エア・ギア ~運命を追い越す炎~【カズ転生】   作:とらやす

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夜王編開幕します


第3章 夜の学校の王
第12話 追いかけてくる風


「カズ! 今日こそ勝負だ!」

 

 ――バンッ!

 

 朝から俺の机が悲鳴を上げた。

 

「……お前、昨日もそれ言ってなかったか?」

「昨日は雨だったろ!」

「一昨日も聞いた気がするんだが」

「細けえこと気にすんな!」

 

 まったく、朝っぱらから元気な奴だ。

 

 髑髏十字軍との一件から、五日。あの夜、間垣をぶん殴ったイッキは、どうやらA・Tの面白さにすっかり取り憑かれてしまったらしい。

 

 休み時間はA・Tの話。放課後は河川敷。授業中まで窓の外を眺めて、何やら跳べそうな場所を探している。

 

 ……いや、授業はちゃんと聞けよ。

 

「で、どこでやんだよ?」

「いつもの河川敷! 広い方の舗装路な!」

「分かった。ただし、今日はちゃんと止まる練習もしろよ」

「止まれんだろ、それくらい!」

「昨日、電柱に突っ込みかけた奴の台詞とは思えねえな」

「……見てたのかよ」

「見てたよ。なかなかいい音してたぞ」

「忘れろ!!」

 

 イッキが顔をしかめる。だが、すぐににやりと笑った。

 

「……なあ、カズ」

「ん?」

「今日勝ったら、俺のことイッキ様って呼べよ」

「……は?」

「へっ! 帝王たるこの俺様に、カズごときが勝てると思ってんのか!」

「誰が帝王だ。昨日電柱に突っ込みかけてた奴が」

「うっせえ! あれはちょっと距離を見誤っただけだ!」

「帝王、距離感ガバガバじゃねえか」

「黙れ! 今日こそてめえに上下関係を叩き込んでやるぜ!」

 

 ……どこから湧いてくるんだよ、その自信。

 

「……はいはい。じゃあ負けたら、お前が俺をカズ様って呼べよ」

「ああ!? 上等じゃねえか!!」

 

 イッキが歯を見せて笑う。俺も、つられて笑ってしまった。

 

 ……いいぜ。

 

 こういう日を、ずっと待っていた。

 

 前世の記憶を取り戻してから、身体を鍛え、中古のA・Tを買って、三か月間ひたすら走ってきた。

 

 最初は立つことさえ難しかった。何度も転んだし、情けない話、帰り道で足が痛くて泣きそうになったこともある。

 

 その成果を、ようやくこいつに見せられる。

 

 原作の主人公が相手だろうと、関係ない。

 

 今日くらいは、先輩面させてもらおうじゃねえか。

 

     *

 

「……で、何で安達までいるんだ?」

 

 放課後、河川敷に着くと、見慣れた女子がベンチに座っていた。

 

 安達絵美理。陸上部所属。最近では、顔を合わせるたびに俺へ競走を挑んでくる、なかなか負けず嫌いな奴である。

 

「何でって、イッキくんに誘われたからだけど?」

「……イッキ?」

 

 振り返ると、当の本人がにやにやしていた。

 

「いやー、せっかくだしよ。カズが最近どんだけ速くなったか、見てもらおうと思って」

「余計なお世話だ!」

「えー、いいじゃん!」

 

 安達が楽しそうに笑う。

 

「あたしも気になってたんだよね。カズくん、最近ずっとそれ乗ってるって言ってたし」

「……それって、A・T?」

「そうそう! ちゃんと走ってるところ、まだ見たことなかったからさ」

 

 安達はベンチから立ち上がると、俺の足元を覗き込んだ。

 

「へえ……これがエア・トレックなんだ」

 

 傷だらけの中古品。買ったときより、ずいぶん傷が増えた一足だ。

 

「思ってたより普通の靴っぽいね」

「まあ、外見はな」

「でも車輪ついてるし、何か機械っぽい音する!」

「そりゃ機械だからな」

「分かってるって!」

 

 安達が笑いながら、俺の周りをぐるりと回る。

 

「……でもさ、カズくん」

「ん?」

「それ履いたら、あたしより速かったりする?」

「……どうだろうな」

「えー! 何それ! 絶対速いと思ってるでしょ!」

「いや、そりゃA・Tだからな。普通の靴とは違うだろ」

「むーっ。何かずるい!」

 

 安達が頬を膨らませる。

 

 ……ずるいって何だよ。こっちは三か月、散々転んできたんだけどな。

 

「ま、いっか! 今日は特別に応援してあげる!」

「俺を?」

「うーん……勝った方?」

「適当かよ!」

「あははっ!」

 

 その横からイッキが割り込んできた。

 

「へっ! 見てろよ、安達! カズなんかあっという間にぶっちぎってやるからな!」

「おー! イッキくん、言うねえ!」

「お前も煽るなよ……」

 

 ……まったく。

 

 でも、悪くない。

 

 イッキと勝負して、安達がそれを見ている。何でもない放課後の光景だ。それなのに、少し浮かれている自分がいた。

 

     *

 

「じゃあ、向こうの橋の手前で折り返して、ここまで戻ってくる。それでいいな?」

「おう!」

「途中のカーブは二つ。無理に突っ込むなよ」

「分かってるって!」

「……本当に?」

「しつけえ!」

 

 ……まあ、いいか。

 

 河川敷の舗装路。往復で四百メートルほど。以前、シンと勝負したときにも使ったコースだ。

 

 直線だけでなく、カーブと折り返しがある。単純な加速だけでは走りきれない。

 

 俺にとっては、何度も練習した慣れた道。一方のイッキは、まだA・Tを履き始めて数日だ。

 

 普通に考えれば、負ける要素はない。

 

 ……普通に考えれば、な。

 

「じゃあ、あたしが合図するね!」

 

 安達がスタート地点へ移動した。俺とイッキが並ぶ。

 

「……おい、カズ」

「ん?」

「手加減すんなよ」

 

 イッキが、にやりと笑った。俺も笑い返す。

 

「……当たり前だろ」

 

 こいつ相手に遠慮なんかしたら、後で何を言われるか分かったもんじゃない。

 

「位置についてー!」

 

 安達が片手を上げる。

 俺は軽く膝を曲げ、重心を前へ移した。隣ではイッキが、今にも転びそうなほど前傾している。

 

 ……おいおい。

 本当に大丈夫か、それ。

 

「よーい……」

 

 一瞬の静寂。

 

「スタート!」

 

 ――ギュンッ!!

 

「うおおおおおっ!!」

 

「……おっ!?」

 

 最初に飛び出したのは、イッキだった。

 

 ……速え!

 

 いや、正確には無茶苦茶な加速だ。A・Tの出力に任せて、身体ごと前へ投げ出している。重心は高い。膝も伸びきっている。

 

 ……あれ、絶対転ぶぞ。

 

 そう思った直後。

 

「うおっ!?」

 

 ――ガクンッ!

 

 イッキの右足が前へ流れた。身体が大きく傾く。

 

 ……ほらな!

 

 だが、そこで転ばなかった。

 

「……っしゃらくせえ!」

 

 ――ガリッ!

 

 滑った足を強引に踏み直し、その勢いを使ってもう一度地面を蹴る。

 

 ――ギュンッ!

 

「……マジかよ」

 

 思わず笑ってしまった。今の、立て直したのか?

 

 いや、立て直したというより、転びかけた勢いをそのまま次の動きにつなげたように見えた。

 

 ……何つー身体の使い方だよ。

 

 だが。

 

「……悪いな、イッキ!」

 

 俺は姿勢を低くし、踏み込んだ。足元の駆動が滑らかにつながる。

 

 ――ギュンッ!

 

「……あっ!?」

 

 イッキの横を抜き去った。そして、そのまま差を広げる。

 

「おいっ! ちょっと待て、カズ!!」

「待つわけねえだろ!」

 

 後ろから文句が飛んできたが、構っている暇はない。

 

 ……いい感じだ。

 

 足元がぶれない。余計な力も入っていない。三か月間、何度も練習した加速が、ようやく身体に馴染んできた。

 

 五メートル。

 十メートル。

 

 後ろの駆動音が、少しずつ遠ざかっていく。

 

 ……へへっ。

 悪いな、イッキ。

 

 今日のところは、そう簡単には追いつかせねえよ。

 

     *

 

 最初のカーブ。

 

 俺は速度を落とし、身体を内側へ倒した。

 

 ――キュッ!

 

 車輪が舗装路を噛む。わずかに横へ流れる感触を受け止め、そのまま出口へ向かって踏み込む。

 

 ――ギュンッ!

 

 ……よし。

 綺麗に抜けられた。

 

 シンとの勝負で覚えた切り返しも、少しずつ安定してきたらしい。

 

 ふと、後ろから車輪の音が響いた。

 

 ……ん?

 

 ちらりと振り返る。イッキが、カーブの外側へ大きく膨らんでいた。

 

 ……おいおい。そっちじゃ遠回りだろ。

 

 しかも、あいつは減速していない。むしろ、さらに踏み込んでいる。

 

 その先には、舗装路の端にできた小さな段差があった。

 

 ……まさか。

 

「イッキ! そこは――!」

 

 叫んだ、その瞬間。

 

 ――タンッ!

 

 跳んだ。

 

「……っ!?」

 

 イッキの身体が宙へ浮いた。高さにすれば、ほんの数十センチだろう。

 

 大したことのない跳躍。A・Tに慣れたライダーなら、誰でもできるかもしれない。

 

 だが、その姿勢を見て、息を呑んだ。

 

 さっきまで、あんなに足元がおぼつかなかった奴が。空中では、驚くほど自然に身体を動かしていた。

 

 膝を引きつけ、肩を開く。吹き抜ける横風に合わせるように、身体をわずかにひねった。

 

 ……何だ、今の。

 

 イッキが笑っていた。

 まるで、そこに道を見つけたみたいに。

 

 ……ぞくっ。

 

 背中が粟立った。ほんの一瞬だった。なのに、妙に長く見えた。

 

 そして。

 

「うおおおっ! ……あ?」

 

 ――ガシャァン!!

 

「いってええええ!!」

 

 ……あーあ。

 着地で盛大に転んだ。

 

 俺は思わず吹き出した。

 

「……ははっ! 何やってんだよ!」

「うるせえ! 今の跳ぶとこは完璧だったろ!」

「着地できなきゃ意味ねえよ!」

「次はできるって!」

 

 ……まったく。ほんと、懲りねえ奴だな。

 

 だが、あの跳躍は頭から離れなかった。

 

 俺なら、あの段差をどう越えるだろう。

 まず減速する。足場を確かめる。安全に跳べる位置を選ぶ。

 

 それが当たり前だと思っていた。

 

 なのに、イッキは違った。

 まるで、跳んだ先にも地面が続いているみたいに走っていた。

 

 ……あいつ。

 まだA・T履いて数日なんだよな。

 

 今さらながら、末恐ろしい。

 

 ……まあ、今は俺の方が速いけどな!

 

 俺はもう一度地面を蹴り、折り返し地点へ向かった。

 

     *

 

 橋の手前で減速し、そのまま方向転換。

 

 ――キュッ!

 

 折り返しを抜けた俺は、再び加速した。向かい風が、頬を打つ。

 

 少し遅れて、イッキとすれ違った。

 

「カズゥッ! 次は絶対抜くからなーっ!」

「まずゴールまで転ばずに来いよー!」

「うるせえええっ!」

 

 すれ違いざまの叫び声に、笑ってしまった。

 

 ……楽しいな。

 

 身体が思った通りに動く。曲がりたいところで曲がれる。速度を落とせば、また加速できる。

 

 A・Tを履き始めた頃には、想像もできなかった感覚だ。

 

 最後の直線。

 

 遠くに、安達の姿が見えた。こっちへ向かって大きく手を振っている。

 

「カズくーん! あとちょっとー!」

 

 その声に応えるように、もう一度踏み込んだ。

 

 ――ギュンッ!

 

 景色が流れる。舗装路の継ぎ目が、次々と足元を通り過ぎていく。風が強くなった。

 

 俺は、思わず笑っていた。

 

 ……いいな、これ。

 

 そのまま、ゴールラインを駆け抜けた。

 

「……っしゃあ!!」

 

 拳を握る。

 

 勝った。

 

 しかも、かなり余裕を残しての勝利だ。

 

「カズくん、速っ!」

 

 安達が目を丸くしている。

 

「何あれ!? めちゃくちゃ速かったじゃん!」

「……まあな」

 

 俺は少し得意げに笑った。

 

「三か月も練習したからな」

「えー、何かちょっと悔しい!」

「何でお前が悔しがってんだよ」

「だって、あたしまだちゃんとA・T乗ってるとこ見たことなかったし!」

 

 安達が頬を膨らませた。

 

 ……いや、それは俺のせいじゃなくね?

 

 そんなやり取りをしていると、遠くからイッキの声が聞こえてきた。

 

「……だああああっ!!」

 

 ようやく戻ってきたイッキが、勢いよくブレーキをかける。

 

 ――ガガガッ!

 

「……うおっ!」

 

 危うく転びかけ、何とか踏みとどまった。

 

「……っ、はぁ、はぁ……!」

 

 そのまま膝に手をつく。

 

「くっそおおおお!! 全然追いつけねえじゃねえか!」

「……そりゃそうだろ」

 

 俺はにやりと笑った。

 

「こっちは三か月、お前より先に走ってんだぞ」

「ぐぬぬ……この俺様が、カズごときに……!」

「ごときって言うな、ごときって」

「うっせえ! 帝王はな、一回負けたくらいじゃへこたれねえんだよ!」

「その帝王様、さっきから膝ついたままだけど」

「休憩だよ、休憩!」

 

 イッキが勢いよく立ち上がった。

 

「見てろよ、カズ! 次はぜってえぶっちぎってやる!」

「……おう。楽しみにしてるぜ」

 

 俺が笑うと、イッキも歯を見せて笑った。

 

 ……ああ。

 やっぱり、こいつはこうじゃなきゃな。

 

 あれだけ差をつけられて、まだそんな顔で笑えるんだから。

 

 俺も、負けてられねえ。

 

     *

 

「……でもさ、カズくん」

 

 イッキが水を飲みに行ったところで、安達が話しかけてきた。

 

「ん?」

「ちょっと、何か悔しいかも」

「……まだ言ってんのかよ」

「だってさあ!」

 

 安達が俺の足元を指差す。

 

「カズくんって最初、あたしより全然遅かったじゃん?」

「……まあ、そうだな」

「なのに、今じゃあんな速く走ってんだもん」

 

 少しだけ口を尖らせる。

 

「……何か、置いてかれた気分」

 

 ……おいおい。

 

「A・T履いてんだから、普通の競走とは違うだろ」

「そーゆー問題じゃないの!」

「……難しい奴だな、お前」

「何よー!」

 

 安達が軽く肩を小突いてくる。だが、すぐに笑った。

 

「……ま、いっか!」

「いいのかよ」

「うん。だって、カズくんが頑張ってたのは知ってるし」

「……ん?」

「毎日走ってたじゃん。ずっと」

 

 安達が、俺の足元へ視線を落とした。

 

「こないだなんか、学校でも足引きずってたでしょ?」

「……見てたのかよ」

「そりゃ見るでしょ。あんな変な歩き方してたら!」

 

 ……うっ。

 あれ、筋肉痛がひどかった日か。

 

「でも、次の日も走ってたしさ」

 

 安達が笑った。

 

「だから、今日あんなに速かったの見たら……何か、ちょっと嬉しかった」

 

「…………」

 

 思わず、安達を見る。

 

「……何?」

「いや。お前、そんなこと思ってたんだな」

「何それ! あたしだって人の努力くらい分かるし!」

「……いや、そういう意味じゃなくて」

 

 言いかけて、やめた。

 

 普段はふざけてばかりいるから、あまり意識していなかった。でも、こいつはちゃんと見てくれていたらしい。

 

 転んで、疲れて、それでも走っていたところを。

 

「……ありがとな、安達」

「……え?」

「何か、嬉しいわ」

 

 そう言うと、安達は少しだけ目を丸くした。それから、ふいっと顔を逸らす。

 

「……べ、別に! そんな大したこと言ってないし!」

「……そうか?」

「そうだよ!」

 

 ……何だよ。

 そっちが言い出したんだろうに。

 

 だが、安達は少し間を置いてから、またこちらを向いた。

 

「……でもさ」

「ん?」

「最近のカズくん、結構格好いいと思うよ」

 

「…………」

 

「……あ」

 

 言った本人が、先に固まった。

 

 ……いや。

 何でお前が驚いてんだよ。

 

「……えっと、その!」

 

 安達が慌てて手を振る。

 

「走ってるときの話だからね!? 何か、前よりちゃんと走ってる感じするし!」

「……お、おう」

「別に、変な意味じゃないから!」

「分かったって」

「……ほんとに?」

「ほんとだよ」

 

 ……何だ、この空気。

 俺まで妙に照れくさくなってきたんだけど。

 

 安達は少し俯いた後、ぷいっと顔を背けた。

 

「……ま、頑張ってんのは認めてあげる!」

「……そりゃどうも」

「ふふん!」

 

 ……ったく。

 こいつ、調子戻るの早えな。

 

 そのときだった。

 

「おいおい! 俺の跳んだとこも見ただろ!」

 

 イッキが割り込んできた。

 

「あ、見た見た!」

「だろ!? すげえ跳べたんだぜ!」

「うん! 着地もすごかったね!」

「……おう!」

「ものすごい勢いで転んでた!」

「そっちかよ!!」

 

 俺と安達が、揃って吹き出した。

 

「……はははっ!」

「ちくしょう! 覚えてろよ、お前ら!」

 

 イッキが悔しそうに叫ぶ。その顔があまりにもいつも通りで、また笑ってしまった。

 

     *

 

 それから、しばらく三人で河川敷に残った。

 

 イッキは相変わらず無茶な走り方を繰り返していた。俺が止まり方を教えようとすると、文句を言う。減速の練習をさせようとすると、勝手に加速する。

 

「だから、そこはもっと膝を曲げろって!」

「分かってるって!」

「分かってねえから転ぶんだろ!」

「うるせえ! 俺には俺のやり方があんだよ!」

 

 ……まったく。

 

 教える側になって初めて分かった。こいつ、めちゃくちゃ面倒くせえ。

 

 安達なんか、もうベンチに座って笑っているだけだ。

 

「あははっ! カズくん、先生みたーい!」

「誰が先生だよ!」

「イッキくん、ちゃんと言うこと聞きなよー!」

「うるせえ! お前はどっちの味方なんだよ!」

「えー? 面白い方!」

「だから適当すぎんだろ!」

 

 安達の笑い声が、河川敷に響いた。

 

 やがて、イッキがまた段差へ向かい始める。

 

「……おい、イッキ」

「あ?」

「さっきの跳ぶやつ、まだやんのか?」

「当たり前だろ!」

 

 イッキが、段差の向こうを指差す。

 

「何かさ、あのときすげえ気持ちよかったんだよな」

「……へえ」

「風が、こう……身体持ち上げてくれるっつーか」

 

 手を動かしながら、上手く説明しようとしている。

 

「何つーのかな。もうちょいで、もっと上手く跳べそうなんだよ」

 

 ……なるほど。

 こいつなりに、何か掴みかけているらしい。

 

「……まあ、今度は着地も考えろよ」

「分かってるって!」

「……本当に?」

「しつけえな!」

 

 イッキが走り出す。今度はさっきより、少しだけ低い姿勢だった。

 

 ……お。

 ちゃんと考えてるじゃねえか。

 

 ――タンッ!

 

 身体が浮く。

 

 ――ガタンッ!

 

「……うおっ!」

 

 着地でよろめいたが、どうにか転ばずに済んだ。

 

「……っしゃああ!」

 

 イッキが拳を突き上げる。

 

「見たか、カズ!」

「……ああ。今のは上手かったな」

「だろ!?」

 

 得意げに笑う。

 

 ……参ったな。

 さっき転んだばかりなのに、もう一つ覚えやがった。

 

 こいつがA・Tを始めたのは、ほんの数日前だ。それを考えると、素直に感心する。

 

 ……ちょっと腹立つけど。

 

 そう思っていると、イッキがこちらを振り返った。

 

「おい、カズ! お前もやってみろよ!」

「……は?」

「跳ぶやつ! 結構気持ちいいぜ!」

「いや、俺は……」

 

 段差を見る。高さは大したことない。だが、あそこをあの速度で跳ぶのは、今の俺にはちょっと怖い。

 

「……また今度な」

「へっ! ビビってんのか?」

「うるせえ。先に着地を安定させてから言え」

「何だよー!」

 

 イッキが笑う。俺も笑い返した。

 

 ……でも。

 そのうち、やってみてもいいかもしれない。

 

 今日のイッキを見ていると、少しだけそう思えた。

 

     *

 

 夕方。日が傾き、河川敷を通る風が少し冷たくなってきた。俺たちは練習を切り上げ、ベンチに腰を下ろしていた。

 

「……あー、疲れた!」

 

 イッキが大きく伸びをする。

 

「そりゃ、あんだけ転べばな」

「うるせえ!」

 

 ……何回目だ、このやり取り。

 

 少し離れたところでは、安達が携帯をいじっている。部活の友達と連絡を取っているらしい。時折、画面を見て笑っていた。

 

「……なあ、カズ」

 

 隣のイッキが、ふと口を開いた。

 

「ん?」

「お前さ、何でA・T始めたんだ?」

「……急だな」

「いや、前から思ってたんだよ。お前、いつの間にか走るようになってたじゃん」

「……まあな」

「何か理由あんの?」

 

 ……理由、か。

 

 ある。

 

 前世の記憶も、この先に待っている戦いも。できれば変えたい未来だってある。

 

 けれど、今の俺が毎日走っている理由は、それだけじゃなかった。

 

「……楽しいから、かな」

「……は?」

 

 イッキが目を丸くした。

 

「最初は別の理由があったんだけどな。実際に履いてみたら、思ってた以上に面白くてさ」

「……ふーん」

「昨日できなかったことが、今日できるようになったりするだろ。走れば走るほど、もっと速くなりたくなる」

 

 俺は足元のA・Tを見た。傷だらけの中古品。

 こいつを初めて履いたときは、こんなふうに誰かと競走することすら想像できなかった。

 

「……まあ、負けんのは悔しいけどな」

 

 そう付け加えると、イッキが突然笑い出した。

 

「……ハハッ!」

「……何だよ」

「いや、俺と同じじゃねえか!」

 

 そう言って、イッキは背もたれに身体を預けた。

 

「俺もよ、最初はあいつらぶっ飛ばすためにA・T履いたんだよな」

「……ああ」

「でも、何か違うんだよ」

 

 イッキが、空を見上げる。

 

「走ってるとさ、もっとすげえことできそうな気がすんだよ」

「……へえ」

「さっき跳んだときも、ほんの一瞬だったけどよ」

 

 イッキが、自分の手を空へかざした。

 

「地面がなくなったのに、まだ走ってるみてえでさ」

 

「…………」

 

「もっと上手くなったら、本当に空とか飛べんじゃねえかなって」

 

 イッキは、何でもないことのように言った。

 

 普通なら笑い飛ばすような話だ。だが、俺は笑えなかった。

 

 こいつがいつか、本当に空へ届くことを知っている。その未来を思い浮かべたとき、少しだけ羨ましくなった。

 

 ……いいな。

 

 お前は、まだ何も知らないくせに。そんなに楽しそうに、その先の話ができるんだな。

 

 けれど。

 

 俺だって、負けたくはない。

 

「……なあ、イッキ」

「あ?」

「競争しようぜ」

「……は?」

 

 イッキがこちらを向いた。

 

「今だって競争しただろ?」

「いや、そうじゃなくて」

 

 俺は少し笑った。

 

「どっちが先に、空まで行けるか」

 

「…………」

 

 イッキが、ぽかんと俺を見た。

 

 それから。

 

「……へっ!」

 

 にやりと笑う。

 

「面白えじゃん!」

 

 そう言って、拳を差し出してきた。

 

「負けねえぞ、カズ」

「……俺もだ」

 

 差し出された拳に、自分の拳をぶつける。

 

 ――コツン。

 

 小さな音がした。

 

「……あっ!」

 

 少し離れたところから、安達の声が飛んできた。

 

「何それ! 二人で何か約束してんの!?」

「へっ! 俺とカズで、どっちが先に空飛べるか勝負すんだよ!」

「……はあ?」

 

 安達が、思いきり眉をひそめた。

 

「何それ! 男子ってほんと馬鹿だよね!」

「うるせえ! お前には分かんねえんだよ!」

「分かんなくて結構でーす!」

 

 べーっと舌を出す安達。イッキも負けじと言い返す。

 

 俺は、そのやり取りを横で聞いていた。

 

 ……まあ。

 馬鹿みたいな約束なのは、否定できねえな。

 

 それでも、妙に楽しみだった。

 

 イッキは、また空を見上げている。俺は、その横顔を見ていた。

 

     *

 

 帰り道。イッキとは途中で別れ、俺は一人で歩いていた。

 

 すっかり暗くなった空の下、昼間の河川敷を思い出す。

 

 ……今日は勝ったな。

 それも、かなり余裕を持って。

 

 三か月間の練習が無駄じゃなかったことを、久しぶりにはっきり実感できた。

 

 正直、めちゃくちゃ嬉しい。

 

 だが、頭から離れないのは、イッキがカーブの外側から跳んだ瞬間だった。あの身体の動き。宙へ飛び出す直前、イッキが浮かべた笑顔。

 

 ……あいつ、まだ数日だぞ。

 この先、どれだけ上手くなるんだろうな。

 

 考えると、少し怖い。でも、同じくらい楽しみでもあった。

 

 ……さて。

 俺も、負けてらんねえな。

 

 そのとき、ポケットの携帯が震えた。シンからだった。

 

『おいカズ。今度、面白い走り屋が集まる場所教えてやるよ』

 

「……へえ」

 

 思わず足を止める。

 

 面白い走り屋が集まる場所、か。

 

 シンと勝負して以来、他のストームライダーと走ることにも興味が湧いていた。どれくらい速い奴がいるんだろう。今日のイッキとは、また違う走りを見られるかもしれない。

 

『いいぜ。詳しく教えてくれ』

 

 そう返信して、携帯をしまった。

 

 歩き出そうとして、ふと右手を見る。さっき、イッキとぶつけた拳。

 

 別に、何か変わったわけじゃない。ただ、あいつと約束しただけだ。

 

 どっちが先に、空まで行けるか。

 

「……ははっ」

 

 思い出すと、何だか笑えてきた。小さい頃から一緒にいたイッキと、今さらそんな約束をするなんてな。

 

 夜風が頬を撫でる。昼間の河川敷と、同じ風だった。

 

 俺は、もう一度だけ空を見上げた。

 

 ……ま、明日も練習だな。

 

 その前に。

 

「……腹減った」

 

 思った途端、腹が鳴った。

 

 ……とりあえず、帰ろう。

 

 明日も、走りたい。

 

 今は、それだけで十分だった。

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『はじめの一歩』の世界を舞台にした、ゲーム風RTA小説です。▼主人公を操作し、鴨川ジムに入門。▼育成、試合、イベント回収、場合によってはバグや仕様の悪用も駆使しながら、最速でブライアン・ホーク撃破を目指します。▼基本はRTA実況風。▼※淫夢要素、ゲーム的な独自設定、作中キャラ視点があります。▼※追記1 RTAです。走者本人はそう主張しています。


総合評価:6806/評価:8.81/連載:8話/更新日時:2026年10月07日(水) 00:00 小説情報

転生したらエースだった件(作者:みけまる(AI執筆))(原作:ONE PIECE)

 気がついたら海賊王の息子であるポートガス・D・エースに転生していた男の話。そんな彼が自由と冒険を目指して海に出る。▼ なお、前世でいいもん食っていい生活してたからか、自己肯定感は爆上がりである。▼※転スラ要素は欠片もありません▼ この作品は、私がChatGPTに設定とか構成とかその他諸々を放り込んで書いてもらっているものです。読んでいて面白かったのでお裾分…


総合評価:7042/評価:8.05/連載:54話/更新日時:2026年10月31日(土) 20:00 小説情報

魔法先生ギルガメッシュ(作者:長LAVA)(原作:魔法先生ネギま!)

 一度目の死後、彼はギルガメッシュとして古代ウルクに生を受けた。▼ 王となり、エルキドゥと出会い、その死を見届け、不死を求めて世界を巡る。▼ やがて自ら不死を捨て、ウルクの王として126年の生涯を終えた。 ▼ そして、二度目の死。▼ 次に目を覚ました時、ギルガメッシュは再び若き肉体を得ていた。▼ そこは、魔法使いたちが存在する現代――『魔法先生ネギま!』の世…


総合評価:8056/評価:7.41/連載:24話/更新日時:2026年09月20日(日) 23:43 小説情報

おれを誰だと思ってる?ヒグマさんだぞ(作者:親分)(原作:ONE PIECE)

ヒグマさんに転生したお話。▼※再投稿となっております。


総合評価:6157/評価:7.66/完結:6話/更新日時:2026年08月12日(水) 23:20 小説情報


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