「……すみませーん」
店先から、女の声が聞こえた。
浦原喜助は、広げていた帳面から顔を上げた。
「はーい。いらっしゃいませー」
緑と白の縞模様の帽子を被り直し、店先へ出る。
そこには、死覇装を纏った女性が立っていた。
「浦原喜助さん、で合ってるかしら?」
「ええ、そうッスけど」
「十番隊副隊長の松本乱菊です。京楽隊長から預かりものがあって」
「……京楽サンから?」
浦原は目を瞬かせた。
乱菊は懐から一通の封書を取り出す。
「これ。直接渡してほしいって頼まれたの」
「へえ。珍しいッスね」
「そうなの?」
「いやあ、あの人がわざわざ手紙を寄越すなんて、何か面倒なことでもあるのかなあと」
「……やっぱり?」
乱菊は呆れたように笑った。
「私も怪しいと思ったのよ。普通に連絡すればいいのに、わざわざ手紙なんて」
「なるほど」
浦原は封書を受け取った。
差出人には、確かに京楽春水の名前がある。
封はされており、表書きにも特別なことは何も書かれていなかった。
「わざわざありがとうございます。京楽サンにもよろしくお伝えください」
「返事は?」
「そうッスねえ。中身を見てから考えますよ」
「……また面倒なことになりそうね」
「いやいや、そんなことないッスよ。アタシはただの駄菓子屋ですから」
「元十二番隊隊長の言うことじゃないでしょ、それ」
乱菊が笑う。
浦原も、扇子で口元を隠して笑った。
「じゃ、私はそろそろ行くわ。隊長をあんまり待たせると怒られちゃうし」
「おや、それはいけませんね」
「でしょ?」
乱菊は手を振った。
「それじゃ、また」
「はい。お気をつけて」
浦原はその背中を見送った。
店先に、いつもの静けさが戻る。
しばらくして、店の奥から声がした。
「浦原殿。お客様はお帰りですか」
「ええ。鉄裁サン、ちょっとお茶をお願いできます?」
「承知しました」
浦原は封書を眺めた。
京楽春水。
百年以上前から、あまり変わらない男だった。
のんびりしているように見えて、考えていることを表に出さない。
そんな男からの手紙である。
「……さてさて」
浦原は店の奥へ戻った。
⸻
封を切り、便箋を取り出す。
書かれていたのは、百年前の事件についての問い合わせだった。
当時、姿を消した隊長たちについて。
藍染惣右介との関わりについて。
そして、可能であれば平子真子への接触を仲介してほしいという申し出。
「……へえ」
浦原は、思わず声を漏らした。
京楽が百年前の事件に関心を持つこと自体は、不思議ではない。
当時の隊長たちとは、旧知の間柄だった。
だが、今になってこの話を持ち出してきた理由は何だろう。
さらに読み進める。
途中で、一つの名前に目が留まった。
望月輝夜。
「…………」
三番隊三席。
百年以上前から、その地位にいる男だった。
当時の三番隊隊長は、鳳橋楼十郎。
浦原も、隊長として瀞霊廷にいた頃には、何度か顔を合わせたことがある。
その部下に、望月輝夜という男がいた。
随分と古い名前である。
「……市丸サンのところの三席、でしたか」
浦原は小さく呟いた。
藍染惣右介とともに尸魂界を去った、市丸ギン。
望月は、その男が率いていた三番隊に長く所属していた。
そして京楽の手紙によれば、望月は百年前から藍染に疑念を抱いていたという。
それを、長らく公にしてこなかった。
「……なるほど」
浦原は、もう一度便箋へ目を落とした。
詳細な事情までは書かれていない。
ただ、京楽自身も望月を信用しきっているわけではないらしい。
そのうえで、話を聞く価値があると判断したのだろう。
百年前の事件。
平子真子たちの失踪。
自分が尸魂界を追われることになった、あの一件。
その裏に藍染がいたことを、浦原は知っている。
だが、当時から藍染を疑っていた死神がいたという話は初耳だった。
まして、その男が今まで三番隊に居続けていたというのだから。
「……何を見たんでしょうねえ」
疑っていた、というだけなら誰にでもできる。
重要なのは、その疑惑がどこから生まれたのかだった。
当時、望月は何を見聞きしたのだろう。
「浦原殿」
鉄裁が茶を運んできた。
「おや、ありがとうございます」
「何か、ございましたか?」
「いやあ。昔のことを聞きたいって人が現れましてね」
「……昔のこと、ですか」
「ええ」
浦原は茶を一口飲んだ。
「百年以上も前の話ッスよ」
鉄裁は黙った。
その表情に、わずかな変化があった。
「あの頃のことであれば、私もお力になれることがあるかもしれません」
「そうですねえ」
浦原は便箋を折り畳んだ。
「ただ、今回は向こうのお話も聞いてみたいんですよ」
「……と、申しますと?」
「まだ、分からないことが多すぎましてね」
浦原は笑った。
「少なくとも、すぐにお返事できる話じゃなさそうッス」
机の上に封書を置く。
百年前のことを聞きたいという死神がいる。
その事実だけでも、十分に興味深かった。
⸻
その夜。
浦原商店の前には、一人の死神が座っていた。
阿散井恋次。
現世へ派遣された先遣隊の一人である。
閉ざされた店の戸を前に、ただ黙って待っている。
浦原喜助に、聞きたいことがあった。
だが、店主は一向に姿を見せなかった。
店の奥では、浦原が帳面に目を落としていた。
店先にいる死神の霊圧には、当然気づいている。
用件についても、おおよその見当はついていた。
黒崎一護が短期間で手に入れた力。
その修行を行った浦原喜助という男。
興味を持つのも無理はなかった。
もっとも、何でも教えるつもりはないのだが。
「……さて、どうしたものか」
そう呟いた、そのときだった。
異質な霊圧が、空座町に現れた。
一つではない。
複数。
しかも、それぞれが相当な力を持っている。
「…………」
浦原は顔を上げた。
先日現れた二体とは違う。
町の各所へ、霊圧が散っていく。
「……今度は随分と大勢で来ましたねえ」
藍染の配下と思われる破面たち。
破面が新たな脅威となることは、既に分かっていた。
だが、こうも立て続けに現世へ送り込まれてくるとは。
「浦原殿」
「ええ。分かっています」
鉄裁が店の奥から姿を見せた。
二人が言葉を交わす間にも、霊圧は近づいてくる。
そして。
店の外で、恋次が立ち上がる気配がした。
ほどなくして、鋭い衝撃音が響いた。
浦原が顔を上げる。
店の前で、戦闘が始まっていた。
「……ここにも来ましたか」
相手は破面。
先ほど感じ取った霊圧の一つだった。
「鉄裁サン。店の方をお願いします」
「承知しました」
浦原は扇子を閉じた。
空座町の各所でも、既に戦闘が始まっている。
今夜は、静かに過ごせそうもなかった。
⸻
戦いは、長引いた。
店先では、阿散井恋次が卍解を用いている。
しかし、それでも破面を圧倒できていなかった。
「……限定霊印があるとはいえ、随分と厄介な相手ですねえ」
浦原は、外から伝わる霊圧を探った。
現世へ派遣された隊長・副隊長は、本来の力を制限されている。
それでも、この破面が相応の実力を持つことは間違いなかった。
そして、空座町の各所でも同様の戦闘が続いている。
そのとき。
店の近くで、別の霊圧が急激に膨れ上がった。
「……雨?」
浦原は顔を上げた。
普段のおとなしい少女からは考えられないほど、激しい霊圧だった。
破面に反応したのか。
その霊圧が、店先へ飛び出していく。
続いて、凄まじい衝撃音が響いた。
浦原が戸口へ向かおうとした、その直後。
破面の霊圧が、爆発するように膨れ上がった。
斬魄刀を解放したのだ。
「……っ!」
直後、ジン太の叫び声が響いた。
「雨!」
浦原が外へ出ると、巨大な角を備えた破面の前で、雨が倒れていた。
その身体には、深い傷があった。
ジン太が駆け寄る。
恋次の蛇尾丸が、二人を守るように破面との間へ割り込んだ。
「……鉄裁サン!」
浦原の声が鋭くなった。
「はい!」
「雨の治療を。急いでください」
「承知しました!」
ジン太に抱えられて戻ってきた雨を、浦原は受け取った。
傷を確かめる。
深い。
だが、まだ助けられる。
「……大丈夫ッスよ」
その言葉が、雨に届いているかは分からなかった。
鉄裁が雨を奥へ運んでいく。
浦原は、その背中を見送った。
店先では、なおも激しい戦闘が続いている。
相手の実力は高い。
限定されたままの恋次には、厳しい戦いだった。
だが、今は。
「……頼みますよ、阿散井サン」
浦原は、小さく呟いた。
⸻
戦況が変わったのは、それからしばらくしてのことだった。
空座町の各所で、死神たちの霊圧が急激に膨れ上がった。
「……ようやく許可が下りましたか」
限定解除。
尸魂界から許可が下り、現世へ派遣された隊長・副隊長たちの霊圧制限が解かれたのだ。
恋次の霊圧も、例外ではなかった。
先ほどまでとは比較にならないほどの霊圧が、店先で膨れ上がる。
やがて、巨大な霊力の衝突が起きた。
店先を揺るがすほどの一撃。
そして、破面の霊圧が消えた。
恋次が勝ったのだ。
ほかの場所でも、戦闘は収束しつつあった。
日番谷冬獅郎たちが、それぞれの相手を退けたらしい。
一方、黒崎一護とぶつかっていた強大な霊圧は、途中で町から姿を消していた。
倒されたのか。
引き揚げたのか。
ここからでは、正確なことは分からない。
ただ、一護の霊圧は残っていた。
随分と消耗しているようだったが、消えてはいない。
「……生きてはいるようですね」
浦原は小さく息を吐いた。
そのとき、店の奥から鉄裁が姿を見せた。
「浦原殿」
「雨は?」
「ひとまず、危険な状態は脱しました」
「……そうッスか」
浦原は頷いた。
「ありがとうございます、鉄裁サン」
「いえ」
鉄裁は静かに頭を下げた。
奥の部屋では、雨が眠っている。
ジン太はその傍らに座り、珍しく黙り込んでいた。
「……まったく」
浦原は扇子を閉じた。
破面が去ったからといって、何もなかったことにはならない。
雨は傷ついた。
恋次も、無傷ではない。
そして黒崎一護も。
今夜、藍染の戦力の一端が明らかになった。
それだけでも、十分に厄介な出来事だった。
「……困りましたねえ」
浦原は店の奥へ戻った。
机の上には、昼間届いた封書が置かれたままだった。
京楽春水。
そして、望月輝夜。
百年前の事件について、話を聞きたいという申し出。
浦原はしばらく、その封書を眺めていた。
⸻
翌朝。
浦原は、再び京楽の手紙を広げていた。
昨夜の襲撃について、断片的ながら情報が集まり始めている。
現世に派遣された死神たちは、それぞれ厳しい戦いを強いられた。
黒崎一護も、青い髪の破面を相手に敗れたという。
敵は去った。
だが、それを勝利と呼ぶには、あまりにも危うい結果だった。
藍染惣右介。
あの男が、どれほどの準備を進めているのか。
正確なところは、まだ分からない。
ただ、今後の戦いが厳しくなることだけは確かだった。
「……さて」
浦原は扇子を開いた。
百年前の事件について、何を話すべきか。
平子真子たちのこともある。
彼らが今、どのような立場に置かれているのか。
それを考えれば、本人たちの知らないところで勝手に事情を明かすわけにはいかない。
京楽からの申し出に応じること自体は、難しくない。
問題は、その先だった。
「……望月輝夜サン、ですか」
浦原は、便箋に書かれた名前へ目を落とした。
百年前から藍染を疑っていたという。
もしそれが本当なら、当時の事情について何か知っている可能性がある。
しかし、その男は長い間、誰にも話さなかった。
そして今になって、真相を求めている。
「……まずは、そちらのお話を聞かせていただきたいですねえ」
浦原は紙を一枚取り出した。
筆を取る。
短い文面を書き始めた。
京楽春水への挨拶。
百年前の事件に関する申し出について、話を聞く用意があること。
ただし、現段階で平子真子への仲介や、事件の詳細を明かす約束はできないこと。
そして、望月輝夜について。
当時、何を見聞きしたのか。
どこまでが確かな事実で、どこからが本人の推測なのか。
まずは、その経緯を聞かせてほしい。
書面でも構わない。
直接話をするのであれば、その方法について改めて相談したい。
浦原は筆を置いた。
書き上げた文面に、もう一度目を通す。
「……こんなところッスかね」
返事をするからといって、すべてを話すと約束したわけではない。
平子たちを引き合わせると決めたわけでもない。
ただ、相手の話を聞いてみる価値はある。
そう判断しただけだった。
浦原は便箋を折り畳み、封筒に収めた。
宛先は、京楽春水。
現世へ派遣されている死神たちを通じて、返事を届けてもらえばいいだろう。
「……鉄裁サン」
「はい」
「こちら、後で届けられるようにしておいてください」
「承知しました」
鉄裁は封書を受け取った。
浦原は再び、京楽からの手紙に目を落とした。
望月輝夜。
百年以上も三席のままでいる男。
藍染を疑いながら、何も話さなかった男。
その人物が、今になって百年前の事件を調べようとしている。
「……いやあ」
浦原は扇子で口元を隠した。
「京楽サンも、また面倒なことを持ち込んできましたねえ」
もっとも。
返事を書くと決めたのは、自分自身だ。
既に封書は、鉄裁へ預けてある。
あとは、向こうがどう応じるか。
その答えを聞いてからでも、遅くはないだろう。
文章の行間はどちらが読みやすい?
-
9話以前
-
10話