キーノたちと共に新生アインズ・ウール・ゴウンとして転移後の世界を旅し続けていた鈴木悟は、ある日、耳を疑うような名を聞く。
──ナザリク地下墳墓。
──ちがう。
「……ナザリック地下大墳墓だ」
かつての仲間たちと築き上げた、忘れるはずもないその名──。
二百年の時を経て、悟は再びナザリックへと向かう。
これは、二百年という長い旅路の果てに始まる、一つの『帰還』の物語。
帰ってきた。──まだ、そう呼ぶには早い。
※『亡国の吸血姫』読了推奨
──ナザリク地下墳墓。
その名を耳にした瞬間、鈴木悟の思考は完全に凍結した。
キーノが不思議そうにこちらを覗き込んでいる。
聴覚の異常ではない。アンデッドの肉体にそんな不具合は起きない。
それは、聞き間違えるはずのない名前だった。
ナザリク地下墳墓。
──違う。
ナザリック地下大墳墓、だ。
キーノが聞いた名前が、どこかで変化したのか。伝わる過程で一部が欠落したのか。
そんなことはどうでもよかった。
二百年という歳月を経ても、一日として忘れたことのない名前。
かつて、自分が仲間たちと築き上げた場所。
自分たちの誇り。
自分たちの故郷。
そして最後まで手放すことのできなかった、遠い世界の思い出。
「悟?」
キーノの声に、悟は意識を引き戻された。
「……ナザリック地下大墳墓だ」
「え?」
キーノが僅かに首を傾げる。
悟は、アンデッド特有の間を置いた。
「アインズ・ウール・ゴウン。オレたちの──ギルド拠点だ」
キーノの表情が強張った。
「……悟たちの?」
「ああ」
それだけ答えて、悟は黙り込んだ。
遅れて、キーノが話していた情報が脳内で冷酷に噛み合っていく。
突如として現れた巨大な地下墳墓。そこから溢れ出た悪魔の如き異形の軍勢。短期間のうちに滅亡したという三つの国家。
詳しい経緯は分からない。生き残った者の証言も、噂の出所も、互いに食い違っている。
悟はしばらく動かなかった。
誰かが、いる──。
最初に生まれたのは、脳を灼くほどの希望だった。
たっち・みー。ウルベルト。ヘロヘロ。ペロロンチーノ。ぶくぶく茶釜。武人建御雷。餡ころもっちもち。ぷにっと萌え。
幾度となく思い返してきた名前が次々と脳裏をよぎる。
ユグドラシル最後の日。悟は玉座の間で仲間を待った。誰も来ないと分かっていたはずだった。それでも待ち続けた。結局、誰も来なかった。
──そして、一人で玉座の間を後にした。
──だが、もし。
自分とは異なる時間軸に、仲間の誰かが転移していたのだとすれば。
ナザリックと共に、この世界へ来た者がいるのだとすれば。
もう一度、会えるのではないか。
もう一度、あの声を聞けるのではないか。
もう一度、あの輝かしい日々のよう──。
強烈な歓喜が湧き上がり、直後、緑の光が視界を過る。感情の高まりが強制的に鎮められた。
すう、と冷静さを取り戻した悟は、自らの思考へ疑いの目を向ける。
まだ何も確認していない。ただの酷似した名前に、自分にとって都合のよい結論を当てはめただけだ。
そもそも、時間が合わない。自分がこの世界へ来てから、既におよそ二百年が経過している。
もしナザリックも同時に転移していたのなら、なぜ今まで痕跡さえ発見できなかったのか。なぜ今になって、その名が世に現れたのか。
そして、三つの国家が滅びたという現実が意味するものは何か。
自分とは異なる時期の転移か。
別のプレイヤーによる、ナザリックの名を騙った偽装か。
あるいは、悟の記憶を覗き見た何者かが仕掛けた最悪の罠か。
世界級アイテム。
竜王が使う、あの未知の魔法──。
考え始めれば、可能性はいくらでも存在した。その中から、自分が望む答えだけを選択するわけにはいかない。
「──行くの?」
こちらを伺っていたキーノの問いに、悟はすぐには答えなかった。
行かないという選択肢など存在しない。ナザリックの名を聞いた以上、真偽の確認は絶対だ。
問題は、仲間を連れていくかどうか。
だが、その答えも既に出ている。
「オレ一人で行く」
「一人で?」
「ああ。ナザリックが本物だという保証はない。それに、三つの国を滅ぼした勢力だ。もし敵だった場合、何が起きるか分からない」
「だったら、一人の方が危なくない?」
「人数を増やせば安全になる相手とは限らないんだ。……いや、むしろ逆だな」
ナザリックが本物なら、その危険性を世界で最もよく知っているのは鈴木悟だ。
単純な戦闘力だけの問題ではない。侵入者を欺く階層構造。罠。転移。即死。毒。精神攻撃。恐るべき階層守護者たち。そして、第八階層のあれら──。
ユグドラシル時代の能力がこの世界でも機能しているなら、十全な準備もなく接近してよい場所ではない。
「確認するだけだ。危険なら、すぐに逃げる」
「そこに、昔の仲間がいたとしても?」
──返答が、わずかに遅れた。
悟は自分の中にある答えを探した。昔の仲間と、今の仲間。どちらが大切か。本来、比較するようなものではない。
「誰かがいるなら、話をする」
悟は答えた。
「でも、オレには今の仲間もいる。何があっても、一度は必ず戻るよ」
キーノはしばらく悟を見つめた後、小さくうなずいた。
「──分かった」
そして、いつもと変わらない信頼の籠もった声で続けた。
「じゃあ、待ってる」
悟も静かにうなずいた。