京都観光をめいっぱい楽しんだ翌朝。
私たちは、アリスが事前に予約しておいたペット同伴可能な旅館で目を覚ましました。
昨晩は美味しい夕食を食べ、温かいお風呂に入り、三人でゆっくりと過ごすことができました。
ヤチヨもFUSHIも満足してくれたようで、朝からとてもご機嫌です。
ただ、楽しい時間にも終わりはやってきます。
二日目の今日は、家に帰らなければなりません。
とはいえ、帰りの電車まではまだ時間があります。
せっかく京都まで来たのですから、最後まで観光を楽しみましょう!
「それじゃあ、今日はお土産を買いながら、もう少し街を歩いてみましょう!」
「おお~~! いいですなぁ! ヤッチョ、まだまだ見て回りたいところがいっぱいあるよ!」
「僕も、もう少し付き合ってやるぞ」
「ふふっ。FUSHIも楽しんでくれているようで何よりです」
そんな会話を交わしながら、私たちは旅館を後にしました。
昨日訪れた場所とはまた違った道を歩き、気になったお店に立ち寄っては、京都らしいお菓子や小物を見て回ります。
八つ橋に、抹茶のお菓子。
綺麗な模様の入った小物や、京都らしい和風の雑貨。
どれも魅力的で、ついつい目移りしてしまいます。
「アリス、この掛け軸なんてどうかな?綺麗な絵柄でお土産にも良さそうだよ!」
「確かに綺麗ですね。ヤチヨの部屋に飾っても似合いそうです」
「えへへ、そうでしょ? じゃあ、これも買っちゃおうかな!」
「ヤチヨ、あまり買いすぎると荷物が大変になりますよ」
「うっ……。それは確かに」
「だから言っただろ。小娘、荷物のことも考えて買えよ」
「むむむ……。FUSHIまでそんなことを言うの?」
二人のやり取りに、私は思わず笑ってしまいました。
結局、ヤチヨは目についた珍しい物や気に入った物を次々と購入していきました。
そして、気がつけば帰りの電車の時間も近づいていました。
「そろそろ駅に向かわないといけませんね」
「……もうそんな時間なの?」
ヤチヨは手に持っていたお土産の袋を見つめ、少しだけ残念そうに呟きました。
「うう~~。ヤッチョ、まだ帰りたくないよ~。京都、楽しかったなぁ……」
「アリスも同じ気持ちです。もう少しだけ、ここにいたいです」
昨日から今日にかけて、たくさんの場所を巡りました。
美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、三人で笑い合って。
どれも大切な思い出です。
だからこそ、帰らなければならないことが少し寂しく感じられました。
「でも、また来ればいいんだよね!」
「はい! 次に来るときは、今回行けなかった場所も巡りましょう!」
「うんうん! 約束だよ、アリス!」
ヤチヨはいつもの明るい笑顔を浮かべ、私の手をぎゅっと握りました。
名残惜しい気持ちはあります。
けれど、それ以上に楽しい思い出ができたことが嬉しい。
今回の旅行は、きっと私たちにとって忘れられないものになるでしょう。
そんなことを考えながら、私たちは最後のお土産を買うため、駅へ向かう途中にあった小さなお店へと立ち寄りました。
どうやら京焼の品物を取り扱っているお店みたいです。
そこでヤチヨが、お土産をもう一つ見つけてしまったのです。
「おおっ! これすっごくかわいい!!ねえねえアリス!これもペアで買っちゃおうよ!」
ヤチヨが選んだのは、青と薄紫色の湯飲み、側面に満月と白いウサギの意匠があります。
「ヤチヨ、まだ買うんですか?」
「だって、これ可愛いんだもん!」
どうやら、もう少しだけ買い物をすることになりそうです。
ところが、その湯飲みの包装に少し時間がかかるとのこと。
「アリス、悪いけど先に外で待っててもらっていいかな? FUSHIも一緒にいるから!」
「分かりました。荷物を持って待っていますね」
「ありがと~! すぐ行くからね!」
そうして私は、二人から預かった荷物を持ち、お店の外へと出ました。
店内は少し混み合っているようです。
これなら、会計と包装が終わるまでには少し時間がかかるかもしれません。
私は邪魔にならないよう、お店の脇に移動して二人を待つことにしました。
ふと顔を上げると、少し先の横断歩道が見えました。
行き交う車と、信号が変わるのを待つ人々。
特に珍しい光景ではありません。
私は何となく、その様子を眺めていました。
――その時です。
ビーーーッ!
不意に、頭の中でけたたましい電子音が鳴り響きました。
同時に、いつもは視界の隅に表示されているはずのウィンドウが、私の目の前に大きく展開されます。
≪Warning!! Warning!! Warning!!≫
≪危険予測実行!≫
≪後方より時速約80キロ以上の物体が加速して接近中!!≫
≪数十秒後、衝突の恐れあり!≫
≪至急、現在地より離れてください!!≫
これは、ウィンドウに備わっている警報機能。
私に危険が迫った場合、自動的に起動する防衛機能です。
8000年に及ぶ旅路の中で、何度も私の命を救ってくれたものでもあります。
最近ではすっかり聞くことのなくなっていた警報音。
しかし、8000年間の旅路で培ってきた経験は伊達ではありません。
電子音が鳴った瞬間、私の意識は即座に切り替わりました。
表示された警告を理解するのに、1秒もかかりません。
同時に周囲の状況を確認。
後方から接近する物体の位置、速度、進行方向。そして、現在地から安全に離脱できる経路。
必要な情報を瞬時に整理していきます。
……見つけました。
道路の先から、一台のトラックがこちらへ向かってきています。
明らかに速度を出しすぎているうえ、車体は左右に大きく蛇行していました。
このままでは、近くにいる人々を巻き込む可能性があります。
まずはトラックの進行方向から離れるべきです。
そう判断し、移動を開始しようとした、その時。
私の視界の端に、別のものが映りました。
横断歩道の真ん中に、一人の子供が立っています。
そして、その少し後ろには一人の男性。
どうやら子供が横断歩道を渡っている途中で、トラックが接近してきたようです。
子供は突然の出来事に思考が追いついていないのか、その場から動けずにいます。
男性は、そんな子供を助けようとしているのでしょう。
必死に手を伸ばし、子供の身体を押し出そうとしています。
その行動によって、子供だけなら間一髪で助かる可能性が高い。
しかし、男性の方は……。
そこまで判断した瞬間。
いえ、きっと子供と男性が視界に入った時点で、私はすでに動き始めていたのでしょう。
「――っ!」
地面を蹴り、全速力で駆け出します。
天童アリスとしての身体能力を、最大限に発揮。
8000年という途方もない時間を旅してきても、目覚めた時から何一つ衰えることのなかった、普通の人間とは異なる身体性能。
その力を惜しみなく使い、私は一瞬で二人との距離を詰めました。
トラックが男性のもとへ到達するよりも早く。
男性が子供を突き飛ばすよりも早く。
私は二人のもとへたどり着いていました。
突然目の前に現れた私に、二人が驚いたような表情を浮かべます。
しかし、今は説明している時間などありません。
私は二人の身体をまとめて抱きしめると、そのまま全力で前方へと飛び出しました。
そして――。
直後、私たちがいた場所を、猛烈な速度でトラックが通過していきました。
けたたましい衝突音。
トラックはそのまま反対車線へと飛び出し、道路脇の電柱に激突してようやく停止しました。
「…………」
一瞬、周囲の音が遠のいたような気がしました。
私は二人を抱えたまま、ゆっくりと身体を起こします。
どうやら、間に合ったようです。
「……大丈夫ですか?」
二人をそっと離し、怪我の有無を確認します。
子供も男性も、転んだ際に膝や腕を擦りむいた程度で、大きな怪我はないようでした。
ただ、突然の出来事に驚いているのか、二人とも呆然とした様子で私を見つめています。
「えっと……」
何と声をかければいいのでしょうか。
無事でよかった、と伝えるべきでしょうか。
それとも、まずは怪我の手当てを……。
そんなことを考えていた、その時でした。
「アリスッ!!」
聞き慣れた声が、すぐ後ろから響きました。
振り返ると、そこにはヤチヨとFUSHIの姿がありました。
二人とも、ただならぬ騒ぎを聞きつけて急いで駆けつけてきたようです。
ヤチヨは私の姿を見つけるなり、今にも泣き出しそうな顔で駆け寄ってきました。
「アリス! 大丈夫!? 怪我は!? どこか痛いところはない!?」
「ヤチヨ、落ち着いてください。アリスは大丈夫です。怪我もありません」
「本当に!? 本当にどこも怪我してない!?」
「はい。問題ありません」
そう答えた途端、ヤチヨは私の身体をぎゅっと抱きしめました。
「……ばか」
「ヤチヨ?」
「ばかばか! アリスのばかっ!」
いつもの明るく、どこか飄々とした声ではありませんでした。
私の胸元に顔を埋めたヤチヨの声は、少し震えています。
そっと顔を覗き込むと、その瞳は潤み、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていました。
「どうして……どうして自分からあんな無茶をするの……!」
「ですが、あのままでは二人が危険でした」
「そんなの分かってるよ! 分かってるけど……!」
ヤチヨは私の服をぎゅっと握りしめます。
「アリスに何かあったら、どうするの……。ヤッチョは……そんなの、絶対に嫌だよ……」
その言葉に、私は返す言葉を見つけられませんでした。
私にとって、誰かを助けることは当たり前のことです。
困っている人がいたら手を差し伸べる。
危険に晒されている人がいたら、助けに行く。
それは勇者として、当然の行動だと思っています。
けれど、私が無事であることを、これほどまでに心配してくれる人がいる。
そのことを、改めて実感しました。
足元では、FUSHIが私の身体にぴったりと寄り添っています。
いつもなら何か一言くらい文句を言ってきそうなものですが、今は何も話しません。
ただ、私の足に身体を擦り寄せるようにして、そばから離れようとしませんでした。
「……ごめんなさい、ヤチヨ。心配をかけました」
「本当にだよ……。もう、こんなことしないでよ……」
「それは……約束できません」
「アリス!」
「ですが、これからはもっと気をつけます」
私がそう答えると、ヤチヨは困ったように眉を下げました。
それから、もう一度だけ私を強く抱きしめます。
「……もう。アリスは本当に。……アリスはね、ヤッチョの勇者なんだからね」
「はい。アリスは勇者です!」
「そういう意味じゃないよ~……」
ヤチヨの声に、ほんの少しだけいつもの調子が戻りました。
そんなやり取りをしていると、ようやく落ち着きを取り戻したのか、先ほど助けた男性がこちらへ歩み寄ってきました。
「あ、あの……!」
男性は私たちの前で足を止めると、深々と頭を下げました。
「ほんまに、ほんまにおおきに……! あんたが来てくれへんかったら、僕もあの子も、どないなっとったか……」
その少し後ろでは、子供が母親らしき女性に抱きしめられていました。
女性は子供を何度も確かめるように抱きしめた後、私たちの方へ向き直ります。
そして、何度も何度も頭を下げてきました。
「ありがとうございます……! 本当にありがとうございます……!」
「いえ、二人とも無事でよかったです」
「いやいや、そないな簡単な話やあらへん! ほんまに命を救ってもろたんや。せめて何かお礼をさせてもらえへんやろか?」
男性は真剣な表情でそう申し出てきました。
しかし、私は首を横に振ります。
「お気持ちだけで十分です。勇者が困っている人を助けるのは当然のことですから!」
「勇者……?」
「はい!」
私は胸を張って答えました。
すると、男性は少し驚いたように目を丸くした後、ふっと表情を和らげました。
「……そら、えらい立派な勇者さんやなぁ」
そう言って、男性は改めて頭を下げます。
その時になって、私は初めて男性の顔をよく見ることができました。
黒い髪。
そして、目元には濃いクマが刻まれています。
疲れが溜まっているのでしょうか。
どこか優しく、繊細な佇まいをした男性でした。
「ほんまに、ありがとうな」
「どういたしまして!」
□□□
「………???」
「ヤチヨ?どうかしたんですか?」
「??うーん、気のせいかな?何でも無いよ?」
「そうですか?」
その後、騒ぎを聞きつけた周囲の人々が集まり、警察や救急への連絡が行われていきました。
私たちも状況を説明することになりましたが、幸いにも大きな怪我人は出ていないようです。
ひとまず、これで一安心でしょう。
……とはいえ。
「アリス」
「はい?」
「手、繋いでおこうね」
そう言って、ヤチヨは私の手を握りました。
いつもより少し強く。
まるで、二度と離さないと言っているかのように。
足元ではFUSHIも私にぴったりと寄り添っています。
「えっと……ヤチヨ?」
「だめ。今日はこのまま」
「……分かりました」
どうやら、しばらくはこの状態が続きそうです。
結局、私たちはその後、駅へ向かうまで一度も離れることはありませんでした。
ヤチヨはずっと私の手を握ったまま。
FUSHIも私の足元から離れず、歩くたびにこちらを見上げてきます。
いつもなら少し窮屈に感じるかもしれません。
けれど、今はそれがとても嬉しく感じられました。
こうして、最後に思いがけない出来事こそありましたが、私たちの京都旅行は無事に幕を閉じました。
帰りの電車に揺られながら、私は窓の外に流れていく景色を眺めます。
桜の花びらが舞う街並みも、歴史を感じさせる建物も、少しずつ遠ざかっていきます。
「……また来ようね、アリス」
隣に座るヤチヨが、私の肩に寄りかかりながら呟きました。
「はい。今度はもっとゆっくり観光しましょう!」
「うん! その時は、今回行けなかったところにも行こうね!」
「僕も付き合ってやるぞ」
足元から聞こえた声に、私たちは顔を見合わせて笑いました。
楽しい思い出が、また一つ増えました。
それだけで、今回の旅行は大成功です。
……ただ。
「ヤチヨ、そろそろ手を離しても大丈夫ですよ?」
「やだ」
「FUSHIも、もう大丈夫ですから」
「……」
「……二人とも?」
どうやら、二人はまだ納得してくれていないようです。
帰宅するまで、もうしばらくこのままになりそうですね。
でも、まあ。
たまにはこういうのも悪くありません。
私は二人の温もりを感じながら、再び窓の外へと視線を向けました。
ふーー。
ようやく旅行編が一段落したーーー。
次からいよいよ本編開始できそうかな!
───うん?