三席は生き残りたい   作:瓢箪から窯

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10.初動

「……イヅルくん」

 

「はい」

 

「この書類、昨日も見た気がするんですが」

 

「昨日、望月さんが確認を後回しにした書類です」

 

「……そうでしたか」

 

望月輝夜は、手元の紙を眺めた。

 

三番隊の執務室。

 

机の上には、今日も書類が積み上がっている。

 

隊長がいなくなっても、仕事はなくならない。

 

むしろ、隊長がいないからこそ増える仕事というものがあるらしい。

 

「いやあ、困りましたねえ」

 

「困っているなら、早く片づけてください」

 

「厳しいですねえ」

 

「望月さんが昨日やっていれば、今日の仕事は少し減っていましたよ」

 

「……ごもっともで」

 

輝夜は筆を取った。

 

向かいでは、吉良イヅルが黙々と書類を処理している。

 

市丸ギンが去ってから、三番隊は随分と慌ただしくなった。

 

隊長不在に伴う各種の手続き。

 

他隊との連絡。

 

隊士たちへの指示。

 

それらを二人で分担する日々が続いている。

 

イヅルは、以前よりも仕事に打ち込むようになった。

 

もっとも、調子がよくなったというより、そうしている方が余計なことを考えずに済むのかもしれない。

 

輝夜には、何とも言えなかった。

 

「……そういえば、望月さん」

 

「はい?」

 

「最近、一番隊からの呼び出しが多いですね」

 

「……ああ」

 

輝夜は筆を止めた。

 

始解の能力を開示して以来、一番隊へ足を運ぶ機会が増えていた。

 

観測の実施。

 

報告書の提出。

 

それから、能力の使用記録の確認。

 

自分から話したこととはいえ、なかなか面倒なものである。

 

「まあ、少々事情がありましてねえ」

 

「……処分の件ですか?」

 

「それもありますね」

 

イヅルは少しだけ眉を寄せた。

 

「……何か、僕にできることはありますか?」

 

「今のところは大丈夫ですよ」

 

「そうですか」

 

「ありがとうございます、イヅルくん」

 

輝夜が笑うと、イヅルは小さく頷いた。

 

それ以上は聞いてこなかった。

 

ありがたいことだった。

 

何しろ、輝夜自身も今後のことは分かっていない。

 

平子真子。

 

百年以上前、五番隊を率いていた男。

 

その当時の副隊長こそ、藍染惣右介だった。

 

あの失踪事件の当事者が、今になって黒崎一護の前に現れた。

 

偶然と片づけるには、あまりにも気になる。

 

平子なら、百年前の事件について何か知っているかもしれない。

 

あるいは、輝夜が長年疑ってきた藍染の行動についても。

 

できることなら、一度話を聞いてみたい。

 

もっとも、相手がこちらに協力するとは限らなかった。

 

そもそも自分は処分保留の身で、現世へ自由に出入りすることすらできない。

 

京楽春水も、調べるとは言ってくれたが、何かを約束したわけではなかった。

 

今は待つしかない。

 

「……まあ、気長にやりますかねえ」

 

「何をですか?」

 

「いえ、こちらの話ですよ」

 

輝夜は書類へ視線を戻した。

 

そのときだった。

 

「望月三席!」

 

廊下から声が響いた。

 

一番隊の隊士だった。

 

「本日の観測時刻が近づいております。準備をお願いいたします!」

 

「……ああ、もうそんな時間ですか」

 

輝夜は壁の時計を見た。

 

確かに、そろそろ出なければならない。

 

「イヅルくん、申し訳ありませんが」

 

「ええ。こちらは任せてください」

 

「助かります」

 

輝夜は立ち上がった。

 

机の上には、まだ書類が残っている。

 

帰ってきたら片づけるしかないだろう。

 

「……では、行ってきますねえ」

 

「はい。お気をつけて」

 

輝夜は軽く手を振って、執務室を後にした。

 

⸻

 

一番隊の観測室は、以前と変わらず静かだった。

 

輝夜が席に着くと、監督役の隊士が記録用の紙を広げた。

 

「本日も、黒崎一護の現世における動向を確認していただきます」

 

「承知しました」

 

「観測は許可された範囲に限ります。得られた情報は逐次報告してください」

 

「はい」

 

何度目かの説明である。

 

もっとも、必要なことではあった。

 

何しろ、輝夜は長年にわたってこの能力を隠していた。

 

今更、信用してほしいと言ったところで、そう簡単にはいかないだろう。

 

「……それでは、始めますねえ」

 

輝夜は椅子に深く腰を下ろした。

 

左目を閉じる。

 

意識を、弓張月の新月印へ向けた。

 

黒崎一護に刻まれた、目には見えない印。

 

そこへ接続する。

 

左目に、見知らぬ景色が映った。

 

青い空。

 

建物の屋根。

 

そして、どこかへ向かって歩いているらしい人々。

 

「……特に変わった様子はありませんねえ」

 

「黒崎一護の状態は?」

 

「今のところ、普段どおりに見えます」

 

右目には、静かな観測室。

 

左目には、現世の街並み。

 

何度経験しても、妙な感覚だった。

 

視界が二つあるというのは、便利なようでいて、案外不便なものである。

 

輝夜は右目を閉じた。

 

少しばかり、楽になる。

 

そのまま、しばらく様子を見ていた。

 

だが、突然。

 

観測室の扉が開いた。

 

「緊急報告!」

 

十二番隊の隊士が駆け込んできた。

 

「空座町にて異常な霊圧反応を確認! 虚に類する反応が二つ、いずれも通常の虚とは比較にならない規模です!」

 

監督役が顔を上げた。

 

「位置は?」

 

「現在、技術開発局が追跡中です!」

 

「……空座町?」

 

輝夜は思わず呟いた。

 

左目には、まだ黒崎一護の見ている景色が映っている。

 

「望月三席!」

 

「はい」

 

「黒崎一護の周辺に異常は?」

 

「……少々お待ちを」

 

輝夜は意識を集中させた。

 

ちょうどそのとき、黒崎一護の視線が大きく動いた。

 

続いて、身体ごと向きを変えたらしい。

 

景色が急速に流れていく。

 

どうやら、どこかへ向かっているようだった。

 

「……何かに気づいたようです。黒崎一護が移動を始めました」

 

「異常な霊圧を察知した可能性は?」

 

「考えられますねえ」

 

左目の景色が、さらに速く流れ始めた。

 

監督役は十二番隊から届いた情報と照合している。

 

輝夜は黙って、黒崎一護の視界を追った。

 

やがて。

 

そこに、破壊された道路が映った。

 

⸻

 

「……おや」

 

地面は砕け、周囲には土煙が立ち込めていた。

 

その向こうに、大柄な男が立っている。

 

白い衣服。

 

顔に残る、虚の仮面のようなもの。

 

腰には刀。

 

そして、その男の近くには、もう一人。

 

こちらは細身の男だった。

 

「……敵影二体を確認しました」

 

監督役が筆を取った。

 

「姿は?」

 

「どちらも人型です。顔には虚の仮面の残骸と思われるものがあります。腰には刀も」

 

「破面か?」

 

「その可能性が高いですねえ」

 

破面。

 

虚が仮面を破り、死神に近い能力を得た存在。

 

その知識自体は、護廷十三隊にもある。

 

だが、目の前の二体がどれほどの実力を持つのかは分からなかった。

 

「……一体はかなり大柄ですね。もう一体は細身で、今のところ動いていません」

 

黒崎一護の視線が、大柄な男へ向けられる。

 

その近くには、傷ついた人影があった。

 

だが、詳しく確かめる間もなく、視界が動いた。

 

黒崎一護が刀を構える。

 

黒い刀身。

 

天鎖斬月。

 

次の瞬間、大柄な破面が迫った。

 

「……交戦が始まりました」

 

激しい衝撃音。

 

視界が跳ねる。

 

一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 

次に見えたときには、大柄な男の腕が宙を舞っていた。

 

「……っ」

 

輝夜は思わず息を呑んだ。

 

「望月三席?」

 

「……失礼しました。黒崎一護が敵の片腕を斬り落としました」

 

「戦況は?」

 

「現時点では優勢のようです」

 

黒崎一護は強い。

 

尸魂界での戦いを見ていれば、それは分かっていた。

 

だが、相手もただの虚ではない。

 

片腕を失ったというのに、なお戦意を失っていなかった。

 

それに、もう一体。

 

細身の破面は、依然として動こうとしない。

 

戦いを眺めている。

 

少なくとも、輝夜にはそう見えた。

 

「……もう一体は?」

 

「戦闘には加わっていません。黒崎一護の方を見ているようですが」

 

そのときだった。

 

黒崎一護の視界が、不意に揺れた。

 

刀を構えている。

 

敵は目の前にいる。

 

だが、動かない。

 

「……?」

 

大柄な破面が迫る。

 

それなのに、黒崎一護は反応しなかった。

 

次の瞬間、視界が激しく跳ねた。

 

「……っ!」

 

輝夜は椅子の肘掛けを握った。

 

左目の景色が回転する。

 

地面。

 

空。

 

そして、再び大柄な破面。

 

「黒崎一護が攻撃を受けています!」

 

「負傷したのか?」

 

「分かりません。突然、動きが止まったように見えました」

 

輝夜は眉を寄せた。

 

自分の身体ならば、何が起きているのか多少は分かる。

 

だが、今借りているのは他人の視覚と聴覚だけだ。

 

痛みも、身体の不調も、思考も分からない。

 

黒崎一護が何を考えているのか。

 

なぜ動けなくなったのか。

 

左目に映る景色だけでは、判断できなかった。

 

そうしている間にも、大柄な破面は迫ってくる。

 

そのときだった。

 

黒崎一護の視界の端を、何かが横切った。

 

大柄な破面の身体が吹き飛ぶ。

 

そして、そこに立っていたのは。

 

「……四楓院夜一?」

 

黒髪。

 

褐色の肌。

 

百年以上前に見知った顔だった。

 

「……新たな人物の介入を確認しました。四楓院夜一元隊長と思われます」

 

「四楓院夜一だと?」

 

監督役の声が強張った。

 

「本人なのか?」

 

「少なくとも、私の知る四楓院隊長と同じ顔ですねえ」

 

さらに、もう一人。

 

緑と白の縞模様の帽子。

 

その男が視界に入った。

 

「……浦原喜助元隊長も確認しました」

 

今度こそ、観測室が静まり返った。

 

無理もない。

 

百年以上前に尸魂界を去った二人が、現世で揃って戦っているのだから。

 

もっとも、輝夜にとっては、それほど驚く話でもなかった。

 

浦原が現世にいることは、既に分かっている。

 

問題は、その二人が相手をしている存在だった。

 

大柄な破面が、赤い光を放つ。

 

次の瞬間、視界が眩しく染まった。

 

「……虚閃と思われる攻撃を確認しました」

 

「被害は?」

 

「浦原元隊長が対応しています。黒崎一護は交戦していません」

 

浦原が刀を構える。

 

反撃に移った、そのときだった。

 

細身の破面が動いた。

 

これまで戦いを眺めていた男が、初めて前に出る。

 

浦原の攻撃を受け止めた。

 

「……もう一体が介入しました」

 

輝夜は左目に意識を集中させた。

 

細身の男が、何かを話している。

 

大柄な破面へ向けた言葉だった。

 

どうやら、もう帰るつもりらしい。

 

「……敵は撤退するようです」

 

「撤退?」

 

「はい。戦いを続けるつもりはなさそうですねえ」

 

黒い穴が開いた。

 

空間が裂ける。

 

大柄な破面が、そこへ向かう。

 

その後ろで、細身の男が何かを告げていた。

 

輝夜は耳を澄ませた。

 

そして。

 

一つの名前が聞こえた。

 

藍染。

 

「…………」

 

輝夜は息を止めた。

 

「……望月三席?」

 

監督役に呼ばれ、輝夜は顔を上げた。

 

「……失礼しました」

 

「何か確認できたか?」

 

「ええ。重要な発言を聞きました」

 

左目の中で、二体の破面が黒い穴へ消えていく。

 

そして、穴は閉じた。

 

「……敵は、藍染惣右介に報告すると発言しました」

 

観測室が静まり返った。

 

「……藍染?」

 

「はい」

 

「聞き間違いではないのか?」

 

「その名前については、間違いありません」

 

輝夜は静かに答えた。

 

「少なくとも、あの二体は藍染とつながりがあるようですねえ」

 

⸻

 

観測を終えた輝夜は、報告書に筆を走らせた。

 

監督役が記録した内容と照らし合わせ、敵の外見や戦闘の経過を確認していく。

 

浦原喜助と四楓院夜一の介入についても、見たままを記した。

 

「……望月三席」

 

「はい?」

 

「敵の目的について、何か考えは?」

 

輝夜は筆を止めた。

 

「……黒崎一護の実力を確かめに来た、という可能性はありますねえ」

 

「偵察か?」

 

「ええ。細身の方は、ほとんど戦わずに黒崎一護を見ていましたから。それに、あちらの判断で引き揚げています」

 

「確証は?」

 

「ありませんよ。私が見たのは途中からですし、他の目的があったのかもしれません」

 

監督役は頷いた。

 

「分かった。推測として記録する」

 

「お願いします」

 

輝夜は筆を置いた。

 

以前なら、得た情報について自分一人が納得できれば、それで済んだ。

 

だが、今は違う。

 

この報告を基に、誰かが判断を下す。

 

見えていないものまで、見えたことにするわけにはいかない。

 

「……では、こちらで」

 

報告書を差し出す。

 

監督役はそれを受け取った。

 

「技術開発局の記録と照合し、上層部へ提出する」

 

「承知しました」

 

輝夜は椅子から立ち上がった。

 

ひとまず、自分の役目は終わりだった。

 

もっとも、気になることは増えている。

 

平子真子について調べようとしていたところへ、今度は浦原喜助と四楓院夜一が現れた。

 

しかも、相手は藍染とつながりのある破面である。

 

百年前の事件を知る者たちが、今の藍染についても何か知っているとしたら。

 

「……さて」

 

輝夜は小さく息を吐いた。

 

報告はいずれ京楽の耳にも入るだろう。

 

同じ内容を説明し直す必要はない。

 

ただ、今回のことを踏まえて、平子への接触をどう進めるかは相談しておきたかった。

 

京楽の方でも、何か分かっているかもしれない。

 

「……少し、忙しくなりそうですねえ」

 

輝夜は観測室を後にした。

 

⸻

 

三番隊へ戻る頃には、日が傾き始めていた。

 

「お帰りなさい、望月さん」

 

「ただいま戻りました」

 

「……随分と長かったですね」

 

「いやあ、少しばかり大変なことになりまして」

 

輝夜は自分の席へ腰を下ろした。

 

机の上には、朝よりも多くの書類が積まれている。

 

「……増えてません?」

 

「増えていますよ」

 

「困りましたねえ」

 

「僕の方も増えています」

 

「……そうでしたか」

 

どうやら、文句を言っても仕方がないらしい。

 

輝夜は一枚を手に取った。

 

だが、文字を追い始めても、どうにも先ほどの光景が頭から離れなかった。

 

「……望月さん」

 

「はい?」

 

「現世で、何かあったんですか?」

 

輝夜は顔を上げた。

 

イヅルは、真面目な顔をしていた。

 

「……ええ。破面と思われる者が二体、現れました」

 

「破面が……?」

 

「黒崎一護と交戦した後、撤退しています」

 

「……そうですか」

 

イヅルは少し考えた。

 

「それで、望月さんが呼ばれたんですね」

 

「ええ。黒崎一護が見ていたものを、少しばかり確認しました」

 

「……何か、分かったんですか?」

 

輝夜は筆を置いた。

 

「藍染が関わっているようです」

 

イヅルの表情が変わった。

 

「……藍染、ですか」

 

「はい。破面たちが、あの男の名前を口にしていました」

 

「…………」

 

イヅルは目を伏せた。

 

しばらく、何も言わなかった。

 

輝夜も黙っていた。

 

やがて、イヅルが小さく口を開いた。

 

「……市丸隊長も、そこにいるんでしょうか」

 

輝夜は答えに迷った。

 

いるのかもしれない。

 

いないのかもしれない。

 

藍染とともに尸魂界を去った以上、今も傍にいると考えるのが自然だろう。

 

だが、今回の観測では何も分からなかった。

 

「……分かりませんねえ」

 

それだけ答えた。

 

イヅルは静かに頷いた。

 

「……そうですか」

 

それ以上は聞かなかった。

 

輝夜も、無理に言葉を続けることはしなかった。

 

しばらくして、イヅルが書類へ目を戻した。

 

「……僕たちにも、出動命令が来るでしょうか」

 

「どうでしょうねえ」

 

「もし来たら、準備はできています」

 

「……頼もしいですねえ」

 

「三番隊の副隊長ですから」

 

イヅルはそう答えた。

 

その顔を見て、輝夜は少しだけ笑った。

 

「……そうでしたね」

 

市丸ギンが去ってから、三番隊は変わった。

 

変わらなければならなかった。

 

隊長のいない隊を、このまま放っておくわけにはいかない。

 

イヅルも、自分も。

 

それぞれに、やらなければならないことがある。

 

輝夜は改めて筆を取った。

 

まずは、目の前の書類を片づけよう。

 

それから、京楽に相談する。

 

平子真子が何を知っているのか。

 

今までは、確かめられればいいと思っていた。

 

だが、藍染が動き始めた以上、そう悠長にもしていられない。

 

「……望月さん」

 

「はい?」

 

「手が止まっていますよ」

 

「……おや」

 

輝夜は自分の手元を見た。

 

筆は、いつの間にか宙に浮いたままだった。

 

「……失礼しました」

 

「今日中にお願いしますね」

 

「はいはい」

 

輝夜は苦笑して、書類に向き直った。

 

現世では、藍染が動き始めている。

 

こちらも、少しばかり急いだ方がいいだろう。

 

もっとも。

 

その前に、三番隊の仕事を終わらせなければならないのだが。

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