エア・ギア ~カズに転生した俺は、最速の炎を目指す~ 作:とらやす
「……っ、いってええええ!」
朝。目を覚ました俺は、早速人生の厳しさを思い知らされていた。
身体が痛い。いや、痛いなんてもんじゃない。太もも、ふくらはぎ、腹筋、背中。普段使っていなかった筋肉が、一斉に反乱を起こしている。
「……何だよ、これ」
昨日、ちょっと走っただけだぞ?
いや、確かに全力疾走はした。イッキとも安達とも競走したし、その後、一人で追加の走り込みもした。帰宅してからは筋トレまでした。
……うん。原因は全部分かった。
「……やりすぎた」
初日から張り切りすぎたらしい。二十五歳の精神を持っていようが、今の身体は普通の中学生だ。ましてや、一晩で身体能力が上がるわけでもない。
当たり前のことなのだが、昨日の俺はどうもその辺を忘れていたようだった。
「カズー! 起きてるのー!」
階下から母親の声がする。
「……起きてるー!」
「じゃあ早く降りてきなさい!」
「……降りられたら苦労しねえよ」
小声でぼやきながら、何とか身体を起こす。ベッドから足を下ろした瞬間、再び激痛が走った。
「いっ……!」
……まずい。この調子だと、学校まで歩くのにも苦労しそうだ。
ふと、机の上に置かれたノートが目に入った。昨日、勢いに任せて書いた目標。
『誰よりも速くなる』
その文字を眺める。
誰よりも速くなる以前に、まず普通に歩けるようになりたい。
転生二日目にして、目標が随分と小さくなったものだ。
*
「ぶはははははっ!」
案の定、通学路でイッキに遭遇した瞬間、盛大に笑われた。
「お前! 何だよその歩き方!」
「……うるせえ」
「ロボットみてえになってんぞ!」
「なってねえよ!」
「いや、なってるって!」
そう言うなり、イッキは俺の歩き方を真似し始めた。妙にぎこちなく足を運び、両腕を固めて歩いてみせる。
「……お前、マジでぶっ飛ばすぞ」
「できんのかよ、その身体で!」
「ぐっ……!」
反論できない。悔しい。
「何だ何だ?」
そこへ、オニギリが合流してきた。
「カズ、どうしたんだよ?」
「昨日走りすぎて、筋肉痛になったんだと!」
「マジで!?」
オニギリが目を丸くする。そして、何かをひらめいたように口元を歪めた。
「……お前、さては昨日、安達ちゃんにいいところ見せようとしたな?」
「何でそうなるんだよ!」
「だって、昨日一緒に走ってたんだろ?」
「……よく知ってんな」
「へっへっへ。俺の情報網を甘く見るなよ」
いや、絶対大した情報網じゃないだろ。学校で見かけただけに違いない。
「で、どうだったんだ?」
「……何が?」
「安達ちゃんとの競走だよ!」
「負けた」
「ぶはっ!」
今度はオニギリまで笑い出した。
「お前らなぁ……!」
「いやだってよ! 昨日あんなにやる気だったじゃねえか!」
イッキが肩を震わせる。
「俺にも負けて、安達にも負けて、おまけに筋肉痛かよ!」
「……そうだよ。悪いか」
「いや、悪くねえけど!」
言いながら、また笑う。
……くそ。いつか絶対に見返してやる。
そう心に誓ったときだった。
「でもよ」
イッキが、ふとこちらを見た。
「お前、何で急に走り始めたんだ?」
「……ん?」
「昨日も言ってたじゃん。速くなりてえとか何とか」
「ああ……」
なるほど。確かに、今までのカズは自分から積極的に鍛えるような人間ではなかった。
足が速いことは自覚していた。けれど、それを伸ばそうと考えたことは、あまりなかった。
「……ちょっとな」
「またそれかよ」
「いや、別に大した理由じゃねえよ」
「ふーん?」
イッキが俺を見つめる。その目に、少しだけ真剣な色が混じった。
「ま、いいけどよ」
「……ん?」
「速くなりてえなら、俺にも勝てるようになれよ」
そう言って、にやりと笑う。
「いつでも相手してやっから」
「……言ったな?」
「おう!」
「そのうち泣かせてやるよ」
「ハッ! 百年早えっての!」
イッキは笑いながら先へ走っていった。
「おい! 置いてくなよ!」
「早く来いよ、カズ!」
「……この野郎」
追いかけようとして、太ももに痛みが走った。
「いっ……!」
……駄目だ。今日は走るどころじゃない。
遠ざかるイッキの背中を見ながら、俺はため息をついた。
それでも、少しだけ嬉しかった。
あいつは、俺が強くなろうとしていることを笑わなかった。いや、筋肉痛になったことは散々笑っていたけど。
それでも、速くなりたいという目標そのものは馬鹿にしなかった。
……そういうところなんだよな。
南樹という男の、いいところは。
*
昼休み。
俺はノートを開いていた。昨日書いた目標を、もう少し具体的にするためだ。
とりあえず、現時点での問題は三つ。
身体。金。そして、時間。
「……まずは身体だな」
昨日の走りを思い出す。
足は速い。それは間違いない。安達との競走でも、途中までは十分ついていけた。イッキとの勝負でも、あと少しというところまでは迫れた。
だが、そこからが駄目だった。
フォームが崩れる。最後まで加速を維持できない。そして、翌日にはこの有様。
いくら速度の才能があっても、それを使いこなすための身体ができていなければ意味がない。
「……基礎からだな」
ノートに書き込む。
走り込み。短距離のダッシュ。体幹。バランス。柔軟。
それから、休養。
……休養、大事。今回ばかりは身に染みた。
次に、A・T。
これはできるだけ早く手に入れたい。炎の道だの時の技だの言っても、A・Tに乗れなければ話にならない。
ただし、問題がある。
「……金がねえ」
実に切実な問題だった。
中学生の小遣いなんて、たかが知れている。今持っている金を全部かき集めても、新品のA・Tを気軽に買えるとは思えない。
かといって、親にいきなり買ってくれと言うのも難しい。
……どうするか。
中古を探す。小遣いを貯める。使っていない物を売る。家の手伝いを増やす。
いくつか候補を書き出す。
前世では働いていたおかげで、欲しい物があればある程度は自分で買えた。それが今では、A・T一足のために小遣いの計算をしている。
……何とも世知辛い。
まあ、それでも方法はある。問題は、いつ手に入れられるかだ。
原作開始まで、およそ一年。その間にA・Tの基本操作を身につけ、実戦経験まで積む。
そう考えると、のんびりしている暇はない。
「……よし」
次は三つ目。
時間。
いや、正確には未来の情報だ。
俺は『エア・ギア』の原作を知っている。どんな敵が現れるのか。誰が味方になり、誰が敵になるのか。重要な事件がどこで起こるのか。
大まかには覚えている。
だが。
「……あれ?」
いざ整理しようとすると、思いのほか曖昧だった。
例えば、イッキがA・Tを始めるきっかけ。髑髏十字軍との事件。野山野家でA・Tを発見する場面。
そのあたりは覚えている。
だが、具体的に何月何日だったかと聞かれると、さっぱり分からない。
当然だ。漫画を読むとき、登場人物がいつ何をしたかなんて、日付まで覚えていない。
「……そりゃそうか」
少し考える。
ベヒーモス戦。京都。ガビシ。スピット・ファイアとアイオーン。ヨシツネ。そして、ニケ。
大きな出来事なら覚えている。それでも、その間にどれくらいの時間が流れたのかは曖昧だ。
しかも、これから俺が何かを変えれば、原作と同じ順番で事件が起こる保証もなくなる。
「……なるほどな」
原作知識は、確かに大きな武器だ。だが、万能ではない。
知っているのは未来そのものではなく、あくまで漫画で読んだ出来事。それも、細部は忘れている。
だとすれば、未来を知っているからといって、何でも先回りできるわけじゃない。
むしろ、知っているつもりで油断する方が危険だろう。
「……気をつけねえとな」
ノートに、一つ書き加える。
『知っていることと、実際に起こることは別』
我ながら、なかなか大事なことを書いた気がする。
「……何してんの、カズくん?」
「うおっ!?」
突然声を掛けられ、思わずノートを閉じた。
顔を上げる。安達だった。
「……あ、安達」
「そんな驚く?」
「いや、ちょっと考え事してたから」
「ふーん?」
安達は俺の手元をちらりと見た。
「勉強?」
「……まあ、そんな感じ」
「えー? 偉いじゃん」
「別に大したことじゃねえよ」
まさか、原作世界の未来について整理していたとは言えない。そんなことを話したら、確実に変な奴だと思われる。
「そういえばさ」
安達が笑う。
「昨日の競走、覚えてる?」
「……忘れるわけねえだろ」
「ふふっ。だよね!」
何だか楽しそうだ。
「今日も走るんでしょ?」
「……あー」
「ん?」
「それが……」
少し迷ってから、正直に答えた。
「筋肉痛で、まともに走れねえ」
「……え?」
一瞬の沈黙。
そして。
「あははははっ!」
盛大に笑われた。
……お前もか。
「ちょ、ちょっとカズくん!」
「……何だよ」
「昨日、あのあとも練習したの?」
「まあ、少し」
「少しって、どれくらい?」
「……走り込みと、筋トレをちょっと」
「ええっ!? いきなりそんなに!?」
安達が目を丸くする。そして、呆れたように笑った。
「そりゃ筋肉痛にもなるよ!」
「……ごもっともです」
「もー。最初から飛ばしすぎなんだって」
正論だった。何も言い返せない。
「今日は無理しない方がいいよ?」
「……そうする」
「明日も痛かったら、ちゃんと休みなよ」
「分かったって」
「ほんとかなー?」
疑わしそうな顔をされる。
……信用がない。まあ、昨日の行動を考えれば当然か。
「じゃあ、競走はまた今度ね!」
「ああ」
「治ったらリベンジしていいよ?」
「……言ったな?」
「ふふっ。言った言った!」
安達は楽しそうに笑って、自分の席へ戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
……なるほど。
安達と練習するのも、悪くなさそうだ。
陸上部で普段から走っているだけあって、身体の使い方も知っている。それに、昨日の競走でも、俺が気づかなかったことを指摘してくれた。
原作知識でA・Tの未来を知っていても、現実の走り方についてはまだまだ素人だ。そこは素直に、経験のある人間から学ぶべきだろう。
ただし、いきなり練習相手になってくれと言うのも、少し不自然か。
俺と安達は、まだ普通の同級生だ。昨日たまたま競走したからといって、急に親友になったわけじゃない。
……まあ、焦る必要もないか。
学校にいれば、顔を合わせる機会はいくらでもある。そのときに少しずつ話せばいい。
まずは、次の競走で昨日よりいい走りを見せること。
それくらいが、ちょうどいいだろう。
*
放課後。
俺は校門を出ると、昨日調べておいた店へ向かった。
スポーツ用品や中古の機器を扱っている店だ。A・Tの専門店というわけではない。だが、ネットで調べた限り、以前に中古のA・Tを取り扱っていたことがあるらしい。
とりあえず、話を聞いてみる価値はある。
「……ここか」
商店街の端にある、小さな店だった。
店頭には中古のスニーカーやスポーツ用品が並んでいる。奥の棚には、見慣れない機械部品もあった。
……おお。何となく、それっぽい。
店内へ入ると、カウンターの奥から声がした。
「いらっしゃい」
中年の店員が、新聞から顔を上げた。
「あの、ちょっと聞きたいんですけど」
「ん?」
「エア・トレックって、扱ってますか?」
店員が少しだけ眉を上げた。
「ああ、A・Tか」
「はい」
「今は置いてないな。前に何足か入ってきたことはあるけど」
「……そうですか」
残念。いきなり当たりを引けるほど、世の中甘くはないらしい。
「探してるのか?」
「あ、はい。中古でいいんですけど」
「中古ねえ……」
店員は少し考えた。
「まあ、たまに入ってくることはあるよ。ただ、状態はまちまちだな」
「状態?」
「当たり前だが、ああいうのはモーターも車輪も使い込まれる。見た目がきれいでも中身が駄目になってることもあるし、逆に見た目がボロボロでも使えるやつもある」
「……なるほど」
「初心者なら、あんまり安いのに飛びつかない方がいいぞ」
思わず苦笑する。まさに今、安いものを探しているところだった。
「……ちなみに、どれくらいするんですか?」
店員が大まかな価格帯を教えてくれた。
「…………」
高い。
予想していたより、さらに高かった。
いや、分かっていたけど。中学生の小遣いでは、なかなか厳しい。
「……結構するんですね」
「まあな。普通のスケートとは違うから」
店員が肩をすくめる。
「それに、安いのを買って怪我してもつまらんだろ。ちゃんと状態は見た方がいい」
「……そうですね」
確かに、その通りだ。
俺は速くなりたい。だが、壊れかけのA・Tで大怪我をしたら、それこそ本末転倒だ。
一年間という時間は、決して長くない。だからこそ、無駄な怪我で潰したくはない。
「……もし中古が入ってきたら、また見に来てもいいですか?」
「ああ、もちろん」
「ありがとうございます」
頭を下げて、店を出る。
収穫はあった。少なくとも、どこを探せばいいか分かった。相場も、大まかには理解できた。それに、A・Tの状態を確認する必要があることも。
……なるほどな。
原作では、イッキたちがどんどんA・Tの世界へ入っていく。漫画で読んでいたときは、そこまで気にしていなかった。
だが、現実に自分で始めようとすると、金もいる。道具もいる。練習場所も必要だ。しかも、怪我の危険まである。
「……思ったより大変だな」
思わず笑ってしまった。
それでも、諦める理由にはならない。
むしろ、こういう細かい問題を一つずつ解決していくのも悪くない。前世では、何かを始める前に面倒になってやめてしまったこともあった。
けれど今回は違う。
目指す場所が、はっきりしている。
「……まずは金だな」
ポケットから携帯を取り出す。
中古A・Tの情報を、もう一度検索する。店頭で実物を見るのが一番だろう。だが、それだけでは時間がかかる。ネットも使って探してみるべきだ。
検索結果を眺める。
新品。中古。部品取り。修理前提。
……部品取り?
気になって、一つの出品を開いた。
古いA・Tの写真。かなり使い込まれているようで、外装には傷が多い。説明文によれば、動作確認が十分ではないため、現状品として出しているらしい。
「……なるほど」
確かに安い。しかし、初心者がいきなり手を出すには危険そうだ。
さっき店員に言われたばかりだしな。
……まあ、候補には入れておこう。
今すぐ買うわけじゃない。まずは、選択肢を増やすこと。
それが大事だ。
*
帰宅後。
俺は再びノートを開いた。昨日のページの次に、新しい見出しを書く。
『一年間の計画』
その下へ、今日分かったことを整理していく。
まず、身体づくり。
いきなり無茶な練習をするのは駄目だ。短距離の走り方、加速、減速、バランス、柔軟性。それらを少しずつ鍛える。疲労が残っているときは休む。
……特に最後。絶対に忘れないようにしよう。
次に、A・T。
購入資金を貯める。中古品の相場を調べる。できれば、実物を確認してから買う。店の情報も記録しておく。
そして、A・Tを手に入れた後は、基礎操作を徹底的に練習する。
最初から無茶なジャンプや壁走りをするつもりはない。そんなことをすれば、間違いなく怪我をする。
……というか、今の俺では普通に立てるかどうかも怪しい。
「……まずは転ばないことだな」
誰よりも速くなるという目標が、また少し小さくなった。まあ、順番というものがある。
次に、技術。
原作のカズが走ることになる炎の道。そして、アイオーンの時の技。この二つは、将来的に必ず身につけたい。
ただし、知っているからといって、いきなり真似できるものではない。
炎の道は、速度や摩擦熱に関わる高度な技術を必要とする。時の技も、ただ速く動けばいいというものではない。
原作で見た現象を理解していても、それを自分の身体で再現するには、相当な練習が必要になるはずだ。
「……やっぱ、基礎だよな」
何度考えても、そこへ戻ってくる。
少しだけ、ため息をついた。
もっとこう、転生特典で最初から強い技を使えたりしないものか。
いや、無理だろうな。
今朝の筋肉痛が、その答えを教えてくれている。
「……地道にやるか」
ペンを置く。
少しだけ手を休めてから、最後の項目を開いた。
『原作の事件』
ここには、覚えている出来事を書き出していく。
イッキがA・Tを始めるきっかけ。髑髏十字軍。夜王。ベヒーモス。京都。眠りの森。武内兄弟。そして、最後の戦い。
名前を並べるだけでも、随分と長くなった。
「……先は長いな」
思わず呟く。
だが、本当に問題なのは、事件の数ではない。
その中で、何を変えるのか。
誰を助けるのか。
そして、そのためにどれだけ強くならなければならないのか。
「…………」
ペンを止める。
例えば、イッキ。
あいつは、原作通りならA・Tの世界へ入る。そして、強くなる。
だが、俺が最初から全部教えてしまったらどうなる?
イッキは、同じようにA・Tを始めるだろうか。
……分からない。
少なくとも、俺の知っているイッキは、誰かに言われたからといって素直に従うような男じゃない。
自分で面白いものを見つけて、自分で走り始めて、自分の意思で空を目指す。
そういう奴だ。
だったら、俺が無理に導く必要はないのかもしれない。
ただし。
「……守れるものは、守りたいよな」
原作の序盤には、仲間が酷い目に遭う事件もある。それを知っているのに、何もしないのは違う。
イッキが成長するためだからといって、誰かが傷つくのを黙って見ているつもりはなかった。
けれど、イッキ自身が選んだ勝負まで、俺が全部奪うのも違う気がする。
……難しいな。
原作を変える。
言葉にするのは簡単だ。だが、実際には誰かの人生を変えるということでもある。
俺が勝手に正しいと思ったことが、相手にとっても正しいとは限らない。
だからこそ、少なくとも仲間の意思は尊重したい。そのうえで、危険なときには助けられるだけの力を持っていたい。
「……まあ、今の俺が考えても仕方ねえか」
結局のところ、どれだけ立派な方針を立てても、今の俺には実行する力がない。
今日だって、筋肉痛でまともに走れなかった。そんな奴が、誰かの運命を変えられるはずもない。
……だからこそ。
強くなる。
まずはそこからだ。
*
寝る前。
携帯をもう一度確認した。
中古A・Tの情報を眺めながら、条件のよさそうな出品をいくつか保存する。
その中の一つに、少し気になるものがあった。
古い型のA・T。傷は多い。だが、写真を見る限り、外装が致命的に壊れているわけではなさそうだった。
出品者の説明によれば、しばらく使用しておらず、整備が必要とのこと。
価格は、ほかの中古品より安い。
「……これなら」
今ある小遣いと、少しずつ貯められる金額を計算する。
……うん。何とか届きそうだ。
もちろん、すぐには無理だ。それに、状態も確認する必要がある。
だが、初めてA・Tを手に入れるという目標が、少しだけ現実味を帯びた気がした。
「……よし」
保存した出品情報を閉じる。そして、ノートを開き、今日の日付の横に一言を書き込んだ。
『A・T購入候補、発見』
たったそれだけ。
昨日と比べて、強くなったわけじゃない。速くなったわけでもない。
むしろ、筋肉痛で動けなくなった分、昨日より弱くなった気さえする。
それでも、一歩は進んだ。
自分が何をすべきか、少しだけ分かった。
それだけでも、十分な収穫だろう。
「……一年後、か」
窓の外を見る。
夜の街には、いくつもの明かりが灯っている。
どこかでは、今この瞬間にもストームライダーたちが走っているのだろう。
壁を駆け上がり、屋根を飛び越え、俺の知らない景色を見ている。
……早く、そこへ行きたい。
そう思った瞬間、胸の奥が少し熱くなった。
昨日、初めてA・Tの走りを目にしたときと同じ感覚だった。
「……楽しみだな」
小さく笑う。
原作のカズが、どれだけ苦労して強くなったのか。俺は知っている。
その努力を、馬鹿にするつもりはない。
むしろ、だからこそ、あいつが辿り着いた場所へもっと早く行ってみたい。
そして、その先へ。
まだ誰も知らない、美鞍葛馬の未来へ。
「……まずは、A・Tだな」
ノートを閉じる。
明日からも、やることは山ほどある。
身体を鍛える。金を貯める。A・Tを探す。イッキにも、安達にも、次こそ勝つ。
そして、いつか。
炎の道を、自分のものにする。
……まあ、その前に。
「……明日には筋肉痛、治ってるといいな」
切実な願いを呟いて、布団へ潜り込んだ。
目を閉じる。意識が薄れていく中で、ふと考えた。
未来を知っている。
それは、確かに大きな武器だ。
だが、知っている未来を変えるためには、結局、自分の足で走るしかない。
……だったら。
明日も、走ろう。
少しずつでいい。今日よりも速く。昨日よりも強く。
そして、いつか。
誰にも追いつけないくらいに。
そんなことを考えながら、俺は眠りについた。