エア・ギア ~カズに転生した俺は、最速の炎を目指す~   作:とらやす

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第4話 地面は思ったより硬い

人間、何か新しいものを手に入れたときには、決まってやりたくなることがある。

 ゲームを買えば、すぐに遊びたくなる。自転車を買えば、遠くまで走ってみたくなる。

 そして、エア・トレックを買ったなら。

 

「……やっぱ、履いてみるよな」

 

日曜日の朝。俺は自室の床に並べたA・Tを眺めながら、にやにやしていた。

 昨日、ようやく手に入れた一足。外装には傷が多く、最新型と比べれば性能も劣る。それでも、俺にとっては念願のA・Tだ。

 今すぐにでも履いて走り出したい。

 ……のだが。

 

「…………」

 

ちらりと、机の上を見る。

 そこには、購入時に渡された説明書。それから、店員に勧められた保護具が置かれていた。

 ヘルメット。膝当て。肘当て。手首を保護するプロテクター。

 

「……完全に初心者セットだな」

 

いや、初心者なんだから当然なんだけど。

 漫画で見たストームライダーたちは、こんな装備をつけていなかった気がする。もっとこう、格好よくA・Tを履いて、風を切って、壁を駆け上がって、空へ飛び出していく。

 ……まあ、今の俺が真似したら、確実に病院送りだろう。

 

「……よし」

 

まずは説明書だ。

 俺はベッドに腰を下ろし、ページをめくった。基本的な操作方法、装着時の注意、駆動部の確認、そして転倒時の対処。

 なるほど。思っていた以上に、普通のスポーツ用品に近い。

 いや、普通のスポーツ用品として扱うには、少々性能が危険すぎる気もするが。

 

「……とりあえず、練習場所だな」

 

家の中で試すわけにはいかない。母親に見つかったら怒られるし、家具にぶつかれば大惨事だ。かといって、人通りの多い道路も論外。

 そこで俺は、以前から目をつけていた場所へ向かうことにした。

 河川敷にある、小さな舗装広場だ。

 休日でも朝早い時間なら、それほど人がいない。路面も比較的平らで、周囲には十分な空間がある。

 何より、転んでも少なくとも車に轢かれる心配はない。

 ……うん。大事だよな、そこ。

 

     *

 

「……さて」

 

河川敷の広場。俺はベンチに腰掛け、A・Tを履いていた。

 靴紐を締める。足首を固定する。左右の装着状態を確認。説明書通りに駆動部を点検して、ようやく準備が整った。

 

「……おお」

 

思わず、自分の足元を見つめる。

 A・Tだ。ついに、俺の足にA・Tが装着されている。

 漫画の中で何度も見た、あの靴。それを今、自分で履いている。

 ……まあ、感動しているだけじゃ始まらないか。

 

「よし」

 

ベンチの端を掴み、ゆっくりと立ち上がる。

 その瞬間だった。

 

「……お?」

 

 足元が動いた。

 

「お、おお?」

 

右足が、勝手に前へ滑る。慌てて左足へ体重を移す。

 すると、今度は左足が動いた。

 

「ちょ、待っ――!」

 

 ガタンッ!

 

「いってええええ!」

 

見事に尻餅をついた。

 ……痛い。普通に痛い。

 いや、予想はしてたけどさ。

 

「……立つだけでこれかよ」

 

思わず天を仰ぐ。

 原作のカズって、どうやって最初の練習をしてたんだ?

 少なくとも漫画では、こんな情けない姿はあまり描かれていなかった気がする。

 ……いや、描かれていないだけで、最初は誰だってこんなものなのかもしれない。

 

「……もう一回」

 

ベンチを掴む。ゆっくり立ち上がる。

 今度は膝を少し曲げ、足を肩幅程度に開いた。

 

「……お?」

 

さっきより安定している。

 足元が動きそうになるたび、少しずつ体重を調整する。右、左、前、後ろ。

 

 ……なるほど。普通の靴とは、全然違う。

 

足裏の感覚が、まるで変わっていた。地面を踏んでいるはずなのに、足元に小さな車輪があるせいで、わずかな体重移動でも身体が動いてしまう。

 しかも、駆動の反応が混じる。ただ滑るだけの靴ではない。

 

「……こりゃ、難しいな」

 

思わず呟く。

 だが、同時に妙な面白さも感じていた。

 自分の重心が、どこにあるのか。足首にどれくらい力を入れているのか。普段なら意識しないようなことが、嫌でも分かる。

 少しバランスを崩せば、すぐに結果が返ってくるのだ。

 

「……なるほどな」

 

確かに、これは技術が必要だ。身体能力が高いだけでは、どうにもならない。

 イッキみたいな天才なら、もっと簡単に乗りこなすのかもしれないけど。

 ……いや、今はあいつのことは考えないでおこう。余計に悔しくなりそうだ。

 

     *

 

 三十分後。

 

「……っ、はぁ……!」

 

俺は、早くも汗だくになっていた。

 やっていることは、至って地味だ。

 立つ。少し動く。止まる。また立つ。その繰り返し。

 最初のうちは、少し進もうとするだけで転びそうになった。右足が滑れば、左足が引っ張られる。無理に踏ん張れば、今度は身体が後ろへ倒れそうになる。

 しかも、A・Tの駆動を使おうとすると、動きがさらに不安定になる。

 

「……思ってたより、ずっと難しいな」

 

ベンチに戻り、水を飲む。

 息を整えながら、足元を見る。まだ、それほど走れていない。いや、走るどころか、まともに滑ることすらできていない。

 それなのに、この疲労感だ。

 ……何だよ。漫画のストームライダーたち、普通に化け物じゃねえか。

 あいつら、これを履いて壁を走ってるんだぞ? しかも空中で身体を回転させたり、狭い足場で戦ったり。

 ……無理だろ。今の俺には、絶対無理だ。

 

「…………」

 

そこで、ふと思い出した。

 スピット・ファイア。アイオーン。あの二人が使っていた、時と炎の技。

 速度を利用して相手の感覚を狂わせる。摩擦熱や空気の揺らぎを利用し、視界や認識を欺く。

 漫画の中では、そんな技が当たり前のように飛び交っていた。

 だが、今の俺には想像することすら難しい。足元の車輪を制御するだけで精一杯だ。

 

「……先が長えな」

 

思わず苦笑する。

 けれど、だからこそ分かることもあった。

 あの連中は、ただ才能があるだけじゃない。どれほど天才でも、A・Tを使いこなすには技術が必要だ。

 そして技術は、積み重ねることで身につく。

 

 ……だったら。

 

「……やるしかねえよな」

 

立ち上がる。

 今度はベンチを掴まず、自分の足だけで体重を支えた。膝を軽く曲げ、重心を低くする。

 ゆっくりと、右足を前へ出す。

 ……動いた。

 左足も続ける。少しだけ、身体が前へ進む。

 

「……おお」

 

さっきより滑らかだ。

 まだぎこちない。それでも、確かに前へ進んでいる。

 

「……ははっ」

 

笑みがこぼれた。

 いいじゃないか。

 まずは、この程度で十分だ。

 

     *

 

それから、さらに一時間。

 俺は少しずつ、A・Tの扱いに慣れ始めていた。

 もちろん、まだ自由自在に走れるわけじゃない。ただ、立つ、進む、緩やかに曲がる、そして止まる。その一連の動きが、少しずつ繋がるようになってきた。

 

「……よし」

 

広場の端から、反対側を見る。距離はそれほど長くない。ただの直線だ。

 だが、今の俺にとっては十分な練習になる。

 軽く膝を曲げ、体重を前へ。ゆっくりと駆動を使う。

 足元から、小さな音が響いた。

 

 ――ウィン。

 

「……っ!」

 

身体が前へ進む。

 風が、頬を撫でた。

 ……おお。これだ。

 今までの歩くような動きとは、明らかに違う。地面を蹴っている感覚があるのに、足を前へ運ぶだけではない。

 A・Tが、身体を押し出してくれる。

 少しずつ速度が上がる。視界が流れる。

 

「……すげえ」

 

思わず声が漏れた。

 これが、A・T。

 原作で何度も見た、あの感覚。

 ……いや、実際に体験するのは初めてなんだけど。

 それでも、胸の奥がぞくぞくする。

 もっと。もっと速く。

 

 そう思った、その瞬間だった。

 

 ――ガクンッ!

 

「……え?」

 

右足が、不自然に前へ出た。

 身体が引っ張られる。重心が崩れる。

 

「ちょっ……!」

 

 慌てて左足で踏ん張ろうとする。だが、そこにも車輪がある。当然、普通の靴のようには止まれない。

 

「うおおおおっ!?」

 

視界が傾いた。

 次の瞬間。

 

 ズザザザッ!

 

「いってええええ!」

 

見事に転んだ。

 ……痛い。

 膝当てと手首の保護具をつけていて、本当によかった。いや、なかったらどうなってたんだ、これ。

 しばらく地面に座り込み、荒い息を整える。

 

「……あっぶねえ」

 

心臓が、ばくばく鳴っていた。

 ほんの少し速度を上げただけで、この有様。技術が追いついていない。

 それが、嫌というほど分かった。

 

「……欲張りすぎたな」

 

ゆっくり立ち上がる。身体を確認する。

 幸い、大きな怪我はない。ただ、右膝が少し痛む。プロテクターのおかげで擦り傷は避けられたが、衝撃までは完全には防げなかったらしい。

 ……やっぱ、無茶は駄目だな。

 

 そこで、ふと昨日のみかんの言葉を思い出した。

 

『最初っから無茶すんなよ』

『あと、止まり方を先に覚えとけ』

 

「…………」

 

……あの人。やっぱり、ちゃんと分かって言ってたんだな。

 まあ、眠りの森のメンバーなんだから当然か。でも、今の俺には、その忠告が妙に重く感じられた。

 

「……まずは、止まる練習か」

 

そう呟いて、もう一度足元を見る。

 速く走りたい。その気持ちは変わらない。

 けれど、止まれなければ、速く走ることもできない。

 当たり前のことだ。当たり前すぎて、つい忘れていた。

 

「……よし」

 

今度は、もっとゆっくり。

 速度を抑える。膝を曲げる。重心を低くする。そして、少しずつ減速する。

 ……難しい。

 思った以上に、難しい。

 足元が滑る。身体が前へ出る。止まろうとすると、逆にバランスを崩しそうになる。

 それでも、何度も繰り返す。

 走る。止まる。曲がる。また、止まる。

 失敗するたびに、どこが悪かったのか考える。足の向き、重心の位置、膝の使い方、身体の傾き。

 少しずつ修正していく。

 

 そして。

 

「……っ!」

 

ある瞬間、足元の感覚が妙にはっきりした。

 右足に体重を乗せる。左足を少し引き、車輪の向きを変える。横方向へ力を逃がすようにして、速度を落とす。

 

 ――キュッ。

 

短い音が響いた。

 身体が止まった。

 

「…………」

 

一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 いや、分かっている。

 止まったんだ。自分の意思で。転ばずに。

 

「……おおっ!」

 

 思わず声が出た。

 

「止まれた!」

 

……いや。普通に考えれば、止まれた程度で大喜びするのもどうかと思う。

 だが、今の俺にとっては大きな進歩だった。

 さっきまで、止まろうとするたびに転びそうになっていたのだ。それが、今はちゃんと止まれた。

 

「……ははっ!」

 

自然と笑みがこぼれる。

 もう一度。ゆっくり進む。速度を上げすぎない。左足を引く。重心を調整する。

 

 ――キュッ。

 

 止まった。

 

「……よし!」

 

成功だ。

 まだ不安定だし、毎回同じようにできるわけでもない。それでも、確かに一つ技術を身につけた。

 ……何だ。これ、めちゃくちゃ楽しいじゃねえか。

 

     *

 

気づけば、昼近くになっていた。

 俺はベンチに腰掛け、A・Tを脱いだ。足が重い。ふくらはぎも、太ももも、かなり疲れている。

 ……明日、また筋肉痛になるかもしれない。

 いや、今回はさすがに無茶しすぎないようにしたつもりなんだけど。どうだろうな。

 

「……まあ、いいか」

 

水を飲みながら、今日の練習を振り返る。

 最初は立つだけで転んだ。少し進んではバランスを崩した。調子に乗って速度を上げたら、見事に転倒した。

 それでも、最後には短い距離なら滑れるようになった。ゆっくりなら、曲がることもできる。そして、自分の意思で止まることも。

 

「……上出来だろ」

 

思わず呟く。

 もちろん、まだまだだ。

 今の俺では、ストームライダーなんて名乗れない。誰かと戦うなんて、到底無理だ。

 だが、確かに前へ進んでいる。昨日よりも、一週間前よりも、少しずつ。

 

「……やっぱ、地道にやるしかねえな」

 

そう言って、A・Tを袋へしまう。

 そのときだった。

 

 ――ギュンッ!

 

 遠くから、聞き覚えのある駆動音が響いた。

 

「……ん?」

 

顔を上げる。

 河川敷の向こう側。土手の斜面を、一人のライダーが駆け上がっていた。

 年齢は、俺より少し上くらいだろうか。A・Tを履いた少年が、軽々と斜面を滑走している。

 そして、頂上付近で軽く身体を沈めた。

 次の瞬間。

 

 ――タンッ!

 

 その身体が、空へ跳んだ。

 

「……おお」

 

思わず見入る。

 高い、というほどの跳躍ではない。原作の上位ライダーと比べれば、きっと大したことのない技だ。

 だが、今の俺には十分すぎるほど格好よく見えた。

 少年はそのまま斜面の反対側へ着地し、何事もなかったように走り去っていった。

 

「…………」

 

しばらく、その背中を眺める。

 ……すげえな。

 さっきまで、俺は止まるだけで必死だった。それなのに、あいつはあんなふうに跳んでいる。

 悔しい。……いや、正直に言えば、羨ましい。

 あんなふうに走れたら、どれだけ気持ちいいだろう。

 

「……いつか、絶対」

 

小さく呟く。

 あの高さへ。いや、もっとその先へ。

 自分の足で、辿り着いてやる。

 そう思った瞬間、胸の奥に昨日とは少し違う熱が生まれた。

 

原作の未来を変えたい。仲間を守りたい。

 それは、もちろん本心だ。

 だが、それだけじゃない。

 

 俺は、走りたいんだ。

 

もっと速く。もっと自由に。

 あの空へ、手が届くくらいに。

 

「……ははっ」

 

自然と笑ってしまった。

 なるほどな。

 原作のイッキが、A・Tに夢中になる理由。

 今なら、少しだけ分かる気がする。

 

     *

 

 帰宅後、俺はノートを開き、今日の成果を書き込んだ。

 

『A・T初走行』

 

その下に、細かく記録を残す。

 立つだけでも難しい。重心を低くする。急な加速は危険。曲がるときは身体ごと向きを変える。止まる練習が重要。

 そして。

 

『速度を上げる前に、制御を覚える』

 

「……うん」

 

我ながら、なかなか大事なことを書いた気がする。

 原作のカズが、どれほど速くなったとしても、その速度を扱えなければ意味がない。

 時の技も、炎の技も、きっとこういう基礎の先にある。

 そう考えると、今日の練習は決して無駄じゃなかった。むしろ、ここが本当のスタートなのかもしれない。

 

「……よし」

 

ノートを閉じる。

 机の上には、使い込まれたA・T。その外装には、今日ついた新しい傷がいくつか増えていた。

 ……まあ、最初からきれいなまま使えるとは思っていなかったけど。少しだけ、申し訳ない気もする。

 

「……よろしくな」

 

思わず、A・Tに話しかけてしまった。

 ……何やってんだ、俺。

 靴に話しかけるとか、ちょっと変な奴じゃないか?

 いや、まあいい。これから長い付き合いになるんだ。

 

この一足で、どこまで行けるか。まだ分からない。

 でも、少なくとも今日は、昨日より少しだけ先へ進めた。

 

「……明日も、やるか」

 

そう呟いて、ベッドへ倒れ込む。

 身体は疲れ切っていた。だが、不思議と気分は悪くない。

 むしろ、次に走るときのことを考えるだけで、胸が高鳴る。

 もっと速く。もっと滑らかに。もっと自由に。

 そして、いつか。

 誰にも追いつけない速度で、あの空を駆け抜けてやる。

 

 ……まあ、その前に。

 

「……明日も筋肉痛だったら、さすがに笑えねえな」

 

そんなことを呟きながら、俺は目を閉じた。

 まだ、炎の道なんて遥か先。時の技なんて、夢のまた夢。

 それでも、今日、俺は初めて自分のA・Tで走った。

 

 たった、それだけのことが。

 

 どうしようもなく、嬉しかった。

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