広い街の端から端まで、結構な距離を歩き通したイドは「おお……」と
ハテェンド要塞。
帝国、人類と魔物の生存圏をハッキリと分断する
老商人の馬車に乗っていた時から遠くに少しずつ見えていた壁が、今は目の前に高く
人類の生存圏を守るのは、組成ひとつひとつすら大きく重厚感のある石造りの要塞線。
そしてその要塞線の中央に備わっている拠点こそが、人類の防衛機構、ハテェンド要塞の核である指令本部だ。
このハテェンド要塞こそが、俺の着任地。
ここが破られたら、ここの人たちは、いや、人類すらも終わってしまう。
その重圧から、ぶるりと武者震い。そして同時に、興奮で身体が熱くなる。
心持ち大股で、指令本部の衛兵のところに駆け寄った。
そして、敬礼。
「自分はイド・サーペント大尉と申します。帝都第一騎士団よりハテェンド騎士団への異動命令を受けやってまいりました。先任幹部に挨拶したく、呼んでもらえないでしょうか!」
ここは騎士らしく、きちんとした言葉を使う。階級がどうあれ、彼らも先任、この防衛線を守ってきた仲間たちだ。敬意を払いたい。
衛兵もまた規律正しく「ハッ! サーペント大尉、お待ちしておりました!」と返してくれる。
一応、身分と着任書類の確認を済ませ、衛兵2人のうち片方がすっ飛んでいく。──すぐ、戻ってきた。
衛兵と連れ立って来た男は、一見
「ハテェンド騎士団副団長、トーマス・キュラー少尉です。イド大尉の着任を歓迎します」
「トーマス少尉。団長殿は?」
「あなたです。イド大尉。先任団長は10ヶ月前よりMIA(作戦行動中行方不明)となっております」
「了解した。団長の任、拝命する」
…………。
「…………」
ふ、ふふふ。
「く、くくく……」
「「はっはははは!」」
「久しぶりだなトーマス!」
「まったく、書類を見てびっくりしましたよ。……ところで、騎士団の護送馬車はどうしたんです? 随伴もないようですが」
「ああ、断った。ちょうどよく
「それは……輸送部は困ったでしょうね」
「いや。それが、反対側の辺境にも人員補充が、それもそっちは1小隊もあるらしくてだな。むしろ俺ひとりに割くリソースを作るのに困っていたんだ。……でなきゃ、流石の俺でも大人しく護送されるさ」
「本当ですか? 落ち着きのない、戦闘技術は文句なしなのに儀礼の試験は教官の温情でパスしたあなたが?」
「ま、渡りに船ではあったな」
「でしょうね」
形式張った着任の儀は終わり。気さくな口を叩き合う。
「ご歓談中失礼します。大尉殿と副団長はお知り合いでしたか?」
「はい。彼──イドと私は、士官学校時代に同部屋だったのですよ」
「入学したばかりでは2段ベッドの上を取り合ったが、シゴきが始まってからは下を取り合ったよな」
「若いときの話ですよ」
「そうそう、若いと言えばあの引き出しだな! 妙に奥行きが無いと思ったら、」
「その話はいいではありませんか!」
怒鳴られた。
「イド。支給品やら準備はたくさんありますから、行きましょう。あなたたちも! 持ち場に戻りなさい」
トーマスの仕切りで場が畳まれ、衛兵も持ち場に戻っていく。
俺も、トーマスに連れられ指令本部の中に進んでいった。
そんなに嫌だったのだろうか。隠し棚を作って水着画集を隠していた話。……同期のあいだでは鉄板ネタなんだが。
「……よし」
暗緑色でしっかりとした生地の上下を着こみ、手には指貫きの黒いグローブ。そして太いベルトには剣を
お互いに着替えを見守る・見守られるシュミはないので先行して準備していたトーマスの居る部屋に向かう。
「へぇ。なかなかお似合いですよ」
「そうか。ここの騎士戦闘服はいいな。肌に合う」
ハテェンド騎士団戦闘服は対魔物を重視し
帝都騎士団の対人治安維持を目的とし他人に圧をかけるような服より気質に合う。
「一応礼装もあります。が、明日の団長叙任式はともかく、普段はそちらの戦闘服で構いません。
「それは助かる。正直、威厳を求められたら困るところだった」
「良くも悪くも最前線向きの隊員ばかりですからね。堅っ苦しさなんてないですよ」
トーマスが、ふ、と笑う。
「帝都騎士団では遠征もなく建物内で眠れたようですが、最前線ともなると野外キャンプが多いですからね。キレイな尊厳は捨てました」
イドも覚悟してくださいね──という脅しに、笑って返す。俺もトーマスも士官学校時代に散々サバイバル訓練を経験したからな。俺も活かすときが一足遅れてきたようだ。
「では、指令本部を案内します。防衛機密上地図はありません。頭に叩き込んでください」
「わかった」
トーマスがまずここを指差す。
「ここは団長室。イドの執務室ですね。隣に資料室もありますので、作戦・計画の立案などはここで行うのが良いでしょう。イドには朗報ですが、事務仕事は隊付きの文官が行ってくれますから、机にかじりつく時間は少ないでしょう」
「ありがたい。やはり俺は机で書き物をするのは性に合わないからな」
軍事文書も公文書。通常より形式張った言い回しや整った字が必要になる。
俺も平民出だから、貴族の子として教育を受けたトーマスや士官学校の上級生からみっちり仕込まれたとはいえ自信はない。だから、そのあたりを肩代わりしてもらえるのはとても助かる。
そして、団長室を出てすこし移動し、
「ここが謁見の間です。明日の叙任式もこちらで行います。それに、領主のヤクモラレ・イジェクト様はフットワークの軽い方ですから、会うこともあるでしょう。で・す・の・で、ヤクモラレ・イジェクト様の名前は憶えておいてくださいね」
「あ、ああ。わかった。ヤクモラレ・イジェクト様、だな」
まったく。いくらなんでも地方騎士団の最高指揮官である領主を忘れるワケないだろう。
ちらりと謁見の間を覗くと、流石にこの石造りの指令本部でもそれなりに装飾が加えられた室内に、高台に備えられた玉座、そこから俺たちのいる入口まで直線状に伸びるレッドカーペットには毛羽ひとつ立っていない。威厳を醸し出すために
尻込みする雰囲気だ。ここに無暗に立ち入ってはいけない。そっと扉から離れた。
「ところで、トーマス」
「なんですか?」
次に向かって歩きながら、気になったことを尋ねてみる。
「ここのメイドさんたちも、俺たちと同じで風変わりな格好をしているんだな」
「ああ。ジャージメイドですね。それもヤクモラレ様の采配ですよ。『メイドたちも極めて最前線に居る者たちなのだから、なにより動けることを重視すべき』とのことです。ま。イドのようなのが
「そうか。それは気が合いそうだ。ここでの生活が
「はい。気楽ですよ」
話しながら歩いて、
「ここが医務室です。イドには関係ないですね」
「そうだな」
歩き続けて、
角の陰からジャージメイドが駆けてきた。
思ったより小柄な子供だったから驚いたものの、空けていた距離のおかげ、なんとか衝突は回避された。
「ひゃあ! ……こんにちは、トーマスさん、と……えっと」
「イド・サーペントだ。今日からここでお世話になる」
「イドさん! こんにちは。カイラはカイラだよ。カイラ・イジェクト! 7歳!」
「カイラちゃん。こんにちは。
「はーい。ごめんなさい」
「いや、ケガがなくてよかった」
目線を合わせて、身体をポンポン撫でてやる。痛む所もなさそうだ。ちょうど医務室があるからと思ったが、大丈夫そうだな。
「イド、もう忘れたんですね」
トーマスの呆れた声が降ってくる。何を忘れたと言っているんだろう。
「カイラさん。母上のお名前は?」
「ヤクモラレ、だよ?」
ヤクモラレ……イジェクト?
言われて、改めて子供メイドちゃんを見直せば、
イドはあわてて
「これは、領主様のご、娘さんとは知らず……」
「大丈夫ですイドさん! 顔上げて!」
カイラちゃんのあわてた声に、イドが
「カイラ、まだ勉強中だから! いろんな人にいろんなこと教えてもらってるところだから、イドさんもげこくじょう? でカイラにいろんなこと教えてください」
カイラちゃんは両のこぶしを胸の前で握り、ふんふんと小鼻をふくらませた。
良いところのお嬢ちゃんには似つかわしくない、マジメで素直にがんばっている姿。
イドはふ、と微笑むと、
「わかった。……下剋上、ではなく無礼講、で話させてもらうよ」
「ふぇ! ま。間違えてました」
ははは。
カイラちゃんはメイドさんたちの手伝いがあるとのことで働きに戻り、またトーマスと2人。今度は、施設本部から外れ両翼に伸びる壁の中にいた。
「壁の中も通路になってるんだな」
「はい。壁の中を通り、街や魔物域への通用口から出ることで素早い出撃や避難などをすることができる設計です」
トーマスが指したところを見ると、通用口の扉があった。採光が壁に空けられた小さな穴から漏れる光であること、その通用口の扉が溶け込む見た目だったことで、言われなければ気づかないほど
体感で15分ほど、街外れまで壁の中を歩いてから、トーマスは通用口のひとつを押し開ける。
「ここから騎士団の敷地になります。ここは訓練場。騎士団の基本訓練はここで行います」
末端まで続く壁と山、それに街とも仕切るようにナナメに壁。三角形に仕切られた空間は、広くしめやかに
「もういっかいー!」「よっしゃー!」
熱心な三人組が、荷物や装備を身につけてダッシュをしている。荷物と装備で合わせて20キロほどだろうか。その重量を背負っても崩れていないキレイなフォームだ。
「サイア、ドラッド! ……ドラゴン! 訓練止め!」
トーマスの号令に、彼らはダッシュをやめてこちらにやってくる。
汗や息切れも許容内、それに立ち姿からも疲労は感じられない。隊の練度は高そうだな。
「こちら、明日より着任するイド団長です。あなたたちには一足先に紹介しておきます」
「イド・サーペントだ。明日より君たちの指揮をすることになった。よろしく頼む」
イドが敬礼とともに挨拶する。すると、彼らも返礼して、
「サイア・ドミナす。団長は帝都第一から来たんすよね?
「ドラッド・ラットスプレッド。……見ただけでわかる。貴官は私の上官に相応しいようだ」
「ドラゴンだ。そう呼んでくれ。書類に描いてある名前は気にするな。ドラゴン、だ」
三者三様の挨拶が返ってきた。少々風変りだが、新参団長を受け入れてくれているのはわかる。ありがたい。
「良くも悪くも最前線向き、と言ったでしょう。ウチの騎士は全員こんなですよ」
「ああ。人となりを憶える苦労はしなくてすみそうだ」
ずいぶんとクセ者揃いの団なのだろう。
イドは楽しみと恐ろしさを混ぜながら、それを表情にも写したように笑った。
「訓練の時までお預けすね。手合わせ、楽しみにしてるす!」
「貴官の紡ぐ作戦、楽しみにしよう」
「ドラゴン、憶えたか? ドラゴンをよろしくな!」
訓練場を後にして、次に連れられたのはその近くの宿舎。
「ここがイドの私室です」「ああ」
ここはカンタンにドアだけ示されて。宿舎
むわりとまとわりつく生暖かさとケモノの匂い。
「
「はい。とはいえ、馬は人類域用。魔物域には連れていきませんから2頭だけですが」
まずは黒毛の「オスのラディッシュ」
そして栗毛の「メスのミントです」
トーマスの示すまま、まずはラディッシュの顔を撫でた。……ん?
続いて、ミントも撫でてやる。
「なあトーマス」
「はい?」
「もしかしてハテェンドは、物資が
「はい?」
意味不明、という顔をされた。「ああ」とミントの乏しい毛並みを見て納得される。
「その2頭とも、食欲不振なんですよ。どうにも食べてくれないんです」
足元を見ると、飼料としての草や盛り塩の小山が残っていた。
「そうか、心配だな」とミントをもう一撫で。
「いや、実は、さっき街でも
「へえ。この街はわりとみんな食べられているほうですが。どんな子でしたか?」
「肉屋の娘だったな。『ミート・コンドリア』という」
「!」
「どうした?」
「まさかイド、なにか買えたりしましたか?」
「買ったというか、ジャーキーをもらったが」
「――。イド、それは秘密にして、大切に食べなさい」
「? どうしてだ?」
「『ミート・コンドリア』にもう一度行けばわかりますよ」
「?」
意味深な、持って回った言い方だ。
なので、もう一度『ミート・コンドリア』に来てみた。
日はすっかり傾き、水彩画の街並みの上にやわらかく透明な朱色が刷かれている。
あの子もまた、朱色に色づきながらそこにいた。
木箱に腰かけ、足を遊ばせ、楽しそうに歌ってた。
「みーてみてあたしーんち きてきてあたしんち みーて夕焼けきーれい あしたもはれーる♪」
彼女の歌が終わり、ひと息つく溜息まで聞き逃さず、そしてから声をかける。
「よ、よう……」続けるための、彼女の名前を聞く好機だ。「その、君の名前は」
「おい」
ひどく固い声が
「お前、騎士だったのか?」
「あ、ああ。ここの騎士団配属になったイドだ」
答えると、彼女はイドを見据え、声にも眉間にも
「帰れ! 二度とツラ見せんな!」
調べたんですが、万里の長城とかは普通に壁で、中を通れたりする城壁はなさそうですね。
なので壁の中を歩けるのはファンタジーです。