エア・ギア ~カズに転生した俺は、最速の炎を目指す~ 作:とらやす
「で、勝負って何すんだよ?」
俺が尋ねると、先頭の少年は河川敷の向こうを指差した。
「あそこの橋、見えるだろ? あそこまで行って折り返し。先にここへ戻ってきた方の勝ちだ」
距離は片道二百メートルほど。途中に緩やかなカーブがあり、橋の手前で折り返すコースらしい。
なるほど。単純な直線勝負じゃないわけか。
「それで、負けたらどうなるんだ?」
「あ?」
「いや、何か賭けんのかと思って」
すると、少年はにやりと笑った。
「そうだな。じゃあ負けたら、もうこの辺で練習すんなよ」
「……は?」
「ここ、俺らがいつも使ってんだよ。最近、知らねえ金髪が走り回ってるって聞いたからさ」
……おいおい。ここ、お前らの私有地じゃねえだろ。
思わず顔をしかめる。確かに俺は後から来た人間だが、だからといって他人の許可が必要な場所でもない。
「……じゃあ、俺が勝ったら?」
「は?」
「お前らもここ使わねえの?」
少年の眉がぴくりと動く。後ろの二人が顔を見合わせた。
「……お前、俺に勝つつもりかよ」
「勝負だろ?」
「へえ……」
少年は少し黙った後、声を上げて笑った。
「ははっ! いいじゃん、お前!」
そう言って、自分の胸を親指で指す。
「俺はシン。お前は?」
「カズ」
「カズね。じゃ、やろうぜ」
「その前に一つ。勝った方が場所を独占するってのはなしにしようぜ。勝負は勝負。それでいいだろ」
「……変な奴だな、お前」
「お互い様だろ」
シンは面白そうに笑い、軽く肩をすくめた。
「いいぜ。負けてもここは使っていい。ただし、負けたら俺のこと先輩って呼べよ?」
「……しょうもねえ」
「うるせえ! 嫌なら勝ってみろ!」
どうやら、そこまで悪い奴ではないらしい。
とはいえ、さっき俺の横をすり抜けていった速度は本物だった。ほんの一瞬、視界から姿が消えたように感じたほどだ。
少なくとも、今まで俺が一人で練習していた速度とは次元が違う。
……勝てるか?
正直、分からない。だが、だからこそ試してみたい。
俺は足元のA・Tを見下ろし、軽く膝を曲げた。
「……やってやるよ」
*
「それじゃ、俺が合図するからな!」
シンの仲間がスタート地点に立った。
俺とシンは横に並ぶ。隣を見ると、シンは肩の力を抜き、片足を少し前へ出していた。足元のA・Tは俺の中古品より明らかに新しい。
だが、機械の性能だけが問題じゃない。
立っている姿勢そのものが違った。
重心が低い。それでいて、どこにも無駄な力が入っていない。今すぐ走り出せるというより、すでに走っている身体を一瞬止めているような、そんな立ち姿だった。
……なるほどな。
こうして隣に立つだけでも、得るものがある。
「おい、カズ」
「ん?」
「最初に言っとくけど、手加減しねえぞ」
「……そりゃどうも」
「泣いても知らねえからな」
「泣かす側にならないように気をつけろよ」
「ハッ! 言いやがる!」
シンが楽しそうに笑った。
俺も前を向き、呼吸を整える。河川敷には弱い風が吹いていた。少し離れたところから、車の走る音が聞こえる。
不思議と、緊張はなかった。
……いや、嘘だ。
めちゃくちゃ緊張してる。
心臓はうるさいし、さっきから手のひらに汗が滲んでいる。
ただ、それ以上に胸が高鳴っていた。
初めてA・Tを履いてから、もう三か月近い。
立つだけで転んだ。止まれなくて転んだ。ちょっとした段差に挑戦しては転び、雨上がりの路面で滑ってまた転んだ。
そのたびに、自分の未熟さを思い知らされた。
それでも、少しずつ走れるようになった。
今日は、その積み重ねがどこまで通用するのかを試す日だ。
「位置についてー!」
俺は姿勢を落とした。
「よーい……」
視線は前。
余計なことは考えるな。
いつも通り、走ればいい。
「スタート!」
――ギュンッ!
「……っ!?」
隣から、風が吹き抜けた。
いや、違う。
シンが飛び出したのだ。
「はっ!?」
思わず声が漏れた。
速い。
俺だって、スタートにはそれなりの自信があった。安達との競走を繰り返すうちに、最初の数歩を無駄なく踏み出せるようになっていたし、A・Tでも加速の練習を積んできた。
なのに。
たった数秒で、シンの背中は数メートル先にあった。
「くそっ……!」
慌てて地面を蹴る。右足、左足。駆動を使って速度を上げるが、差は縮まらない。
それどころか、少しずつ開いていく。
シンはまるで、地面の上を滑るように走っていた。無理に踏み込む様子もなく、加速のたびに身体が前へ伸びる。
……嘘だろ。
これが、走り慣れたストームライダーの速度かよ。
俺は奥歯を噛み締めた。
正直、甘く見ていた。
三か月も練習した。普通に走るだけなら、もうかなり慣れた。河川敷で見かけるライダーたちと比べても、そう見劣りしないんじゃないか。
心のどこかで、そんなふうに思っていた。
だが、違う。
今まで俺が見ていたのは、あくまで一人で走っている人間の姿だ。
本気で誰かに勝とうとして走る奴は、こんなにも速いのか。
「おーい! どうした金髪ー!」
後方から、シンの仲間の声が飛んでくる。
「置いてかれてんぞー!」
……うるせえ!
こっちだって必死なんだよ!
だが、どうにか追いつこうと踏み込んだ瞬間、左足の駆動が一拍遅れた。
「……っ!」
身体がわずかに傾く。
慌てて右足で姿勢を立て直すが、その間にさらに速度が落ちた。
……最悪だ。
焦れば焦るほど、足が言うことを聞かなくなる。
そして、最初のカーブが近づいてきた。
シンは少し速度を落とし、大きく弧を描いて曲がっていく。
俺も後を追うようにカーブへ入った。
……ここだ。
この二か月、何度も繰り返してきた練習。
減速。方向転換。そして、再加速。
直線では負ける。だったら、せめてここで差を詰めるしかない。
俺は膝を曲げ、重心を内側へ落とした。左足の角度を変え、車輪を滑らせる。
――キュッ!
「……おっ!」
身体が、思った通りに曲がった。
そして、カーブの出口で地面を蹴る。
――ギュンッ!
うまくいった。
シンとの距離が、少し縮まる。
「……よしっ!」
思わず笑みがこぼれた。
通用する。
俺の練習は、ちゃんと通用している。
前を走るシンも、それに気づいたらしい。ちらりと振り返り、口元を歪めた。
「へえ! やるじゃねえか!」
「……っ、まだまだ!」
「なら、ついてこいよ!」
シンが再び加速する。
その背中が、また遠ざかっていく。
……くそっ!
直線じゃ、やっぱり敵わない。
けれど、絶望するほどじゃない。
カーブで詰められるなら、勝機はある。
俺は呼吸を整え、橋へ向かって走り続けた。
*
橋の手前。
折り返し地点が近づいてきた。
差は、およそ四メートル。
直線では離される。だが、折り返しなら。
……ここで、追いつく。
そう考えた俺は、少し早めに減速を始めた。
シンはまだ加速している。差が広がる。
構わない。大きく回り込むより、小さく折り返して素早く加速した方が速いはずだ。
俺は内側のラインへ入った。
前方では、シンが大きく円を描くように方向転換している。
……今だ!
膝を深く曲げる。身体を傾ける。左足の角度を変え、横方向へ速度を逃がす。
あとは、そのまま地面を蹴れば――。
ガクンッ!
「……え?」
足元が、跳ねた。
急な重心移動に、古いA・Tの左足がついてこなかったのだ。
車輪の向きがわずかにずれる。
踏み込むはずだった左足が外へ流れ、身体が大きく傾いた。
「うおっ……!」
転ぶ。
そう思った瞬間、反射的に右足を前へ出していた。
――ガリッ!
車輪が路面を削る。
無理やり姿勢を立て直し、どうにか転倒だけは避けた。
だが、速度は完全に死んでいた。
「……っ、くそっ!」
顔を上げる。
シンはもう折り返しを終え、こちらへ向かって走ってきていた。
そして、すれ違いざま。
「……どうした? もう終わりかよ!」
楽しそうに笑って、走り去っていく。
「…………」
悔しい。
めちゃくちゃ悔しい。
せっかく詰めた差が、一瞬で広がった。
あと少しで並べると思ったのに、欲張ったせいで台無しだ。
……何やってんだ、俺。
いつもそうだ。
もっと速く走りたくなって、無理に加速する。できると思って技を試して、失敗する。
そうやって、何度転んできた?
分かっていたはずだろ。
速度を上げる前に、制御を覚える。
最初に自分で決めたことじゃねえか。
「……っ!」
俺は歯を食いしばった。
馬鹿野郎。
勝ちたくて焦って、勝つために練習してきたことを忘れてどうする。
必要なのは、一発逆転の大技じゃない。
これまで何百回も繰り返した、あの地味な動きだ。
……落ち着け。
まず、曲がれ。
それから、走れ。
俺は深く息を吐き、慎重に折り返した。
シンとの差は、さっきよりさらに広がっている。
もう、背中が随分と遠かった。
それでも。
「……まだ、終わってねえよ」
俺は再び地面を蹴った。
折り返し後の直線。
無理に最高速度を出そうとはしなかった。
まず、A・Tの反応を確かめる。右足で地面を押し、左足へ体重を移す。駆動の遅れを見越して、少し早めに重心を切り替える。
……よし。
無理がない。
少しずつ速度を上げる。
シンとの距離は、すぐには縮まらない。それでも、今度はフォームを崩さずに走れていた。
途中の小さなカーブ。
俺は直前でわずかに減速し、身体を内側へ傾けた。大きな弧を描かず、できるだけ短いラインを通る。
――キュッ!
車輪が鳴る。
そのまま外側へ流れる力を、次の加速へ繋げる。
――ギュンッ!
「……っ!」
うまくいった。
今度は、足元が乱れない。
シンの背中が、少しだけ近づく。
……そうだ。
これでいい。
最高速度で勝てないなら、減速を減らせばいい。
コーナーで詰める。無駄な動きを削る。そして、加速の切り替えで一歩ずつ追いつく。
それが、今の俺にできる走りだ。
最後のカーブが近づいてきた。
残りは、およそ百メートル。
シンはまだ前を走っている。
……あと少し。
頼む。
もう一回だけ。
俺は膝を落とした。
視界の端で、シンが減速を始める。
なら、俺は。
もう少しだけ、速度を残す。
左足へ体重を移し、車輪の向きを変える。
カーブへ入る。
身体が、大きく傾いた。
……いける。
いや。
いけるかどうかじゃない。
ここで、決めるんだ。
俺は地面を蹴った。
――ギュンッ!!
「……なっ!?」
シンの声が聞こえた。
視界の端に、その横顔が見える。
……並んだ。
ようやく、並んだ!
「……っしゃあ!」
思わず叫ぶ。
だが、まだ終わりじゃない。
残りは、最後の直線。
ここから先は、シンの得意な場所だ。
そして案の定。
「……舐めんなよっ!」
シンが加速した。
足元のA・Tが唸りを上げる。
……速え!
ほんの一瞬、並んでいたはずの肩が前へ出る。
まずい。
このままだと、また置いていかれる。
残りは、五十メートルほど。
俺も必死に踏み込むが、差は少しずつ広がっていく。
……くそ。
どうして。
あと少しなのに。
こんなに、近くにいるのに。
足が、重い。
呼吸が苦しい。
A・Tの駆動音が、やけに大きく聞こえる。
これ以上速度を上げれば、またバランスを崩すかもしれない。
頭のどこかで、そんな声がした。
……そうだな。
無茶をすれば、きっと転ぶ。
だからって。
ここで諦めるのか?
俺は前を見た。
シンの背中がある。
あと、わずか数メートル。
その背中に手が届きそうなのに、届かない。
……知ってるよ。
この感じ。
漫画の中で、何度も見てきた。
イッキに追いつこうとして、必死に走るカズ。
自分の才能を信じきれず、何度も壁にぶつかって、それでも諦めずに走り続けた男。
俺は、その結末を知っている。
あいつが最後に、どれだけ速くなるのかも。
……でも。
知っているだけじゃ、意味がねえだろ。
俺は、カズだ。
未来を見てきた俺と、この世界で生きてきた美鞍葛馬。
その両方が、今ここにいる。
だったら。
誰かの背中を追いかけて終わるわけにはいかねえんだよ!
「……っ、うおおおおおっ!!」
俺は、最後の力を振り絞って地面を蹴った。
右足、左足。
無理に踏み込むな。
重心を前へ。
身体を浮かせるな。
足を止めるな。
安達との競走で覚えた走り方。
何度も転びながら身につけた、A・Tの制御。
そして、三か月間、ひたすら繰り返した加速と減速。
そのすべてを、一つに繋げる。
――ギュンッ!
足元が、軽くなった。
まるで、身体とA・Tの間にあったわずかなズレが、消えたような感覚。
右足が地面を蹴る。
その力が、無駄なく次の一歩へ繋がる。
左足の駆動が遅れる。
なら、その分だけ、先に身体を動かせばいい。
今まで俺を何度も転ばせた中古のA・T。
その癖を、誰よりも知っているのは俺だ。
――ギュンッ!
視界が流れる。
風が耳元で鳴る。
シンの背中が、近づく。
あと、二メートル。
一メートル。
半メートル。
「……はっ!?」
シンが振り返った。
驚愕に見開かれた目が、こちらを捉える。
その横を。
俺は、駆け抜けた。
――タンッ!
スタート地点に置かれた目印を、先に越える。
その瞬間、時間が止まったように感じられた。
いや、もちろん止まってなんかいない。
ただ、あまりにも必死だったせいで、何が起こったのか一瞬理解できなかったのだ。
俺は速度を落とし、荒い息を吐きながら振り返った。
シンも、すぐ後ろで停止していた。
「……はぁっ……はぁっ……!」
心臓がうるさい。
脚が震える。
肺が焼けるように痛い。
そして。
「……カズの、勝ち!」
合図役の少年が、声を上げた。
「…………」
勝った?
……俺が?
シンに?
……マジで?
「……っ」
胸の奥から、何かが込み上げてきた。
最初は立つことすらできなかった。
何度も転んだ。
悔しくて、情けなくて、それでも諦めずに走ってきた。
今日だって、最初から最後まで、シンの方が速かった。
何度も離されて、失敗して、もう駄目かと思った。
それでも。
最後まで走った。
最後まで、自分の速度を信じた。
そして。
「……っしゃああああああああ!!」
気づけば、両手を突き上げていた。
叫んでいた。
周りに誰がいるかなんて、もうどうでもよかった。
勝った。
勝ったんだ。
初めて。
自分のA・Tで。
自分の力で。
ストームライダーに勝った!
「……ははっ! はははっ!」
笑いが止まらない。
嬉しい。
めちゃくちゃ嬉しい。
たった一度の勝利だ。相手だって、原作に登場するような強豪じゃない。
それでも。
今の俺には、十分すぎるほど大きな勝利だった。
*
「……くっそぉ!」
シンが、悔しそうに頭をかいた。
「マジかよ……負けた」
後ろの二人も、驚いた顔をしている。
「シンが負けるとはなぁ……」
「最後、何だよあの加速!」
俺は荒い息を整えながら、苦笑した。
「……いや、こっちも何が何だか」
「はぁ? お前、自分でやっといてそれかよ!」
「……まあな」
実際、最後の走りは、自分でも驚くほど滑らかだった。
特別な技を使ったわけじゃない。いきなりA・Tの性能が上がったわけでもない。
ただ、今まで何度も繰り返してきた動きが、最後の最後でうまく噛み合った。
それだけだ。
……でも。
その「それだけ」が、どれほど難しいことなのか。
今なら、よく分かる。
「……お前、面白えな」
シンが、ふっと笑った。
「そのボロいA・Tで、よくあそこまで走れたじゃん」
「……まあ、結構練習したからな」
「だろうな」
シンは頷き、少し悔しそうに俺の足元を見た。
「最後のカーブもそうだけどさ。お前、加速の仕方が変だよな」
「……変?」
「ああ。速いっていうか……一瞬、こっちが止まってるみたいに見えた」
「……え?」
思わず顔を上げる。
止まってるみたいに?
その言葉に、胸の奥が小さく跳ねた。
……まさか。
いや、違う。
今の俺に時の技なんて使えるわけがない。あれは、もっとずっと先にある技術だ。
だが。
ほんの一瞬だけ。
速度の切り替えが相手の認識を置き去りにしたのだとしたら。
……なるほどな。
少しだけ、進むべき方向が見えた気がした。
「……カズ」
「ん?」
「お前、どっかのチーム入ってんの?」
「いや、入ってない。一人で練習してる」
「……マジかよ」
シンは目を丸くしたが、やがてにやりと笑った。
「じゃあ、また勝負しようぜ」
「……え?」
「次は負けねえから」
その目には、さっきまでの威圧的な雰囲気はなかった。
ただ、純粋な悔しさと、次こそ勝ってやるという闘志があった。
……なるほど。
こいつも、走るのが好きなんだな。
「……いいぜ」
俺も笑って答える。
「今度も勝つけどな」
「言ってろ!」
シンが笑う。
「じゃあな、カズ!」
「ああ!」
三人が走り去っていく。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
……終わった。
初めての勝負。
初めての勝利。
そして、初めて知った。
誰かと競い合うことが、こんなにも楽しいなんて。
*
帰り道、俺は何度もさっきの走りを思い出していた。
最初の直線ではシンに離された。カーブで少しずつ差を詰め、折り返しで失敗し、最後の最後でどうにか追い抜いた。
正直、次に戦っても勝てる保証はない。相手の走り方との相性もあったし、シンが俺の得意な動きを知らなかったことも大きい。
それでも。
「……勝ちは勝ち、だよな」
そう呟くと、自然と頬が緩んだ。
原作知識だけで勝ったわけじゃない。誰かが代わりに戦ってくれたわけでもない。
何度も転んで、失敗して、それでも練習を続けてきた。
その積み重ねが、今日ようやく一つの結果になったのだ。
嬉しくないはずがない。
けれど、今日の勝利なんて、まだ小さな一歩だ。
原作の世界には、もっと強い奴らが山ほどいる。
スピット・ファイア。アイオーン。そして、ニケ。
あいつらと戦うことを考えれば、今の俺なんてまだまだだ。
……それでも。
たった一歩でも、確かに前へ進めた。
それが、何より嬉しかった。
「……ははっ」
自然と笑みがこぼれる。
ふと、イッキの顔が頭に浮かんだ。
あいつがA・Tを手に入れるまで、あと一年足らず。
そのとき、俺はどれくらい速くなっているだろうか。
……いや。
速くなってみせる。
そして、あいつが初めてA・Tを履いたときには、胸を張って言ってやるんだ。
『遅かったな、イッキ』
……ははっ。想像しただけで笑えてくる。
あいつ、絶対怒るだろうな。
でも、きっと楽しい。
今まで何度も、イッキの背中を追いかけてきた。
原作でも、カズはずっとそうだった。
けれど、今度は違う。
今度は、俺が先を走る。
あいつが追いかけてきたら、そのたびにもっと速くなる。
そうして、いつか。
誰よりも速く、あの空を駆け抜けてやる。
「……待ってろよ、イッキ」
夕焼けに染まった空へ、小さく呟いた。
足元のA・Tは、まだ傷だらけの中古品だ。最新型でもない。大した性能でもない。
それでも、今日、俺を勝たせてくれた。
そして何より、気づかせてくれた。
俺は、ただ未来を変えるためだけに走っているんじゃない。
もっと速くなりたい。
もっと強くなりたい。
誰にも追いつけない速度で、自由に走ってみたい。
その気持ちは、もう誰かから借りたものじゃなかった。
俺自身の、願いだった。