エア・ギア ~運命を追い越す炎~【カズ転生】 ※改題   作:とらやす

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第2章 歯車が回り始める
第7話 嵐の前の日常


初めてストームライダーとの勝負に勝った翌朝。

 俺は、いつもより少しだけ機嫌がよかった。

 

「ふんふふーん♪」

「……お前、何か気持ち悪ぃな」

 

登校中、隣を歩いていたイッキに真顔で言われた。

「おい。人が気分よく歩いてんのに、第一声がそれかよ」

「だってお前、さっきからずっとニヤニヤしてんじゃん」

「別にいいだろ」

「何だよ。彼女でもできたか?」

「何でそうなるんだよ!」

「じゃあ、安達と何かあったとか?」

「だから違えって!」

 

 ……こいつ、俺の話になるとすぐ女に結びつけるな。

 

もっとも、今の俺が上機嫌な理由を説明するのも面倒だ。

 昨日、A・Tで初めての勝負をしたこと。そして、格上だと思っていた相手に勝てたこと。

 話しても別に構わない。だが、イッキはまだA・Tの世界を知らない。今から無理に興味を持たせる必要もないだろう。

 

「ま、ちょっといいことがあったんだよ」

「何だよ、それ。教えろよ」

「そのうちな」

「ケチくせえ!」

 

イッキが俺の肩を小突く。俺も軽く押し返した。

 すると、前方から見慣れた丸い影が近づいてきた。

 

「おーい、イッキ! カズ!」

「おう、オニギリ」

「何だよ、二人で楽しそうにして」

 

オニギリが、妙に期待した顔でこちらを見る。

「さては、昨日のエロ本の話か?」

「違えよ!」

「何だ、つまんねえの」

「お前の頭ん中、それしかねえのかよ」

 

呆れていると、イッキが突然、俺の肩に腕を回してきた。

「聞いてくれよ、オニギリ。カズの奴、朝から一人でニヤニヤしてんだぜ」

「……ほう?」

 オニギリの目が光る。

「さては、安達ちゃんと!」

「だから違うっつってんだろ!」

 

二人が揃って笑い出す。

 ……まったく。

 

 だが、こうして馬鹿な話をしながら学校へ向かう時間も、悪くない。

 

原作を知っている俺からすれば、この何でもない日常がどれだけ貴重なのか、嫌というほど分かる。

 もう少しすれば、イッキはA・Tと出会う。そして、こいつの周囲には次々と騒動が起こることになる。

 

 そうなれば、こんなふうにくだらない話をして笑っていられる時間も、少しずつ変わっていくだろう。

 

「……何だよ、カズ」

「ん?」

「また変な顔してるぞ」

「……うるせえ」

 

イッキに突っ込まれ、俺は苦笑した。

 ……まあ、今はいいか。

 せっかくの平和な朝だ。先のことばかり考えていても仕方がない。

 

     *

 

放課後。

 いつものように校庭で軽く走り込みを終えた俺は、ベンチに腰掛けていた。

 

「カズくん!」

 

声に振り返ると、安達がこちらへ走ってきた。

 部活帰りらしく、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

 

「おう、安達」

「今日も走ってたんだ?」

「ああ。ちょっとだけな」

「ふーん。相変わらず真面目だねえ」

「お前に言われると、何かむかつくな」

「何でよ!」

 

 安達が笑いながら隣に腰を下ろした。

 

こうして話すようになって、もう数か月。

 最初は、ただの同級生だった。顔を合わせれば挨拶する程度で、特別親しいわけでもなかった。

 

それが今では、放課後に見かければ自然と声を掛け合うようになっている。

 ……まあ、大抵は競走を挑まれるんだけど。

 

「そういえばさ」

「ん?」

「カズくん、最近何か他にもやってる?」

「……他にも?」

「うん。走り方が、ちょっと変わった気がするんだよね」

 

 ……鋭いな。

 

実際、A・Tの練習を始めてから、身体の使い方を以前より意識するようになった。

 重心の移動、加速するタイミング、減速するときの姿勢。

 足で走るのとA・Tで走るのは違うが、共通する感覚も少なくない。

 

「まあ、バランスの練習とか?」

「へえ! 何それ?」

「片足立ちとか、体幹とか。地味なやつ」

「ふーん……」

 

 安達が俺の顔をじっと見る。

 

「……何だよ」

「いや、カズくんって本当に変わったなーって」

「……そうか?」

「うん。前はそんなに一生懸命じゃなかったじゃん」

 

 ……否定できない。

 

以前のカズは、どちらかといえば周囲に流されることの方が多かった。

 イッキたちと馬鹿をやって、何となく毎日を過ごしていた。

 

それが今では、毎日のように走っている。

 そりゃ、周りから見れば急に変わったように映るだろう。

 

「……まあ、目標ができたからな」

「誰よりも速くなる、だっけ?」

「覚えてたのか」

「そりゃ覚えてるよ。あんなこと真顔で言う人、なかなかいないもん」

「……悪かったな」

「褒めてるんだって!」

 

安達が笑う。

 それから、少しだけ真面目な顔になった。

 

「でもさ、最近のカズくん、結構かっこいいと思うよ」

 

「…………は?」

 

 思わず、間の抜けた声が出た。

 

「……何だよ、急に」

「え? だから、一生懸命頑張ってるのが」

「あ、ああ……そっちね」

「そっちって何?」

 

 安達が不思議そうに首を傾げる。

 

……いや、何でもないです。

 ちょっと変な期待をしました。すみません。

 

「……ありがとな」

「うん!」

 

安達がにこっと笑う。

 その笑顔が妙に眩しくて、俺は少しだけ視線を逸らした。

 

……何だろうな。

 前世では二十五歳まで生きていたはずなのに、女子中学生の何気ない一言で動揺している。

 

 精神年齢って、思ったほど役に立たねえな。

 

「……で、カズくん」

「ん?」

「今日は勝負しないの?」

「……結局それかよ!」

「あはは!」

 

……まあ、いい。

 そういう安達だからこそ、一緒にいて楽しいのかもしれない。

 

     *

 

その日の夕方。

 俺は野山野家を訪れていた。

 

「おーい、イッキー!」

 

 玄関から声を掛けると、奥から騒がしい足音が聞こえてきた。

 

「おう、カズ! 入れよ!」

「お邪魔しまーす」

 

靴を脱いで上がる。

 相変わらず、賑やかな家だ。

 廊下には何かの雑誌が転がり、奥の部屋からはテレビの音が聞こえる。

 

「イッキ! お前またこんなとこに物置いてんのか!」

 

どこからか怒鳴り声が響いた。

 ……ああ。みかんさんだ。

 

「うるせえな! 後で片づけるって!」

「その台詞、昨日も聞いたぞ!」

 

 続いて、何かが壁にぶつかるような音。

 

 ……相変わらず激しいな、この家。

 

「……あれ、カズくん?」

 

声に振り返ると、野山野林檎が立っていた。

 手には洗濯物の入った籠を抱えている。

 

「あ、リンゴ。久しぶり」

「うん。イッキに呼ばれたの?」

「ああ。何か用があるって」

「ふふっ。どうせゲームでしょ?」

「……たぶんな」

 

 リンゴが、くすっと笑う。

 

原作で見慣れた顔。

 今はまだ、普通の女子中学生にしか見えない。

 

だが、俺は知っている。

 彼女が、眠りの森の重要人物であることを。

 

……いや、今は考えるのをやめよう。

 普通に話しているだけなのに、こっちが勝手に緊張してどうする。

 

「カズくん、最近よく走ってるんだって?」

「……え?」

「イッキが言ってたよ。急に走るのに夢中になったって」

「あいつ、そんなことまで話してんのか」

「うん。何か、ちょっと悔しそうだった」

「……悔しそう?」

 

 リンゴが笑う。

 

「カズに負けるわけねえ、とか言ってた」

「……あいつらしいな」

 

 思わず笑ってしまった。

 

イッキは、昔から負けず嫌いだ。

 だからこそ、A・Tの世界へ入った後も、あれだけの速度で成長していくのだろう。

 

「……ま、次は勝つつもりだけどな」

「えっ?」

「イッキに」

「ふふっ。頑張ってね」

 

リンゴが微笑んだ。

 そのときだった。

 

「……おい、カズ」

 

 背後から声がした。

 

「……あ、みかんさん」

 

 振り返ると、みかんが腕を組んで立っていた。

 

「お前、最近どうだ?」

「……どうって?」

「A・Tだよ。前に買ったって言ってただろ」

 

 ……ああ、そっちか。

 

「まあ、ぼちぼちです」

「ふーん? ちゃんと走れてんのか?」

「一応。最近は人と勝負できるくらいには」

「……へえ?」

 

 みかんの眉が、ぴくりと動いた。

 

「勝負? お前が?」

「そんな意外ですか?」

「いや、意外だろ。前のお前なら、そういう面倒くせえことはイッキに任せて、後ろで見てる方だったじゃねえか」

 

……ぐっ。

 否定しづらい。

 確かに、以前のカズはあまり積極的に前へ出る性格ではなかった。

 

「まあ、俺だっていつまでも同じじゃないですから」

「ほーう?」

 

 みかんが、にやりと笑った。

 

「言うようになったじゃねえか、カズ」

「そりゃ、少しくらい成長しますよ」

「へえ。で、勝ったのか?」

「……一応」

「おっ?」

 

 みかんが少し目を丸くした。

 

「やるじゃねえか」

「ありがとうございます」

「で、相手はどんな奴だったんだ?」

「俺より年上のライダーです。直線じゃ全然追いつけなかったんですけど、カーブで何とか」

「……カーブ?」

 

 みかんの目が、少しだけ細くなった。

 

「最高速度じゃ負けてたのに、曲がり方で勝ったってことか?」

「まあ、そんな感じです。正直、最後はかなりぎりぎりでしたけど」

「ふーん……」

 

 みかんは何かを考えるように俺を見た。

 

「お前、意外と頭使って走ってんだな」

「失礼ですね。俺だって考えるくらいしますよ」

「ハッ! 前はイッキと一緒になって馬鹿やってばっかだったくせに」

「……それは今も変わんないかもしれませんけど」

「ははっ! 違いねえ!」

 

 みかんが声を上げて笑った。

 

……おお。

 この人、こうやって笑うと結構親しみやすいんだな。

 

原作では、イッキを容赦なく叩きのめす姿の印象が強かった。

 だが、こうして普通に話してみると、面倒見のいい姉貴分という感じがする。

 

「……そういや、みかんさん」

「あ?」

「前に、止まり方を先に覚えろって言ってたじゃないですか」

「ああ」

「あれ、正解でした。最初は本当に止まれなくて」

「だろ?」

 

 みかんが得意げに笑う。

 

「だから言ったじゃねえか。走ることばっか考えてっと、そのうち派手にすっ転ぶぞ」

「……もう何回も転びましたけどね」

「ハッ! 馬鹿だな、お前!」

「否定できないですね。でも、おかげで転び方だけは上手くなりましたよ」

「何だよそれ! 自慢になってねえだろ!」

 

 再び、みかんが笑った。

 

 その様子を見ながら、俺も少しだけ笑う。

 

……何だか、不思議な感じだ。

 以前の俺なら、みかんさん相手にここまで軽口を叩くことはなかった気がする。

 何せ、相手はあのみかんさんだ。イッキを容赦なく叩きのめす姿を何度も見ている身としては、多少なりとも遠慮してしまう。

 

けれど、今はそこまで気にならない。

 別に怖くないわけじゃない。怒らせたら普通に怖い。

 ただ、変におどおどする必要もないと思えるようになっていた。

 

「……なあ、カズ」

「はい?」

「お前、最近ちょっと変わったよな」

「……またそれですか。今日、安達にも言われましたよ」

「へえ? 安達って女か?」

「同級生です」

「ほーう?」

 

……しまった。

 余計なことを言った気がする。

 

 みかんが、実に楽しそうな顔をした。

 

「何だよ。女にまで変わったって言われてんのか?」

「……別に、そういう話じゃないですって」

「ハハッ! 何だ、照れてんのか?」

「いや、照れてるのはそっちの話の持っていき方にですよ。イッキと同じこと言うんですね」

「……あ?」

「何でも女の話にしたがるところとか」

「お前、俺をイッキと一緒にすんなよ!」

 

 みかんが笑いながら、俺の肩を軽く小突いた。

 

……危ねえ。

 今の、もう少し力入ってたら普通に痛かったぞ。

 

 だが、みかんはそのまま腕を組むと、改めて俺を見た。

 

「……ま、でも本当に変わったな」

「そうですか?」

「ああ。前はもうちょっと大人しかっただろ。イッキに引っ張り回されて、俺が声掛けりゃ妙に遠慮してたしな」

 

 ……よく見てるな、この人。

 

「今は?」

「今は……そうだな」

 

 みかんは少し考え、それから口元を緩めた。

 

「前より、腹が据わった感じがするな。言いたいことも言うし、妙に落ち着いてるとこもあるし」

「……褒めてます?」

「さあな」

「そこは褒めてるって言ってくださいよ」

「ハハッ! 調子乗んな!」

 

 みかんが愉快そうに笑った。

 

「まあ、悪くねえよ。今のお前も」

「……どうも」

 

 俺が肩をすくめると、みかんはさらに笑みを深めた。

 

からかわれているのは間違いない。

 ただ、以前のようにおどおどせず、軽口を返してくる俺とのやり取りを、どうやら面白がっているらしかった。

 

「おーい、カズ! 何やってんだよ!」

 

 奥からイッキの声がした。

 

「さっさと来いよ!」

「分かったって!」

 

 俺が返事をすると、みかんが呆れたように笑った。

 

「ったく。あいつも少しは落ち着けよな」

「……無理じゃないですかね」

「だよな」

 

 妙に意見が一致した。

 

 みかんはまだ笑っていたが、ふと思い出したように付け加えた。

 

「ま、A・Tは気をつけて乗れよ。勝ったからって調子に乗ってっと、足元すくわれるぞ」

「分かってます。次も勝てるとは限らないですし」

「……へえ」

 

俺がそう答えると、みかんは少し意外そうに眉を上げた。

 それから、どこか満足そうに笑う。

 

「……いいじゃねえか。その調子で頑張れよ、カズ」

「はい。ありがとうございます」

 

 そう答えて、俺はイッキの部屋へ向かった。

 

 背後で、みかんが小さく笑う声が聞こえた。

 

「……あいつ、面白くなってきたじゃねえか」

 

 その言葉が聞こえた気がしたが、振り返らなかった。

 

……まあ、いいか。

 少なくとも、以前より話しやすくなったのは確かだ。

 

     *

 

 イッキの部屋へ入ると、オニギリがすでにゲーム機を握っていた。

 

「おせえぞ、カズ!」

「お前ら、ほんと人を呼びつけるの好きだな」

「いいから座れよ! 今日は絶対勝つからな!」

 

 ……何にだよ。

 

 どうやら、以前から三人で遊んでいる対戦ゲームの決着をつけたいらしい。

 

まあ、いい。

 こういう時間も、今は大事にしておきたい。

 

それから、しばらくゲームをした。

 結果は、俺の二勝、イッキの三勝、オニギリの一勝。

 

「っしゃあ! 俺の勝ち!」

「……くそ、最後ミスった」

「おい! 何で俺だけこんなに負けんだよ!」

 

 オニギリが頭を抱える。

 

「いや、お前、同じ攻撃に何回引っかかってんだよ」

「うるせえ! 次は絶対勝つ!」

「またそれかよ!」

 

三人で笑う。

 ……何だろうな。

 こういう何でもない時間が、妙に楽しい。

 

前世では、仕事に追われることが多かった。

 休日だって、何となく疲れて寝ているうちに終わってしまうこともあった。

 

それが今では、放課後に友達とゲームをして、馬鹿な話をして笑っている。

 もちろん、中学生に戻った不便さもある。

 金はないし、自由も少ない。大人としての経験があっても、身体はまだ子供だ。

 

けれど。

 こうしてもう一度、青春をやり直せるというのは、案外悪くないのかもしれない。

 

「……おい、カズ」

「ん?」

「お前、今日何か静かじゃね?」

「……そうか?」

「何か考え事でもしてんのか?」

 

イッキがこちらを見る。

 相変わらず、妙なところで勘が鋭い。

 

「……いや、別に」

「ふーん?」

 

イッキは少しだけ俺を見つめた。

 そして、にやりと笑う。

 

「ま、何でもいいけどよ」

「……ん?」

「次の競走、俺が勝つからな」

「……は?」

 

 思わず顔を上げる。

 

「お前、最近速くなってんだろ?」

「……まあ、少しは」

「だったら、久しぶりに勝負しようぜ!」

 

イッキの目が、楽しそうに輝いていた。

 ……ああ。そうか。

 

こいつも、俺と同じなんだ。

 誰かが速くなったと聞けば、自分も試してみたくなる。

 相手が友達なら、なおさらだ。

 

「……いいぜ」

「おっ?」

「次は俺が勝つ」

「ハッ! 言ったな?」

「ああ」

「泣くなよ、カズ!」

「そっちこそな!」

 

イッキが笑う。

 俺も笑い返した。

 

……いいな。

 こういうの。

 

原作の未来を知っているからこそ、俺は色々なことを考えてしまう。

 誰を救うか。どんな事件を防ぐか。どれだけ強くならなければならないか。

 

だが、今はまだ。

 ただ、友達と競走して、勝った負けたで笑っていられる。

 

 それだけでも、十分に幸せだった。

 

     *

 

帰り道。

 俺は夕焼けに染まった空を見上げていた。

 

気づけば、転生してから随分と時間が経った。

 最初は、ただ戸惑うばかりだった。漫画の世界にいることも、自分がカズになっていることも、すぐには信じられなかった。

 

それが今では、毎日のように走り、A・Tに乗り、少しずつ強くなっている。

 安達とも仲良くなった。イッキやオニギリとも、以前よりよく話すようになった。

 

 そして、初めての勝利も手に入れた。

 

……悪くない。

 むしろ、かなり充実している。

 

「……さて」

 

小さく呟く。

 原作開始までは、まだ少し時間がある。

 その間に、できるだけ強くなっておきたい。

 

だが、それ以上に。

 これから起こる事件への備えも、そろそろ本格的に考える必要があるだろう。

 

髑髏十字軍。

 イッキがA・Tの世界へ足を踏み入れる、そのきっかけとなる事件。

 

 確か、原作では……。

 

「…………」

 

 俺は立ち止まった。

 

 ……あれ?

 

 何か、引っかかる。

 

記憶を辿る。

 イッキ。野山野家。A・T。そして、髑髏十字軍。

 

……そうだ。

 たしか、最初にトラブルへ巻き込まれるのは……。

 

「……っ!」

 

 胸の奥が、嫌な音を立てた。

 

俺は慌てて携帯を取り出し、日付を確認する。

 原作の具体的な日付までは覚えていない。けれど、季節や出来事の順番は、おおよそ覚えている。

 

 そして、今の時期。

 

 ……まずい。

 

 思っていたより、原作開始が近いのかもしれない。

 

「……くそっ」

 

 思わず舌打ちする。

 

のんびりしている場合じゃなかった。

 俺は未来を知っている。だからこそ、何が起こるのか分かっている。

 

 だが、いつ起こるかまでは分からない。

 

 ……だったら。

 

 今から、備えるしかない。

 

俺は携帯をしまい、歩き出した。

 さっきまでの穏やかな気分は、すでに消えていた。

 

 代わりに胸の奥へ広がっていたのは、静かな焦り。

 

 ……間に合えよ。

 

イッキがA・Tを手に入れる、その前に。

 俺が、できることをやっておかなければならない。

 

 そう思いながら、俺は足を速めた。

 

 その背後で、夕焼けの空がゆっくりと暗くなっていく。

 

 嵐は、もうすぐそこまで来ていた。

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