エア・ギア ~カズに転生した俺は、最速の炎を目指す~   作:とらやす

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第2話 未来を知っているということ

「……っ、いってええええ!」

 

 朝。目を覚ました俺は、早速人生の厳しさを思い知らされていた。

 身体が痛い。いや、痛いなんてもんじゃない。太もも、ふくらはぎ、腹筋、背中。普段使っていなかった筋肉が、一斉に反乱を起こしている。

 

「……何だよ、これ」

 

 昨日、ちょっと走っただけだぞ?

 いや、確かに全力疾走はした。イッキとも安達とも競走したし、その後、一人で追加の走り込みもした。帰宅してからは筋トレまでした。

 ……うん。原因は全部分かった。

 

「……やりすぎた」

 

 初日から張り切りすぎたらしい。二十五歳の精神を持っていようが、今の身体は普通の中学生だ。ましてや、一晩で身体能力が上がるわけでもない。

 当たり前のことなのだが、昨日の俺はどうもその辺を忘れていたようだった。

 

「カズー! 起きてるのー!」

 

 階下から母親の声がする。

 

「……起きてるー!」

「じゃあ早く降りてきなさい!」

「……降りられたら苦労しねえよ」

 

 小声でぼやきながら、何とか身体を起こす。ベッドから足を下ろした瞬間、再び激痛が走った。

 

「いっ……!」

 

 ……まずい。この調子だと、学校まで歩くのにも苦労しそうだ。

 ふと、机の上に置かれたノートが目に入った。昨日、勢いに任せて書いた目標。

 

『誰よりも速くなる』

 

 その文字を眺める。

 誰よりも速くなる以前に、まず普通に歩けるようになりたい。

 転生二日目にして、目標が随分と小さくなったものだ。

 

     *

 

「ぶはははははっ!」

 

 案の定、通学路でイッキに遭遇した瞬間、盛大に笑われた。

 

「お前! 何だよその歩き方!」

「……うるせえ」

「ロボットみてえになってんぞ!」

「なってねえよ!」

「いや、なってるって!」

 

 そう言うなり、イッキは俺の歩き方を真似し始めた。妙にぎこちなく足を運び、両腕を固めて歩いてみせる。

 

「……お前、マジでぶっ飛ばすぞ」

「できんのかよ、その身体で!」

「ぐっ……!」

 

 反論できない。悔しい。

 

「何だ何だ?」

 

 そこへ、オニギリが合流してきた。

 

「カズ、どうしたんだよ?」

「昨日走りすぎて、筋肉痛になったんだと!」

「マジで!?」

 

 オニギリが目を丸くする。そして、何かをひらめいたように口元を歪めた。

 

「……お前、さては昨日、安達ちゃんにいいところ見せようとしたな?」

「何でそうなるんだよ!」

「だって、昨日一緒に走ってたんだろ?」

「……よく知ってんな」

「へっへっへ。俺の情報網を甘く見るなよ」

 

 いや、絶対大した情報網じゃないだろ。学校で見かけただけに違いない。

 

「で、どうだったんだ?」

「……何が?」

「安達ちゃんとの競走だよ!」

「負けた」

「ぶはっ!」

 

 今度はオニギリまで笑い出した。

 

「お前らなぁ……!」

「いやだってよ! 昨日あんなにやる気だったじゃねえか!」

 

 イッキが肩を震わせる。

 

「俺にも負けて、安達にも負けて、おまけに筋肉痛かよ!」

「……そうだよ。悪いか」

「いや、悪くねえけど!」

 

 言いながら、また笑う。

 ……くそ。いつか絶対に見返してやる。

 そう心に誓ったときだった。

 

「でもよ」

 

 イッキが、ふとこちらを見た。

 

「お前、何で急に走り始めたんだ?」

「……ん?」

「昨日も言ってたじゃん。速くなりてえとか何とか」

「ああ……」

 

 なるほど。確かに、今までのカズは自分から積極的に鍛えるような人間ではなかった。

 足が速いことは自覚していた。けれど、それを伸ばそうと考えたことは、あまりなかった。

 

「……ちょっとな」

「またそれかよ」

「いや、別に大した理由じゃねえよ」

「ふーん?」

 

 イッキが俺を見つめる。その目に、少しだけ真剣な色が混じった。

 

「ま、いいけどよ」

「……ん?」

「速くなりてえなら、俺にも勝てるようになれよ」

 

 そう言って、にやりと笑う。

 

「いつでも相手してやっから」

「……言ったな?」

「おう!」

「そのうち泣かせてやるよ」

「ハッ! 百年早えっての!」

 

 イッキは笑いながら先へ走っていった。

 

「おい! 置いてくなよ!」

「早く来いよ、カズ!」

「……この野郎」

 

 追いかけようとして、太ももに痛みが走った。

 

「いっ……!」

 

 ……駄目だ。今日は走るどころじゃない。

 遠ざかるイッキの背中を見ながら、俺はため息をついた。

 それでも、少しだけ嬉しかった。

 あいつは、俺が強くなろうとしていることを笑わなかった。いや、筋肉痛になったことは散々笑っていたけど。

 それでも、速くなりたいという目標そのものは馬鹿にしなかった。

 ……そういうところなんだよな。

 南樹という男の、いいところは。

 

     *

 

 昼休み。

 俺はノートを開いていた。昨日書いた目標を、もう少し具体的にするためだ。

 とりあえず、現時点での問題は三つ。

 

 身体。金。そして、時間。

 

「……まずは身体だな」

 

 昨日の走りを思い出す。

 足は速い。それは間違いない。安達との競走でも、途中までは十分ついていけた。イッキとの勝負でも、あと少しというところまでは迫れた。

 だが、そこからが駄目だった。

 フォームが崩れる。最後まで加速を維持できない。そして、翌日にはこの有様。

 いくら速度の才能があっても、それを使いこなすための身体ができていなければ意味がない。

 

「……基礎からだな」

 

 ノートに書き込む。

 走り込み。短距離のダッシュ。体幹。バランス。柔軟。

 それから、休養。

 ……休養、大事。今回ばかりは身に染みた。

 

 次に、A・T。

 これはできるだけ早く手に入れたい。炎の道だの時の技だの言っても、A・Tに乗れなければ話にならない。

 ただし、問題がある。

 

「……金がねえ」

 

 実に切実な問題だった。

 中学生の小遣いなんて、たかが知れている。今持っている金を全部かき集めても、新品のA・Tを気軽に買えるとは思えない。

 かといって、親にいきなり買ってくれと言うのも難しい。

 ……どうするか。

 中古を探す。小遣いを貯める。使っていない物を売る。家の手伝いを増やす。

 いくつか候補を書き出す。

 

 前世では働いていたおかげで、欲しい物があればある程度は自分で買えた。それが今では、A・T一足のために小遣いの計算をしている。

 ……何とも世知辛い。

 まあ、それでも方法はある。問題は、いつ手に入れられるかだ。

 

 原作開始まで、およそ一年。その間にA・Tの基本操作を身につけ、実戦経験まで積む。

 そう考えると、のんびりしている暇はない。

 

「……よし」

 

 次は三つ目。

 時間。

 いや、正確には未来の情報だ。

 俺は『エア・ギア』の原作を知っている。どんな敵が現れるのか。誰が味方になり、誰が敵になるのか。重要な事件がどこで起こるのか。

 大まかには覚えている。

 

 だが。

 

「……あれ?」

 

 いざ整理しようとすると、思いのほか曖昧だった。

 例えば、イッキがA・Tを始めるきっかけ。髑髏十字軍との事件。野山野家でA・Tを発見する場面。

 そのあたりは覚えている。

 だが、具体的に何月何日だったかと聞かれると、さっぱり分からない。

 当然だ。漫画を読むとき、登場人物がいつ何をしたかなんて、日付まで覚えていない。

 

「……そりゃそうか」

 

 少し考える。

 ベヒーモス戦。京都。ガビシ。スピット・ファイアとアイオーン。ヨシツネ。そして、ニケ。

 大きな出来事なら覚えている。それでも、その間にどれくらいの時間が流れたのかは曖昧だ。

 しかも、これから俺が何かを変えれば、原作と同じ順番で事件が起こる保証もなくなる。

 

「……なるほどな」

 

 原作知識は、確かに大きな武器だ。だが、万能ではない。

 知っているのは未来そのものではなく、あくまで漫画で読んだ出来事。それも、細部は忘れている。

 だとすれば、未来を知っているからといって、何でも先回りできるわけじゃない。

 むしろ、知っているつもりで油断する方が危険だろう。

 

「……気をつけねえとな」

 

 ノートに、一つ書き加える。

 

『知っていることと、実際に起こることは別』

 

 我ながら、なかなか大事なことを書いた気がする。

 

「……何してんの、カズくん?」

「うおっ!?」

 

 突然声を掛けられ、思わずノートを閉じた。

 顔を上げる。安達だった。

 

「……あ、安達」

「そんな驚く?」

「いや、ちょっと考え事してたから」

「ふーん?」

 

 安達は俺の手元をちらりと見た。

 

「勉強?」

「……まあ、そんな感じ」

「えー? 偉いじゃん」

「別に大したことじゃねえよ」

 

 まさか、原作世界の未来について整理していたとは言えない。そんなことを話したら、確実に変な奴だと思われる。

 

「そういえばさ」

 

 安達が笑う。

 

「昨日の競走、覚えてる?」

「……忘れるわけねえだろ」

「ふふっ。だよね!」

 

 何だか楽しそうだ。

 

「今日も走るんでしょ?」

「……あー」

「ん?」

「それが……」

 

 少し迷ってから、正直に答えた。

 

「筋肉痛で、まともに走れねえ」

「……え?」

 

 一瞬の沈黙。

 

 そして。

 

「あははははっ!」

 

 盛大に笑われた。

 ……お前もか。

 

「ちょ、ちょっとカズくん!」

「……何だよ」

「昨日、あのあとも練習したの?」

「まあ、少し」

「少しって、どれくらい?」

「……走り込みと、筋トレをちょっと」

「ええっ!? いきなりそんなに!?」

 

 安達が目を丸くする。そして、呆れたように笑った。

 

「そりゃ筋肉痛にもなるよ!」

「……ごもっともです」

「もー。最初から飛ばしすぎなんだって」

 

 正論だった。何も言い返せない。

 

「今日は無理しない方がいいよ?」

「……そうする」

「明日も痛かったら、ちゃんと休みなよ」

「分かったって」

「ほんとかなー?」

 

 疑わしそうな顔をされる。

 ……信用がない。まあ、昨日の行動を考えれば当然か。

 

「じゃあ、競走はまた今度ね!」

「ああ」

「治ったらリベンジしていいよ?」

「……言ったな?」

「ふふっ。言った言った!」

 

 安達は楽しそうに笑って、自分の席へ戻っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。

 

 ……なるほど。

 

 安達と練習するのも、悪くなさそうだ。

 陸上部で普段から走っているだけあって、身体の使い方も知っている。それに、昨日の競走でも、俺が気づかなかったことを指摘してくれた。

 原作知識でA・Tの未来を知っていても、現実の走り方についてはまだまだ素人だ。そこは素直に、経験のある人間から学ぶべきだろう。

 

 ただし、いきなり練習相手になってくれと言うのも、少し不自然か。

 俺と安達は、まだ普通の同級生だ。昨日たまたま競走したからといって、急に親友になったわけじゃない。

 ……まあ、焦る必要もないか。

 学校にいれば、顔を合わせる機会はいくらでもある。そのときに少しずつ話せばいい。

 

 まずは、次の競走で昨日よりいい走りを見せること。

 それくらいが、ちょうどいいだろう。

 

     *

 

 放課後。

 俺は校門を出ると、昨日調べておいた店へ向かった。

 スポーツ用品や中古の機器を扱っている店だ。A・Tの専門店というわけではない。だが、ネットで調べた限り、以前に中古のA・Tを取り扱っていたことがあるらしい。

 とりあえず、話を聞いてみる価値はある。

 

「……ここか」

 

 商店街の端にある、小さな店だった。

 店頭には中古のスニーカーやスポーツ用品が並んでいる。奥の棚には、見慣れない機械部品もあった。

 ……おお。何となく、それっぽい。

 

 店内へ入ると、カウンターの奥から声がした。

 

「いらっしゃい」

 

 中年の店員が、新聞から顔を上げた。

 

「あの、ちょっと聞きたいんですけど」

「ん?」

「エア・トレックって、扱ってますか?」

 

 店員が少しだけ眉を上げた。

 

「ああ、A・Tか」

「はい」

「今は置いてないな。前に何足か入ってきたことはあるけど」

「……そうですか」

 

 残念。いきなり当たりを引けるほど、世の中甘くはないらしい。

 

「探してるのか?」

「あ、はい。中古でいいんですけど」

「中古ねえ……」

 

 店員は少し考えた。

 

「まあ、たまに入ってくることはあるよ。ただ、状態はまちまちだな」

「状態?」

「当たり前だが、ああいうのはモーターも車輪も使い込まれる。見た目がきれいでも中身が駄目になってることもあるし、逆に見た目がボロボロでも使えるやつもある」

「……なるほど」

「初心者なら、あんまり安いのに飛びつかない方がいいぞ」

 

 思わず苦笑する。まさに今、安いものを探しているところだった。

 

「……ちなみに、どれくらいするんですか?」

 

 店員が大まかな価格帯を教えてくれた。

 

「…………」

 

 高い。

 予想していたより、さらに高かった。

 いや、分かっていたけど。中学生の小遣いでは、なかなか厳しい。

 

「……結構するんですね」

「まあな。普通のスケートとは違うから」

 

 店員が肩をすくめる。

 

「それに、安いのを買って怪我してもつまらんだろ。ちゃんと状態は見た方がいい」

「……そうですね」

 

 確かに、その通りだ。

 俺は速くなりたい。だが、壊れかけのA・Tで大怪我をしたら、それこそ本末転倒だ。

 一年間という時間は、決して長くない。だからこそ、無駄な怪我で潰したくはない。

 

「……もし中古が入ってきたら、また見に来てもいいですか?」

「ああ、もちろん」

「ありがとうございます」

 

 頭を下げて、店を出る。

 収穫はあった。少なくとも、どこを探せばいいか分かった。相場も、大まかには理解できた。それに、A・Tの状態を確認する必要があることも。

 

 ……なるほどな。

 

 原作では、イッキたちがどんどんA・Tの世界へ入っていく。漫画で読んでいたときは、そこまで気にしていなかった。

 だが、現実に自分で始めようとすると、金もいる。道具もいる。練習場所も必要だ。しかも、怪我の危険まである。

 

「……思ったより大変だな」

 

 思わず笑ってしまった。

 それでも、諦める理由にはならない。

 むしろ、こういう細かい問題を一つずつ解決していくのも悪くない。前世では、何かを始める前に面倒になってやめてしまったこともあった。

 けれど今回は違う。

 目指す場所が、はっきりしている。

 

「……まずは金だな」

 

 ポケットから携帯を取り出す。

 中古A・Tの情報を、もう一度検索する。店頭で実物を見るのが一番だろう。だが、それだけでは時間がかかる。ネットも使って探してみるべきだ。

 

 検索結果を眺める。

 新品。中古。部品取り。修理前提。

 

 ……部品取り?

 

 気になって、一つの出品を開いた。

 古いA・Tの写真。かなり使い込まれているようで、外装には傷が多い。説明文によれば、動作確認が十分ではないため、現状品として出しているらしい。

 

「……なるほど」

 

 確かに安い。しかし、初心者がいきなり手を出すには危険そうだ。

 さっき店員に言われたばかりだしな。

 ……まあ、候補には入れておこう。

 

 今すぐ買うわけじゃない。まずは、選択肢を増やすこと。

 それが大事だ。

 

     *

 

 帰宅後。

 俺は再びノートを開いた。昨日のページの次に、新しい見出しを書く。

 

『一年間の計画』

 

 その下へ、今日分かったことを整理していく。

 

 まず、身体づくり。

 いきなり無茶な練習をするのは駄目だ。短距離の走り方、加速、減速、バランス、柔軟性。それらを少しずつ鍛える。疲労が残っているときは休む。

 ……特に最後。絶対に忘れないようにしよう。

 

 次に、A・T。

 購入資金を貯める。中古品の相場を調べる。できれば、実物を確認してから買う。店の情報も記録しておく。

 そして、A・Tを手に入れた後は、基礎操作を徹底的に練習する。

 最初から無茶なジャンプや壁走りをするつもりはない。そんなことをすれば、間違いなく怪我をする。

 ……というか、今の俺では普通に立てるかどうかも怪しい。

 

「……まずは転ばないことだな」

 

 誰よりも速くなるという目標が、また少し小さくなった。まあ、順番というものがある。

 

 次に、技術。

 原作のカズが走ることになる炎の道。そして、アイオーンの時の技。この二つは、将来的に必ず身につけたい。

 ただし、知っているからといって、いきなり真似できるものではない。

 炎の道は、速度や摩擦熱に関わる高度な技術を必要とする。時の技も、ただ速く動けばいいというものではない。

 原作で見た現象を理解していても、それを自分の身体で再現するには、相当な練習が必要になるはずだ。

 

「……やっぱ、基礎だよな」

 

 何度考えても、そこへ戻ってくる。

 少しだけ、ため息をついた。

 もっとこう、転生特典で最初から強い技を使えたりしないものか。

 いや、無理だろうな。

 今朝の筋肉痛が、その答えを教えてくれている。

 

「……地道にやるか」

 

 ペンを置く。

 少しだけ手を休めてから、最後の項目を開いた。

 

『原作の事件』

 

 ここには、覚えている出来事を書き出していく。

 イッキがA・Tを始めるきっかけ。髑髏十字軍。夜王。ベヒーモス。京都。眠りの森。武内兄弟。そして、最後の戦い。

 名前を並べるだけでも、随分と長くなった。

 

「……先は長いな」

 

 思わず呟く。

 だが、本当に問題なのは、事件の数ではない。

 

 その中で、何を変えるのか。

 誰を助けるのか。

 そして、そのためにどれだけ強くならなければならないのか。

 

「…………」

 

 ペンを止める。

 例えば、イッキ。

 あいつは、原作通りならA・Tの世界へ入る。そして、強くなる。

 だが、俺が最初から全部教えてしまったらどうなる?

 イッキは、同じようにA・Tを始めるだろうか。

 ……分からない。

 

 少なくとも、俺の知っているイッキは、誰かに言われたからといって素直に従うような男じゃない。

 自分で面白いものを見つけて、自分で走り始めて、自分の意思で空を目指す。

 そういう奴だ。

 だったら、俺が無理に導く必要はないのかもしれない。

 

 ただし。

 

「……守れるものは、守りたいよな」

 

 原作の序盤には、仲間が酷い目に遭う事件もある。それを知っているのに、何もしないのは違う。

 イッキが成長するためだからといって、誰かが傷つくのを黙って見ているつもりはなかった。

 けれど、イッキ自身が選んだ勝負まで、俺が全部奪うのも違う気がする。

 ……難しいな。

 

 原作を変える。

 言葉にするのは簡単だ。だが、実際には誰かの人生を変えるということでもある。

 俺が勝手に正しいと思ったことが、相手にとっても正しいとは限らない。

 だからこそ、少なくとも仲間の意思は尊重したい。そのうえで、危険なときには助けられるだけの力を持っていたい。

 

「……まあ、今の俺が考えても仕方ねえか」

 

 結局のところ、どれだけ立派な方針を立てても、今の俺には実行する力がない。

 今日だって、筋肉痛でまともに走れなかった。そんな奴が、誰かの運命を変えられるはずもない。

 

 ……だからこそ。

 

 強くなる。

 まずはそこからだ。

 

     *

 

 寝る前。

 携帯をもう一度確認した。

 中古A・Tの情報を眺めながら、条件のよさそうな出品をいくつか保存する。

 

 その中の一つに、少し気になるものがあった。

 古い型のA・T。傷は多い。だが、写真を見る限り、外装が致命的に壊れているわけではなさそうだった。

 出品者の説明によれば、しばらく使用しておらず、整備が必要とのこと。

 価格は、ほかの中古品より安い。

 

「……これなら」

 

 今ある小遣いと、少しずつ貯められる金額を計算する。

 ……うん。何とか届きそうだ。

 もちろん、すぐには無理だ。それに、状態も確認する必要がある。

 だが、初めてA・Tを手に入れるという目標が、少しだけ現実味を帯びた気がした。

 

「……よし」

 

 保存した出品情報を閉じる。そして、ノートを開き、今日の日付の横に一言を書き込んだ。

 

『A・T購入候補、発見』

 

 たったそれだけ。

 昨日と比べて、強くなったわけじゃない。速くなったわけでもない。

 むしろ、筋肉痛で動けなくなった分、昨日より弱くなった気さえする。

 それでも、一歩は進んだ。

 自分が何をすべきか、少しだけ分かった。

 それだけでも、十分な収穫だろう。

 

「……一年後、か」

 

 窓の外を見る。

 夜の街には、いくつもの明かりが灯っている。

 どこかでは、今この瞬間にもストームライダーたちが走っているのだろう。

 壁を駆け上がり、屋根を飛び越え、俺の知らない景色を見ている。

 

 ……早く、そこへ行きたい。

 

 そう思った瞬間、胸の奥が少し熱くなった。

 昨日、初めてA・Tの走りを目にしたときと同じ感覚だった。

 

「……楽しみだな」

 

 小さく笑う。

 原作のカズが、どれだけ苦労して強くなったのか。俺は知っている。

 その努力を、馬鹿にするつもりはない。

 むしろ、だからこそ、あいつが辿り着いた場所へもっと早く行ってみたい。

 そして、その先へ。

 

 まだ誰も知らない、美鞍葛馬の未来へ。

 

「……まずは、A・Tだな」

 

 ノートを閉じる。

 明日からも、やることは山ほどある。

 身体を鍛える。金を貯める。A・Tを探す。イッキにも、安達にも、次こそ勝つ。

 そして、いつか。

 炎の道を、自分のものにする。

 

 ……まあ、その前に。

 

「……明日には筋肉痛、治ってるといいな」

 

 切実な願いを呟いて、布団へ潜り込んだ。

 目を閉じる。意識が薄れていく中で、ふと考えた。

 

 未来を知っている。

 それは、確かに大きな武器だ。

 だが、知っている未来を変えるためには、結局、自分の足で走るしかない。

 

 ……だったら。

 

 明日も、走ろう。

 少しずつでいい。今日よりも速く。昨日よりも強く。

 そして、いつか。

 

 誰にも追いつけないくらいに。

 

 そんなことを考えながら、俺は眠りについた。

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