺うことはできなかった。
少女は僕の前まで歩み寄ると、静かに立ち止まった。
やがて、ぼんやりと見える口元が動いた。
「これは今までとは違う、ロマンチックな物語・・・そうでしょう?」
◇
「……あ」
目を覚ますと、いつもの見慣れた天井があった。
まどろみの中、ゆっくりと目をこすり、ぼんやりと天井を見つめる。
……夢だったのか。
さっきまで見ていた夢の中で、さらに夢を見ていたらしい。
「僕は、“ベル・クラネル”……」
先ほどまでの妙に生々しい夢が気になって、思わず自分の名前を口に出して確認してしまった。
記憶に問題はない。自分の名前も、ここがどこなのかも、どうしてここにいるのかも、ちゃんと思い出せる。
そのことに安堵して横を向くと、ぽかんとした顔でこちらを見つめる“主神であるロキ様”と目が合った。
そして、数秒後。
「……ぷっ」
ロキ様の口元が、みるみるうちに歪んでいった。
「なんや~? ベルたん。朝っぱらから自分の名前を確認して。とうとう自分探しの旅にでも出るんか?」
「違いますよ……」
「ええやんええやん! 『僕はベル・クラネル……』って、えらい真剣な顔しとったで?
いやぁ、かわええなぁ!」
「勘弁してください、神様……」
朝から余計な恥をさらしてしまった。
僕はため息をつき、寝台から起き上がる。
その間にも、ロキ様は肩を震わせて笑っていた。
「それにしても、なんでこんな朝早くから僕の部屋にいるんですか?」
「そらもちろん、うちのかわいいベルたんにおはようのちゅーをするためや!」
「セクハラはやめてください」
「朝から辛辣やなぁ!」
いつもの調子だった。
僕がロキ・ファミリアに加わってから、もうそれなりの時間が経っている。
ロキ様のこうした振る舞いにも、すっかり慣れてしまった。
……慣れたくはなかったけれど。
「ほら、朝ごはん食べに行きますよ。神様も行くんでしょう?」
「もちろんや! 今日はベルたんの隣を確保するで!」
「はいはい……」
騒がしい主神を連れて、僕は部屋を出た。
今朝見た夢のことが、頭の片隅に引っかかったままだった。
けれど、今はそれよりも、どうやってロキ様を自分の隣以外の席に誘導するかを考えるほうが先決だった。
◇
黄昏の館の食堂は、朝から賑わっていた。
大勢の団員たちがそれぞれの席につき、食事を楽しんでいる。食器の触れ合う音と談笑が重なり、広い食堂は活気に満ちていた。
「おはようございます、ベル」
「おはよう、レフィーヤ」
食堂に入ると、先に席についていたレフィーヤが手を振ってくれた。
その隣にはアイズさんの姿もある。
「おはよう、ベル」
「おはようございます、アイズさん」
「今日は少し遅かったね」
「すみません。ちょっと寝坊しかけて……」
「ロキに捕まってたんじゃないんですか?」
レフィーヤがちらりと僕の後ろを見た。
そこには、僕の肩に腕を回そうとしているロキ様がいる。
「なんや、レフィーヤ。人聞きの悪いこと言わんといてや。うちはベルたんと仲良く朝食を食べようとしてるだけやで?」
「その腕をどけてくれたら、そういうことにしておきます」
「ひどい!」
「ふふっ」
アイズさんが小さく笑った。
僕たちはそんなやり取りをしながら、空いている席へと向かった。
レフィーヤとは、ロキ・ファミリアに入った時期が近いこともあって、何かと顔を合わせる機会が多い。
最初の頃はお互いに遠慮することもあったけれど、今ではこうして気軽に話せるようになった。
アイズさんとも、探索や訓練を通じて自然と一緒に過ごす時間が増えている。
僕にとって、この食堂はすっかり馴染みの場所になっていた。
「ベル、こっちだ」
声をかけられて振り向くと、フィン団長が手を上げていた。
その席にはガレスさんやリヴェリアさんもいる。
「おはようございます、団長」
「おはよう、ベル。よく眠れたかい?」
「はい。……まあ、ちょっと変な夢は見ましたけど」
「夢?」
「いえ、大したことじゃないです」
自分でも、うまく説明できる気がしなかった。
フィン団長は少しだけ僕の顔を見つめたものの、それ以上は追及しなかった。
「そうか。何か気になることがあれば、いつでも相談してくれ」
「ありがとうございます」
「うん。では、食事にしよう。冷めてしまうからね」
「そうですね」
僕が席につくと、ガレスさんが豪快に笑った。
「おう、ベル!しっかり食えよ。若いもんは食って、動いて、強うなるもんじゃ!」
「はい。いただきます」
「そうじゃ、その意気じゃ!」
ガレスさんの言葉に頷きながら、僕は目の前の皿に手を伸ばした。
焼きたてのパンに、卵料理、それから野菜と肉。
朝食としては十分すぎるほどの量だ。
「……あれ?」
ふと見ると、僕の皿に肉が一切れ増えていた。
「これ、誰が……?」
顔を上げると、隣の席でまだ食事に手を付けていないベートさんがいた。
そしてベートさんの皿の肉が一切れなくなっていることに気が付いた。
「ベートさん?」
「昨日の探索、最後まで動いてただろ。いつもより消耗してたんじゃねぇのか」
「あ、はい。ちょっと張り切りすぎてしまって……」
「なら食っとけ。今日も探索するんだろ」
それだけ言うと、ベートさんは自分の食事に戻った。
「ありがとうございます」
「気にすんな」
素っ気ない返事だった。
けれど、僕が昨日の探索で消耗していたことを覚えてくれていたらしい。
ベートさんは、普段から必要以上に他人へ干渉する人ではない。
言葉も態度も少しぶっきらぼうだけれど、実力のある相手にはそれ相応の態度を取るし、仲間の働きを軽んじることもない。
僕も、彼から戦い方について助言をもらったことが何度かある。
もちろん、褒め言葉をもらえることは滅多にないけれど。
「ベートの言う通りだよ、ベル」
団長がパンを手に取りながら言った。
「最近また前のめりになっているように思う。前線を張って、後衛の負担を減らす判断が間違っているとは言わない」
フィン団長は穏やかな口調で続けた。
「ただ、僕たちはパーティだ。後衛を信じること、そこは忘れないでほしい」
「……はい。気をつけます」
「うん。期待しているよ、ベル」
「ベル、そっちのパン取ってくれない?」
「はい、アイズさん。どうぞ」
「ありがとう」
差し出したパンを一つ取ると、アイズさんは小さく微笑んだ。
その隣では、ティオナさんが大きな肉の塊にかぶりつき、ティオネさんが呆れたようにため息をついている。
「ちょっとティオナ! 朝からそんなに食べて、また団長の分まで取るつもりじゃないでしょうね!?」
「えー? だってお腹空いたんだもん!」
「そういう問題じゃないわよ!」
「まあまあ、ティオネ。僕は別に構わないよ」
困ったように笑いながら、団長が二人をなだめる。
いつもの光景だった。
そのとき、少し離れた席から声がした。
「ベル」
顔を上げると、リヴェリアさんがこちらを見ていた。
「お前には力がある。だからこそ、その力をどこで使い、どこで抑えるべきなのかを学ぶ必要がある。自分が前に出ることだけが、仲間を守る方法ではない」
リヴェリアさんの言葉には、厳しさと同時に、僕を案じる響きがあった。
「……肝に銘じます」
「そうしてくれ。仲間を信じ、任せることもまた、戦う者に必要な覚悟だ」
その言葉に、僕は静かに頷いた。
「そうやで~ベルたん!リヴェリアママの言うことは絶対や!」
「黙れ」
リヴェリアさんがロキ様を適当にあしらう。
「そうそう! ベルが困ったら、あたしも助けてあげるからね!」
「私もよ、ベル」
ティオナさんとティオネさんが口々に言う。
「……まあ、無茶して倒れられたら面倒だからな」
ベートさんも、聞こえるか聞こえないかくらいの声で付け加えた。
「……ベルは、本当に皆さんから気にかけてもらっていますね」
隣から、レフィーヤの声が聞こえた。
「えっ、そうかな?」
「そうですよ。昨日だって、モンスターの集団に突っ込んでいったとき、皆さんがどれだけ心配していたか……」
「ご、ごめんね。心配かけて」
「謝ってほしいわけではありません。ただ、ベル自身のことも、もう少し大切にしてほしいんです」
レフィーヤはそう言いながら、僕の皿にサラダを取り分けてくれた。
「それと、野菜もちゃんと食べてくださいね。昨日の夕食でも、お肉ばかり食べていたでしょう?」
「えっ、そうだったっけ?」
「そうでした。冒険者にとって、食事の管理も大切なんですからね」
「は、はい……」
「それに、激しい戦闘の後は休息も必要で――」
「あー、レフィーヤ。説教はそのへんにしてあげてよ」
ティオナさんが身を乗り出してきた。
「ベルが、困ってるじゃん!」
「こ、困らせているつもりはありません!」
「でも、ベルの顔、ちょっと引きつってるよ?」
「そ、そんなことは……」
「ベルー、助けてほしい?」
「えっと……」
助けてほしい。
正直に言えば、少しだけ。
けれど、それを口にした瞬間、レフィーヤの機嫌がさらに悪くなる未来が見えた。
僕はしばらく考えた末、そっとサラダを口に運んだ。
「……おいしいです」
「話を逸らさないでください!」
「ご、ごめんなさい!」
食堂に笑い声が広がった。
「ベル」
不意に名前を呼ばれた。
顔を上げると、アイズさんが真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「は、はい!」
いつになく真剣な表情に、僕は思わず背筋を伸ばした。
「後で・・・新作のジャガ丸くん、食べに行こう?」
「・・・へっ?」
あまりにも拍子抜けして、一瞬ぽかんとしてしまった。
「・・・だめ?」
「喜んで!!」
アイズさんは満足そうに頷いた。
「ベルたん、うちには?」
そこへ、聞き慣れた声が割り込んできた。
「うちにも何か言うことあるやろ? ほら、いつもの愛の言葉とか!」
「ありません」
即答した。
「早い! 即答は傷つくわぁ!」
「朝から何を言っているんですか、神様……」
僕は額を押さえた。
いつの間にか、神様が僕のすぐ隣に陣取っていた。
しかも、ちゃっかり僕の皿からベーコンを一枚取っている。
「ちょっと、それ僕のです!」
「ええやん、ベルたんとうちの仲やろ?」
「どういう仲ですか!」
「もちろん、愛を誓い合った仲や!」
「違います!」
団長が苦笑する。
「ロキ、ベルの食事を取るのはやめてあげてくれ。彼は昨日、かなり消耗していたんだ」
「えー?うちだって消耗しとるんやで?かわいいベルたんが冷たいから、心が傷ついてなぁ」
「神様は何もしてないでしょう……」
「せやから、これからするんや!」
「しないです!」
また、食堂に笑い声が広がった。
僕はため息をつきながら、残っていたパンを手に取る。
いつもの朝。
いつもの食堂。
いつもの人たち。
この騒がしさも、温かさも、もうすっかり日常の一部になっていた。
だからこそ。
ふとした瞬間に、胸の奥がざわつくことがある。
何か、大切なものを忘れているような。
ここにいる誰も知らない、どこか遠い場所に置いてきたものがあるような。
「……ベル?」
隣のアイズさんが、不思議そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「あ、ごめんなさい。何でもないです」
「そう?」
「はい。ちょっと考え事をしていただけです」
そう答えて、僕は笑った。
夢のことは、もうほとんど気にならなくなっていた。
暗闇も、燃えるような痛みも、黄金の麦畑も。朝の光に照らされるうちに、遠い記憶のように薄れていった。
ただ、一つだけ。
あの桃色髪の少女の言葉が、妙にはっきりと頭に残っていた。
―――これは今までとは違う、ロマンチックな物語。そうでしょう?
「……ロマンチック、か」
「ん? ベルたん、何か言うた?」
「いえ、何でもありません」
「なんやなんや!もしかして恋バナか!?ベルたん、ついに好きな子でもできたんか!?」
「違いますってば!」
「ほな、誰が好きなん?アイズか?レフィーヤか?うちか!?・・・ハッ!?まさかリヴェリアママか!!?あかん!近親婚はまずい!」
「ふん!!」
「ぐああああっ!」
リヴェリアさんの鉄拳が神様の脳天めがけて落ちた。
今日も黄昏の館は騒がしい。