エア・ギア ~運命を追い越す炎~【カズ転生】 ※改題 作:とらやす
第7話 嵐の前の日常
初めてストームライダーとの勝負に勝った翌朝。
俺は、いつもより少しだけ機嫌がよかった。
「ふんふふーん♪」
「……お前、何か気持ち悪ぃな」
登校中、隣を歩いていたイッキに真顔で言われた。
「おい。人が気分よく歩いてんのに、第一声がそれかよ」
「だってお前、さっきからずっとニヤニヤしてんじゃん」
「別にいいだろ」
「何だよ。彼女でもできたか?」
「何でそうなるんだよ!」
「じゃあ、安達と何かあったとか?」
「だから違えって!」
……こいつ、俺の話になるとすぐ女に結びつけるな。
もっとも、今の俺が上機嫌な理由を説明するのも面倒だ。
昨日、A・Tで初めての勝負をしたこと。そして、格上だと思っていた相手に勝てたこと。
話しても別に構わない。だが、イッキはまだA・Tの世界を知らない。今から無理に興味を持たせる必要もないだろう。
「ま、ちょっといいことがあったんだよ」
「何だよ、それ。教えろよ」
「そのうちな」
「ケチくせえ!」
イッキが俺の肩を小突く。俺も軽く押し返した。
すると、前方から見慣れた丸い影が近づいてきた。
「おーい、イッキ! カズ!」
「おう、オニギリ」
「何だよ、二人で楽しそうにして」
オニギリが、妙に期待した顔でこちらを見る。
「さては、昨日のエロ本の話か?」
「違えよ!」
「何だ、つまんねえの」
「お前の頭ん中、それしかねえのかよ」
呆れていると、イッキが突然、俺の肩に腕を回してきた。
「聞いてくれよ、オニギリ。カズの奴、朝から一人でニヤニヤしてんだぜ」
「……ほう?」
オニギリの目が光る。
「さては、安達ちゃんと!」
「だから違うっつってんだろ!」
二人が揃って笑い出す。
……まったく。
だが、こうして馬鹿な話をしながら学校へ向かう時間も、悪くない。
原作を知っている俺からすれば、この何でもない日常がどれだけ貴重なのか、嫌というほど分かる。
もう少しすれば、イッキはA・Tと出会う。そして、こいつの周囲には次々と騒動が起こることになる。
そうなれば、こんなふうにくだらない話をして笑っていられる時間も、少しずつ変わっていくだろう。
「……何だよ、カズ」
「ん?」
「また変な顔してるぞ」
「……うるせえ」
イッキに突っ込まれ、俺は苦笑した。
……まあ、今はいいか。
せっかくの平和な朝だ。先のことばかり考えていても仕方がない。
*
放課後。
いつものように校庭で軽く走り込みを終えた俺は、ベンチに腰掛けていた。
「カズくん!」
声に振り返ると、安達がこちらへ走ってきた。
部活帰りらしく、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「おう、安達」
「今日も走ってたんだ?」
「ああ。ちょっとだけな」
「ふーん。相変わらず真面目だねえ」
「お前に言われると、何かむかつくな」
「何でよ!」
安達が笑いながら隣に腰を下ろした。
こうして話すようになって、もう数か月。
最初は、ただの同級生だった。顔を合わせれば挨拶する程度で、特別親しいわけでもなかった。
それが今では、放課後に見かければ自然と声を掛け合うようになっている。
……まあ、大抵は競走を挑まれるんだけど。
「そういえばさ」
「ん?」
「カズくん、最近何か他にもやってる?」
「……他にも?」
「うん。走り方が、ちょっと変わった気がするんだよね」
……鋭いな。
実際、A・Tの練習を始めてから、身体の使い方を以前より意識するようになった。
重心の移動、加速するタイミング、減速するときの姿勢。
足で走るのとA・Tで走るのは違うが、共通する感覚も少なくない。
「まあ、バランスの練習とか?」
「へえ! 何それ?」
「片足立ちとか、体幹とか。地味なやつ」
「ふーん……」
安達が俺の顔をじっと見る。
「……何だよ」
「いや、カズくんって本当に変わったなーって」
「……そうか?」
「うん。前はそんなに一生懸命じゃなかったじゃん」
……否定できない。
以前のカズは、どちらかといえば周囲に流されることの方が多かった。
イッキたちと馬鹿をやって、何となく毎日を過ごしていた。
それが今では、毎日のように走っている。
そりゃ、周りから見れば急に変わったように映るだろう。
「……まあ、目標ができたからな」
「誰よりも速くなる、だっけ?」
「覚えてたのか」
「そりゃ覚えてるよ。あんなこと真顔で言う人、なかなかいないもん」
「……悪かったな」
「褒めてるんだって!」
安達が笑う。
それから、少しだけ真面目な顔になった。
「でもさ、最近のカズくん、結構かっこいいと思うよ」
「…………は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「……何だよ、急に」
「え? だから、一生懸命頑張ってるのが」
「あ、ああ……そっちね」
「そっちって何?」
安達が不思議そうに首を傾げる。
……いや、何でもないです。
ちょっと変な期待をしました。すみません。
「……ありがとな」
「うん!」
安達がにこっと笑う。
その笑顔が妙に眩しくて、俺は少しだけ視線を逸らした。
……何だろうな。
前世では二十五歳まで生きていたはずなのに、女子中学生の何気ない一言で動揺している。
精神年齢って、思ったほど役に立たねえな。
「……で、カズくん」
「ん?」
「今日は勝負しないの?」
「……結局それかよ!」
「あはは!」
……まあ、いい。
そういう安達だからこそ、一緒にいて楽しいのかもしれない。
*
その日の夕方。
俺は野山野家を訪れていた。
「おーい、イッキー!」
玄関から声を掛けると、奥から騒がしい足音が聞こえてきた。
「おう、カズ! 入れよ!」
「お邪魔しまーす」
靴を脱いで上がる。
相変わらず、賑やかな家だ。
廊下には何かの雑誌が転がり、奥の部屋からはテレビの音が聞こえる。
「イッキ! お前またこんなとこに物置いてんのか!」
どこからか怒鳴り声が響いた。
……ああ。みかんさんだ。
「うるせえな! 後で片づけるって!」
「その台詞、昨日も聞いたぞ!」
続いて、何かが壁にぶつかるような音。
……相変わらず激しいな、この家。
「……あれ、カズくん?」
声に振り返ると、野山野林檎が立っていた。
手には洗濯物の入った籠を抱えている。
「あ、リンゴ。久しぶり」
「うん。イッキに呼ばれたの?」
「ああ。何か用があるって」
「ふふっ。どうせゲームでしょ?」
「……たぶんな」
リンゴが、くすっと笑う。
原作で見慣れた顔。
今はまだ、普通の女子中学生にしか見えない。
だが、俺は知っている。
彼女が、眠りの森の重要人物であることを。
……いや、今は考えるのをやめよう。
普通に話しているだけなのに、こっちが勝手に緊張してどうする。
「カズくん、最近よく走ってるんだって?」
「……え?」
「イッキが言ってたよ。急に走るのに夢中になったって」
「あいつ、そんなことまで話してんのか」
「うん。何か、ちょっと悔しそうだった」
「……悔しそう?」
リンゴが笑う。
「カズに負けるわけねえ、とか言ってた」
「……あいつらしいな」
思わず笑ってしまった。
イッキは、昔から負けず嫌いだ。
だからこそ、A・Tの世界へ入った後も、あれだけの速度で成長していくのだろう。
「……ま、次は勝つつもりだけどな」
「えっ?」
「イッキに」
「ふふっ。頑張ってね」
リンゴが微笑んだ。
そのときだった。
「……おい、カズ」
背後から声がした。
「……あ、みかんさん」
振り返ると、みかんが腕を組んで立っていた。
「お前、最近どうだ?」
「……どうって?」
「A・Tだよ。前に買ったって言ってただろ」
……ああ、そっちか。
「まあ、ぼちぼちです」
「ふーん? ちゃんと走れてんのか?」
「一応。最近は人と勝負できるくらいには」
「……へえ?」
みかんの眉が、ぴくりと動いた。
「勝負? お前が?」
「そんな意外ですか?」
「いや、意外だろ。前のお前なら、そういう面倒くせえことはイッキに任せて、後ろで見てる方だったじゃねえか」
……ぐっ。
否定しづらい。
確かに、以前のカズはあまり積極的に前へ出る性格ではなかった。
「まあ、俺だっていつまでも同じじゃないですから」
「ほーう?」
みかんが、にやりと笑った。
「言うようになったじゃねえか、カズ」
「そりゃ、少しくらい成長しますよ」
「へえ。で、勝ったのか?」
「……一応」
「おっ?」
みかんが少し目を丸くした。
「やるじゃねえか」
「ありがとうございます」
「で、相手はどんな奴だったんだ?」
「俺より年上のライダーです。直線じゃ全然追いつけなかったんですけど、カーブで何とか」
「……カーブ?」
みかんの目が、少しだけ細くなった。
「最高速度じゃ負けてたのに、曲がり方で勝ったってことか?」
「まあ、そんな感じです。正直、最後はかなりぎりぎりでしたけど」
「ふーん……」
みかんは何かを考えるように俺を見た。
「お前、意外と頭使って走ってんだな」
「失礼ですね。俺だって考えるくらいしますよ」
「ハッ! 前はイッキと一緒になって馬鹿やってばっかだったくせに」
「……それは今も変わんないかもしれませんけど」
「ははっ! 違いねえ!」
みかんが声を上げて笑った。
……おお。
この人、こうやって笑うと結構親しみやすいんだな。
原作では、イッキを容赦なく叩きのめす姿の印象が強かった。
だが、こうして普通に話してみると、面倒見のいい姉貴分という感じがする。
「……そういや、みかんさん」
「あ?」
「前に、止まり方を先に覚えろって言ってたじゃないですか」
「ああ」
「あれ、正解でした。最初は本当に止まれなくて」
「だろ?」
みかんが得意げに笑う。
「だから言ったじゃねえか。走ることばっか考えてっと、そのうち派手にすっ転ぶぞ」
「……もう何回も転びましたけどね」
「ハッ! 馬鹿だな、お前!」
「否定できないですね。でも、おかげで転び方だけは上手くなりましたよ」
「何だよそれ! 自慢になってねえだろ!」
再び、みかんが笑った。
その様子を見ながら、俺も少しだけ笑う。
……何だか、不思議な感じだ。
以前の俺なら、みかんさん相手にここまで軽口を叩くことはなかった気がする。
何せ、相手はあのみかんさんだ。イッキを容赦なく叩きのめす姿を何度も見ている身としては、多少なりとも遠慮してしまう。
けれど、今はそこまで気にならない。
別に怖くないわけじゃない。怒らせたら普通に怖い。
ただ、変におどおどする必要もないと思えるようになっていた。
「……なあ、カズ」
「はい?」
「お前、最近ちょっと変わったよな」
「……またそれですか。今日、安達にも言われましたよ」
「へえ? 安達って女か?」
「同級生です」
「ほーう?」
……しまった。
余計なことを言った気がする。
みかんが、実に楽しそうな顔をした。
「何だよ。女にまで変わったって言われてんのか?」
「……別に、そういう話じゃないですって」
「ハハッ! 何だ、照れてんのか?」
「いや、照れてるのはそっちの話の持っていき方にですよ。イッキと同じこと言うんですね」
「……あ?」
「何でも女の話にしたがるところとか」
「お前、俺をイッキと一緒にすんなよ!」
みかんが笑いながら、俺の肩を軽く小突いた。
……危ねえ。
今の、もう少し力入ってたら普通に痛かったぞ。
だが、みかんはそのまま腕を組むと、改めて俺を見た。
「……ま、でも本当に変わったな」
「そうですか?」
「ああ。前はもうちょっと大人しかっただろ。イッキに引っ張り回されて、俺が声掛けりゃ妙に遠慮してたしな」
……よく見てるな、この人。
「今は?」
「今は……そうだな」
みかんは少し考え、それから口元を緩めた。
「前より、腹が据わった感じがするな。言いたいことも言うし、妙に落ち着いてるとこもあるし」
「……褒めてます?」
「さあな」
「そこは褒めてるって言ってくださいよ」
「ハハッ! 調子乗んな!」
みかんが愉快そうに笑った。
「まあ、悪くねえよ。今のお前も」
「……どうも」
俺が肩をすくめると、みかんはさらに笑みを深めた。
からかわれているのは間違いない。
ただ、以前のようにおどおどせず、軽口を返してくる俺とのやり取りを、どうやら面白がっているらしかった。
「おーい、カズ! 何やってんだよ!」
奥からイッキの声がした。
「さっさと来いよ!」
「分かったって!」
俺が返事をすると、みかんが呆れたように笑った。
「ったく。あいつも少しは落ち着けよな」
「……無理じゃないですかね」
「だよな」
妙に意見が一致した。
みかんはまだ笑っていたが、ふと思い出したように付け加えた。
「ま、A・Tは気をつけて乗れよ。勝ったからって調子に乗ってっと、足元すくわれるぞ」
「分かってます。次も勝てるとは限らないですし」
「……へえ」
俺がそう答えると、みかんは少し意外そうに眉を上げた。
それから、どこか満足そうに笑う。
「……いいじゃねえか。その調子で頑張れよ、カズ」
「はい。ありがとうございます」
そう答えて、俺はイッキの部屋へ向かった。
背後で、みかんが小さく笑う声が聞こえた。
「……あいつ、面白くなってきたじゃねえか」
その言葉が聞こえた気がしたが、振り返らなかった。
……まあ、いいか。
少なくとも、以前より話しやすくなったのは確かだ。
*
イッキの部屋へ入ると、オニギリがすでにゲーム機を握っていた。
「おせえぞ、カズ!」
「お前ら、ほんと人を呼びつけるの好きだな」
「いいから座れよ! 今日は絶対勝つからな!」
……何にだよ。
どうやら、以前から三人で遊んでいる対戦ゲームの決着をつけたいらしい。
まあ、いい。
こういう時間も、今は大事にしておきたい。
それから、しばらくゲームをした。
結果は、俺の二勝、イッキの三勝、オニギリの一勝。
「っしゃあ! 俺の勝ち!」
「……くそ、最後ミスった」
「おい! 何で俺だけこんなに負けんだよ!」
オニギリが頭を抱える。
「いや、お前、同じ攻撃に何回引っかかってんだよ」
「うるせえ! 次は絶対勝つ!」
「またそれかよ!」
三人で笑う。
……何だろうな。
こういう何でもない時間が、妙に楽しい。
前世では、仕事に追われることが多かった。
休日だって、何となく疲れて寝ているうちに終わってしまうこともあった。
それが今では、放課後に友達とゲームをして、馬鹿な話をして笑っている。
もちろん、中学生に戻った不便さもある。
金はないし、自由も少ない。大人としての経験があっても、身体はまだ子供だ。
けれど。
こうしてもう一度、青春をやり直せるというのは、案外悪くないのかもしれない。
「……おい、カズ」
「ん?」
「お前、今日何か静かじゃね?」
「……そうか?」
「何か考え事でもしてんのか?」
イッキがこちらを見る。
相変わらず、妙なところで勘が鋭い。
「……いや、別に」
「ふーん?」
イッキは少しだけ俺を見つめた。
そして、にやりと笑う。
「ま、何でもいいけどよ」
「……ん?」
「次の競走、俺が勝つからな」
「……は?」
思わず顔を上げる。
「お前、最近速くなってんだろ?」
「……まあ、少しは」
「だったら、久しぶりに勝負しようぜ!」
イッキの目が、楽しそうに輝いていた。
……ああ。そうか。
こいつも、俺と同じなんだ。
誰かが速くなったと聞けば、自分も試してみたくなる。
相手が友達なら、なおさらだ。
「……いいぜ」
「おっ?」
「次は俺が勝つ」
「ハッ! 言ったな?」
「ああ」
「泣くなよ、カズ!」
「そっちこそな!」
イッキが笑う。
俺も笑い返した。
……いいな。
こういうの。
原作の未来を知っているからこそ、俺は色々なことを考えてしまう。
誰を救うか。どんな事件を防ぐか。どれだけ強くならなければならないか。
だが、今はまだ。
ただ、友達と競走して、勝った負けたで笑っていられる。
それだけでも、十分に幸せだった。
*
帰り道。
俺は夕焼けに染まった空を見上げていた。
気づけば、転生してから随分と時間が経った。
最初は、ただ戸惑うばかりだった。漫画の世界にいることも、自分がカズになっていることも、すぐには信じられなかった。
それが今では、毎日のように走り、A・Tに乗り、少しずつ強くなっている。
安達とも仲良くなった。イッキやオニギリとも、以前よりよく話すようになった。
そして、初めての勝利も手に入れた。
……悪くない。
むしろ、かなり充実している。
「……さて」
小さく呟く。
原作開始までは、まだ少し時間がある。
その間に、できるだけ強くなっておきたい。
だが、それ以上に。
これから起こる事件への備えも、そろそろ本格的に考える必要があるだろう。
髑髏十字軍。
イッキがA・Tの世界へ足を踏み入れる、そのきっかけとなる事件。
確か、原作では……。
「…………」
俺は立ち止まった。
……あれ?
何か、引っかかる。
記憶を辿る。
イッキ。野山野家。A・T。そして、髑髏十字軍。
……そうだ。
たしか、最初にトラブルへ巻き込まれるのは……。
「……っ!」
胸の奥が、嫌な音を立てた。
俺は慌てて携帯を取り出し、日付を確認する。
原作の具体的な日付までは覚えていない。けれど、季節や出来事の順番は、おおよそ覚えている。
そして、今の時期。
……まずい。
思っていたより、原作開始が近いのかもしれない。
「……くそっ」
思わず舌打ちする。
のんびりしている場合じゃなかった。
俺は未来を知っている。だからこそ、何が起こるのか分かっている。
だが、いつ起こるかまでは分からない。
……だったら。
今から、備えるしかない。
俺は携帯をしまい、歩き出した。
さっきまでの穏やかな気分は、すでに消えていた。
代わりに胸の奥へ広がっていたのは、静かな焦り。
……間に合えよ。
イッキがA・Tを手に入れる、その前に。
俺が、できることをやっておかなければならない。
そう思いながら、俺は足を速めた。
その背後で、夕焼けの空がゆっくりと暗くなっていく。
嵐は、もうすぐそこまで来ていた。