灰髪の魔女   作:彪(あや)

8 / 15
第七章 白い髪と黒い服で

 

 ベルは、皆が何かを隠していることに気づいていた。

 見抜くほどの鋭さがあったわけではない。アルフィのことになると、神様がいつもより丁寧に話す。それだけで、何かあると分かった。

 

 普段の神様は、もっと気軽に怒って、笑って、彼に飛びついてくるのだ。

 だから、聞こうと思えば聞けた。

 

 けれど、彼女自身がまだ知らないことを、自分だけ先に知ってしまうのは違う気がした。

 代わりに、街を案内しようと決めた。

 

 思い出す手掛かりが見つからなくても、家の外で笑ったことを一つ増やせる。それくらいなら、自分にもできる。

 

「夕食までには、戻ります!」

 

 七日目の朝、玄関でそう言うと、ヘスティアは腕を組んだ。

 

「最初にそれを言うあたり、君も少しずつ分かってきたね」

 

「え?」

 

「ううん。いいことだよ。行き先は、昨日聞いたとおり?」

 

「はい! 北のお店を回って、豊穣の女主人へ。そのあと、ギルドに。エイナさんにも、ご紹介したいので!」

 

 リリが、財布の中身を数え直した。

 それから、懐から小さな布包みを取り出す。

 

「追加のお買い物は、この範囲で。それと、ベル様にはこれを」

 

 布の中には、掌に収まるほどの水晶がくるまれていた。

 保護を引き受けた日に、フェルズが「何かあれば、これで」と一組だけ置いていった眼晶(オクルス)だ。対になったもう片方は、リリの懐にある。

 

「道順を変えるときと、何かあったときは、これで知らせてください。話すときだけ布から出して、済んだらすぐに包むこと。出しっぱなしにすると、見えるものも聞こえるものも、全部こちらに筒抜けですからね」

 

「それ、フェルズくんは僕に預けていったんだけどなあ……」

 

 ヘスティアが、恨めしそうに布包みを見た。

 

「神様にお預けしたら、三日でどこかへ行ってしまいます。一日目の書類のこと、お忘れですか」

 

「あれは、なくしたんじゃなくて、ちょっと見当たらなかっただけだよ!」

 

「同じことです。一組しかないんですよ」

 

 リリは、布包みをベルの掌にしっかりと押しつけた。

 

「リリ。僕たち、遠征に出るわけじゃ──」

 

「連絡は、日常から練習するものですッ!」

 

 言っていることは正しかった。

 ベルが頷いたとき、階段からアルフィが降りてきた。

 

 借りていたメイド服を脱ぎ、ヴェルフが繕った黒いドレスを着ている。袖の継ぎ目には、よく見ると新しい糸が通っていた。

 

 女は一番下まで降りてから、裾を指でつまんだ。

 

「足に当たる位置が、前のものと違うな」

 

「歩きにくいですか?」

 

「いや。身体が、こちらを知っている」

 

 黒い服は、彼女を昨日より少し遠く見せた。

 けれど、こちらへ向けた口元は同じだった。

 

 ベルは、その両方を見てから、手を差し出した。

 

「行きましょう!」

 

 アルフィは手を見つめ、少し遅れて取った。

 ヘスティアが何か言いかける。

 

 ベルは、今朝だけは先回りをした。

 

「一人にしません! 疲れたら休みます! 遅れるときは、必ず連絡しますッ!」

 

 そのまま門へ向かう。

 神様の返事を最後まで待たずに、二人で石段を下りた。

 

「……少し、強引だな」

 

 女の声に、笑いが混じっていた。

 

「すみません。今日は、僕の方から案内したくて」

 

「謝ることはない。君の家の神が追ってこない程度なら、構わない」

 

 背後で、ヘスティアがリリに叫んだ。

 

「護衛はッ!?」

 

「出ていただいています! 今度は大丈夫ですッ!」

 

 二階の窓が、がらりと開いた。

 

「ベル殿ーっ! アルフィ殿に、楽しい思い出をーっ!」

 

 命(ミコト)が、身を乗り出して手を振っていた。

 ヘスティアが、窓と門を交互に見て頭を抱える。リリはその横で、懐の布包みを、そっと押さえていた。

 

 「今度は」というのが何のことなのか、ベルには分からなかった。

 

         *

 

 朝の通りは、遠征のあとの都市とは思えないほど賑やかだった。

 荷車が通り、パン屋が焼きたてを並べる。布屋の小僧が二階から敷布を振り、叱られて引っ込む。

 

 アルフィは、音の多い方から少しだけ顔を背けた。

 ベルが道の端に寄ると、女も同じように寄る。

 

「こちらなら、静かですか?」

 

「君は、案内をするだけでなく、耳の番もするのか」

 

「あっ。余計でしたか……」

 

「違う。忙しいだろうと思った」

 

 ベルは少し考えて、笑った。

 

「いつも、僕がしてもらってますから」

 

 女は返事をせず、彼の歩幅に合わせた。

 背の高い人なのに、隣を歩くのは不思議と楽だった。急ぐ必要も、気の利いた話題を探す必要もない。

 

 アイズの隣なら、もっと背筋を伸ばす。彼女の見ている景色に追いつきたくて、歩く速さまで気になる。

 今日は、追いつかなくてもいい気がした。

 

 立ち止まったら、この人も止まる。何も言わなくても、道を戻ってきてくれる。

 そんな、勝手な安心があった。

 ベルは、その安心に名前をつけなかった。

 

         *

 

 林檎が転がってきたのは、二つ目の角だった。

 籠の取っ手が切れて、老婦人が「あら」と声を上げる。

 

 ベルが屈んだときには、アルフィがもう四つ拾っていた。残りの一つを靴の先で受け止め、落とさずに手まで上げる。

 

「これで、全部だろうか」

 

「ええ、ええ。どうもありがとう。お目がお悪いのかい、お嬢さん」

 

「支障はない。お気遣いなく」

 

 女は林檎を返した。

 ベルは、拾いそこねた自分の掌を見た。

 

「今の、見えてたんですか!?」

 

「音がした。転がるものは、だいたい決まった方へ行く」

 

「だいたい……」

 

 ベルも冒険者だ。投げられた短剣を避けられるし、暗い迷宮(ダンジョン)で敵の位置をつかむこともできる。

 その自分が、動き出す前に、全部終わっていた。

 

 手を見つめていると、女は少し恥ずかしそうに言った。

 

「皿で、練習をした」

 

 家事は、ずいぶん役に立つらしい。

 ベルは、あとで自分も春姫(はるひめ)に聞いてみようと思った。

 

         *

 

 道具屋では、洗い物用の手袋を買った。

 女の指に合うものがなく、店主が倉庫を探している間、ベルは飾り棚を眺めていた。

 

 安い金具の髪留めに、小さな翠(みどり)の石がはまっている。

 

「綺麗ですね。この色、アルフィさんに似合いそうです」

 

 女は石へ指を伸ばし、触れてよいか店主に確かめた。

 許しをもらってから、輪郭をなぞる。

 

「……これは、何色だ」

 

「翠です。光に当たると、少し淡くなります」

 

 指が止まった。

 

「そうか。目が離せない気がした」

 

 ベルは、女の閉じた瞼を見た。

 言おうか迷っていると、女の口元の方が先にゆるんだ。

 

「言葉の使い方を、間違えたか」

 

「いえ。たぶん、そのままで合ってます」

 

 ベルは財布を開いた。

 髪留めは、予算に収まった。けれど、記憶のない相手に、勝手に昔を思わせるものを贈っていいのか、少し迷った。

 

「気に入ったのなら、今日の記念に。あの、差し上げても──」

 

 アルフィは、すぐには頷かなかった。

 

「君も、何か買う予定だったのだろう」

 

「僕のは、また今度にできます!」

 

 女の表情が、ほんの少しだけ厳しくなった。

 

「君のものを、先に選ぼう」

 

 結局、ベルは針仕事用の小さな糸切りを買った。

 髪留めは、そのあとで女に渡した。

 

 彼女は受け取ってから、店の外に出るまで、同じ指で何度もその縁を確かめていた。

 

         *

 

「やあ、奇遇だね!」

 

 通りの向こうに、ヘルメスがいた。

 アスフィもいる。こちらは、主神が何を言い出すかを、先回りして心配している顔だった。

 

 ベルは手を振った。

 女を紹介するより先に、ヘルメスが帽子を取る。

 

「ヘスティアから、お話は。お体の具合はいかがです?」

 

「おかげさまで。手間をかけて、すまない」

 

 アルフィが頭を下げた。

 ヘルメスは、その礼が終わるまで一言も出せなかった。

 膝を折らずにいられたことを、誰かに褒めてほしかった。

 

「……必要なものがあれば、遠慮なく」

 

「今、手袋を買ったところだ。君にも、この街のことで世話になっていると聞いた。いずれ、返したい」

 

 ヘルメスの笑顔に、余計な線が一本増えた。

 返してもらいたい借りと、返しに来てほしくない相手とは、両立するらしい。

 

「そのお気持ちだけで、十分ですよ!」

 

 声を取り戻してから、彼は女の手を見た。

 薄く荒れた指先。買ったばかりの手袋。

 

 伝説の怪物に傷をつけたのが洗剤だという事実を、ヘルメスはまだ受け入れられずにいた。

 できることなら、その洗剤にも二つ名を授けておきたかった。

 

 その隣で、アスフィが小さく息を吐いた。

 

「ベル・クラネル。あなたは本当に、生まれてくる星を間違えたのでは」

 

「えっ、僕、何かしましたか!?」

 

 アスフィは答えず、主神の背を押して歩き出した。

 

         *

 

 古い教会に寄ったのは、ベルの思いつきだった。

 途中の道は、何度も歩いた道だ。大きな家に移ってからも、ここを通ると、一度だけ歩みが遅くなる。

 

 崩れ残った壁の影に、草が生えていた。

 

「最初は、ここに住んでたんです」

 

 女は、石を撫でた。

 

「狭かったのか」

 

「はい。でも、神様と二人だったので。物も少なくて」

 

 ベルは、階段の跡を指さした。下りたところに寝台があった。神様は朝に弱く、彼が先に起きると、毛布だけがもぞもぞ動いた。お金のない日でも、帰れば誰かが待っていた。

 

 話しているうちに、壊れた壁の内側へ、昔の部屋が戻ってくる気がした。

 アルフィは、扉のあったあたりへ、長く顔を向けていた。

 

「なぜ、壊れた」

 

「襲われたことがあって。でも、今はもう──」

 

 女の指が、石に食い込みかけた。

 その指を、彼女は自分で引いた。

 

「すまない。君の、よい思い出を聞いていたのだったな」

 

 ベルは、首を横に振った。

 

「嫌なこともありました。でも、それだけの場所には、したくないんです」

 

 女は、少しだけ顎を下げた。

 白い壁。崩れる天井。自分を見上げる、若いエルフ。

 この教会ではない記憶が、石の奥から響いた。

 

 ベルの手が、女の袖に触れた。

 

「疲れましたか?」

 

「いや」

 

 アルフィは、遠い壁から手を離した。

 

「覚えているのなら、なくなっても、全部は失わないのだな」

 

 ベルは、何と答えればいいのか迷った。

 自分の言ったことよりも、ずっと大きなことを聞かれた気がした。

 

         *

 

 豊穣の女主人では、シルが入口で待っていた。

 待ち構えていた、と言いたくなるほど、二人を見つけるのが早かった。

 

「静かなお席を、取ってあります」

 

「ありがとうございます! ミアさんも、いらっしゃいますか?」

 

「厨房に。ええ。今日は、ずっと」

 

 案内された卓に、ミア本人が皿を運んできた。

 アルフィは立って礼をした。ミアは、その顔を一度、正面から見た。

 

「食べな」

 

 短い言葉だった。

 女は頭を下げて、座り直す。ミアはそれ以上何も言わず、厨房へ戻っていった。

 

 ベルは首を傾げたが、すぐに料理の湯気に気を取られた。

 食べはじめると、アルフィは少し遅れてフォークを動かした。

 

 姿勢がいい。刃の向きも、器を引き寄せる距離も、整っている。それなのに、ベルが野菜を一つ転がすと、自分の皿より先にそちらへ手が出た。

 

「大丈夫です! 自分で拾えます!」

 

「そうだったな」

 

 女はフォークを戻した。

 その一連の動きを、シルが水差しを持ったまま見ていた。

 

「こちらも、どうぞ」

 

 ヘルンが、杯を二つ置いた。

 ベルの前に置くときは、いつもの無愛想な顔だった。

 

「注文を、間違えました。……捨てるのも惜しいので、飲みなさい」

 

 そして女に向き直ると、声までやわらかくなる。

 

「ご不自由はございませんか? 何かございましたら、お申し付けを」

 

「君は、最初に腕を貸してくれた人だな」

 

 ヘルンの表情が、止まった。

 覚えていたのだ。主に命じられた介助ではなく、自分が実際に差し出した腕を。

 

「……当然のことを、したまでです」

 

 通りかかったヘイズが、にやりとした。

 

「ベルにも、そのくらい親切にしてあげたらどうです? 間違えた杯とか言わずに」

 

「仕事をしなさい」

 

「してますって! こっちは三卓まとめて。そっちは、ずうっとこちらのお二人だけ。いやあ、念入りですねえ!」

 

 ヘルンが睨む。ヘイズが笑う。ベルは身を縮める。

 アルフィには、互いの手の足りないところを分かり合っている、いい店に見えた。

 

         *

 

 会計のとき、アーニャが二人を見比べた。

 

「親子みたいだニャ!」

 

 シルの水差しが、一瞬だけ傾いた。

 

「アーニャさんッ!」

 

 ベルは慌てた。

 女は、自分の頬に手をやった。

 

「そんなに、上に見えるのか」

 

「年の話じゃないニャ! なんか、似てるニャ! 白いとことか、食べるとことか!」

 

「食べるところ?」

 

「待ってあげるとこ! あと、見てるとこ!」

 

 説明は、最後まで要領を得なかった。

 それでも女は、しばらく何も言わなかった。

 

 やがて、その顔がアーニャの尻尾の方を向いた。目の代わりに、別の感覚で見ている向き方だった。

 

「毛が、絡まっている。触れてもよいか」

 

「ニャ? いいけど──ニャッ!?」

 

 指が、一度だけ通った。

 小さな結び目が、嘘のようにほどけた。アーニャの膝が、なぜか一緒にゆるんだ。

 

「そこ、もう一回……」

 

「アーニャ、お仕事」

 

 シルの声が、笑顔のまま一段低くなる。

 アルフィは、すぐに手を引いた。

 

「すまない。春姫(はるひめ)には、こうするとよいと」

 

「春姫(はるひめ)が、ずるいニャー!」

 

「お仕事です」

 

 会計台の向こうで、ミアが噴き出した。

 その笑い声を聞いて、シルまで少し笑った。

 

 ベルは二人に頭を下げ、女と並んで店を出た。

 午後の通りは、朝より明るかった。

 記憶は戻らなかった。それでも、今日をまだ失敗だとは思わなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。